「――何だ……?」
黒井は、全身に汗を掻いていた。
座布団の上に座った状態で、微動だにしないまま、全身をぐっしょりと濡らしていたのである。
「ガイスト、あんたも……」
黒井が言い終える前に、ガイストが頷いた。
ガイストもやはり、動きは一つもない筈なのに、顔に疲労を貼り付けている。
克己は、しかし、平気そうな顔をしていた。
汗も掻いていない。
恐らく、黒井とガイストが見たものを、克己は見ていないのであろう。
マヤが、彼に見せなかった、という事なのかもしれない。
ショッカー基地の中にある和室。
壁には、神話世界曼荼羅があり、その傍に異形の鴉の像が立っている。
上座に座す僧形のマヤは、既に、眉間に浮かんだ第三の眼を閉じていた。
傷痕さえない。
その右肩には、赤い眼の鴉が留まっている。
「どうだった?」
マヤが訊いた。
二人に見せたもの――
それは、かつて、黒沼鉄鬼に見せたのと同じ、
遥かなる龍の記憶
というものであった。
虚空に光が生じ、光が惑星を形作り、惑星から龍が飛び立ってゆく――
それは、虚空の側から見た視点で、光の側から見たのならば、光が闇の中に生命を生み出して、自らが生み出した龍がこちらに迫って来るという映像であった。
「酷く、疲れたよ……」
ガイストが言った。
黒井も同意見である。
「頭がパンクしそうだ」
黒井が、素直に述べた。
光の出現から、惑星の誕生と、龍の登場まで、そこまで長い映像だとは思わなかったが、龍が海中から天空に飛び立ってゆこうとするまでには、黒井とガイストが見た以上の循環が行なわれているのだろうと、分かる。
見たのはその一部、或いはダイジェスト、又は早送りだとしても、その情報分を閲覧するだけの時間が、自分たちの脳内では消費されていたのである。
例え、画面に表示されたのが、一枚のイラスト、一つの文字であっても、それを構成しているのは、無数の0と1であり、その0と1を、脳内で数え直す作業をしたかのようであった。
「で、これが、カイザーグロウとやらと、どう関係があるんだ?」
「分からないって事はないでしょう?」
マヤが、ガイストの質問に対し、自分で考えさせた。
それに、黒井が答える。
「龍……」
「ぴんぽーん」
マヤが言った。
「あの龍か」
ガイストも分かったようである。
あの映像の中にあった、天に昇る、地に降る龍は、カイザーグロウの像と似ていた。
赤い眼と、にゅぅと伸びた角。
だが、あれは龍であり、鴉ではなかった。
その事について、ガイストは問おうとしたが、黒井が先んじた。
「龍というのは、そもそも、想像上の動物だ……」
「それがどうした?」
「けれど、実際に、“龍”と名の付く生物はいる」
「恐竜か?」
「ああ」
「――成程」
ガイストが頷く。
太古の昔、地上を跋扈していた生物、恐竜。
現在では考えられない巨体を持った種類も、存在していた。
彼らが絶滅した理由は、幾つか考えられている。
その最たるものが、巨大隕石の落下である。
これは、隕石そのものと言うよりは、隕石が落下した事で、気候が大きく変動し、大氷河期が訪れた為である。
この他に、次のような説もある。
巨大な身体を持つ恐竜たちは、地球の重力の中では、自らの体重に耐える事が出来ず、小型化を選択したというものである。
キリンも、象も、その原点から、頸や鼻が長かった訳ではない。
人も、両足で立つ以前には、四肢で這っていた事であろう。
前後の肢を持つ前には、身体をくねらせるだけで海中を泳いでいた頃もあった筈だ。
恐竜たちは、小型化という進化を選択する事で、自分たちの種族を守ったのである。
