仮面ライダー Chronicle×World   作:曉天

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第十五節 畜生/嫉妬

「畜生、ちくしょう……!」

 

口の中で毒づきながら、妹の手を引き、シンタは森の中を走っていた。

山彦村の、村長とその家族が住む本殿の庫裡を飛び出し、町へ向かって逃げている。

 

村を出ると、すぐに森である。森を抜けて暫くゆけば、町にぶつかる。

町に出てしまえば、自分たちのような子供をすぐに見付ける事は出来ない。

 

自分たちを探している間に、指定された場所へゆき、父から託されたものを渡す。

 

それが出来れば、村を救う事が出来る――

 

とは、思っていない。

 

恐らく、山彦村の住人たちは、皆殺しにされてしまうであろう。

そうでなくとも、何処かへ連れてゆかれ、村は結局消し去られる。

 

それ位のリアリズムは、少年にも分かった。

 

自分は、救世主の役割を与えられたのではないし、ましてや、これからゆく所で会う者が、自分の村を救ってくれる訳でもない。

 

目的は、飽くまでも、この巾着袋の中身を守る事だ。

その為ならば、たとえ何人死んだって構わない。

 

そう教えられて来た。

 

この、山彦村に伝わるものと、山彦村を作った人間の血統が僅かにでも残っているのならば、それで充分である。

 

頭では理解している。

しかし、心の方で、理解し切れない。

 

父が、自分の眼の前で腕を折られ、自分たちを逃がす為に生命を張った事。

焼き払われる故郷。

その炎の中で死んでゆく、大人、友達、仲間――

 

簡単に割り切れるものではない。

 

大人であっても、そうだ。

 

閉鎖された空間で育った子供であるから、実際にその時が来た今、実行に移す事は出来る。

 

けれども、人間の本能が、親しい人々の死を割り切れる筈がないのである。

 

その割り切れない思いが、

 

“畜生”

“ちくしょう”

 

という、呪詛となって、噛み締めた歯の奥から漏れ出すのである。

 

「あッ」

 

と、チエが、突き出した木の根っこに足を引っ掛けて、躓いた。

繋いだ手に引かれ、シンタも、片膝を着く。

 

「チエ、大丈夫か」

 

チエに駆け寄った時、懐から、巾着袋が落ちた。

その拍子に、袋の口が空き、ころころと、中に入っていた宝珠が転がり出てしまう。

 

「あ、あっ」

 

急いで宝珠を集めるシンタ。

 

そこに、村の方から、追い付いて来る赤い影があった。

ドグマファイターたちだ。

 

「チエ、立て!」

 

シンタが伸ばした手は、しかし、掠め取られた。

ドグマファイターの一人が、チエの腰に手を回して、引っ張り上げたのだ。

 

「お兄ちゃぁん!」

 

チエが、涙の混じった声で叫ぶ。

 

シンタは、一瞬、逡巡するが、くるりと背を向けた。

 

必要なのは、この宝珠を届ける事――何を捨てても、である。

それだけのリアリズムを、少年は既に実行に移せる身体であった。

 

だが、その心は……

 

「げっ」

 

滂沱の涙を流すシンタの前に、ぬぅと立ち上がった者がある。

 

長身の男であった。

 

服装こそ、ドグマファイターや地獄谷五人衆とは異なっているが、刃のような光を湛えた双眸は、ドグマの者たちと変わる事はないように思えた。

 

その男が立ち塞がったもので、シンタは、それ以上の行進を妨げられてしまった。

 

更には、ドグマファイターたちを追って、メガールまで追い付いて来た。

 

「見ない顔だな、貴様……」

 

と、シンタの前に立った男を、じろりと睨んだ。

 

「まぁ、良い。貴様、その小僧を渡せ」

「――」

 

メガールの催促を、男は無視した。

代わりに、囁くように、

 

「ドグマか……」

 

と、訊ねた。

 

「我々を知っているのか⁉」

「貴様らの理念を、我々は看過する事が出来ない」

「何?」

「美しく、優れた者のみが許されるユートピア……」

「――」

「不要だ」

「何だと⁉」

「生まれ付いての美醜や優劣ではない。我々の手によって、醜きものは美しく、劣れる者は優れる力を手にするのだ」

 

男は言った。

 

「貴様、何処の手の者だ」

 

メガールが、するりと剣を引き抜いた。

男は、ざんばら髪の奥から、鋭く視線を光らせる。

 

「仮面ライダー、とでも言って置こうか」

 

松本克己であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

季節は、春。

 

しかし、その年の花は、狂っていた。

東北の風の中に、梅と桜が、同時に舞っている。

桜が、薄桃色の舞いを見せれば、梅が、白く漂う香りを放つ。

 

風を受けて踊り、風の中を狂う。

 

黒沼大三郎改め、黒沼鉄鬼は、その風の中にあった。

 

八甲田山――

 

鉄鬼が、修行の地として選んだのは、その奥まった所であった。

黒又山を離れ、先の進退を見極める為に、独り、師と兄弟子の下を離れた。

 

