闇であった。
漆黒の世界のみが、無限に広がっている。
いや、漆黒という表現は正しくない。
色というものは、対象となるものが存在して、初めて生じるからだ。
黒というものに対し、黒以外の、白や、赤や、黄色や、蒼があって初めて、それが黒であるという事が分かる。
黒以外の色についても同じである。
白は白以外の色があるから白なのである。
赤も、黄色も、蒼も、赤や黄色や蒼以外の色があって初めて、赤や黄色や蒼であると言えるのだ。
だから、何もない空間に、黒い色だけがぽつんと存在していても、それは黒ではない。
黒を黒だと判断する基準――即ち、黒以外の何かの存在と、それを観測するものがあって、漸く、黒は存在する事が出来る。
唯、ここでは闇というものを、黒という色で表現しているから、
“漆黒の世界”
という風に、表現したのみである。
又、“闇”についても同じ事である。
黒が、黒以外の存在があって、黒であると認識されるように、闇も亦、闇以外のものがあって初めて認められるものである。
だが、しかし、ここで先に闇と述べているが、闇を、漆黒の世界と表現し、それが無限に広がっているのならば、そこには闇しか存在しない。
故に、そこに闇以外のものがないという状況では、闇という判断さえ出来ない筈だ。
では、そこには何があるのか。
ない。
無である。
無と言っても、それは、机の上に、鉛筆が在るか、無いか、という話ではない。
机の上に鉛筆がないのであれば、それは、“鉛筆がない”という状況が在るだけである。
そうではなく、鉛筆という存在自体が、ないのだ。
何もないという事も、やはり、黒や闇と同じで、何かが在るという事に対しての現象でしかなく、この場合の無というものは、文字通りの無であった。
或いは、
虚空である。
“何も存在しない”という状況すら存在しない、無や虚空としか表現し切れないものであった。
その表現し切れないものを、黒や闇といった言葉で、比喩する。
仮に、“無”や“虚空”に対して、白であると認識している者は、それは白く映るであろう。
その場合は、白い世界が延々と伸びているだけである。
理解をしようとしても、想像にしかなり得ない概念――
それを、観測している。
この虚空の中に、不意に、光が生じて来た。
光が生じる事により、そこには闇が生まれて来る事となる。
その闇の中に浮かび上がったものに、光が伸びてゆく。
光の登場によって、闇の中に浮上して来た土塊は、光を受け入れてゆく。
光は螺旋を描き、土塊をあっと言う間に包み込んでゆく。
このあっと言う間という表現でさえ、当たっているかは怪しかった。
若しかすると、それは“あ”という間さえなかったかもしれないし、逆に、何度“あ”と言い続けても埋められない程の長い時間が掛けられていたのかもしれない。
光は、単なる土塊であったそれに、生命を与えた。
生命とは、生きる力の事である。
生み、増え、地に満ちようとする力の事である。
光は観測者であった。
観測者の存在は、無や虚空を否定する。
現状を否定する力の名は、進化力である。
進化力とは即ち、生命力の事である。
生めよ、増やせよ、地に満ちよという命令に従って、生命力が増大してゆく。
光とは、火であった。
生命力と、炎であった。
炎は土塊を溶かし、固め、輝きを放つ。
輝きとは、金である。
燃え盛る炎が、大地の中に金を生じ、熱された金は大地を燃え上がらせてゆく。
生命力とは、否定力であるから、その光により、大地の熱は収まってゆく。
凍える大地に残った金の地表に、水滴が凝固し、やがて生命力の形に流れてゆく。
生命力の形とは、光の形であり、光の形とは波である。
波と波はぶつかり合い、威力を増してゆく。
