仮面ライダー Chronicle×World   作:曉天

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暫くライダーも怪人も出ない不思議なライダーの二次創作。


第二節 狂咲

風が狂っていた。

冷たい冬の風と、温かい春の風が、蛇の如く絡み合っている。

 

山の中だ。

 

薄い桃色の花びらが、その狂った風の中を、鳥の羽根のように舞っていた。

乱立する木々から、風によって引き千切られ、舞い落ちてゆく桜花。

 

その中に、香しく立ち昇る梅の花が、幾つか見られた。

 

狂っていた。

 

冬と春との境目に、桜花と梅花が共に咲いている。

狂ったように風が吹き、狂ったように花が咲いていた。

 

その狂った風の中に、更に狂ったように動き回る男がいた。

 

大柄な男である。

 

男は、森の中で、樹の幹に向かって、拳や蹴りを繰り出している。

手の皮はずり向け、脚の甲や脛は、赤黒く爛れていた。

その拳で、その足で、地面を蹴り、樹の幹を叩いている。

 

男の周囲には、表面をごっそりと削られた樹が、幾つもあった。

男の足元には、その為に枝から落ちざるを得なかった花が、幾つも散らばっている。

 

男は、桜を踏み躙り、梅を踏み付けて、傷付いた拳と脚を繰り出してゆく。

 

黒い、ズボン状の下衣を穿き、白くささくれた黒帯を締めていた。

 

上半身は、裸である。

鍛え上げられた身体には汗が浮き、花びらや、樹の表皮、土の汚れなどがこびり付いている。

 

鬼気迫る顔付きであった。

髪と髭は茫々と伸び、頬がげっそりと落ちている。

しかし、その双眸ばかりは、決して光を失っていなかった。

 

男は、只管に身体を動かしているようであったが、しかし、その動きには一定の法則があった。

 

余りにも素早い為、知識のない者には判断が付かないやも知れないが、それは、套路である。

 

套路――

 

中国拳法で言う、型である。

 

型とは、一定の順序で、決められた動作を行なう事により、実戦の術理を身体に身に着けさせるものだ。

 

男はその套路を、無数の木々に対して、実際に使うように、行なっていた。

 

男の見せる套路は、拳も、掌も、蹴りも、肘や、膝も、使っていた。

動作の中には、関節を決めているような動きもある。

投げを打っている様子もあった。

 

その動作の一つにも、数多くの種類がある。

 

拳に限って言うのなら、拳を横にした打ち方、縦にした打ち方、拳の親指側、又は小指側を使うもの、裏拳、弧拳……それを、打ち出すにしても、更に分類されている。

 

一つの技の中に、何種類もの形があり、その何種類もの形の中に、複数の方法があった。

 

又、同じ打撃を繰り出すにしても、その威力が明らかに異なっている場合もある。

 

一つは、樹の表面を削ったり、幹を大きく抉ったりするだけの打撃。

 

もう一つは、表面にはこれと言ったダメージはなくとも、遠くの枝から葉が一斉に落ちたり、打撃された面の反対側が削れたりする打撃。

 

それらを、素早く、舞を躍るように、男は繰り出していた。

 

狂った風。

狂った花。

それらに包まれて、狂ったように、武が吹き荒れていた。

 

男の周囲の樹から、全ての葉が、花が、枝が落ちてしまった。

男は、周囲を吹く風に舞う花びらを振り払って、又、別の場所へ向かおうとする。

 

と――

 

「ふぅん」

 

梅の香りに混じるような、甘い声が届いて来た。

 

男が、血走った眼を向けると、枯れた樹の間から、その女が姿を現した。

 

美しい黒髪を、乱雑に散らしている。

細められた黒い眼。

通った鼻。

ぽってりとした唇。

日本人よりも、少し肌の色が濃い。

 

マヤである。

 

マヤは、蒼い道衣を着ていた。

生地のぶ厚さから、柔道や、柔術のそれに似ているものと分かる。

袷の上衣に、黒い帯を締めていた。

 

