「先程、そちらのお嬢さんが説明して下さったように、この絵には、確かに二面性を感じさせられます」
金色と黒から成る人物。
人間が、金に価値を見出すのは、太陽信仰に端を発するという説がある。
太陽の消える事のない輝きを、金に求めたのである。
対して、人間は闇を恐れる。
闇という言葉から、マイナスなイメージを感じ取ってしまう。
それは、黒という色で表される。
プラスのイメージでの信仰の対象である金。
マイナスのイメージで語られる事が多い黒。
金を“正義”、黒を“悪”とするのは、些か短絡的かもしれないが、そのようなイメージで描かれているらしいのだ。
「善と悪――という事ですか?」
敬介が訊いた。
「それが、先ず、第一の二面性です」
「第一の?」
「次に、この獣です」
「――」
「この獣は、天空と大地を表していると言われています」
これは、分かり易い。
空を飛ぶ猛禽が、天空。
地を這う蜥蜴が、大地。
善悪に続いて、天地の二面性を表している。
「あ――」
と、声を上げたのは相澤である。
「どうしたの?」
「ケツァルコアトル――」
相澤が言った。
「ケツァルコアトル?」
さくらが訊き返す。
「翼ある蛇――」
そう呟いたのは、敬介だ。
「恐らくは」
館長が、相澤が考えたであろう事を肯定した。
「確か、マヤ文明の神さまだったっけ」
茂が言う。
「そうであるとも言えるし、そうでないとも言えます」
相澤が答えた。
「どういう事だい?」
「ケツァルコアトルというのは、テオティワカンで信仰されていた神の名前で、農耕や、文化の神さまでした」
テオティワカンとは、紀元前二世紀から六世紀まで繁栄した、当時のメソアメリカの中心的な都市の事である。
「また、トルテカの王族の氏名でもありました」
トルテカとは、メキシコ中央高原を、七世紀から一一、或いは一二世紀に掛けて支配していたとされている文明の名である。
「何れにしても、それは、“翼ある蛇”と訳される事が多いです」
ケツァルは翼を意味し、コアトルは蛇を意味する。
だから、“翼ある蛇”だ。
「マヤ文明は、メキシコの南東部――グアテマラとか、ベリーズとかの地域に栄えていた文明の事です」
「とすると、中央高原にあったテオティワカンやトルテカの神さまであるケツァルコアトルは、マヤの神さまって訳じゃないって事になるんじゃないか?」
「いえ、それが、ケツァルコアトルと同じ意味の名前を持つ神が、マヤ文明にはいるんです」
「同じ意味? “翼ある蛇”――?」
「はい」
「ククルカンだったね」
敬介が言うと、それに、相澤が頷いた。
「ククルカン?」
茂が訊いた。
「ケツァルコアトルは、ナワトル語です」
ナワトル語とは、ユト・アステカ語族に属する言語である。北米やメキシコの先住民たちが用いていた。又、アステカ帝国の公用語であった、古典ナワトル語を指す事もある。
ケツァルコアトルは、ナワトル語での“翼ある蛇”である。
ククルカンは、マヤ語である。
ククルは、羽毛の生えた、という事を意味する。
カンは、蛇の事である。
羽毛の生えた蛇――“翼ある蛇”だ。
名前だけではなく、文化・農耕を司る神であるという事なども、共通であった。
「何故、トルテカとマヤに、同じような神が存在するんだ?」
「ケツァルコアトルについて、こんな伝承があります」
相澤は、次のような事を語った。
「トルテカでの物語ですが――」
トルテカに、ケツァルコアトルという王がいた。
彼は、当時存在した人身御供の風習に異を唱え、国民が平和に暮らせる時代を築いた。
それを良く思わない呪術師がいた。その名は、テスカトリポカ。
テスカトリポカは、ケツァルコアトル王に酒を勧め、王を泥酔させる。
正気を失った王は、実の妹と肉体関係を結んでしまった。
その際に、
“一の葦の年に、私は必ず戻って来る”
と、宣言し、幾ばくかの臣下と共に東の海へと消えた。
「この伝承を基に、ジャガーの神・テスカトリポカが、主神であったケツァルコアトル神を追放したという伝説が創られました。テスカトリポカを信仰するアステカ族が、ケツァルコアトルを信仰していたトルテカ族を征服したという史実の抽象化とされています」
尚、テスカトリポカは、アステカの神話では、ケツァルコアトル神の兄弟神とされている。
ケツァルコアトル神が、文化神であったのに対し、テスカトリポカ神は闘争の神であった。
「東の海へ――」
茂が、唸りながら、小声を絞り出した。
「マヤの地へと至ったのではないか、と、いう事かい」
「はい」
「だから、マヤ文明にも、“翼ある蛇”の神がいるという事か」
「はい!」
相澤は、興奮した様子で首を縦に振った。
さくらは、先程の吉塚もそうであるが、こうした特定のジャンルに造詣の深い後輩たちの面を見て、少々、驚いているかのようであった。
「成程なぁ」
敬介が、顎に手を添えて、呻くように言う。
