仮面ライダー Chronicle×World   作:曉天

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たびたび場面が飛んでしまい、申し訳ありません。


第十六節 城茂

「おぅ、城ってのはお前さんかい」

 

秋口の、寺の境内である。

廃寺であった。

それなりの寺ではあるのだが、人も滅多に訪れない所に立っている。

廃棄されてから、随分と、立っているらしい。

 

本堂の正面の扉が、風化して、ぼろぼろになっている。

その奥に、金と黒の配色が五分五分になっている、阿弥陀如来の像が立っていた。

向かって右に立つ観音菩薩、左側の勢至菩薩は、腕がもげたりしている。

瓦も、殆ど落ちていた。

 

参道を挟むように、樹が並んでいる。

葉っぱは、見事なまでに赤く染まっていた。

 

涼しい風が吹いていた。

夕暮れの事である。

 

赤い空に、引き千切られた紅葉が舞い上がり、同じ色に溶けてゆく。

 

城茂は、ススキを口に咥えたまま、本堂の廊下から上体を起こした。

 

裾を詰めた学ランの下に、赤いシャツを着ており、胸の真ん中にはSの字が染め抜かれていた。

 

黒革のテカる学生帽を、頭の半分に引っ掛けるようにして、被っている。

鍔の下には、狼のような鋭い光を放つ眼があった。

 

本堂の中の仏像の、金箔の剥げていない部分を、真正面から夕陽が照らしている。

 

その沈まんとする太陽を遮るように立っている男が、茂の名を呼んだのだ。

 

背の高い男であった。

一八五から九〇位はあるのではないだろうか。

 

頸が太く、肩幅が広い。

裾が、脛まで届きそうな学ランを、素肌に直に羽織っている。

 

ゴムタイヤのように発達した大胸筋。

胴体には、サラシを巻いているが、ナイフ程度なら内臓まで届くまい。

 

学ランは特注である。にも拘らず、袖はぱんぱんに張り詰めていた。

ボンタンも、普通の学生が穿く学生ズボンと、何ら変わってないように見えた。

 

逆光で見え難いのだが、美男子とは言い難い顔である。

 

太い筆に、思い切り墨を浸けて引いたような、黒々とした眉。

鼻が潰れて、膨らんでいる。

耳が、餃子のようによじれ、カリフラワーのように膨らんでいた。

唇はぶ厚いが、かさついていた。

顎が、岩を削り出したように無骨である。

 

さらりとした黒髪と、鋭い眼光を持つ茂と並べてみれば、多くの異性は茂を選ぶ。

 

しかし、茂には存在する都会的なスマートさがないのに対して、その男には、茂にはない、人間の野生に訴えかけるようなものがあった。

 

その男が、夕暮れの廃寺で寝転がっていた茂に対して、呼び掛けたのだ。

 

「ええ、そうですよ」

 

茂は、慇懃な口調で言った。

しかし、インテリぶっていても、何処となく、人を莫迦にした色がある。

 

「姓は城、名は茂。尤も、何処のどなたさまが付けてくれたのかは知りませんがねぇ」

 

ふふん、

 

と、卑屈な笑いを浮かべて、茂は言った。

 

「で、おたくはどちらさんで?」

「沼田という者だ」

 

男は言った。

 

「沼田?」

「お前さんに、仲間を一人、ぶちのめされている」

「仲間⁉」

「最近、城北高校の学生と喧嘩をしただろう」

「――」

 

沼田と名乗った男に言われて、茂は思い出した。

 

茂は、城南高校で、不良グループのリーダーみたいなものをやっている。

正確には、リーダーよりも、用心棒の方が、それに近いかもしれない。

 

どこぞの高校と喧嘩をする事になった。助っ人をしてくれ――

 

そう言われれば、喜び勇んで喧嘩に加わってゆく。

 

そうした立ち位置であったのだが、いつの間にか、茂がリーダーのように慕われるようになっていったのである。

 

その件の一つが、沼田の言った事なのであろう。

 

「ふぅん」

 

と、茂が言った。

 

「で、おたくは、俺に何の用だい」

「分からないか?」

「おいおいおい」

 

