仮面ライダー Chronicle×World   作:曉天

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第五節 赤心

「無念無想よ――」

 

暫くの後、意識を取り戻した松士は、少林寺から麓の村に下り、野宿をしていた。

 

老人が起こした火の前で、老人が持っていた干し肉を喰っている。

火で炙り、塩を振る。

シンプルな味付けが、美味かった。

筒に汲んである水を飲んだ。

 

それで、松士が、自分が敗北した原因を聞いたのである。

 

何が、自分を敗けさせたのか――

 

そうして、老人が答えたのである。

老人は、鉄玄(てつげん)と名乗った。

 

「無念無想?」

「そうじゃ」

 

鉄玄は頷き、

 

「ま、赤心という事じゃな……」

 

と、補足した。

 

赤心とは、後漢の『光武紀』にある言葉だ。

 

“赤心を推して人の腹中に置く”

 

自分の真心を人に預ける、つまり、人を厚く信じる心だ。

人に対して隠し立てをしない、ありのままの心の事を言うのである。

その為、生まれたばかりの子供の事を、赤子という。

 

「それが、私が、知らないもの――?」

「そうじゃ」

 

鉄玄は頷いた。

 

ありのままの心をさらけ出し、自然と一体化する事により、自らの闘気を掻き消した。

老人が松士の攻撃を躱したと言うよりは、松士の方から老人を見失ったのである。

 

「しかし……」

 

と、松士は言った。

 

無念無想というその在り方は、日本でも、空とか表現される、武術の究極とされている。

 

だから、全く新しい技術という訳ではないのではないか。

 

「では、お主は、あそこにいて、それを学べたかの」

 

鉄玄は言った。

 

「いや、少林寺だけではないな。お主は、これから、この中国全土だけではなく、全世界の、ありとあらゆる武術を学び尽したとして、そこにゆけるかの……」

「――むむ」

 

松士は唸った。

 

確かに、この世に存在する技術を、この身体に叩き込む事は、可能であろう。

 

しかし、無念無想とは、心の中に存在するものだ。

いや、存在する事が出来ないものだ。

 

例え深い禅定の境地に至ったとしても、この現世にある限りは、決して届かない境地だ。

 

「儂にしても、あそこが限度……」

 

鉄玄は、火で干し肉を炙り、それを喰い千切った。

 

「ほれ、霞を喰ろうて生きる訳にはゆくまいよ」

「――」

「儂の知る限りでは、それが出来た者は、この世でたった独り……或いは二人かの」

「それは?」

「釈迦――」

「――」

「後は、お主の国の……」

「空海、ですか」

「そちらについては、実際にはどうか、分からんがの」

 

無念無想――

 

念じず思わず、しかし、その場にあり続ける。

それは、執着を離れた、悟りの境地の事だ。

 

これを成し遂げたのは、二五〇〇年前、インドに生まれ落ちたシッダールタその人だけだ。

 

真言宗の開祖・弘法大師空海も、インド仏教の最終形態である密教で、即身成仏を成し遂げたとされているが、その後の言葉を聞いた者はいない。

 

「後は、気じゃの――」

「気……」

 

こちらは、気功で言う方の、気だ。

 

武術で言う気は、動作の連携が生み出す爆発力の事である。

 

気功で言う気は、下丹田で練り上げた気を、掌に集め、相手が持っている気と同調させる事により、対象の心を鎮めたり、眠らせたりする事が出来る。

 

「老師――」

 

松士が言った。

 

「貴方の許へゆけば、少なくとも、貴方と同じ程度の境地には至れると――」

「それは、主次第じゃがの」

「――」

「何なら、儂の許でなくとも、出来る者には、出来ようて」

「――」

「しかし、儂のやった事を、教えてやる位は、出来るかの……」

「――その代わりに、と、いう事ですか」

 

日本人である松士に、渡したいものの事だ。

 

「おう」

「――では、ゆきましょう」

 

松士が立ち上がった。

 

「来るか」

「ゆきます」

 

そういう事になったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで、少し、時を下ってみる事とする。

 

梅と桜の花が狂ったように舞う、山の奥である。

そこに、一組の男女が向かい合っている。

 

一方は、蒼い道衣を着た、マヤである。

 

色の濃い目の皮膚に、薄らと汗を浮かべて、黒髪を張り付けている。

頬が上気し、ぽってりとした唇から、時折、艶めかしい吐息が漏れる。

 

車のハンドルを握るような、一昔前のボクシングの構えにも似た姿勢である。

道衣の各所が、土で擦った汚れと、花びらの汁を吸っていた。

 

相手となっている男は、黒沼鉄鬼と名乗った、赤心少林拳の門人である。

 

蓬髪が逆立っている。

剥き出しの上半身に、土の汚れと花びらが絡み付いていた。

立てた左腕を、右手の甲で支える構えを採っている。

 

その顔が、大きく腫れ上がっていた。

何度も、拳を顔に入れられているのだ。

 

それも、この上なく、屈辱的なやり方で――

 

「さ、もう、休憩はお終いかしら……」

 

鼻に掛かった声で、マヤが言った。

鉄鬼は歯を噛むと、

 

「ちぇあ!」

 

の、一声と共に、掌を大地に押し付けた。

 

身体を捻りつつ、開き、落とす――そうして練り上げた気を、地面に叩き込んだのである。

 

ぼぅ、と、花びらと土煙が舞い上がり、マヤの視界を封じた。

 

マヤが、土煙を眼に入れまいと、薄く瞼を閉じる。

 

