仮面ライダー Chronicle×World   作:曉天

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第十節 五色

「ここは?」

 

花房治郎が訊いた。

 

近くの宿で一晩を過ごし、翌朝早くから、玄叉山に上ったのである。

樹海と共に、黙々と、道なき道を上る事、数時間。

 

次第に、人や獣が通ったらしき跡を確認出来るようになり、やがて、その場所へと辿り着いた。

 

山頂――

 

小さな、寺社の本殿の類であろうものが、木々に囲まれて、ぽつんと鎮座していた。

 

治郎の質問に、樹海が答えるより先に、本殿の正面の扉が、静かに開き、内側から、のっそりと、一人の男が顔を出した。

 

「何者か」

 

東北――と、言うよりは、アイヌの言葉に近い訛り方であった。

それも正確ではない。

 

アイヌ語と、東北の訛りがミックスされた独特の言語を、無理矢理標準語に直しているように聞こえた。

 

だから、ここに記すのは、治郎が聞き取る事が出来た内容であり、実際に交わされた会話ではない。

 

「樹海と申す者です」

 

樹海は続けて、

 

「大陸の、鉄玄赤脚より、“ひつぎ”の守護を賜り申した」

 

と、言いながら、荷物の中から、小振りな巾着袋を取り出し、その中身を見せた。

 

それは、五つの宝玉であった。

 

 

と、それぞれの輝きを放つ、星のような丸い石である。

 

「おぅ……」

 

本殿から出て来た男は、つぅと涙を流し、両手を胸の前で組み、その場に跪いた。

そうして、開いた両手と額をも、地面に押し付けた。

 

五体投地――

仏教に於ける最上級の礼である。

 

両肘と両膝、そして額の五点を地に着け、自分の全てを投げ出す事から、そのように呼ばれる。

 

五体投地をする直前、彼がしてみせた合掌は、キリスト教のものに近い。

 

仏教で言えば、外縛拳という形があるが、五体投地という礼拝をしたという事から考えるに、意味合いとしては、やはり“帰依”を意味する合掌なのであろう。

 

建物から出て来た男は、存分に礼拝を終えると、すっくと立ち上がり、樹海の手から、恭しく宝玉を受け取った。

 

「では、我らは、この地を去る事に致します」

「後の事は、私にお任せ下さい」

「我ら“火の一族”の秘宝を、よろしくお願い申し上げます」

「畏まりました」

 

男は、建物の中に戻った。

 

樹海は、近くの石に腰を下ろすと、一つ息を吐いた。

 

「治郎よ」

「はい」

「儂は、これから先、死ぬるまで、この地を離れる事は出来ぬ」

「――」

「だからの、治郎。若しかしたら、お主は、お主が求めるものを成し遂げられぬかもしれぬ」

「――」

 

治郎が樹海に付いて来たのは、赤心少林拳を学ぶ為である。

 

赤心少林拳を学ぶ理由は、武道を日本の文化として残す為、少林拳から優れたものを取り入れようという事である。

 

治郎が、赤心少林拳を学ぶのであれば、それは、世間に対して公表してゆくものでなければならなかった。

 

樹海が、ここで一生を終える決意をしているのならば、それは、治郎の考えの真逆に位置するものである。

 

「では、老師が亡くなってから、私は、私の夢を追う事と致します」

 

治郎が言った。

 

「ほ――」

「人はいつか死んでしまいます。ですが、夢は、どれだけ歳を取ってからでも追う事が出来ます。ましてや、私は、拳法を学んで誰よりも強くなろうというのではありません。私は、今まで受け継いで来た日本人の心を、後の世代に伝えてゆきたいのです。その為には、例え老いさらばえようと、何ら問題はありません」

 

とん、と、治郎は、自分の胸を叩いた。

 

「我が生命が尽きる前に、我が心を誰かに伝えられるのならば、この身体が動かなくなろうと、構う事はないのです」

 

そういう治郎を見て、樹海が眼を細めた。

 

と――

 

玄叉山の山頂に立つ本殿の周囲には、適度に木々が生えている。

 

その隙間から、標高二八〇メートルの、蒼い空が覗いていた。

 

ふと、その木々の間に立っていた治郎の姿が透けて、その奥の、何処までも続いてゆく空が、樹海の視界に飛び込んで来た。

 

緑の平野までも、ぐんぐんと迫って来るようであった。

樹海の中で、赤い血がぐつぐつと燃えたぎった。

黄金の太陽の光が、スポット・ライトのように、樹海を照らしている。

 

ふと樹海が我に返ると、そこには、治郎が、月光のように澄んだ、銀色の光を湛えた眼で、樹海を見つめている所であった。

 

純粋にして自然体の、花房治郎という青年は、既に、無念無想の境地へと達しているのかもしれなかった。

 

「――遅いですね」

 

自分が樹海を見つめ、樹海も自分を見つめている事に気付いた治郎は、何となく照れ臭くなって、本殿の方に眼を向けた。

 

