月が出ていた。
星が出ている。
藍色の空を、冷たい風が駆けていた。
蟋蟀の声がする。
りん、
りん、
と、決して長くはない命を削り、番を探していた。
廃寺の境内である。
二人の男が倒れていた。
ぼろぼろになったシャツを着た城茂と、見事な上半身を晒している沼田五郎だ。
顔は、蒼かったり、赤かったりしている。
拳が擦り切れていた。
指が、青紫色に変色しているものもある。
参道の石畳に、血が散っていた。
「だからよぅ」
茂が、うわ言のように言った。
うつ伏せに倒れている。
肩で、石畳の上を這っていた。
尻が持ち上がり、膝を伸ばす事で、前に進んでいる。
眼が、瞼の中に隠れたり、出たり、している。
唇の間から、空気が漏れ出た。幾らか、歯が折れているのだ。
「俺の方が、強いって」
茂は、そう言いながら、頭の先にいる男に向かっていた。
「だったら」
沼田が、茂と同じようにして、這っていた。
ずり、ずり、と、膨らんだ大胸筋が、擦られる。
最早、石畳で擦られていても気付かない位、痣だらけである。
「俺は、もっと、強ぇ」
這いながら、二人は、顔を突き付けていた。
茂は、沼田の、野性味溢れる顔を眺めていた。
沼田は、茂の、スタイリッシュな表情を見る。
「へ」
「ふふん」
どちらともなく、小さく笑った。
潰れた鼻を突き合わせるような距離であった。
二人は、寝返りを打って、仰向けになった。
夜空が、二人の視界いっぱいに広がっていた。
ざぁ、
と、梢が鳴っている。
その中に、虫の声が響いていた。
遠くから、車の走る音が聞こえる。
飛行機が、何処かで飛んでいるのかもしれない。
電車も走っているだろう。
人気のない、寂れた場所だからこそ、華やかな営みが際立った。
風と、樹と、虫の声を、引き立てる為の音であった。
「茂よぅ」
沼田が言った。
「何だい」
「お前さん、何で、ちんぴらなんかやってるんだい」
「――」
茂は、深く息を吸ってから、答えた。
「あんたが、言ってたのと同じさ」
「同じ?」
「周りの大人たちを、見返してやりたくてね――」
「――」
茂は、自らの境遇を語った。
親の顔は知らない。
兄弟もいない。
その所為で、莫迦にされる事が多かった。
そんな奴らを見返す為には、二つの方法があると思った。
茂を、先ず莫迦にするのは、同年代の子供たちであった。
同年代の子供たちを見返す方法は、簡単だった。
喧嘩が強ければ良かった。
別に、喧嘩ではなくとも、駆けっこや、球技でも良かった。
しかし、喧嘩が一番手っ取り早かった。
だから、喧嘩で一番強くなって、莫迦にして来る奴らをぶん殴ってやる――
それが、一つ。
もう一種類、見返してやる必要があったのは、大人たちだ。
こいつらは、喧嘩で見返してやる事は出来ない。
勝負して、勝つとか、敗けるとかではない。
喧嘩を、そもそも受けないという選択肢がある。
それは、大人たちの土台ではなかったからだ。
では、土俵の外から莫迦にして来る奴らを見返すには、どうすれば良いのか。
奴らの土俵に上ってやれば良かった。
それが、勉強だと思った。
大人なんかよりも、ずぅっと、頭を良くしてやろう。
あいつが勉強出来ないのは、親がいないからだ。
そんな事は言わせなかった。
親がいないから、何だ。
父親がいなくたって、母親がいなくたって、俺はお前たちよりも頭が良いぞ。
自分の境遇を見下したりする者全てを、逆に嘲笑ってやる為だった。
その為に、茂は、一番でなければならなかった。
国語。
数学。
科学。
社会科。
音楽。
駆けっこ。
球技。
器械体操。
武道。
喧嘩。
どれだって一番になろうとした。
どれだって一番でなければならなかった。
「だがよ」
茂は、自嘲気味に笑った。
「幾ら喧嘩が強かろうと、勉強が出来ようと、巧くいかない事はあるもんだ」
「だから、ぐれちまったのかい」
「そんな所さ」
「へぇ……」
沼田が、少し、声を上げて笑った。
「どうしたい?」
「なぁ、茂よぅ」
「何だ?」
「俺と、一緒に、やらないか?」
「やる⁉」
茂が、声を高くした。
「お前さんが、やりたい事さ……」
「俺の⁉」
「ああ」
「何だ、それは」
「見返してやるのさ――」
「何⁉」
「お前さんが、今まで造り上げて来たものを、充分活かせる場でさ――」
「――」
「俺は、今、アメフトのキャプテンをやっている」
「アメフト?」
「勉強ではよぅ、中々、一番にはなれねぇよな」
「――」
「喧嘩で一番になったって、そんな勲章は、紙切れの価値もねぇよなぁ」
「――」