「確かに、これは、“羽毛ある蛇”とも見える……」
「え? でも、これは、蜥蜴じゃありませんか?」
さくらが訊いた。
「うむ。しかし――『旧約聖書』は知っているかい?」
「え――は、はい」
「『旧約聖書』の冒頭――神が七日で世界を創造した後の事だ」
「――」
「神は、土からアダムを創り、アダムからイヴを創った」
「そうですね」
「そのイヴに――ひいては、現在の我々に、知恵を齎したものがいる」
「蛇ですよね、それは」
そう言った所で、さくらは、
「あッ!」
と、声を上げた。
ケツァルコアトル・ククルカンは、何れも蛇の神であり、同時に文化の神である。
又、『旧約聖書』で、蛇がイヴに食べさせたのは知恵の実――黄金の林檎であるが、それは、光であるとか、火であるとか言われている。
火とは、即ち、人類の成長の基盤であり、文化でもあった。
「そして、蛇とは言うが、『旧約聖書』にある“楽園追放”のきっかけとなった蛇は、今、俺たちがイメージする姿ではない」
「アダムとイヴを唆した罪で、四肢を落とされたんでしたよね」
「それが善か悪かは兎も角として、文化の担い手たる蛇には肢があった」
「蜥蜴⁉」
さくらは、胴体で地面を這う蛇に、前後の肢が付いた姿を想像してみた。
それに、更に翼を生やしたスタイルは、この絵に描かれているキマイラの姿に重なる。
「ケツァルコアトル――」
「ククルカン――」
その名で呼ばれる神獣は、どうやら、館長の言う通りに天空と大地の二面を表しているようであった。
それが第二の二面性であるとすると――
「次は、こちらです」
館長が示したのは、背景である。
向かって左半分が、金色の地に、黒い渦巻。
向かって右半分が、黒い地に、金の放射状の線。
「これは、何を?」
誰ともなく、聞いていた。
「先ずは、この左側ですが、これは、拡散・拡大――増殖を表しています」
「増殖?」
「はい。この中心の人物から、放射状に広がっているでしょう」
「うむ」
「これは、何らかの神であるこの人物から、全てのものが広がってゆくという解釈が出来ると思います」
「へぇ……」
「この右側は、逆に、収縮・収斂を表しています」
「収縮?」
「外側から、中心に向って、渦が小さくなっているでしょう?」
「原初に還る――と、いう解釈でしょうか」
敬介が言う。
暗闇に広がった金色の線が、光の中に黒々とした螺旋として収束してゆく。
光の放射が万物の創造を意味しているのならば、闇への収束は根本への回帰である。
「それだけではありません。良くご覧になって下さい」
「――む!」
「おう……」
敬介と茂が、同時に声を上げた。
「どうしました?」
さくらが訊く。
敬介と茂は、金の放射の光の中に打たれた点と、闇の渦同士の間を繋ぐ細かい線を発見していた。
金の放射の点を繋いでゆくと、自然と、中央に向かう螺旋が見えて来る。
闇の渦を取り払ってみれば、それは、外側へと広がる無数の線であった。
違う絵で、同じ事を表現しているのだ。
拡散の中には、収縮が込められている。
収斂の中には、拡大が込められていた。
第三・四の二面性であった。
「まるで、曼陀羅ですね」
吉塚が、恍惚とさえした口調で、呟いた。
「曼陀羅?」
「密教の曼陀羅です」
曼陀羅とは、仏典に説かれる仏の世界――浄土を、図で表したものである。
密教で言うと、特に、胎蔵界曼陀羅や、金剛界曼荼羅が有名である。
胎蔵界曼陀羅は、『大日経』の世界観を表したものだ。
これは、全ての根本存在である大日如来を中心に、無数の仏菩薩が放射状に広がってゆく曼陀羅である。
金剛界曼荼羅は、『金剛頂経』を基に描かれている。
九会曼陀羅とも呼ばれるこれは、仏教の最大の目的である悟りへの段階を、三×三の九つの区画で表している。その進み方というのは、右下のブロックから始まり、逆時計回りに、中心に至るのである。
その違いを簡単に言うのなら、
胎蔵界曼陀羅―精神の原理
金剛界曼荼羅―物質の原理
と、いう事になる。
これら二つの曼陀羅は、依っている経典も、示している事も異なっているのだが、メインとなっているのは、どちらも大日如来である。
そして、それは、高次の視点に立てば、同じ真理を述べている事になる。
日本に密教を持ち込んだ一人であり、日本仏教界の天才にも数えられる弘法大師空海や、唐に於けるその師匠・青龍寺恵果などは、この事を、
と、述べている。
「しかし、そうすると――」
敬介は、額に皺さえ寄せていた。
この絵に対する興味が、ちょっとした息抜き程度では済まなくなっている自分を、感じている。
「こいつぁ、ヒンドゥーが元なのか? それともメソアメリカの神話が? 或いは、仏教が? ともすると、キリスト教までも――? そういう事っすね」
「ああ……」
茂の分析に、敬介が頷く。
善と悪。
天空と大地。
拡散と収縮。
精神と物質。
