翼を広げた鷲のレリーフが、その中心のランプを、怪しく輝かせていた。
壁には、幾つかのモニターや、様々な計器が埋め込まれている。
中心に階段があり、二階部分の突き当りに、ドアが設けられている。
レリーフは、そのドアの上に飾られていた。
鷲の光に見下ろされる形で、フロアの中心に、一人の老人が立っていた。
灰色の髪が、肩まで垂れている。
頬の肉が、削げていた。
顔が蒼白い。
今にも命を終えそうな――と、言うよりは、既に棺桶の中の遺体のような色だ。
しかし、その眼だけが、いやにぎらぎらとしていた。
睨むだけで人を殺せるならば、その瞳は、幾つの生命を奪って来たのだろうか。
ひょろりとした、背の高い老人であった。
スリー・ピースの、白いスーツの上に、黒いマントを羽織っている。
杖を突いていたが、脚は悪くない。
「首領……」
老人が、ねちゃりとした声質で、言った。
ぞわりとする。
不気味な声であった。
「一文字隼人の件について、説明を頂きたい――」
『――死神博士よ』
何処かから、声がした。
ここにはいない何者かが、老人――死神博士に話し掛けているのだ。
死神博士に敗けない、不穏な匂いを湛えた声である。
まるで、地の底から響くかのようであった。
死神博士――
ショッカーの大幹部であった。
本名は、イワン=タワノビッチ。
一九一九年、日本人の父と、白系ロシア人の母の間に生まれ、日本の東京で育った。
幼少期から、訪れる先々で、死人が出た。その事が、“死神”という仇名の由来である。
学生時代には、博士号を取り、以来、現在のコード・ネームで呼ばれる事になる。
母の死後は、ポーランドへ渡り、臓器移植の研究に没頭。
三つ下の、ナターシャという妹がいたが、病弱な彼女の、延命の為であった。
第二次世界大戦の勃発後は、占領ドイツ軍に徴用され、アウシュビッツに於いて、生体実験の研究員となった。その際に、恩師であるシモン教授を、延命研究の実験台として使用し、死なせてしまっている。
終戦は、イワンが二六歳の時だ。
しかし、二三歳のナターシャは、戦後の世界を見る事が出来なかった。
イワンは、ナターシャの死を嘆き悲しんだ。
そして、彼女を生き返らせようと、活動を始めた。
遺体の冷凍保存と、蘇生術の探求。
科学ばかりではなく、西洋占星術などにも、傾倒し始める。
ショッカーに見出されたのは、その頃だ。
才能に恵まれたイワンを、ナチスの残党であるショッカーが、大幹部として迎え入れたのだ。
その主な任務は、改造人間の製造であった。
ショッカー日本支部の、草創期のメンバーであった。
改造人間第一号・蜘蛛男
同第二号・蝙蝠男
同第三号・蠍男
同第四号・
同第五号・蟷螂男
同第六号・
同第七号・蜂女
これら七体の改造人間を試作品とし、
強化改造人間第一号・仮面ライダー
を、製造している。
この仮面ライダーには、ショッカーからの脱走を許してしまっている。
そして、今、仮面ライダーはショッカーの敵として、ショッカーの活動や、送り込まれた改造人間たちを、次々と破壊されている。
それ以降の、
改造人間第八号・コブラ男
同第九号・ゲバコンドル
同第一〇号・ヤモゲラス
同第一一号・トカゲロン
なども、同じく、仮面ライダーに斃されてしまっていた。
業を煮やしたショッカー首領は、死神博士に更なる改造人間計画を命じる。
“第二期強化改造人間製造計画”と呼ばれるものが、それだ。
今までの改造人間――と、言うよりは、ショッカーの改造人間たちを打倒して来た、仮面ライダーのデータを基に、新しい強化改造人間を生み落すというものである。
つまり、新しい仮面ライダーである。
死神博士は、首領の命令に従い、六体の強化改造人間第二号を造り出す事に成功した。
だが――
改造間もなかった、新型の強化改造人間の内、五体が破壊されてしまう。
そして、その内の一体――
仮面ライダー第二号の一体として改造素体に選んだ人間・一文字隼人が、仮面ライダー第一号・本郷猛の仲間となり、彼と同じようにショッカーに敵対する事になってしまった。
その直後、死神博士は、ヨーロッパへ戻り、更なる研究を進める事になった。
死神博士を追い、ヨーロッパに飛んだ本郷猛に代わって、一文字隼人が、仮面ライダーとしてショッカーと戦っている――