その胸には、堪らぬ暴風が駆け抜けていた。

劣等感という名前の、嵐である。

 

鉄鬼は、樹海が分派を言い渡した時、嬉しく思った。それは事実である。

 

この一〇年の間、鉄鬼は、ずっと治郎の事を妬ましく思っていたからだ。

 

最初こそ、治郎の純真さと、胸に抱いた大きな夢を、尊敬していた所はある。

だが、共に拳法の修行を積むに連れて、次第に、鉄鬼の中に黒い感情が育って来た。

 

鉄鬼は、どうあっても、治郎に追い付けなかったのである。

 

樹海の指導を受けて、その技術を修得し、自分なりの工夫を加える事は、出来る。

大きな身体と、その中に眠っていた、こと運動に関する才能は、治郎にも劣らない。

 

けれども、治郎は、鉄鬼と互角所ではなく、遥か高い場所へと到達してしまっていた。

 

一つは、互角であるという事だ。

 

拳法について、樹海は、易筋行としてではなく、自分以外の何ものかと相対する時、その基本にあるのは護身術であると語った。

 

理不尽な暴力から、自分や、自分の身近なものを守る為の術だ。

 

理不尽というのは、天性のものと言い換える事が出来るのではないか、と、鉄鬼は思う。

 

例えば、自分と治郎である。

 

鉄鬼は、身体が大きい。治郎は、平均的な体格である。

少林拳も、柔道も何もない、真っ新な状態の二人が、真っ向からぶつかったとすれば、勝つのは鉄鬼の方である。

 

打撃の威力と言うのは、質量×速度で表されるので、身体が大きい、つまり質量の大きい鉄鬼のパンチの方が、治郎よりも威力が高い。

 

これは、天性のものである。

 

治郎がもっとものを食べていたらとか、筋肉を増やす為のトレーニングをしていたら、というのではない。“たられば”は語る事に意味がなく、現状がそうなのであるからだ。

 

鉄鬼が、顔が気に喰わない、性格が気に喰わない、生まれが気に喰わない、良く分からないけど苛々する――そのような理由で、治郎に襲い掛かり、治郎が大怪我を負ったとすれば、それは、鉄鬼の巨躯に原因を求められないではないから、理不尽な暴力となる。

 

しかし、治郎が、護身の術を持っていたのならば、話は別だ。

 

柔よく剛を制す――身体の大きさだけを頼みに、人を害しようとした相手を、柔の技で以て、制する事が出来る。

 

治郎に剛の拳が使えない筈もないから、そればかりではあるまいが、兎も角、体格差というものを覆せるポテンシャルを、治郎は持っている事になる。

 

それと同じものを、鉄鬼は学んでいるのである。

 

巨躯という天稟に、技術を加えたのならば、単純計算をして、治郎よりも勝っていなければならない。

 

それなのに、互角である。

 

もう一つは、無念無想についてである。

 

赤心少林拳の極意は、心を無にして、大気と一体化する事だ。

それを為した時、気は自らの力と化し、光芒を放つ。

 

鉄鬼も、この一〇年の間で、無念無想を体感している。

一瞬、奇跡のようにその境地が訪れ、その後には意識しても現れない。

 

樹海が無念無想を得たのは、少林寺を離れ、鉄玄の下で学び(一九二七年)、日本に帰国する直前(一九四五年)であったと聞く。

 

樹海はそれ以前に本覚克己流柔術や、八極拳などのその他多くの拳法を学んだ上で、まだ、完璧な無念無想には達していないらしい。

 

けれども、治郎は、樹海と会った時点で、既にその入り口に立っており、樹海が赤心少林拳を教え始めた段階で、無意識の内に、その境地へと到達していた。

 

鉄鬼が、記憶を失くしたあの日に見た表演が、それである。

 

基盤となる技術の違いは、ある。

黒沼大三郎の身体には、格闘についての記憶が刻まれていたが、恐らく、本格的に武術の稽古をして来たという事はない。

 

だからこそ、赤心少林拳のみを、見事に吸収してゆく事が出来た。

 

柔道をやっていた治郎は、柔道の理論に引かれる所もあった。それに対して、鉄鬼は赤心少林拳のみなのである。

 

だから、ベースにある技術については、プラスマイナスはない筈だ。

 

それでも、だ。

 

治郎には、確かに、無念無想へ至る為の、純な心があった。それが、鉄鬼よりも、一歩先んじる理由であったとするのなら、それも良い。

 

しかし、鉄鬼だって、心には大きな空白がある。

 

記憶の欠落による空虚な心。

 

念じる事なく念じ、想う事なく想う――自分自身についての先入観がないから、その虚空を赤心少林拳で埋めてゆき、無念無想の境地を生じさせる事は、出来ない事はないだろう。

 

それなのに、出来ない。

 

三つ目は、樹海からの扱いだ。

 

樹海は、二人の前では、治郎と鉄鬼を平等に扱った。

 