茂は、薄ら笑いを浮かべて、言った。

 

「今日日、意趣返しなんて流行りませんぜ。良く言うじゃあありませんか、“復讐は何も生まない”なぁんて事をさ」

「――それもあるがな」

 

沼田が、静かに言った。

 

「ほぅ?」

「お前さんの話を聴いて、興味が沸いた」

「俺に?」

「ああ」

「へぇ。そいつぁ、どのような?」

「只の暴れん坊なら、もう、とっくに喧嘩を売っている所だぜ」

「俺が、只の暴れん坊じゃないって事かい」

「ああ。城南高校で、五本の指に入る秀才と聞いている」

「――」

「普段は、授業になんか顔も出さんくせに、毎日毎日、小学校からの日課で、遊びに出る前にお家に籠って勉強するような坊ちゃんなんかより、ずぅっと頭が良いってな」

「照れますねぇ」

「その上、腕っぷしまで強いっていうじゃねぇか」

 

沼田が、厚めの唇を、つぃと持ち上げた。

綺麗に並んだ白い歯が剥き出される。

 

「そんな、ツッパリとしちゃ半端な奴が、どんな面かと思ってね」

「――何?」

 

茂の眼が、更に、細められた。

 

「何と言った、貴様」

 

茂の口調が変わっている。

 

「半端だと⁉」

 

茂が吠えた。

 

「半端も半端さ。良いかい――」

 

沼田が、このように言う。

 

「俺たちはよ、勉強なんか、さらさら出来やしねぇんだ。親の言う事だって、一度も聞いた事がねぇ。だから、こいつで、どうにかしようとしてんのさ」

 

沼田は、拳を突き出した。

元より大きな手なのであろう。その太い指の付け根が、平らになっている。

拳胼胝――空手家のような、素手でものを叩く人間の手に顕著なものである。

 

喧嘩に慣れている男であった。

 

「勉強出来ない奴なんかな、今の大人たちは必要としてねぇんだよ。だからな、折角だ、世界で一番強くなって、そういう連中を、見返してやりたいのさ」

「――」

「だのに、お前さんと来たら、どうだ。勉強も出来る。その上、ツラも良い。だのに、こっちの世界に入って来ようとしやがって」

「――」

「いつでも向こうに帰る場所があるお前さんなんか、半端ものって事さ」

「――」

「半端もののくせして、一丁前に他人さまをぶん殴ってんじゃねぇよ、ええ?」

「――」

「そういう事を言いに来たのさ」

 

沼田が、鼻を鳴らして、言い終えた。

 

茂は立ち上がると、本堂の屋根の下から、参道に足を下ろした。

咥えていたススキを、ぺっ、と、吐き捨て、学生帽を放り投げる。

 

「上等じゃねぇかよぅ」

 

茂が、拳を掌で包んで、指の骨をばきばきと鳴らした。

 

「あんた、人の事を、半端半端と言う割にゃ、随分と頭が回るんだな」

「む⁉」

 

茂が、にぃ、と、牙を剥いた。

 

「要するに、この俺さまに嫉妬してるんだろう。おたくよりもずぅっと頭が冴えてる上に、喧嘩にも強い、この俺さまによぅ」

「何だと⁉」

「だから、ぐだぐだと御託並べて、俺に、やめて欲しいんだろう」

「むぅ」

「俺とタイマン張っちまったら、余計に不細工な面になっちまうなァ」

 

そう言いながら、茂は、沼田に向かって歩み寄った。

茂の歩みには、既に、充分な闘志が溜まっている。

間合いに踏み込んだ瞬間に、蹴りなり、パンチなりを打ち込める。

 

そのような気配が、茂には纏わり付いていた。

 

「へ――」

 

沼田は、前方から叩き付けられる、茂の気配を浴びながら、笑った。

猛獣が、獲物を前にした笑みである。

 

「話が早いじゃねぇの」

 

沼田も、近付いて来る茂に対して、真っ直ぐに歩を進め始めた。

 

参道の真ん中で、二人は向かい合った。

 

