広島県庄原市にある葦嶽山が、酒井勝軍によって“人工ピラミッド”であると唱えられたのは、一九三二年の事である。
大学で神学を学び、クリスチャンとなった酒井は、留学した先のアメリカで牧師として活躍し、昭和二年にはユダヤ・シオニズム運動の調査の為に、パレスチナに派遣された。
彼はここで、ピラミッド研究に没頭し始め、世界中のピラミッドのルーツが日本にあるという説を提唱し始めた。
その根拠として酒井が挙げていたのが、『竹内文献』を伝える、天津教竹内家神宝の一つである、御神体石に、神代の文字で記された“日来神宮”である。
この“日来神宮”という言葉が、古代日本の、ピラミッドの存在を暗示するものであると述べたのである。
酒井は、ピラミッドの条件を、次のように定義している。
ピラミッドというと、エジプトや、マヤのような、人工的に石組みされたものを想像するであろうが、必ずしもそうである必要はない。
山や丘などの、自然の地形を利用しながら、その一部に石や土を積み上げ、形作ってゆくのであれば、それでもうピラミッドと呼べるものである、という。これを、本体、又は、本殿という風に呼んでいる。
葦嶽山には、その中腹から山頂に掛けて、人工的に積み上げたような巨岩が存在しており、その山容も、ピラミッド型をしている。
長い年月を経て草木が生い茂り、石組みが崩れ、自然の山との区別が付かなくなっているだけなのである、という事だ。
又、逆に、ピラミッドをピラミッドたらしめる存在も、必要である。
本殿を遥拝する、本殿よりも小さな山。
本殿の山頂付近に、球状の“太陽石”を中心とした、一重か二重の環状列石。
太陽光を反射する鏡石と、方角を示す方位石、供物を載せるドルメン。
これらである。
この内の“太陽石”は、一種のエネルギー集積装置であり、酒井の定義する所のピラミッドとは、この“太陽石”を中心とした、古代のテクノロジーによるエネルギー装置であるというのだ。
しかし、この葦嶽山の“太陽石”は、国家によって破壊され、谷底に投げ捨てられてしまったという――
眼の前で、焚き火が、ぱちぱちと音を立てている。
蛇の舌先のように、赤い火が揺れて、空気を歪めていた。
風が鳴り、樹が揺れる。
秋口の風を、山の中で、より冷たく感じながら、氷室五郎は火を眺めていた。
一九四五年――
太平洋戦争直後、故郷である京都を出奔し、東京へ向かった氷室は、焼け落ちた屋敷の蔵の地下に忍び込み、黄金で造られた像を発見した。
それは、黒沼大三郎という男が、寛永寺で発見したものであるという。
氷室が京都を出たのも、比叡山で閲覧した『景郷玄帖』に記されていた莫大な黄金を求めての事であり、大三郎が保管していた像は、空海が著したその書物にある記述と、照らし合わせる事が出来た。
氷室も、大三郎も、『景郷玄帖』の半分しか見ておらず、二つに分けられたその書の情報を合わせる事で、黄金が隠されている場所まで、やって来たのであった。
玄叉山――
そう呼ばれる山である。
秋田県にある。
標高は、二八〇メートル。
通称、クロマンタと呼ばれていた。
何故、クロマンタか――
クロマンタは、クルマンタという別名があり、それは、アイヌ語にルーツがあるらしい。
アイヌ語で、“クル”は、“神”の意である。
“野”という意味を持つ“マクタ”が訛り、“マンタ”と呼ばれるようになった。
更に“キシタ”という“山”を意味する言葉が繋がって、
“クルマクタキシタ”――即ち、“神野山”となる。
これも、『景郷玄帖』に記されていた事である。
空海は、最初の出家から、遣唐使船に乗る許可を得る以前まで、山林修行に出ていたが、その頃の足取りは良く分かっていない。讃岐出身であったから、吉野や四国を中心に修行を重ねたというのが定説であるが、だからと言って、東北に足を延ばしていないという証拠はない。『景郷玄帖』が世間に秘匿されていたように、知られていない歴史の中に、そのような動きがあったかもしれないのだ。
彼は唐でも、現地の言葉ばかりではなく、サンスクリット語――インドの言葉で、仏教の経典などは本来この言葉で書かれている――までも、すぐに修得してしまったという。
だから、この辺りに、アイヌの言葉が入って来ており、空海が、その言葉を学んでいたのならば、そのような説明書きをしていたとしても、何ら不思議ではない。
尚、氷室は、大三郎に対して、
“龍が誘う北の地”
と、言っている。