一方で、樹海と治郎は、鉄鬼が知らない事についての情報を共有している。それを、開示しようという意思がない。

 

その事が、赤心少林拳の奥義に関する事ではないから、鉄鬼も、何処となくもやもやとしたものを抱えながらも、納得して来た。

 

だが、こと分派に至って、樹海が、自分と治郎とを差別しているのではないか、という思いが湧いて来た。

 

それは、名前の事だ。

 

柔術でも、剣術でもそうだが、流派には基本的に、本名は記さない。

 

新陰流は、上泉信綱の流派だが、信綱流とは言わず、その名をそのまま受け継いだ柳生宗厳(石舟斎)も、宗厳流とは言っていない。

 

小野一刀流も、小野忠明から取って、忠明流と呼ぶ事はない。

 

佐々木小次郎は、後に、佐々木巌流と名を変えている。そして、自身の流派を巌流としているが、本名は小次郎である。

 

(いみな)という思想である。

 

名前を変えるには、二つの意味がある。

 

一つは、今までの自分とは違うと、それを明かす為だ。

僧名などが、その良い例だ。

 

花房治郎や、黒沼大三郎といった名前は、俗名である。俗世間での名前だ。

仏教で、死後、極楽浄土などへゆくとして、それを、化生と呼ぶ。

浄土などに相応しい存在として、生まれ変わるという意味だ。

その生まれ変わった先での名前を、生きている内に付けて置くのである。

 

もう一つは、呪術に関する事だ。

 

宗教が流行するのは、眼に見えない不思議な力――仏や霊の力が、深く信じられていた為である。

 

人々を守ってくれる神仏の力がある一方で、自分に都合の悪い人間を排除するとか、怨みを持った人間が祟るとか、そのようなパワーも、同時に信仰されていた。

 

呪いなどがそうである。

 

呪いを掛けるには、様々な手法があるが、特定の人物に呪いを掛ける時、必要になって来る最も簡単なものは、名前だ。

 

名前は、その人物を表す、最小単位であるからだ。

 

鉄鬼が道を歩いていたとして、

 

“背の高い男”

 

という声が聞こえても、特別に気にする必要はない。

しかし、

 

“黒沼さん”

“鉄鬼さん”

 

と、呼ばれては、反応せざるを得ない。

 

これだけでも、呪いが成立する場合はある。

 

いや、“自分の方を振り向かせる”という呪い――まじないであれば、これは既に成就していると言っても良い。

 

それだけなら兎も角、或る相手に怪我して欲しい、病気になって欲しい、死んで欲しいという思いが、呪術へと走ったならば、名前を知られている事は、大きなネックになる。

 

この事から、本来の名前(真名)は、人に呼ばれると忌まわしい結果を齎すとして、忌み名(諱)と呼ばれるようになった。

 

それを防ぐ為に、古い人々は、自分の本来の名前とは別に、普段から人に呼ばれる為の名前――(あざな)を用意したのである。

 

これは、東洋の宗教的な思想を基盤に持つ、日中の武道・拳法でも、採用されている論だ。

 

それに伴って、治郎と大三郎の両名には、赤心少林拳の伝承者として、

 

 玄海

 鉄鬼

 

の、字名が与えられた訳である。

 

この字名が、問題であった。

 

玄海という名前には、樹海と、その師匠である鉄玄の字が入っている。

その事から、樹海が、治郎を赤心少林拳の後継者として最初から決めていたと分かる。

 

これは仕方ない事であるが、鉄鬼が樹海に弟子入りをしたのは、道場もまだ建てられていない頃である。治郎にしてみれば、自分が兄弟子であるなどとは思わず、同期に入門した、ライバルでありながらも友人である、との認識があっただろう。

 

鉄鬼という名も、鉄玄の“鉄”の字が入っている。

それに付いた“鬼”という字に関して、鉄鬼は嫌ってはいない。

 

剛直な鉄鬼の拳を、鬼人の如しと表現する事は、何ら問題ではないからだ。

 

しかし、樹海の字が入れられていない事で、赤心少林拳門下ではあるが、樹海自身は、弟子としてのランクを低く見ているのではないか、と、勘繰ってしまうのである。

 

この事が、樹海と治郎だけが共有する謎の情報、治郎に対する劣等感などと相まって、鉄鬼に、疑心を起させているのであった。

 

これら、師と同輩に対する不信感は、しかし、鉄鬼自身をも悩ませており、益々、無念無想を遠いものとしていた。

 

その解消の為に、鉄鬼は独り、山に籠り、狂い咲く桜と梅の吹雪の中で、自身の身体を虐め抜いているのであった。

 

「ふぅん」

 

と、鉄鬼の、裸の背中に声が掛けられたのは、その時である。

 

「それが、赤心少林拳……」

 

美貌と恵体を、蒼い道衣で飾った女が、鼻に掛かった声で言う。

マヤであった。

 

その姿は、一〇年前とも、十数年後とも、全く異なりを見せなかった。


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