裸足で、桜と梅の花に彩られた地面を踏んでいた。

 

「それが、赤心少林拳……」

「――何だ、貴様は……」

 

マヤの言葉に、男が言った。

マヤは薄く微笑むと、

 

「立ち合いたいのだけれど」

 

と、言う。

 

「立ち合い⁉」

「ええ」

「俺と、か」

「貴方とよ」

「――」

 

男は、ふん、と、鼻を鳴らした。

 

「随分と、莫迦な女が増えたものだな……」

「へぇ?」

「見た所、多少は心得があるようだが、余り調子に乗らない方が良い」

「女だから、かしら?」

「そうだ」

「そんな事、言わないで欲しいわぁ……」

 

そう言うと、マヤは、

 

 

すぅ、

 

 

と、右足を前に滑らせた。

 

花びらが、風に流されるような、緩やかな動きであった。

 

「ぬ⁉」

 

男は、ぎょっとなって、地面を蹴った。

マヤが近付いた分だけ、男は後方に飛びずさっていた。

 

マヤが話し掛けた時には、自然体だった男が、既に構えている。

右腕を立てて、肘を左手の甲で支えている。

 

マヤは、くすり、と、微笑んだ。

 

「ね――?」

「――」

 

男が眉を寄せた。

 

男が後退した理由は、あのままでいれば、マヤが自分の懐に入ってしまうのを、許してしまうと思われたからだ。

 

若しも、その状態でこの女が刃物を握っていたら、自分は、その刃先が腹に潜り込む事さえ、自然と受け入れてしまったであろう。

 

そして、マヤに対して構えを採った今、分かった事がある。

 

“立ち合い”――つまり、戦いを所望している訳だが、このマヤという女からは、殆ど戦意と呼べるものが感じられなかった。

 

普通、自分からでも、相手から挑まれたでも、戦うという空気が作り上げられたならば、自然と、その場に対する意識が、全身に満ち溢れる筈である。

 

その意識が、顔や、身体の何処かに、現れて、他の相手に伝わるのだ。

 

だが、それがない。

まるで花のように、マヤは、そこに立っているだけだ。

 

自然とそこに生じ、自然とそこで死んでゆくだけの花――

 

彼女の接近を躱せたのは、あの一瞬、マヤの方から僅かに殺気を飛ばして来たからだ。

 

 

――ほぅら、御覧なさい。

  このまま、何にもしないで良いのかしら?

  じゃないと、食べられちゃうわよぅ?

 

 

巨大な蛇に、眼の前で牙を剥かれたような感覚であった。

それがあったからこそ、男は、マヤから遠退く事が出来たのである。

 

「……良いだろう……」

 

男が頷いた。

 

「立ち合ってやる」

「ありがと」

 

マヤはそう言うと、右足を出した。

両拳を持ち上げる。

上体は、軽く反らした。

一昔前の、ボクシングの構えにも似ているようであった。

 

「マヤ――取り敢えずはそう呼んで頂戴」

「む……」

「柔術よ」

「――赤心少林拳」

 

男は、マヤに向かって、言った。

 

黒沼(くろぬま)鉄鬼(てっき)

 

狂った風と、狂った花の中、男と女が、狂い合おうとしていた。

 

 

 

 

 

 

同じ頃――

同じように、桜の舞いと、梅の香りに包まれた寺が、あった。

 

人も通わぬ山奥に、ひっそりと佇む寺である。

 

この頃、多くの寺には、墓地が設けられていた。

しかしながら、寺院と言うのはそもそも、僧侶が修行をする場所である。

 

死人が出れば、葬式を出すという制度は、江戸時代に、幕府が作ったものであった。

 

徳川家康が、寺院を取り立てて、僧侶たちに戸籍の管理を任せたのである。

子供が生まれた、人が亡くなったという事で、寺に届けを出させていた。

 

そうした意味では、人が寄り付かないこの寺は、江戸時代以降の寺院の体裁を為していない。

 

大きめの堂宇だけが、そこにある。

 

