「無念無想よ――」
暫くの後、意識を取り戻した松士は、少林寺から麓の村に下り、野宿をしていた。
老人が起こした火の前で、老人が持っていた干し肉を喰っている。
火で炙り、塩を振る。
シンプルな味付けが、美味かった。
筒に汲んである水を飲んだ。
それで、松士が、自分が敗北した原因を聞いたのである。
何が、自分を敗けさせたのか――
そうして、老人が答えたのである。
老人は、
「無念無想?」
「そうじゃ」
鉄玄は頷き、
「ま、赤心という事じゃな……」
と、補足した。
赤心とは、後漢の『光武紀』にある言葉だ。
“赤心を推して人の腹中に置く”
自分の真心を人に預ける、つまり、人を厚く信じる心だ。
人に対して隠し立てをしない、ありのままの心の事を言うのである。
その為、生まれたばかりの子供の事を、赤子という。
「それが、私が、知らないもの――?」
「そうじゃ」
鉄玄は頷いた。
ありのままの心をさらけ出し、自然と一体化する事により、自らの闘気を掻き消した。
老人が松士の攻撃を躱したと言うよりは、松士の方から老人を見失ったのである。
「しかし……」
と、松士は言った。
無念無想というその在り方は、日本でも、空とか表現される、武術の究極とされている。
だから、全く新しい技術という訳ではないのではないか。
「では、お主は、あそこにいて、それを学べたかの」
鉄玄は言った。
「いや、少林寺だけではないな。お主は、これから、この中国全土だけではなく、全世界の、ありとあらゆる武術を学び尽したとして、そこにゆけるかの……」
「――むむ」
松士は唸った。
確かに、この世に存在する技術を、この身体に叩き込む事は、可能であろう。
しかし、無念無想とは、心の中に存在するものだ。
いや、存在する事が出来ないものだ。
例え深い禅定の境地に至ったとしても、この現世にある限りは、決して届かない境地だ。
「儂にしても、あそこが限度……」
鉄玄は、火で干し肉を炙り、それを喰い千切った。
「ほれ、霞を喰ろうて生きる訳にはゆくまいよ」
「――」
「儂の知る限りでは、それが出来た者は、この世でたった独り……或いは二人かの」
「それは?」
「釈迦――」
「――」
「後は、お主の国の……」
「空海、ですか」
「そちらについては、実際にはどうか、分からんがの」
無念無想――
念じず思わず、しかし、その場にあり続ける。
それは、執着を離れた、悟りの境地の事だ。
これを成し遂げたのは、二五〇〇年前、インドに生まれ落ちたシッダールタその人だけだ。
真言宗の開祖・弘法大師空海も、インド仏教の最終形態である密教で、即身成仏を成し遂げたとされているが、その後の言葉を聞いた者はいない。
「後は、気じゃの――」
「気……」
こちらは、気功で言う方の、気だ。
武術で言う気は、動作の連携が生み出す爆発力の事である。
気功で言う気は、下丹田で練り上げた気を、掌に集め、相手が持っている気と同調させる事により、対象の心を鎮めたり、眠らせたりする事が出来る。
「老師――」
松士が言った。
「貴方の許へゆけば、少なくとも、貴方と同じ程度の境地には至れると――」
「それは、主次第じゃがの」
「――」
「何なら、儂の許でなくとも、出来る者には、出来ようて」
「――」
「しかし、儂のやった事を、教えてやる位は、出来るかの……」
「――その代わりに、と、いう事ですか」
日本人である松士に、渡したいものの事だ。
「おう」
「――では、ゆきましょう」
松士が立ち上がった。
「来るか」
「ゆきます」
そういう事になったのである。
ここで、少し、時を下ってみる事とする。
梅と桜の花が狂ったように舞う、山の奥である。
そこに、一組の男女が向かい合っている。
一方は、蒼い道衣を着た、マヤである。
色の濃い目の皮膚に、薄らと汗を浮かべて、黒髪を張り付けている。
頬が上気し、ぽってりとした唇から、時折、艶めかしい吐息が漏れる。
車のハンドルを握るような、一昔前のボクシングの構えにも似た姿勢である。
道衣の各所が、土で擦った汚れと、花びらの汁を吸っていた。
相手となっている男は、黒沼鉄鬼と名乗った、赤心少林拳の門人である。
蓬髪が逆立っている。
剥き出しの上半身に、土の汚れと花びらが絡み付いていた。
立てた左腕を、右手の甲で支える構えを採っている。
その顔が、大きく腫れ上がっていた。
何度も、拳を顔に入れられているのだ。
それも、この上なく、屈辱的なやり方で――
「さ、もう、休憩はお終いかしら……」
鼻に掛かった声で、マヤが言った。
鉄鬼は歯を噛むと、
「ちぇあ!」
の、一声と共に、掌を大地に押し付けた。
身体を捻りつつ、開き、落とす――そうして練り上げた気を、地面に叩き込んだのである。