「それらを、纏めているものがあります」
「え?」
「この中心の人物の、腕をご覧下さい」
言葉の通り、仏の腕を見た。
左右に、四本ずつである。
一番下の左手は、手の甲をこちらに向け、揃えた指先を身体の中心にやっている。
一番下の右腕には、無骨な矛を持っている。
下から二番目の左腕には、牙のような剣を持っている。
下から二番目の右腕には、獅子の描かれた法輪を持っている。
下から三番目の左腕には、二匹の蛇を掴んでいる。
下から三番目の右腕には、斧が握られている。
下から四番目の左腕には、金色の剣があった。
下から四番目の右腕には、数珠繋ぎの宝玉が垂れている。
そして――
「あれ?」
と、さくらが気付いた。
仏の頭の上に、背景を左右に分割するようなものが描かれている。
それは、最初は単なる分割線かと思ったのだが、そうではない。
先端が、太陽の輝きを表しているようにも見える為、分かり難いが、それは、描かれている仏が、頭上に伸ばしている腕である。
しかし、左右のどちらの腕かという事は、出来なかった。
位置的に言えば、その腕は、仏の背中から、上に向かって真っすぐ生えている。
一本の腕が、背骨に沿って突き出しているのだ。
その先端には、手が描かれている。
一つの手首から、二つの手が生えていて、蓮華を形作るように描かれていた。
両手で作られた蓮華の真ん中には、眼球らしきものが、一つ浮かんでいる。
その瞳は、黒と金の螺旋であった。
「これは、“さかしまの樹”です」
「セフィロト……」
敬介が言うと、館長は顎を引いた。
さかしまの樹とは、“世界樹”信仰の思想である。
普通の植物は、下から上に向かって伸びてゆくが、世界樹は、最高点に不変に固定されており、幹を下に伸ばしてゆく。
「そして、同時に、進化でもあります」
「進化?」
「この手を……」
館長が言ったのは、一番下の左手である。
「これは、“魚”を表す手話に似ています」
「次に、この左手を」
「次に、この右手を」
と、館長は指差してゆく。
無骨な矛には、亀甲模様が刻まれていた。
牙を思わせる剣であった。
獅子の法輪を見るに至って、
「ははぁん」
と、納得したように息を漏らしたのは、茂であった。
「何ですか、茂さん」
さくらが、唇を吊り上げた彼に、声を掛けた。
「これは、さっきも言っていた、ヴィシュヌ神のアヴァターラだな」
「はい」
館長が肯定した。
最初の手が作っていた“魚”。
矛の亀甲模様。
牙のような剣。
獅子の法輪。
それらは、ヴィシュヌ神の一〇のアヴァターラの姿に、関係を求める事が出来る。
「この、蛇は?」
さくらが、下から三番目の右腕が掴んでいる蛇を指差した。
「ヴァーマナです」
吉塚が答える。
「双頭の蛇ですからね……」
相澤が言った。
「蛇は、天地の象徴なんです」
「天地の? でも、さっきは……」
「マヤ文化では、蛇は、空と大地を同時に表しているんです。双頭の蛇は、天空と大地を繋ぐ役割がありますから……」
相澤は吉塚を見て、
「ヴァーマナって、確か、天地を跨いだんだよね」
「うん」
ヴァーマナは、ヒンドゥーの
その方法というのが、先ずは乞食の姿でバリに近付き、
“自分が、三歩歩いた分の土地を、私にくれ”
と、要求した所から始まる。
その条件を呑んだバリであったが、直前までは小人であったヴァーマナは、巨大化して、一歩目で大地を、二歩目で天を踏み、三歩目でバリを地底世界に押し付けた。
「その事を、双頭の蛇で表しているんだと思います」
又、マヤ語で“カン”とは蛇の事ではあるが、同時に、マヤ神話の中心たる世界樹の事を意味してもいる。
「それじゃ――」
さくらの言葉を遮ったのは、吉塚であった。
「あの眼が、九番目の“仏陀”を表しているんです」
仏陀とは、何も、仏教の開祖であるシッダールタだけを言うのではない。
サンスクリット語で、“目覚めた者”という意味だ。
目覚めるとは、真理に目覚めるという事であり、悟りを得たという事だ。
その証は、眉間に生じた白毫である。
智慧、般若を意味する、第三の眼であった。
「そして、一〇番目のアヴァターラ・カルキは、この人物そのもので表されているんです」
破壊者シヴァ。
維持者ヴィシュヌ。
その合一と見えるこの仏であるから、カルキであってもおかしくはない。
「で、進化とは?」
茂の質問。
「一〇のアヴァターラが、生物の進化を表しているという説があるのです」
「ほぅ⁉」
魚から始まり、両生類、哺乳類、そして霊長へと、ランク・アップしてゆく様子である。
「上昇であり、下降か」
さかしまの樹は、上部からのアプローチである。
アヴァターラは、底辺からのアプローチである。
敬介の呟きは、その理解に対するものであった。
堪らない絵であった。
二重構造のように見えて、実は全く同じ事を描いているのだ。
次回まで絵解きは続きます。