本堂の前の庭は、桜と梅の樹に囲まれており、花びらが風になぶられている。

 

一人の僧侶が、その庭に立っていた。

梅の樹の前である。

 

つん、と、突き出した枝の先に、白い花弁の重なった、梅の花が咲いていた。

その梅の花を、僧侶はじぃと見つめている。

 

綺麗に頭を剃り上げた、穏やかな顔の男であった。

 

まだ少年期のあどけなさを残しているようにも、歳を経る事で得られる落ち着きを宿しているようにも見えた。

 

流石に、五、六〇代ではないと分かるが、一〇代とも、四〇代とも言える、不思議な雰囲気を持った男であった。

 

僧形である。

黒衣に、袈裟を身に着けていた。

足袋を、草履に潜らせている。

 

右手と、数珠を掛けた左手を胸の前に持ち上げて、眼の前の梅の花を、掌の中に包もうとしている。

 

緩やかな呼吸を繰り返していた。

吸っているとも、吐いているとも分からない、しかし、確かな呼吸である。

 

微動だにしないその中に、しかし、強いパワーがあるように見えた。

 

僧侶の両手が、梅の花びらと同じ形を作っていた。

いつしか、僧侶の双手は、中心に戴いた梅の花と同化している。

 

僧侶の姿は、風に掻き消されてなくなり、そこには、梅の花があるだけであった。

 

梅花は、生命力を注がれたかのように生き生きと輝き、咲き誇っている。

その前を、風と、桜の花びらが通り過ぎて行った。

 

と――

 

治郎(じろう)よ」

 

声を掛けられて、僧侶は我に返った。

 

梅の花は同じように咲いていたし、その僧侶も変わらずにそこにいた。

 

治郎と呼ばれた僧侶は、後方を振り向いた。

 

本堂の方から、老僧が歩み寄って来る。

禿頭に、見事な真っ白い髭を伸ばした老人である。

 

樹海(じゅかい)老師――」

 

治郎は、老僧――樹海に向き直ると、合掌をして、頭を下げた。

樹海は、

 

「見事じゃの」

 

と、小さく言った。

 

「は……」

「この花ぞ」

 

樹海が、空を見上げた。

治郎も、その視線を追う。

 

蒼い空が、眼いっぱいに広がっていた。

その蒼い風に、花が舞い上がってゆくのである。

 

「おぅ……」

 

治郎は、深く息を漏らした。

 

きらきらとした輝きが、その眼の中に見える。

陽光を照り返す、海のようである。

 

あらゆる生命の生まれた場所であり、あらゆる生命の死をも呑み込んでゆく大洋さながらのおおらかさ、その鷹揚さが、見たもの全てに感歎出来る純粋さとなっているのである。

 

「主もじゃ」

 

樹海が言った。

 

「私も?」

「応」

「――」

「あそこまで大気と一体化出来る者がいるなどと、思わなんだ」

 

梅の花を見ている治郎の姿が、不意に消失してしまった事だ。

確かにそこにいる筈の治郎は、しかし、空気に溶けてしまったのである。

 

「無念無想――」

「はい」

「儂がようやっと体得したものを、お主は、平然と越えてゆきよるわ」

 

からからと樹海が笑うと、その眼の前で、治郎が小さく俯いた。

照れているようであった。

 

樹海は、そんな治郎を眺め、又、空に眼をやった。

 

「桜か……」

「桜で御座います」

「思い出すの」

 

しみじみと、樹海が言う。

 

「弘前の桜じゃ……」

「老師の、故郷で御座いますね」

「おぅ、治郎、お前にも、話した事があったの」

「はい」

 

そう頷いた後、ふと思い出したように、治郎は、少し不満げな顔をした。

 

「それよりも、老師」

「む――」

「いつまで、私をそのように呼ぶのですが。そもそも、私に――」

 

治郎は、言葉を一旦そこで止めてから、言った。

 

玄海(げんかい)と名付けて下さったのは、老師ではありませんか」




俗名は作中には登場しなかったレギュラー予定だったキャラより拝借しました。

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