大三郎が見た分の『景郷玄帖』には、日本の何処に黄金が隠されているかは、書いていなかった。それでも、どの方角かという事は、書名にも記されている。
玄――即ち、北である。
唐で書かれたものではあるが、遣唐使船に乗る以前にここを訪れていた事、最終的には高野山に居を構えた事などから考えて、日本の都から北の方角であるという事が分かる。
又、玄叉山と、“玄”の字を使っている山である。
そうして考えてみれば、“景郷”を黄金郷と呼んだ時には、“北にある黄金郷についての書物”と、読み解く事が出来た。
そして、“龍が誘う”というのは、黄金の隠し場所について、“龍”がキー・ワードとなっている描写が、幾つも存在しているからである。
所で、冒頭で述べたピラミッドに関する説であるが、この玄叉山にも、明らかに人の手が入った痕跡がある。
山の斜面に、七から一〇段のテラスがあり、張り出し部分は一〇メートル、高さは二、三メートルに造られている。その表面には、小さな礫がびっしりと貼られていた。
その山の中で、氷室は、熾した火を見ている。
傍では、大三郎が寝息を立てていた。
「眠らないの?」
繁みの奥から、花を摘みに行っていた陽子が、焚き火の傍に戻って来た。
大三郎が一五歳の時の子供である。
氷室よりも二つ年下で、活発な印象を受けるが、黙っていれば、かなり大人びている。
「明日には、黄金を探しにゆくのよ。体力は温存して置かなくちゃ」
「――あんたはどうなんだ」
氷室が訊いた。
「私?」
「ああ」
氷室は、にっと歯を剥くと、
「あれが忘れられないで、眠れないのか」
と、少しいやらしい口調で言った。
陽子は、僅かに眼を大きくした後、薄く微笑んで、氷室の横手に腰掛けた。
風呂にも入れない為、汗の匂いが、すぅと氷室の鼻に入り込んで来る。
決して不愉快ではない、ねっとりとした質量を持ちながら、柔らかさを備えた体臭は、寧ろ、氷室を高めてしまいそうになる。
「そうだと言ったら、どうするの……?」
「――」
陽子は、するりと氷室の頸に手を回すと、顔を近付けて来た。
かさついた唇に、ぷるんとした弾力のある女の唇が、接触する。
陽子の方から舌を絡め、氷室の唾液を啜り上げてゆく。
「おい……」
「お父さまの事なら、気にしなくて良いわ」
「しかし――」
「一度寝付いたら、中々、起きないのよ……」
そう言って陽子は、氷室を地面に押し倒した。
初めて会った時、自分に短刀を向けた陽子を、氷室は犯そうとしたが、今度は逆であった。
氷室は、陽子の身体を抱きながら、夕刻、この山の奥深い所で目撃した光景を、思い出していた。
それは、異様な儀式であった。
氷室たちが玄叉山に到着したのは、昼頃の事であった。
麓の村で準備を整えて、山に登った。
そうして、奥深くまで歩いてゆくと、不意に、その音が聞こえて来た。
まるで、祝詞を称えるかのような調べである。
密かに近付いてみれば、開けた場所で、数名の男女が、踊り狂っている様子が見えた。
七つの、人の頭程の石が、円を作るように並べられていた。
その中に、男女が七名ずつおり、自らの性器を強調するような踊りを、踊っている。
踊りながら、呪文のようなものを唱えているのだ、
特に、男のペニスなどは、普通では考えられない程に怒張していた。
表情を見るに、男も女も、阿片か何かをやっているように感じられた。
その狂気の舞踏の中心には、石像がある。
とぐろを巻いた龍の石像である。
そのとぐろの中心に、女が、脚を広げて寝そべっていた。
一糸纏わない身体が、汗とは違う液体で、ぬらぬらと輝いている。
その女に、近付いてゆく男があった。
男の身体も、女の身体を濡らしているのと同じ液体で、照り返っていた。
それだけではなく、全身に、羽毛を思わせるペイントを、施している。
そそり立つものは、周りの七名の男たちのものよりも、角度がある。
男は龍の石像に跨り、つまり、女を貫いた。
そうすると、周りの男女の呪文が、更に大きくなり、龍の石像の上での行為が終わるまで、続いた。
“間違いない……”
大三郎の呟きに、氷室も同調した。
この儀式の事も、『景郷玄帖』にはあった。
そして、その儀式がある所の近くに、黄金が隠されているという事も、だ。
三人は、その儀式の場から引き返し、適当な所で野宿をする事を決めた。
陽が暮れて来たので、火を熾し、持って来ていた干し肉を炙り、塩を振って、喰った。
それから、夜が更けて、大三郎が眠りに就いその横で、氷室と陽子は、肌を重ねていた。