ぼぅ、と、花びらと土煙が舞い上がり、マヤの視界を封じた。
マヤが、土煙を眼に入れまいと、薄く瞼を閉じる。
その土煙が蠢動し、鉄鬼が、マヤの横手に回っていた。
マヤが右側を振り向くと同時に、マヤの膝に向かって、鉄鬼の左足刀が走った。
マヤは右足を跳ねさせ、足の下に蹴りを潜らせる。
片足だけでバランスを採るマヤの眼前に、鉄鬼の左の掌底が迫っていた。
マヤは、スウェー・バックで掌底の下を潜ると、その手首に右手を絡めた。
鉄鬼の右腕が、しかし、マヤのボディを狙っている。
下から打ち上げる突きが、マヤの括れた胴体に突き刺さろうとする。
だが、マヤは、持ち上げた右足を鉄鬼の左太腿に乗せ、そこを足場に、左足で跳んだ。
更には、同じタイミングで、左手の掌で鉄鬼の拳を受けており、鉄鬼の下突きの勢いを、舞い上がるエネルギーに転換した。
マヤの両脚が、蛇のように、鉄鬼の左腕に絡み付いてゆき、頸を刈って、投げ飛ばそうとした。
鉄鬼は、投げ飛ばされそうになった時、タイミングを合わせて跳躍して、自分から回転してゆく。
マヤの予定よりも先に接地した鉄鬼は、マヤの脚の間から左腕を入れ込んでゆき、後ろ帯を掴んだ。
マヤの左脚を、自分の胴体で、横に開かせながら、身体を入れ込んでゆく。
このまま進めば、マヤを押し倒す形で、顔に拳を落としてやる事が出来た。
けれども、マヤは、蛇の笑みをやめなかった。
マヤは右脚を前に振り出して、そのまま、鉄鬼の左腕を巻き込んで、鉄鬼と共に体を回転させた。
鉄鬼が、右肩から、地面に打ち付けられる。
マヤは蛇がしなるような柔軟性で、すぐにポジションを奪い返した。
鉄鬼の胴体に股間を下ろし、両脇を膝でロックしている。
馬乗りの形だ。
「どぉかしら、女に見下される気分は……」
そう言って、マヤは、拳を落とし始めた。
フック気味の拳が、鉄鬼の顔面を腫れ上がらせてゆく。
鉄鬼は、両腕を顔の前にやって、拳が直撃するのを、出来るだけ防いだ。
女の力である。
しかし、勢いの付いた拳は、確かに鉄鬼の腕を通じて、その脳へと伝わってゆく。
その揺れる脳、歪む視界に、マヤは、容赦なく拳を落としてゆく。
生まれは、京都。
氷室一家という、やくざの家系である。
幼い頃から体格が大きく、力も強かった。
ガキ大将を張るばかりではなく、大人相手にさえ、喧嘩を売る程である。
初めて女を孕ませたのが、七歳頃であるという逸話さえ持っていた。
人を殴る事と、女を犯す事に、全く罪悪感を持たない男であった。
又、短気であり、道端で肩が触れたか触れないかの相手を、半身不随になるまで殴り続けたという話も残っていた。
太平洋戦争勃発当時、氷室は一三歳である。
この時、
“俺が一人いれば、異国人共は全員殺せる”
などと、啖呵を切った事もある。
流石に、これは冗談であろう。
しかし、氷室の巨躯は、その当座で欧米人にも見劣りしないものであった。
戦局を引っ繰り返す事など、出来よう筈もないが、レスラーやボクサーの二、三人相手ならば、平気な顔をして勝ってしまいそうな貫禄さえある。
そんな容貌を持つ割に、頭が良かった。
語学、歴史、医療……あらゆる分野の勉学に興味を持ち、喧嘩をする傍ら、本を読み漁っては、様々な知識を蓄えるなどしていた。
戦時中、憲兵が見回っている中で、舎弟の幾らかを連れて、氷室が歩いていた。
国家権力を気に入らない氷室、舎弟たちに、異国の言葉を喋ってみせた。
敵性言語である――そのように言う憲兵に対し、
“これは独逸語である。独逸は大日本帝国の同盟国ではないのか”
と、臆する事なく言い切ってみせた。
その話に関しては、イタリア語であるという説もある。そして、
“敵性言語とはこれを言っているのだ”
と、見事な発音で英語の会話さえもしてみせた。
暴力を旨とするくせに、弁が立つ――憲兵にしてみれば、これ以上やり難い相手もない。
氷室が普通の家の子供ならばまだしも、その背後にあるのは侠客であるというのだから、やり難さは倍以上である。
そのような氷室が一七歳の時、戦争は、日本の敗北で幕を下ろした。
氷室は愛国心の欠片も持たない男であったから、玉音放送を聞いて、その内容を理解しても、決して表情を変えなかった。
戦争が終わった事に対する悦びは、これから混乱してゆくであろう世相を楽しみに思う、歪な愉悦でもあっただろう。
戦後、混乱する町に乗じて、氷室は京都を抜け出した。
やくざの家を継ぐのも悪くなかったが、それ以上に、混沌としてゆくであろうこの国の世相を、見て回りたくなったのである。
それに、何よりも――
氷室の心は躍っていた。
家族を捨てた。
友を捨てた。
それらを捨てて尚、釣りが出る。
そのようなものの為に、氷室は旅へと繰り出したのであった。