仮面ライダー Chronicle×World   作:曉天

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第十節 強者

デニムの青年は、ひょぃ、と、頸を傾けて、拳に顔の横を通り過ぎさせた。

 

ノブは、自分のパンチが避けられた事が信じられないような顔をしている。

しかし、そこで行動を止める事が、青年の間合いの中では危険であると感じ取って、素早く後退した。

 

「この……」

 

ノブは悔しげに唾を吐くと、ズボンから、棒状のものを取り出した。

円筒の金属が伸びてゆく。

特殊警棒であった。

 

打撃する為の部分が、夕陽を煌めかせていた。

それは、ノブが持っている、鈍い敵意の輝きであった。

 

「よせよ」

 

青年は言った。

 

「そんなものを出されると、困るぜ」

「へっ」

 

ノブが笑った。

 

「今更、びびっちまったのかい」

「ああ、おっかなくてしょうがないね」

「へ……」

「そんなものを出された日にゃ、俺だって手加減が出来ないぜ」

「何⁉」

「只のパンチや蹴りなら、どーにでもあしらえるがねぇ……」

 

青年は、ノブが持っている特殊警棒をすぅと指差した。

 

「お前さんが、それで殴って来るだけなら兎も角、投げられたりしちまったら、俺は、それだけに集中する事になる。つまりさ、怯んだ俺に殴り掛かって来るお前さんの顔を殴る時に、手加減を忘れちまうって事だよぅ」

「――」

「言ってる意味、分かるよな」

「くぬ」

 

ノブが唸った。

 

青年は、相変わらず、笑みを絶やさない。

 

暴力を向けられる事は怯えていない。若し、青年の顔に怯えが奔るとするのならば、それは、他者を必要以上に害してしまった場合だ。

 

つまり、それだけのクラスの暴力を、この青年は持っているのだ。

 

「分かったよ」

 

ノブが、静かに言った。

 

「やめだ、やめ」

 

ノブはムツたちを見渡して、

 

「行くぞ」

 

と、告げた。

 

ムツたちは頷いて、ぞろぞろと、校門の方へ向かってゆく。

その場にいた者たちは、一斉に、安堵の表情を浮かべた。

 

だが、さくらだけは、表情を緩める事がなかった。

 

「あッ」

 

と、声を上げ、

 

「危ない!」

 

と、叫べたのは、あっさりと引き下がろうとしたノブたちを信じていなかったからか。

 

呉割大学の五名の、最後の一人が、青年と擦れ違った直後、振り向いて、懐から取り出した木製の警棒で、青年の頭を叩こうとしたからである。

 

さくらの警告で、振り向く青年。

しかし、そのこめかみを削ぐように、警棒が振り下ろされた。

 

ごり、と、樹の幹に木刀を打ち込んだような音がした。

 

体勢を崩す青年の腹に、警棒を打ち込んで来た男が、蹴りを入れた。

 

その間に、他の学生たちが青年を囲み、蹴りを入れ捲って来た。

 

青年はその場に蹲るようにして倒れた。呉割大学の学生たちは、亀を虐める悪餓鬼たちよろしく、デニムの青年の後頭部や背中、尻を、これでもかと踏み続けた。

 

上着の背中に刺繍された薔薇の花が、やけに鮮やかであった。

 

一通り暴行を済ませると、ノブが特殊警棒を伸ばして、青年の頭に打ち下ろす。

 

 

ごぢっ!

 

 

とも、

 

 

めぎょっ!

 

 

とも聞こえる音だった。

 

ノブは、嗜虐の興奮で真っ赤になった顔を持ち上げ、亀の体勢に蹲った男の傍に唾を吐き掛けて、踵を返した。

 

「ゆくぞ」

 

と、今度こそ、出てゆこうとする。

 

その後ろ姿に、さくらが怒りを込めて躍り掛かろうとした。

 

しかし、それを止める者があった。

 

さくらの前に、横手から伸ばされたのは、蒼いデニムの袖と黒い手袋。

 

青年は、靴で蹴られた痕などを、服や顔に残していたが、平気そうな顔で立ち上がり、さくらを制止したのであった。

 

「え――」

 

さくらはぎょっとした。

 

人の身体の部分で、特に武器と成り得るのは、肘や、踵である。

 

一方、盾と成り得る部分は、背中であり、身体の前面と比べた時、その打たれ強さでは倍に上る。

 

背骨などは急所となる訳だが、素人の突き蹴りを受けるのならば、背中を丸めていた方が良い。

 

それは分かるが――

 

しかし、この青年は、蹴りを背中に打ち込まれただけではない。特殊警棒で後頭部を強かに殴られているのだ。

 