「とんだじゃじゃ馬だ」
氷室が、服を着直しながら、言った。
「ねぇ、氷室さん」
同じく身嗜みを整えた陽子が、声を潜めて、氷室に言う。
「黄金の事よ」
「何だ?」
「国を傾ける事も出来る、それだけの黄金……」
「――そうだ」
そのように、記されてある。
当時でそれだけ言われているのであるから、歴史的価値も加えるのならば、想像も出来ない額になる筈である。
「私たちだけのものに、しない?」
「何――?」
「私と、氷室さんだけの、という事よ」
「何だと⁉」
驚く氷室の唇に、陽子が人差し指を当てた。
ちらりと、大三郎の方に眼をやった。
大三郎は、小さく寝返りを打っただけで、眼を覚ました様子はない。
「どういう事だ?」
「氷室さん、貴方、父がどうして黄金を探しているか、聞いていたわよね」
「信じてはいないが……」
氷室は、大三郎が語った、黄金を求める理由を思い出した。
「それで、正解よ」
「正解?」
「信じていないという事よ」
「ほぅ?」
「あの人は、唯、増やしたいだけよ」
「増やしたい?」
「お金を、よ」
「――」
「父が語った事の、“日本”という所を、“黒沼大三郎”に置き換えてみて」
「ふふん」
「そういう事よ」
「で――?」
「で?」
陽子が訊き返した。
「それを、俺に教えて、どうする気だい」
「貴方は、どうなの?」
「どう?」
「黄金を手に入れて、どうする心算なのかしら」
「――難しい問いだな」
「あの時も、お金自体を欲しているとは、言わなかったわね」
氷室は、唸りながら、答えを考え、口に出した。
「俺は、こいつさえあれば、何でもなった……」
言いながら、氷室は、両方の拳を突き出してみせた。
人を殴る事に慣れた、太い指、大きな掌である。
「確かに、家はやくざだったがね、金の力を、人と関わるに当たって利用した事はない。人間なんてのは、二、三発ぶん殴ってやれば、すぐに言う事を聞いたからな」
「恐ろしい事を言うわね」
「金なんざ、所詮、尻を拭く為の紙さ」
「では、どうして、黄金を?」
「黄金が欲しいんじゃない。人より優れていたいだけさ」
「人より……?」
「箔だな。隠されていた黄金を見付けたという箔みたいなものだ」
「ふ――」
陽子が笑った。
「父には、きっと、理解出来ないでしょうね」
「誰に理解される必要もないさ」
「独善的ね」
「否定はせんよ」
「――殺されるわよ」
「何だと」
「父は、最初から、貴方を殺す心算よ」
「――黄金を、独り占めでもするか」
「ええ。だから……」
陽子は、氷室の耳元に口を近付けて、蚊の鳴くような声で、囁いた。
「その前に、父を、殺してしまいましょう」
花房治郎が眼を覚ました時、空には、満天の星空が広がっていた。
ぼぅっとした顔で、治郎は、空を見上げている。
全身が熱を孕んでいた。
散々、身体を打ち据えられ、投げ飛ばされた結果であった。
講道館に入門して、それなりに経っていたが、手も足も出なかった。
樹海に対して、である。
治郎は、目的の場所が近付いた頃、樹海に稽古を付けて欲しいと頼んだ。
講道館から樹海に同行するようになった治郎は、先ずは樹海の故郷である弘前にゆき、その後すぐに、この地へとやって来た。
それまで、樹海が学んだ赤心少林拳を教わる機会がなかったのだが、ここで、漸く時間に余裕が出来た。
それで稽古を申し込んだのであるが、見事、打ち倒されてしまったのである。
途中で気を失ってしまい、外で、眠る事になってしまったのだ。
「起きたか」
樹海が、治郎を見下ろした。
「起きました」
治郎は上体を起こし、
「素晴らしい……」
と、漏らした。
「老師、赤心少林拳は、素晴らしいものです」
「それは良かった」
「無念無想――」
治郎は、その言葉を思い出し、次いで、樹海が見せたその境地を思い出した。
樹海が、無念無想に入った時から、治郎は、攻撃を当てる事が出来なくなった。
拳や蹴足は勿論、道衣を掴んで組む事さえも、全く通じないのである。
「凄いなぁ、凄いなぁ」
治郎は、何度も、そのように呟いていた。
晴天の下の海のように、澄み切った、綺麗な眼をしている。
その治郎を、樹海は、愛しいものを見るような眼で眺めた。
「治郎、宿へ戻ろう」
「はい」
「明日の朝、出発する事にしようかの」
「はい」
樹海と治郎は、共に、闇の中に佇む山を見上げた。
玄叉山――
二人がいる傍に、柱状の石と、それを取り囲む長い川原石が、放射状に並んでいた。