尚、進化とは、あらゆる方向への変化の事を言うのであり、大きなものが小さくなる、長いものが短くなるという事も、進化である。退化とは、その機能を縮小する事であり、進化との対概念ではない。
その、恐竜が小型化を選んだ結果の一つが、鳥類であるというのだ。
「現代の言語が、どれだけあのヴィジョンと照らし合わせられるかは分からないが――」
「カイザーグロウとかいう鴉の神さまと、あの龍は、起源が同じって事かい」
二人の確認を、肯定するマヤ。
「それが分かった所で、ありゃ、何の映像なんだ?」
ガイストが更に訊いた。
「遥かなる龍の記憶、と、言っていたが……」
「そのままの意味よ」
マヤが言う。
「そのままの?」
「遥かなる過去、龍が見た記憶……」
「――」
「ショッカーの故郷とでも、言って置きましょうか」
「ふるさと⁉」
「ええ。そうね、人間の言葉で言うのなら――」
マヤは、少し考えた後で、
「B26暗黒星雲……そういう場所にある星かしら」
と、告げた。
「B26暗黒星雲⁉」
「それが、ショッカーの故郷という事は、つまり――」
――ショッカー首領と名乗る人物は、外宇宙の生命体であるのか。
黒井とガイストは、そのように問う。
マヤは、顎を小さく引いた。
「それ自体は、別に驚く事ではないでしょう」
デルザーの首魁として、奇厳山から現れた岩石大首領は、七人の仮面ライダーたちに体内に潜入され、それまで複数の組織を操っていたものの実態を、遂に目撃される。
ゲルショッカーでは、一つ目の怪人。
デストロンでは、心臓があるだけの白骨。
GODでは音声テープのみを、改造人間や幹部たちに贈り付けていた。
ゲドンに対しては、“影の支配者”として、ゼロ大帝の姿を模していたと考えるべきか。
岩石大首領の中で、仮面ライダーたちが見た、今まで正体を掴めないでいた組織の首領は、一つの眼を持った巨大な脳みその姿であった。
そして、この脳自身が、ライダーたちに対し、自らの敗北を悟り、
“宇宙へ還る”
と、宣言している。
他にも、ネオショッカーは、外宇宙の銀王軍と提携を結ぼうとしたり、巨大怪獣型の宇宙生物が、大首領を名乗ったりしている。
因みに、ネオショッカーの進退についてであるが、初代日本支部長に就任したゼネラルモンスターは、スカイライダーの妨害による、作戦の度重なる失敗の責任を取らされ、彼の後を継いだ魔神提督よって、遂に処刑されている。その魔神提督も、月の光を浴びて身体を再生させるという、脅威の能力を持ちながらも、大首領に握り潰され、その生に幕を下ろした。
「――それだと、分からない事がある」
黒井が言った。
「地球外生物であるショッカー首領が、何故、地球を気に掛けるのか、だ」
黒井の中で、ショッカーは、人類を一つの思想の下に纏め上げ、この地球を正しく管理するという組織である。
「それは、当然の事よ」
「当然?」
「子供を気に掛けない親はいないわ」
「何⁉」
「人間は、ショッカーの子供なのよ……」
「どういう事だ⁉」
「ジャイアント・インパクト――」
「確か……」
約四六億年前、地球に落下した、火星クラスの大きさの小惑星である。
この衝突を機に、地球から剥がされた岩盤が、分裂して月になったという。
「ショッカー首領は、その小惑星に乗ってやって来た……」
「では、人類はショッカー首領に生み出されたという事か?」
「……三分の一って所かな」
「三分の一?」
「正確に言うのなら、B26暗黒星雲の生物の遺伝子が、小惑星には組み込まれていて、それが地球の環境と適応して、更に永い時間を掛けて、人類という種の祖になったという所かしらね」
「な――」
「それが、龍の記憶」
「何?」
「貴方たちが見たあのヴィジョンは、地球にとっては、あくまでもイメージよ」
「イメージ?」
「そ。ジャイアント・インパクトの、ね」