最悪、頭蓋骨が陥没して、死に至る。

そうでなくとも、鉢が割れる。

縫う程ではないにせよ、皮膚が裂ける。

それらがなくとも、脳震盪位は起こす筈だった。

 

だと言うのに、この青年は平然と立ち上がり、それ所か、さくらを制止してみせた。

 

ノブたちは、立ち上がって来た青年を見て、明らかに恐怖心を抱いている。

 

「まだやり足りないなら、相手になるぜぇ」

 

青年は言った。

眼がきゅぅと細まり、牙を剥くように微笑みを浮かべている。

 

「但し、次からは俺も手を出させて貰うよ」

「ぐ――」

 

ノブは、手に持った特殊警棒を構え直そうとして、その手の中の重心の違和感に気付いた。

見れば、特殊警棒は、中頃から直角に折り曲げられている。

 

青年の頭を叩いた時、こうなったと考えるのが妥当だ。

しかし、こんなになるまで叩いたのなら、青年の頭の方が拉げている筈だった。

 

「ひぃ」

 

ノブは、咽喉の奥から、引き攣ったような声を漏らした。

 

「ひぃぃあっ」

 

そう叫んで、そそくさと逃げ出してしまった。

他のメンバーも、それに続いて行った。

 

 

 

 

 

「ストロンガーの事だが」

 

赤い顔をして、ガイストが言った。

 

ブラックサタンやデルザー軍団についての話をしながらも、ガイストは酒を飲み、マヤはツマミを喰っていた。

 

酒に関して、ガイストは笊である。しかも、底の抜けた笊だ。

 

酔いはする。

酔いはするが、それで気分を悪くする事はないし、酒を飲むのもやめない。

 

そのガイストを、克己は、不思議そうな顔で眺めていた。

 

改造人間の、消化器官を含む内臓器は、殆どが機械に挿げ替えられている。

アルコールを、摂取した瞬間に分解してしまう事が出来る。

つまり、酔わない。

その筈なのに、ガイストが、ほろ酔いの状態になっている事を、だ。

 

「何故、ストロンガーなのだ?」

「あら、Xから乗り換えちゃった?」

 

マヤが、冗談っぽく言った。

彼女の顔も赤い。

 

メスティソであり、日本人よりも少し肌の色が濃いが、それでも、アルコールが回っているのが分かる位である。

 

「何?」

「ストロンガー、貴方はどうしてストロンガーなの? って?」

 

けらけらとマヤが笑う。

 

ガイストは、

 

「ふふん」

 

と、鼻を鳴らした。

 

「いやね、ストロンガーというのは、改造電気人間なのだろう?」

 

正確に言えば、今のストロンガーは、そうではない。

 

デルザー軍団との戦いで重傷を負った城茂は、ブラックサタンから脱走した正木博士に再改造手術を受け、超電子ダイナモを埋め込まれている。

 

そのダイナモを起動する事で、ストロンガーは、改造電気人間の一〇〇倍の力を持つ、超電子人間へと強化変身する事が出来る。

 

「奴のデザインは見たが」

 

ガイストはそう言って、自分の胸の辺りに、大きくSの字を指で書いてみせた。

 

「何故、電気人間なのに、“ストロンガー”なのだ?」

 

strongerは、“より強く”という意味だ。

 

確かに、今までの強化改造人間六名――ここでのカウント方法で言うのならアマゾンを除く五名だが――を、超える者としてのネーミングであろうか。

 

それにしても、電気と“より強く”という事が、ガイストには結び付かないようであった。

 

「最初はね、そういう名前じゃなかったの」

「へぇ?」

「スパークよ」

「スパーク?」

「本来ならば、城茂は、強化改造人間突撃型スパークのコード・ネームで呼ばれる事になっていたの。あの胸の字は、その名残よ」

「で、それがどうして、ストロンガーに?」

「城茂が言ったからよ。“縁起が悪い”って」

「縁起?」

「ええ。スパークというのは、城茂の前に改造され、手術が失敗して、破棄された改造人間の名前だからね」

「破棄?」

「さっきも言ったでしょう? 沼田五郎よ」

 

城茂の親友であった沼田五郎。

 

彼は、ブラックサタンの改造手術を受けたが、肉体が耐え切れずに死亡した。

 

茂は、その仇を討つ為の力を手に入れるべく、ブラックサタンに単身乗り込み、強化改造人間突撃型への手術を受けた。

 

その際に、

 

“自分の前に改造に失敗した者の名前など、縁起が悪い”

 

と、そう言って、名前を

 

 ストロンガー

 

へと、自ら改めたのである。

 

「それは、何故だ?」

 

ガイストが、更に訊く。

 

「さぁ?」

 

マヤは肩を竦めた。

しかし、

 