螺旋に絡み合う波と波は、やがて大地を覆い尽くしてゆくのである。
大地を覆い尽くした螺旋の名は、海であった。
海は、大地を削り、その内側の金を削り、光を浮上させる。
光とは進化力である。
進化力は水を吸い上げ、生命の形に上昇してゆく。
波である。
波はぶつかり合い、大きくなってゆく。
ぶつかり合うというのは、混じり合う事である。
二つのものが混じり合い、その交差点が膨らんでゆく。
この膨張現象が連鎖すると、やがて二重螺旋の姿が見えて来る筈だ。
膨らんだ波の力が、又、別の膨らんだ波の力と交わって、途切れる事のない二重の螺旋を描き上げてゆく。
環状二重螺旋である。
その螺旋の中から、光が上昇してゆく。
光は螺旋である。
天へと伸びてゆく生命力であった。
炎と、大地と、鋼と、海とを潜り抜けて、質量を持った生命力であった。
天空へと伸び上がってゆく巨大な樹木である。
樹木は生命力の象徴であった。
樹木には生命力が宿っており、その身には火が灯っていた。
火の為に生命の樹は焼け落ち、焼け落ちたその灰は海を覆い尽くす。
水は全て吸い上げられ、枯渇した。
しかし、その大地の内側では、再び完全たろうとする働きが動き出していた。
鋼が生じ、孕んだ光に溶かされて流動する。
流動する鋼が動きを止めると、又も冷気が襲い掛かり、水が生じる。
水は波を生じ、波は螺旋を生じる。
その螺旋の中から、大樹が蘇るのである。
大樹の内側には、否定力、進化力、即ち生命力が宿っていた。
火である。
火と、土と、金と、水と、木と、これらは永遠に循環し、決して留まる事はない。
環状二重螺旋――
生命の象徴。
進化の証明。
否定の肯定。
決して絡み合う事のないものが絡み合い、同じような進化を繰り返しながら、全く別の様々な生態系を編み上げてゆく。
生み、増やし、地に満ちる――
生命力とは、このような意志である。
その意思に理由はなく、その意思があり続ける限り、この輪廻は終わらない。
終わらないからこそ、世界樹は、螺旋に伸び上がってゆく。
積み重ねられた循環を、その身に刻んでゆく大樹は、天に向かって顎を開く龍であった。
天に挑み掛かる羅龍は、しかし、天から見れば地へと降り注ぐ光であった。
双頭の龍である。
決して絡み合う事のない、二つの龍の身体が絡み合いながら、天へと昇り、地へと降りてゆく。
龍は、光であった。
光は、生命力である。
生命力とは、龍であった。
遥かなる、龍の記憶……
鉄鬼が眼を開いた時には、辺りはすっかり暗くなっていた。
身体を起そうとするが、全身にはねっとりとした疲労が溜まっている。
関節や、筋繊維の隙間に、タールを流し込まれたかのようであった。
「ぐ、むぅ」
呻きながら、鉄鬼は、腫れ上がった瞼を剥き、ひび割れた歯を喰い縛って、どうにか上体を持ち上げた。
「気分は如何、黒沼鉄鬼さん。それとも、氷室五郎さんと呼んだ方が良いかしら」
声を掛けたのは、マヤであった。
夜風の中、蒼い柔道衣の上に、コートを羽織ったマヤの周囲を、桜の花びらが舞う。
鉄鬼は、マヤを睨み付けると、近くの樹の幹に爪を立てながら、ずりずりと立ち上がる。
幹に背を預けていなければ、立っていられない。
「な、何をした……」
鉄鬼が、掠れ、震えた声で言った。
「思い出したかしら」
マヤが問う。
「思い出した?」
「この山の地下に埋もれた、金塊の事よ」
「――!」
鉄鬼の頭が、ずきりと痛んだ。
一〇年前、本物の黒沼大三郎に、黄金の器で殴られた箇所だ。
その部分が、心臓になったかのように、どくどくと脈打っている。
鼓動を一つ鳴らす都度、鉄鬼の瞼の内側に、あの黄金の輝きが蘇って来た。
「ぐぉーっ!」
鉄鬼は、身体を縛り付ける、疲労という名の鎖を引き千切り、解き放たれた獣のように吠えながら、マヤに襲い掛かってゆく。