茂は、身長一七四センチ、体重六八キロ。

沼田は、身長一八五センチ、体重九九キロ。

 

「城茂だ」

「沼田五郎だ」

 

言うなり、二人の拳が、互いの顔に向かって打ち出された。

 

茂の右のパンチが、五郎の左の頬に駆け上がった。

沼田の右の拳は、茂の左の頬に打ち下ろされてゆく。

 

肉が肉を打ち、骨が骨を打つ、鈍い音がした。

 

パンチの威力で言えば、体重のある沼田の方が、ある。

しかし、茂は沼田のパンチを受けても、その場から引くような事はしなかった。

又、沼田の方も、茂の一撃でぐらついていた。

 

「けぇっ」

 

茂が、すぐさま体勢を立て直して、左の拳を打ち付けて来た。

沼田の、サラシを巻き付けた腹に、である。

腹筋を固めて、沼田が堪える。

それでも、内臓に響くような一発であった。

 

次の瞬間、茂の右のアッパー・カットが、沼田の顎に打ち上げられた。

歯と歯がぶつかり、火花が散るような音が走る。

 

「だ――!」

 

茂は、仰け反る形になった沼田の腹に蹴りを叩き込んだ。

じり、と、沼田の足が僅かに下がる。

 

「しゃっ!」

 

茂が、場を掴んでいた。

 

打つ。

打つ。

打つ。

 

茂は、滅茶苦茶に、沼田の身体を叩き捲った。

 

顔?

叩く。

 

腹?

殴る。

 

腕?

打つ。

 

脚?

胴体?

頭?

背中?

脛?

手?

足?

頸?

 

打つ。

打つ。打つ。

打つ。打つ。打つ。

打つ。打つ。打つ。打つ。

 

沼田五郎と名乗った男の、眼に見える部分を、全力で殴った。

 

素早い連打であった。

 

狙いは、粗い。

しかし、威力だけは、何発打ち込んでも、衰えなかった。

 

打撃系格闘技の定石――

 

それは、急所を狙う事だ。

 

武道・格闘技とは、極端な事を言うのなら、人を殺す為の技だ。

素手で人間を殺す手段が、武道・格闘技なのである。

 

しかし、打撃で人間一人の命を奪う事は、余程の体重差がなければ難しい。

だから、急所を狙うという発想になる。

 

頭部には、

 

 天倒

 鳥忠

 人中

 こめかみ

 

などがある。

 

胴体には、

 

 村雨

 秘中

 檀中

 水月

 電光

 釣鐘

 

などがある。

 

それらの部位に打撃を加える事で、頭蓋骨の縫合を外すだとか、内臓に直接ダメージを与えるだとか、そういう事が可能となる。

 

茂は、それをしない。

 

唯、殴る。

唯、叩く。

唯、打つ。

 

当たる場所が何処かなど、考えてはいなかった。

当てた箇所がどうなるかなど、考慮しなかった。

 

人体というものは、思っているよりも、ずっと丈夫だ。

 

その丈夫なものを、拳で叩くというのが、どういう事か。

樹の幹に、木刀を叩き付けるようなものだ。

 

その幹が、細く、脆いものであれば、打ち砕く事も出来るだろう。

しかし、その幹が、かなりの頑丈さを持っているのなら、木刀の方も只では済まない。

 

特に、茂が主に狙っているとも言える顔面は、皮膚のすぐ下に骨がある。

下手な殴り方をすれば、頭蓋骨を殴った方が、逆に拳を壊してしまう。

手の甲の骨や、指の付け根が、イカれてしまうのだ。

 

そのような事を、鑑みないやり方であった。

 

滅茶苦茶に叩く。

思いっ切り叩く。

 

茂は、沼田の身体に散々、拳を叩き付けて行った。

 

――どうだ⁉

 

汗を流しながら沼田を殴る茂の表情に、そんな感情が見えて来る。

 

腹の底に溜まった何ものかを、一斉に吐き出すような顔である。

 

黒々とした、鬱憤や不満を、拳に乗せて全て吐き出そうとしているようにも見える。

 