「でも、それが、人間の本能だからじゃないかしら」

 

と、言った。

 

「本能?」

「強くなろう、強くあろうとする事よ」

「――」

「生物というのは、遍く進化への欲求を胸に秘めているものよ」

「――」

「貴方がそうであるようにね」

 

マヤは、ガイストに向けて、言った。

 

「私が?」

「ええ、そして、貴方も」

 

今度は、克己に向かって、呟いた。

 

「貴方だってそうよ」

 

そして、隣で静かにワインを口に含んでいる黒井に、囁いた。

 

二人は、マヤとガイストの会話に、殆ど入って来なかった。

 

克己は、既に脳改造を受け、ショッカーと共に生きて来たのであるから、ブラックサタンやデルザー軍団についても、充分な知識がある。その為、会話に加わる必要がなかった。

 

しかし、黒井は――

 

「おいおい、黒井よ」

 

ガイストが声を掛けた。

 

「だんまり決め込んでないでさ、もっと、元気に飲もうぜ」

「――あ」

 

と、黒井は、戸惑ったように返事をした。

 

「済まない……」

「謝る事はないが」

「いや……折角、あんたが誘ってくれたのに」

 

このたびの会合は、ガイストが企画したものであるらしい。

 

それまでは、基地で会う事はあっても、マヤや克己と、こうして食事を摂る事はなかった。

 

いや――

 

「実は、余り、こういう事がなくて」

 

黒井が、彼にしては珍しく、ぼそぼそと呟いた。

 

「ん?」

「――」

 

黒井響一郎――

 

凄腕のレーサーである。

 

甘いマスクと、キザな台詞で、フォーミュラー・カー・レースの、女性のファン層をぶ厚くした貢献者である。

 

しかし、その美貌の内側には、どろどろとした情念が渦巻いていた。

 

戦争で日本が敗け、幼い少年であった黒井の価値観は一変した。

敗者である事を受け入れ、勝者たちに媚び諂う同胞たちの態度を、醜悪と断じた。

それ以来、黒井は、勝者である事に異常なまでの執着を見せるようになった。

 

勝てば正義。

敗ければ悪。

 

歴史が証明するその事のみを真実として、正義たること、勝者たる事だけを目指して来た。

 

表面上の人当たりは良いのだが、誰よりも速くなり、勝利する事にしか興味がなかった黒井は、家族以外の者と食事の席を共にした経験というのが、なかったのである。

 

だから、こうした場面で、口数が少なくなってしまう。

 

「その、それで……」

 

黒井は、何やら照れたような感じで、蚊の鳴くような声で、言った。

 

「仲間ってのも、良いものだな」

「――」

 

しかし、どれだけ小さな声であろうと、改造人間の耳には届いてしまう。

 

ガイストが、アルコール以外のもので顔を赤くする黒井を見て、にやにやと笑みを浮かべていた。それを見て、黒井はふぃと顔を反らして、ワインを一気に咽喉に流し込んだ。

 

マヤは、黒井を流し見てから、克己に視線をくれた。

克己は、どのような表情も浮かべていなかった。

 

マヤの冷ややかな笑みは、道化たる黒井ではなく、克己の方に向けられていた。

 

 

 

 

 

「平気かい、君」

 

と、青年は、城谷の傍に膝を着いた。

 

同じようにリンチされた筈だったが、城谷はまだ立ち上がれず、青年は笑みさえ浮かべている。

 

城谷は苦しそうに呻いて起き上がった。

その城谷に、千恵子が抱き付いてゆく。

城谷の胸の中で、千恵子が、おいおいと泣いていた。

 

青年はそれを見届けて、その場から立ち去ろうとした。

 

背中の薔薇に、声が掛けられた。

 

さくらであった。

 

「あの、貴方は?」

「通りすがりのお節介さ」

 

青年は言った。

 

「久し振りに学び舎を見たくなってね、戻って来たらこれだ。思わず、手が出そうになっちまったぜ」

 

青年は、照れ臭そうに笑っていた。

 

この場で起こった事の話だけを聞けば、青年の言葉は、“手が出そうになった”が、“出す事が出来なかった”負け惜しみのようにも聞こえるであろう。

 

しかし、特殊警棒を頭に受けても、平気な顔で立ち上がった青年の姿を見ていれば、手を出してしまえば、あんな不良連中を伸ばしてしまう事は簡単な事だったのだ、と、思う事が出来る。

 

「それじゃあな」

 

青年は、さくらに背中を向けたまま手を振り、去ってゆく。

 

「私、さくら。前田さくらっていいます」

 

薔薇に向かって、言った。

青年が応えた。

 

「城茂だ」

 

去りゆく背中の薔薇には、切ない口笛の音色が漂っていた。


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