「だがよ、スポーツなら違うぜ」
「スポーツ?」
「スポーツなら、一番になれる。一番になればヒーローだ」
「――」
「なぁ、茂。茂よぅ」
「――」
「やろうぜ、俺と」
「スポーツか」
「ああ」
「アメフトか」
「おう」
「――それで、一番になるのか」
「そうさ」
「そうか……」
「どうだ⁉」
「――」
茂は、考えるように、眼を閉じた。
眼を開けた。
鋭い眼に、月が映っていた。
「なりてぇなぁ」
「――」
「一番によぅ、誰にも見下されないようになぁ」
「やるか?」
「――」
「やるか、茂?」
「おう……」
茂は、獣が呻きを漏らすように、沼田の問いに頷いていた。
「なろうぜ、一番に……」
「より、強く、だ――」
城茂と、沼田五郎の、出会いであった。
ストロンガーの、鋼鉄の腕部レガートが、空気を裂いた。
電流を纏ったパンチが、ハチ女の身体に打ち込まれようとする。
ハチ女は、階段の手摺りを蹴って後退し、又、パンチの風圧を利用して天井まで舞い上がった。
仮面ライダー第七号・ストロンガーが、パンチの勢いのまま、階段の上の方へと着地する。
三〇〇キロ超の重量に敗け、床が大きくへこんだ。
額に、カブト虫の角が、雄々しくそそり立っている。
緑色の大きな複眼が、天井に張り付いたハチ女の姿を捉えていた。
アメリカン・フット・ボールのプロテクターのような、巨大な外骨格である。
胸の部分には、大きく、Sの文字を象ったパーツが埋め込まれていた。
ベルトの左右に、それぞれプラスとマイナスの電気を発生させる装置があり、それらがぶつかり合うバックルの中心に、バッテリーが積み込まれている。
腕と脚のレガートには、赤いラインが走っている。電流の通り道だ。
強化改造人間突撃型――
通常の強化改造人間のように、肉体に機械を埋め込み、強化服を装着する。
その上に、更にもう一つ、三〇〇キロを超える“超強化服”を着込むのである。
腹部のエレクトラーで発生させた電力を、超強化服・カブテクターの中心であるSポイントで増幅し、全身に行き渡らせ、超重量の強化服を自在に操作する。その際の余剰電力を、攻撃として転用する事が出来た。
その為に、別名、改造電気人間とも呼ばれる。
このカブテクターそのものであり、超強化服を運搬する役目を持つのが、先程、飛来した巨大な機械のカブト虫、ストロング・ゼクターである。
ストロング・ゼクターの内部に強化服が備え付けられており、頭部はヘルメットに、胸部はカブテクターに、翅の部分は両肩をカバーし、六本の触脚の内、前と後ろの四本は四肢を覆うレガートとなり、真ん中の脚はカブテクターを強化服に固定するジョイントとなる。
ストロング・ゼクターには、小型の人工知能が搭載されており、城茂の脳波を感知して、彼の下に駆け付ける事が出来る。
それは、茂との距離がどれだけ離れていても、可能であった。
ストロング・ゼクターには、ジョウントという機能が設けられている。
或る地点から別の地点まで、瞬時に移動する現象である。
又、茂が強化改造人間突撃型として改造される以前――つまり、沼田五郎が改造された強化改造人間突撃型スパークの超強化服運搬システム、スパーク・ゼクターにも採用されていたが、仮に沼田五郎の改造が成功していたとしても、茂程のジョウントは期待出来なかったであろう。
何故ならば、茂は、改造される以前から、ちょっとした念動力を使う事が出来、それが、脳やその周辺の神経を改造された事で倍増された事が、影響している為である。
ジョウントは、精神力に依って引き起こされるとの説があり、茂の精神力が他の人間よりも優れている為に、空間の瞬間移動が可能となっているのだ。
ブラックサタンとの戦いの際、通常の手段では脱出出来ないような場所に監禁された城茂・ストロンガーが、それに安心した奇械人の前に突如として現れた事がある。
茂は、その理由を問う奇械人に対して、
“そんな事、俺が知るか”
と、投げやりに応えているが、これも、この危機をどうあっても脱出せねば、という茂の思念が引き起こした、ジョウント現象に因るものである。
七人の仮面ライダーの中で、最重量を誇り、最新のシステムを導入した第七号・ストロンガーは、天井に避難した改造魔虫ハチ女を見上げていた。
「随分と面白い事を言っていたようだが――」
ハチ女が、ライダーを全滅させると宣言した事である。
「それより先に、あんたの翅を引き千切ってやるぜ」
「そう巧くいくかしら」
ハチ女が笑った。
「だって、もう、二人のライダーは斃れているのよ」