その土煙が蠢動し、鉄鬼が、マヤの横手に回っていた。

 

マヤが右側を振り向くと同時に、マヤの膝に向かって、鉄鬼の左足刀が走った。

マヤは右足を跳ねさせ、足の下に蹴りを潜らせる。

 

片足だけでバランスを採るマヤの眼前に、鉄鬼の左の掌底が迫っていた。

マヤは、スウェー・バックで掌底の下を潜ると、その手首に右手を絡めた。

 

鉄鬼の右腕が、しかし、マヤのボディを狙っている。

下から打ち上げる突きが、マヤの括れた胴体に突き刺さろうとする。

 

だが、マヤは、持ち上げた右足を鉄鬼の左太腿に乗せ、そこを足場に、左足で跳んだ。

 

更には、同じタイミングで、左手の掌で鉄鬼の拳を受けており、鉄鬼の下突きの勢いを、舞い上がるエネルギーに転換した。

 

マヤの両脚が、蛇のように、鉄鬼の左腕に絡み付いてゆき、頸を刈って、投げ飛ばそうとした。

 

鉄鬼は、投げ飛ばされそうになった時、タイミングを合わせて跳躍して、自分から回転してゆく。

 

マヤの予定よりも先に接地した鉄鬼は、マヤの脚の間から左腕を入れ込んでゆき、後ろ帯を掴んだ。

 

マヤの左脚を、自分の胴体で、横に開かせながら、身体を入れ込んでゆく。

このまま進めば、マヤを押し倒す形で、顔に拳を落としてやる事が出来た。

 

けれども、マヤは、蛇の笑みをやめなかった。

 

マヤは右脚を前に振り出して、そのまま、鉄鬼の左腕を巻き込んで、鉄鬼と共に体を回転させた。

 

鉄鬼が、右肩から、地面に打ち付けられる。

 

マヤは蛇がしなるような柔軟性で、すぐにポジションを奪い返した。

鉄鬼の胴体に股間を下ろし、両脇を膝でロックしている。

 

馬乗りの形だ。

 

「どぉかしら、女に見下される気分は……」

 

そう言って、マヤは、拳を落とし始めた。

フック気味の拳が、鉄鬼の顔面を腫れ上がらせてゆく。

 

鉄鬼は、両腕を顔の前にやって、拳が直撃するのを、出来るだけ防いだ。

 

女の力である。

 

しかし、勢いの付いた拳は、確かに鉄鬼の腕を通じて、その脳へと伝わってゆく。

 

その揺れる脳、歪む視界に、マヤは、容赦なく拳を落としてゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

氷室(ひむろ)五郎(ごろう)という男がいた。

 

生まれは、京都。

氷室一家という、やくざの家系である。

 

幼い頃から体格が大きく、力も強かった。

ガキ大将を張るばかりではなく、大人相手にさえ、喧嘩を売る程である。

初めて女を孕ませたのが、七歳頃であるという逸話さえ持っていた。

 

人を殴る事と、女を犯す事に、全く罪悪感を持たない男であった。

 

又、短気であり、道端で肩が触れたか触れないかの相手を、半身不随になるまで殴り続けたという話も残っていた。

 

太平洋戦争勃発当時、氷室は一三歳である。

 

この時、

 

“俺が一人いれば、異国人共は全員殺せる”

 

などと、啖呵を切った事もある。

流石に、これは冗談であろう。

 

しかし、氷室の巨躯は、その当座で欧米人にも見劣りしないものであった。

 

戦局を引っ繰り返す事など、出来よう筈もないが、レスラーやボクサーの二、三人相手ならば、平気な顔をして勝ってしまいそうな貫禄さえある。

 

そんな容貌を持つ割に、頭が良かった。

 

語学、歴史、医療……あらゆる分野の勉学に興味を持ち、喧嘩をする傍ら、本を読み漁っては、様々な知識を蓄えるなどしていた。

 

戦時中、憲兵が見回っている中で、舎弟の幾らかを連れて、氷室が歩いていた。

国家権力を気に入らない氷室、舎弟たちに、異国の言葉を喋ってみせた。

 

敵性言語である――そのように言う憲兵に対し、

 

“これは独逸語である。独逸は大日本帝国の同盟国ではないのか”

 

と、臆する事なく言い切ってみせた。

その話に関しては、イタリア語であるという説もある。そして、

 

“敵性言語とはこれを言っているのだ”

 

と、見事な発音で英語の会話さえもしてみせた。

 

暴力を旨とするくせに、弁が立つ――憲兵にしてみれば、これ以上やり難い相手もない。

 

氷室が普通の家の子供ならばまだしも、その背後にあるのは侠客であるというのだから、やり難さは倍以上である。

 

そのような氷室が一七歳の時、戦争は、日本の敗北で幕を下ろした。

 

氷室は愛国心の欠片も持たない男であったから、玉音放送を聞いて、その内容を理解しても、決して表情を変えなかった。

 

戦争が終わった事に対する悦びは、これから混乱してゆくであろう世相を楽しみに思う、歪な愉悦でもあっただろう。

 

戦後、混乱する町に乗じて、氷室は京都を抜け出した。

 

やくざの家を継ぐのも悪くなかったが、それ以上に、混沌としてゆくであろうこの国の世相を、見て回りたくなったのである。

 

それに、何よりも――

 

氷室の心は躍っていた。

 

家族を捨てた。

友を捨てた。

 

それらを捨てて尚、釣りが出る。

 

そのようなものの為に、氷室は旅へと繰り出したのであった。


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