マヤは、ぽってりとした唇の左右を持ち上げ、眼を細める。
鉄鬼の、力にだけ任せたパンチが、マヤの顔面を襲った。
マヤは肺に空気を溜め込みつつ、鉄鬼のパンチを、軽くスウェーしてやり過ごす。
だが、ストレートのパンチには、スウェー・バックの意味がない事を分からないマヤではない。
空手でいう鉤突き、フックや、アッパー・カットなどは、弧を描く為、その弧の外に出ようとするスウェー・バックで回避するには、良い。
けれども、スウェー・バックは直線回避であり、その軌道をなぞるように走るストレートのパンチに対しては、間違った判断であった。
だが、マヤは、鉄鬼の拳が最大限の威力を放つまで、腕を伸び切らせると同時に、
「――ひゅっ!」
と、溜め込んだ空気を鋭く吐き出し、右手を走らせた。
指先は揃えて、貫手を作っている。
マヤの右腕が、鉄鬼の右腕の横を駆け上がった。
マヤはこの右腕を繰り出す際、後ろにした右足で地面に踏み込み、その反動を、足を捻る事で全身に伝えていた。
胴体、頸、顔が横に動いた事で、鉄鬼の突きは空を切る。
マヤの、回転力によって放たれた右の貫手が、鉄鬼の腕を躱しながら、鉄鬼の右肩に残る、蚯蚓が膨らんだかのような傷を、正確になぞっていた。
貫手の周囲の空気が歪み、一瞬、閃光を放つ。
発勁だ。
纏絲勁である。
呼吸と、足を捻るという動作によって生じる気を、指先に集め、しかも、相手の打撃の威力さえ利用して、敵の肉体を破壊する。
強く、鋭く、一点に――
槍の如く一突きが、鉄鬼の腕の肉を削ぎ飛ばしていた。
マヤの貫手に沿って、血の霧が、夜の森の中に尾を引いた。
肩を押さえてふらつく鉄鬼を、マヤは振り向くと、左腕を緩く持ち上げる。
人差し指を残して、指を握り、まだマヤから反らしていなかった鉄鬼の右眼に向かって、突き出していた。
これも、機械のような正確さで、マヤの左の人差し指は、死体の眼を啄むハゲタカの嘴のように、鉄鬼の右眼に潜り込んでいた。
眼球がむにゅりと拉げ、指の付け根までが、眼窩に入り込んでゆく。
鉄鬼は、声にならない悲鳴を上げた。
マヤは、うっとりとした表情を浮かべながら、中指までも鉄鬼の眼の中に突き入れ、指の股の間に視神経を挟み込んだ。
先端に鉄鬼の血を滴らせる右手で、鉄鬼の顔を押さえ、左腕を思い切り引く。
繊維の引き千切られる音と共に、鉄鬼の眼球が抉り出されていた。
「ぐぇぉぉぉぉぁああああっ!」
人が、一生に一度聞けば、或いは一生に一度だけ上げれば、二度と聞く事も出す事もないであろう、おぞましい絶叫と共に、鉄鬼の眼から、赤い液体がこぼれた。
顔面を、頭の内側を襲った、想像を絶する痛みに、鉄鬼が、顔を覆いながら地面を転がる。
それを冷静に見下ろしながら、マヤは、左手の指先に抓んだ視神経を、水風船を吊り上げる糸のように引き、先端にぶら下がった眼球を、普通よりも長めの舌の上に載せた。
鉄鬼の眼球を、上下の歯で潰し、中に詰まった液ごと咀嚼してゆく。
唇の両側から、染み出した眼球内の血液が溢れ出した。
マヤは、その血液を唇に引き、赤々しい舌をぺろりと見せた。
桜が躍っている。
その花びらを、鉄鬼の血で赤く染まった舌に置いた。
指で花びらをこそぎ、赤く艶めく桜の花を眺め、マヤは言う。
「桜花……」
鉄鬼の叫びが、山の中に、静々と木霊していた。
同じ頃――
赤心寺の堂宇に於いて、独り、花房治郎――玄海が、座禅を組んでいた。
結跏趺坐。
法界定印。
結跏趺坐とは、左右の太腿に、それぞれ逆の足を載せる脚の組み方だ。
法界定印は、左掌の上に右手の甲を載せ、左右の指と掌で、円を作る。この時、親指の先端同士は、付かず離れずの距離を保って置く。