ここから去る――そう言っていた男が、いつまでも、出て来ない。

 

それに、“我ら”と言っていたから、彼の他にも何名かいるのであろうが、その様子もなかった。

 

「既に、裏から出て行ってしまったのであろうさ」

 

樹海が言った。

 

「所で、老師が渡したあの宝玉や、“火の一族”の秘宝とは、何の事なのです?」

「その内、話して差し上げよう」

 

樹海は石から立ち上がり、本殿に向かって近付いてゆく。

 

「これからの事も、しっかりと話し合って置かねばな」

「はい」

 

治郎が頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて――と」

 

黒沼陽子は、拳銃を仕舞うと、腕を組んで、眼の前に広がる黄金の洞窟を眺めた。

 

その足元には、腹を撃ち抜かれた氷室五郎の巨躯が、転がっている。

陽子は、氷室を騙して、父親の黒沼大三郎を襲わせ、その父を救う形で、氷室を射殺した。

 

元から、大三郎たちは、氷室を殺す心算であった。

これだけの黄金を、大三郎たちだけで独占する為である。

 

「これから、どうするか、ね」

「取り敢えずは、幾らか持ち出して潰して、運搬する為の銭を作らねばなるまい」

 

言ってから、大三郎は、むむ、と、唸った。

 

手には、鳥人と思しき金の像がある。

人のプロポーションながらも、頭部は鳥、背には孔雀のような羽、そして脚は逆関節の、鋭く大きな爪を持ったものだ。

 

「勿体ないわ、そんなの……」

 

陽子が呟いた。

黄金を眺めるその眼は、欲情したように蕩けている。

 

仰向けに倒れた氷室の横を通り、黄金の林を、眺める。

 

「ここにある黄金は、全て、私たちのものなのよ。それなのに、その黄金を私たちのものにする為に、誰かにくれてやらなければならないなんて……」

 

親指の爪を噛む陽子。

その娘の背中を、大三郎が、呆れたように眺めていた。

 

黒沼陽子は、単なるお転婆娘ではない。

お転婆な上に、凶暴で、欲の皮の突っ張った女である。

 

昔からそうであった。

 

氷室には、自分がじゃじゃ馬になったのは、父の厳しい教育の所為だと言っていたが、それは、嘘である。

 

実際には、大三郎は娘を散々甘やかし、かなり我が儘に育ってしまった。

 

自分を華美に飾り立て、自分のみを愛ずる。

金品にはがめつく、どうしても欲しいとなれば人から奪う事も厭わない。

 

若さ故の奔放さというのではなく、老獪な生き汚さを、二〇歳を過ぎる前に持ってしまったのである。

 

しかし、単に甘やかされ続けたというだけで、こうなる事も珍しい。

元よりその性質が備わっていたとしか思えない程の、屈折っぷりであった。

 

それについて、大三郎は、娘は自分に似たのであると思っている。

大三郎も、子供の頃から、暴れん坊で、自分勝手な方であった。

人を傷付ける事に、特別に罪悪感を抱く事がないのである。

 

「しかしな、陽子、何をするにも、銭が掛かる――」

 

と、大三郎が言い掛けた時であった。

振り向いた陽子が、くわっと眼を見開いていた。

 

「父さん!」

 

陽子が鋭く叫んだ。

刹那、大三郎の後頭部を、風が叩いた。

 

その風に気付くのが、一瞬でも遅れたならば、恐らく氷室の頭蓋骨は陥没していたであろう。

 

横に飛びずさった氷室は、右の耳を、背後から繰り出されたパンチで、削ぎ飛ばされていた。

 

「ぐぉ」

 

と、地面に転がる大三郎。

拳を放ったのは、氷室であった。

 

「な、何故……」

 

陽子が、右手の指に、肩からの出血を伝わらせる氷室を見て、おののく。

 

鬼気迫る表情をしていた。

 

大三郎の右耳を削ぎ飛ばした左の拳を持ち上げ、国民服の前を開く。

陽子に撃たれ、生地に穴の開いた部分だ。

 

懐から出て来たのは、蔵の木箱から取り出して以来、持っていた金の仏像である。

その中心に、鉛玉がめり込んでいた。

お蔭で、貫通を免れたのであった。

 

氷室は、耳を千切られた痛みに悶えている大三郎の身体を蹴り飛ばすと、近くの地面に転がっていた、黄金で造られた一振りの剣を、拾い上げた。

 

刃が潰れているので、最初からその目的で造られたものではない。

 

だが、氷室の巨躯から繰り出される膂力を持ってすれば――

 

「ひぃ」

 

陽子は、その場に尻餅を付き、迫って来る大男を見上げながら、後退った。

 

「や、やめて、氷室さん……」

 

陽子が、震える声で言った。

 

氷室は答える事なく、左手で握り、右手を柄に添えた剣を、振り被った。

ぎらりと、黄金の輝きを放つ刃。

 