そして、既に、死神博士と同じ大幹部の一人であるゾル大佐が、一文字隼人に斃されていた。
死神博士は、ゾル大佐に代わって、日本支部の指揮を執る為、来日した。
その死神博士が、首領に告げたのは、日本にいる仮面ライダー・一文字隼人の事である。
『一文字隼人について、とは』
首領が訊いた。
「私の造った、新しい改造人間が、一文字隼人に戦いを挑んだと聞き及びました」
『――』
「私の知らない所で、私の造った改造人間が、勝手に行動されるというのは、こちらとしても、余り気分の良いものではない……」
チーター男の事だ。
チーター男が、黒井響一郎を狙った事、そして、一文字隼人のカメラをすり替え、やはり、黒井響一郎を爆殺しようとした事についてであった。
それらの事を、死神博士は、首領から聴かされていなかった。
首領が、死神博士の質問に対し、無言でいると、
「私が説明しましょう」
と、扉が開いた。
死神博士が、眉を顰めた。
そこに立っていたのは、女であった。
美しい黒髪を伸ばしている。
ぞっとするような、整い過ぎた顔立ちであった。
黒い眼が、細められている。
鼻梁が、つぅと徹っている。
唇がぽってりとしていて、艶めいていた。
胸元の、ざっくりと開いた、金色のドレスを纏っている。
胸と尻が、大きく前後に突き出した、豊満な身体であった。
目の粗い、網タイツを穿いていた。
銀のハイヒールが、床を叩いく。
背丈自体は、高いという訳ではないが、そのプロポーションは、欧米のモデルに敗けない。
「貴様は?」
死神博士が、一つ上のフロアにいるその女に訊いた。
「マヤよ」
女は名乗った。
「貴方と同じ、ショッカーの大幹部――」
「何だと?」
「貴方の所の改造人間、一人、貸して貰ったわね」
マヤは、階段を下り、死神博士の前に立った。
死神博士は、その年齢からは考えられない程、背が高い。
マヤは、頭の上の方にある、死神博士の、頬の削げた貌を、見上げる事になる。
「メキシコから、わざわざ、ご苦労な事だ」
死神博士が言った。
マヤが、日本に来る以前にいた場所である。
彼女がメスティソである事が、分かったらしい。
メキシコの人種は、モンゴロイド――つまり、日本人と同じである。
肌の色は環境に因って違うように見えても、顔立ちは似ている。
「ええ。以前、うちの改造人間がお世話になったようだし」
マヤが言っているのは、死神博士がヨーロッパに引き上げてから、日本支部に派遣された改造人間――サボテグロンの事であった。
サボテンの改造人間であり、“メキシコの花”と呼ばれる爆弾で、ダムを決壊させる作戦を得意とした。
その頃、ショッカー日本支部では、死神博士やマヤのような“大幹部”の下で、改造人間が作戦を展開するというスタイルではなく、改造人間本人が作戦を指揮するという形を採っていた。
「ふ――」
死神博士が笑みを浮かべた。
「ピラザウルスの件で、大層な失態を演じたそうだな……」
一文字隼人――仮面ライダー第二号が、本郷猛に代わって日本での戦いを始めた頃、このマヤは、幹部として活動した事がある。
ショッカーは、ピラザウルスという、古代の爬虫類を発見した。
皮膚と筋肉をあっと言う間に溶融させてしまう毒ガスを吐く、恐るべき生物だ。
マヤは、このピラザウルスを、改造人間のモチーフとして選び、同名の改造人間の製造を指揮していた。
結果、一文字隼人の妨害に遭い、失敗する。
以来、姿を消していたが、この段になって、日本へ帰って来たようである。
「あら、博士、貴方も人の事は言えないでしょう」
「――」
死神博士が黙る。
マヤの失敗をなじったようだが、死神とて、仮面ライダー第二号の抹殺を、何度にも渡って失敗している。
計画の中止、改造人間の激減など、改造技術の大成者である大幹部でなければ、とっくに首を切られている所だった。
「同じ失敗続き同士、仲良くやりましょう」
マヤが、妖艶に微笑んだ。
死神博士は、忌々しそうに顔を歪めたが、それ以上、マヤと言い合いをする事をやめた。
「それで、首領。この女に、何をさせたいのですか」
死神博士が訊いた。
『勿論――世界征服の下準備よ』
首領は、それ以降は語らなかった。
マヤは、死神博士を流し見て、艶めかしく微笑んだ。