「小惑星の?」
「さっきも響一郎が言ったように、龍とは架空の生物よ」
「――」
黒井が頷いた。
「でも、架空の、想像されたものであるという事は、そこに、何らかのベースとなるものがある筈」
無から有は生み出せない――
又は、想像し得るものは全て実現可能であると言うように――
「つまり、あの龍のイメージは、小惑星落下を、偶像化とでも言おうか、そうしたものだと?」
黒井が訊く。
「日蝕を、天岩戸と記したように、か」
ガイストが言った。
天岩戸については、『古事記』にあるものだ。
黄泉に堕ちた母・伊邪那美に合いたいと願い、自分の守るべき場所を離れる事の許可を願いに、姉である天照大神の神殿へ赴いた須佐之男命であったが、天照は、気性の荒い弟が戦争を仕掛けて来たものであると勘違いした。
それに怒った須佐之男は、天照の神殿に糞を落として去り、これを嘆いた天照は洞窟に引き籠り、大きな岩で入り口を塞いでしまう。。
『古事記』に限らず、神話とは、歴史に神性を加えたものであるという説がある。歴史を紐解くには、その神性を除けば良いと提唱されてもいた。
天照大神は、太陽の神であり、昼間であってもその光が見えなくなったとなれば、それは、恐らくは皆既日食の事なのであろう。
龍のイメージも、そのような事であろうと、ガイストは言ったのだ。
「で、龍のイメージが小惑星、人類の祖は地球外生命体の遺伝子……と、そういう事は分かったが」
ガイストが言い、
「ショッカー首領とは、何者なのだ?」
黒井が問う。
「意思よ」
マヤは、簡潔に答えた。
「意思?」
「或いは、贖罪……」
「贖罪⁉」
「ええ」
マヤは、神妙な顔をして、言った。
「B26暗黒星雲から原始の地球に来訪した遺伝子は、この地球に、驚くべき進化を与えたわ」
人類の創造について、である。
「でも、それは、地球の生命に、一つの欠陥を創り上げてしまってもいた」
「欠陥?」
「ショッカー首領とは、意思よ」
「――」
「理性と言っても良いかもしれないわね」
「理性?」
「人間と、他の動植物との違い……」
「知性、と言うべきものか?」
「ショッカー首領は、人間にそれを与える事となった……」
「――」
「これが、失敗と言えば、失敗だったわ」
「失敗と、言うと」
「智慧の実……」
『創世記』の事である。
神が、土塊から生み出したアダムと、そのアダムから生まれたイヴ。
無垢な彼らは、蛇より黄金の果実を与えられ、羞恥心を知った。
この事を、神は怒り、人類最初の夫婦をエデンの園から追放した。
「ショッカー首領は、蛇……?」
黒井が、唸るように、呟いた。
B26暗黒星雲からの小惑星は、人類を誕生させるきっかけを作った。
マヤは、人類と、その他の動植物との違いは、理性・知性であると言う。
「龍の記憶……」
ガイストも、呻くように、独りごちる。
龍は、洋の東西を問わずに語られる伝説の合成生物だ。
東洋では聖獣として、西洋では魔獣として、畏怖されている。
東洋の龍は、牛の角や虎の爪を持ち、その身体は蛇である。
西洋のドラゴンは、蝙蝠の翼を持った蜥蜴である事が多く、蜥蜴に悪のイメージがあるのは、『創世記』に於いて、蛇が四肢を切り落とされる前の姿であるからだ。
ジャイアント・インパクトの龍のイメージと、これらは符合する。
「本能と理性は対極的なもの……」
マヤが言う。
「この地球に、二重に絡み合う螺旋を与えたのは、ショッカー首領なのよ」
「――」
「その二重螺旋こそ、ヒトが、他の動植物を凌駕し、万物の霊長たると驕る要因……」
「――」
「ショッカーが、人類を統治しようという働きは、その贖罪と呼べるわね」
そう言いながら、マヤが、一息吐いた。