獣の咆哮のようなものだ。

暗雲を裂く稲妻のようなものだ。

空気をつんざく雷鳴のようなものだ。

 

一発のパンチと共に、城茂が叩き付けられて来る。

一発の拳と共に、城茂の存在が打ち込まれて来る。

 

執念――

怨念――

憤怒――

 

鈍器のように重く、刃のように鋭い感情であった。

 

その中に、僅かな哀切が込められている。

 

胸の中に抱いたもどかしい思い。

巧く言葉に出来ない何か。

それでも燻ぶっているもの。

 

人が人である限りは抱かずにはいられない――城茂が城茂たるべく為には保持せずにはいられず、同時に、城茂が城茂である為には切り捨てなければならないもの。

 

自らを維持するものであり、自らを破壊するもの。

 

大いなる矛盾。

 

その矛盾を持ち続けなければならないという不条理。

その不条理を抜け出したくても抜け出せぬという現実。

 

それらへの嘆き。

それらへの悦び。

 

城茂の叫びである。

人間・城茂が持つ慟哭である。

 

これらのものを、拳を繰り出すという行為の動力へと、変換していた。

 

だからこそ――

 

圧倒的な暴力の中に、一筋の哀しみがある。

莫大な哀しみの中に、仄かな暴力があった。

 

その、城茂を受け止めながら、沼田が動いた。

 

茂のパンチを受けるのみであった沼田が、一歩、前に出ようとした。

 

茂は止まらない。

しかし、茂の頭の中で、眼の前にあった沼田のイメージが、一変した。

 

今までは、眼に見えるままの沼田であった。

 

だが、足を僅かに前に出した刹那、茂が叩いていたものが、生ゴムを被せた巨岩へと変貌を遂げていた。

 

ぬぅ⁉

 

茂はパンチを止めなかった。

 

沼田が、拳を大きく引いた。

 

茂の身体に、どん、と、気配が浴びせ掛けられた。

まるで、眼の前でヒグマが立ち上がったような、肉の圧力。

 

茂の拳が叩く沼田の身体が、鉄のように硬くなった。

矢を射るように引いた右腕に、血管が浮かんでいる。

今にも切れそうな管は、込められた力の量を表していた。

 

――やば……

 

茂がそう思った時には、巨岩の矢が放たれていた。

 

一八五センチの高度から、九九キログラムの重量が、茂の顔面に向かって落下して来た。

 

鉄の砲弾が、水牛の突撃のような猛威を以て、襲い掛かって来た。

バーバリー・シープが、高所から頭突きを繰り出すように。

 

茂の鼻頭に、巨岩が触れた。

みり、と、鼻の皮膚が内側にめり込んでゆく。

骨が嫌な音を立てた。

血管が、一本一本、毟り取られてゆく。

 

その後に、衝撃が襲って来た。

 

茂は、自分の頭が、頸から吹っ飛んだような錯覚に陥った。

 

暗転した視界。

自分が、鳥か何かになったかのように感じた。

 

ぶっ飛ばされていた。

 

反り返った後頭部が、参道に触れ、すぐに離れた。

茂は、石畳の上で跳ね、賽銭箱に背中からぶつかっていた。

 

腐っていた賽銭箱が崩れ、茂は、本堂の階段の所で、何とか止まった。

 

「ふん」

 

と、沼田は、茂に折り曲げられた鼻頭を、指で元の向きに戻した。

 

片方の鼻の孔を押さえ、息を吐くと、空いた孔の方からゼリー状の赤いものがまろび出た。

 

鼻の粘膜が剥離されたのである。

 

張りのある肌の表面に、幾らか打撃の痕があるだけで、沼田は、ぴんぴんしていた。

 

「やっぱり、大した事ないなぁ」

 

沼田が言った。

 

「こんなんじゃ、俺の方が、よっぽど強ぇや」

「――っだらぁぁっ!」

 

茂が、叫びながら、賽銭箱から立ち上がって来た。

すぐさま、沼田に駆け出してゆく。

鼻血を吹いたままだ。

 

「――しゃあ、来い!」

 

沼田も、大きく、構え直した。


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