「ぬ――」

 

氷室が呼気を吐くと共に、黄金が唸った。

切断能力のない刃は、陽子の白い頸の半分まで、一息に潜り込んだ。

 

「ぐぎぇえええっ!」

 

陽子の口から、血液と共に、女とは思えない絶叫が迸った。

 

氷室は、そのまま陽子に体重を掛け、押し倒しながら、柄を捻った。

陽子の咽喉の中を、黄金剣がこじり、頭骨と脛骨の隙間に、刃を喰い込ませた。

 

陽子の身体が倒れ、突き抜けた剣の切っ先が地面に付くと、角度を更に変えられ、剣が陽子の肩と平行になる。

 

氷室が陽子に馬乗りになる形で彼女を倒した時には、氷室の全体重が剣に、ひいては陽子の頸骨に掛けられ、頭部と頸部を分断していた。

 

ごろりと、陽子の頭部が地面に落ちる。

 

限界まで見開かれた瞼から、ぐりりと蛙のように飛び出した眼球。

鼻孔は開き、喰い縛った歯の間から漏れたのと同じよう、血を噴いていた。

長い髪が放射状に散らばり、顔を中心とした、赤と黒の花となっていた。

 

「氷室ォ……」

 

大三郎が、立ち上がりつつ、地面から器の形をした黄金を持ち上げた。

それを、氷室の背後から、後頭部に振り下ろした。

 

金の展性故にか、氷室の頭蓋を破壊するというような事は出来なかった。

 

「ぬがぁっ!」

 

それでも、脳をたっぷりと揺さぶられてしまった氷室は、倒れる以外にはなくなっている。

 

最後の抵抗とばかりに、振り向きざまに、剣を振り上げる氷室。

黄金の放物線が駆け上がり、大三郎のもう一方の耳まで、落としてしまった。

 

大三郎は、頭を抱えて、その場から逃げ出した。

氷室は追おうとするが、立ち上がれない。

その場で、ばったりと、倒れ込んでしまった。

 

黄金郷に、狂気を運命付けられた男と、狂気を遺伝された少女の身体のみが、転がっていた。

 

いや――

 

すぅと、黄金のトーテムの陰から、姿を現した者があった。

 

カーキ色の軍服の胸元を、ぱんぱんに膨らませている、女であった。

 

生地は同じものだが、どうにも似つかわしくない、ミニ・スカートと、太腿の中頃まである靴下との間の素肌を、露出している。

 

垂らした黒い長髪の上に、鉤十字(ハーケン・クロイツ)の刻まれた帽子を被っており、手には、乗馬用の鞭を持っていた。

 

日本人よりも僅かに皮膚の色が濃い。

通った鼻梁、ぼってりとした唇が、ぞっとする程の美貌を創り上げている。

前後に膨らんだ胸と尻に挟まれた胴体は、程良い肉付きながら、括れを殺していない。

 

マヤ――

 

時期的には、ドイツから来日したイワン=タワノビッチ――後の死神博士が、バカラシン=イイノデビッチ=ゾル大佐の依頼で、松本克己によって、富士山麓の浜名湖下にある、日本軍の基地へ案内されたのと、前後する位である。

 

その為、この時のマヤは、まだ、ショッカーの大幹部という訳ではなかった。

ショッカーすら、まだ誕生していなかった。

 

しかし、このマヤは、強化改造人間第一号・本郷猛の脱走の数日前、まだ強化改造人間第零号であった松本克己に対して、強化改造人間計画によって誕生する戦士の名を

 

 仮面ライダー

 

と、呼んだ、あの頃の妖艶な姿であった。

 

仮に、一九七一年四月時点での彼女の年齢を、容姿から二、三〇代と推測するならば、終戦直後のこの頃、まだ少女であらなければならない。

 

そのマヤは、どうやら、黒沼親子と氷室との一件を見ていたものらしく、濡れた瞳を細めて、楽しげに微笑んでいた。

 

「面白い事になってるわね」

 

鼻に掛かった甘い声――五〇年もすれば、アニメ声などと称されるであろう声で呟いて、マヤは、横たわった氷室の鞄から、二冊で一冊の『景郷玄帖』を取り出すと、懐に仕舞い込んだ。

 

そうして、転がった陽子の頭部を抱え上げながら、氷室を一瞥し、

 

「それじゃあ、また、その内に、ね」

 

と、唇の端を持ち上げる。

 

陽子の生首を左手で持ち、マヤは、右手に握った鞭を、ひゅぉん、と、鳴らした。

 

すると、頭部を失くした陽子の身体が、強力な酸でも掛けられたかのように、皮膚を、筋肉を、臓器を、そして骨までも、どろどろに溶かされ、跡形もなくなってしまった。

 

マヤは、陽子の生首と共に、トーテムの奥に掻き消え、そのまま現れる事はなかった。


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