坐禅の形である。
玄海は、眼を瞑っているとも、開いているともとれる表情のまま、静かに座していた。
静かな呼吸は、玄海がそこにいる事を忘れてしまいそうになる程、自然な風であった。
玄海は、座禅を組む己の内側に、世界を観ていた。
坐禅を組む自分がいる。
その自分は、世界の一部である。
その自分を含んだ世界を、玄海は観ている。
自分と世界を観る自分を、包む世界がある。
この世界を更に観る玄海がおり、その玄海がいる世界がある。
自身の内側に、無限に続く自分と世界を観ている。
だが、それらは、玄海が意識を離してしまえば、すぐに掻き消えてしまうものだ。
玄海という観測者があって初めて、それは生じて来るのである。
色即是空――
色とは、この世界にある全ての物質や現象の事である。
眼、耳、鼻、舌、身、意で感じる事の出来るものの総称を、
その色は、眼、耳、鼻、舌、身、意がなければ、感じる事が出来ない。
けれども、その眼、耳、鼻、舌、身、意も物質であり、色である。
色を観測する色は、互いに依存し合っている。
依存しなければ存在出来ないという事は、依存出来ない場合は、そこに存在がなくなってしまうという事になる。
無とか、虚空とか、呼ばれる概念だ。
色は、即ち、是れ空なり
だが、空という概念は、色である我々が作っているものだ。
だからこそ、空は、即ち、是れ色なり――
空即是色と、言われるのである。
玄海は、自らの内側に生じたものを、そうして理解している。
無念無想とは、無――つまり、空を念じたり、思ったりしながら、しかし、念じ、思う事も空から発した、観測者のない状態では起こり得ないものであるから、その本質は無であり、虚空である事を解し、それを受け入れる事なのである。
「――むぅ」
と、玄海は、小さく唸りながら、眼を開けた。
結跏趺坐を解き、脚を揉みほぐして、立ち上がる。
――まだまだだ。
玄海は思う。
無念無想の事は、何となく分かって来ていた。
理解していた。
それに伴い、自分の空間認識能力が、常人を超えている事も、分かっている。
だが、
色即是空
空即是色
を、受け入れる事が出来ない。
そうだとするのなら、自分は何の為に、拳法をやっているのか。
こう考えてしまう。
本質が、虚無であるのなら、精神というものも、やはり実体がないのではないか。
自分が遺してゆこうと志した、武道の精神性になど、何の意味があるのか。
いや、空を受け入れ、悟る事が出来たとしたら、それは、自分の目標としていた事に、何の意味がないと割り切ってしまう事なのであろうか。
樹海も、鉄鬼も、麓の人たちも、玄海の事を、優れた人物だと思っている。
拳法家としても、仏教者としても、人間としても、聖人のような男だと。
――違う。
玄海は……花房治郎という男は、自分がそのような器ではないと思う。
どれだけ拳法を深く身体に刻み込もうと、どれだけ自らの内側に生じた世界を理解していようと、そして、恐らくはこの先、自分が目標としていた事を達成出来ようと……
何かが足りない。
その足りない何かが、分からない。
玄海は、本堂を出た。
裸足を、冷たい地面に下ろす。
夜、月光を浴びて、夜露を煌めかす梅の花の前に、立った。
その花を見ながら、玄海は、両の手を胸の前にやった。
寒さに耐えて、柔らかく、一つ開いた梅の花……
脱力と緊張の、その中間を見事に捉えた玄海の両手に、眼の前にある梅の花が、幻視されていた。
両手が創り出した虚空の中に、梅の花が生じていたのである。
玄海は、自分の内側に留まらず、自分の外側に、新しい世界を創り出す境地に到達した。
しかし、玄海の胸の中の迷いは、決して消える事がない。
それは、彼の心の中に生じた世界が、決して尽きないのと似ていた。