仮面ライダー Chronicle×World   作:曉天

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ライダー要素は薄目?


第七節 鬱憤

その日の前田さくらは、朝から機嫌が悪かった。

 

一限目の講義では、後ろの方の席にどっかりと陣取り、九〇分の間、ずっとむっつりとした顔をしていた。これは、他の時間でも同じ事であった。

 

昼になって、空手部の後輩や、同じ学部の女子学生と一緒に、学食で食事をしている時も、自棄になったかのように大量のメニューを注文し、鬼のような勢いで喰らっていた。

 

元より、同じ年頃の女性と比べると、大食いの傾向はあった。しかし、今日この日に限って言うならば、普段の倍近くは、腹の中に溜め込んでいたのではないだろうか。

 

風道館へゆくと、益々以て、さくらの機嫌が悪い事が明確になって来た。

 

風道館空手部の稽古は、準備体操、基本稽古、移動稽古、ミット打ち、と、来てから、自由組み手を行なう。組み手の稽古に割く時間が、一番長かった。

 

その組み手で、さくらは暴れ捲ったのである。

 

自分よりも背も高く、ウェイトもある男子学生にばかり挑んでは、ノックアウトの山を築き上げていた。

 

「勘弁して下さい!」

「許してくれぇ」

 

と、情けない悲鳴を上げる者が多かった。

 

最後には、誰もさくらと組みたがらなくなり、さくらは、道場の隅でサンドバッグに向かい合っていた。

 

その、サンドバッグに拳や蹴りを叩き付けてゆくにも、鬼気迫るものがあった。

 

豊かに膨らんだ胸中の鬱憤を、突きや蹴りに乗せて、吐き出してゆくかのようであった。

 

しかも、明らかに激情に任せた打撃の流れであると言うのに、その一撃には、恐ろしいまでに隙が生じていないのである。

 

サンドバッグを相手に、只殴り、只蹴るばかりではない。実際の試合を想像して、打撃を喰らうままに揺れるだけのサンドバッグの中に、対戦相手の姿を見ていた。

 

だから、自然とダッキングやウィービング、スウェー・バックなどといった回避行動のシャドーが見て取れるが、その架空の回避の後には、雨あられと拳やキックを打ち付けてゆく。

 

サンドバッグの表面が破れるのが先か、吊るしている鎖が千切れるのが先か、男子学生たちは面白がって、練習後の食事や飲み物を賭けたりしている。

 

女子学生は、組み手の手をやめて、炎のように燃え盛る心を持ちながらも、氷のように凍て付いた技を繰り出すさくらに、ぽぅっと見惚れてしまっているようであった。

 

さくらは、サンドバッグを拳が叩くたびに、汗と共に沸き上がって来る、苛立ちの念を感じていた。

 

昨晩、風見と結城と交わした会話が、精神をささくれさせていた。

 

“無理だよ”

“警察では、相手にもしてくれないだろう”

“君も、今日の事は忘れた方が良い”

“踏み込んではならない場所だよ”

“仇か――”

“それならば、俺が、やる”

“こいつらの相手は、俺たちの仕事でね”

“君のような子を、巻き込む訳にはいかない”

“君が来るような場所ではないという事だ”

“境界さ”

“人には人のテリトリーがある。そこを、踏み荒らさない事だ”

 

訳知り顔で、淡々と述べる二人の事が、気に喰わなかった。

 

自分のやろうとしていた事を、邪魔されたようにしか思えなかった。

 

星河深雪の仇を討とうとした自分を、真っ向から否定されたようであった。

 

その苛立ちが、さくらの中で、燃え上がっていた。

その苛立ちが、さくらの躯体を、激しく突き動かしていた。

 

サポーターの内側で、拳が悲鳴を上げている。素手であれば、とっくに皮膚が擦り切れていた。それは、脚も同じ事である。

 

全身を、休ませる事なく、駆動させていた。

 

地面を蹴る反動を、関節のひねりで全身に伝え、拳に到達させる。

螺旋の軌道を描くエネルギーが、手の先から、サンドバッグに叩き込まれる。

 

その打ち込んだ拳を引き戻し、その勢いで反対側の足を跳ね上げる。

さくらの頭を超える位置にまで、さくらの左脚が伸びてゆく。

ばぢ、と、サンドバッグの黒い表面を、さくらの背足が叩いた。

 

その反動が、脚に伝わり、蹴り足で後方に踏み込みつつ、軸足で蹴りにゆく。

 

既に、二〇分近く、さくらはサンドバッグを打っている。

若し、誰も止めなければ、一晩中でも叩いていそうである。

 

一晩とは言うが、正確には、体力が尽きて倒れるまでだ。

 

仮に、さくらの体力が、ここより三日間持つのであれば、さくらは三日後にぶっ倒れてしまうその時まで、こうしてサンドバックを殴り、蹴り続けているであろう。

 

一週間ならば一週間後に倒れるまで。

一ヶ月ならば一ヶ月後に失神するまで。

半年ならば半年、一年ならば一年後に気を失うまでだ。

 

それが、三〇分に差し掛かる前に終わりを迎えたのは、道場に駆け込んで来る学生の姿があったからだ。

 

「せ、先輩――!」

 

と、女子学生が、誰にという訳ではなく、切羽詰まった様子で、叫んだ。

 

流石に、さくらも動きを止める。

その途端に、どっと汗が吹き出して来た。

 

「どうした?」

 

男子学生が訊いた。

女子学生は、呼吸を整えてから、

 

「お、呉割(おおわる)大学の人たちが――」

 

と、言った。

 

 

 

呉割大学と言えば、この辺りでは、不良の溜まり場として有名な学校である。

 

他校との喧嘩は日常で、高校生や中学生を脅して金を奪う事もしばしばある。

 

夜道で、うだつの上がらなさそうな中年オヤジを、面白半分に殴って、重傷を負わせる、という事件も起こっている。

 

新入生歓迎(シンカン)(コンパ)で、未成年に酒を飲ませ、シャブをやらせ、乱交は当たり前で、酷い時には、別の大学にこっそりと紛れ込んで、サークルや部活を乗っ取って、SEXの為だけの空間に作り変えてしまう事もあるらしい。

 

噂では、学長が広域暴力団の幹部であり、学生たちが行なった犯罪行為をもみ消しているとも言われている。

 

風道館に駆け込んで来た女子学生の話では、講義を終えて、男女の友人たちと一緒に風道館へ向かおうとしたのだが、その途中で、強面の連中に声を掛けられたという。

 

五人だ。

 

彼らは、呉割大学の者だと言い、そして、男子学生の事をいきなり殴り付けて来た。

 

二人が呆気に取られている内に、五人の内の四人が、男子学生をリンチに掛け始めた。

 

風道館へ走った女子学生は、空手部の先輩たちの力を借りようとしたのである。

 

そうして、さくらと、部長を筆頭とした数名が、風道館から急いで駆け付けると、ぼろ雑巾のように蹴り転がされた男子学生と、リンチに加わっていなかった呉割大学の男に腕を掴まれている女子学生の姿があった。

 

その様子を、キャンパスに残っていた城南大学の学生たちが、遠巻きに眺めている。

 

「貴様ら、何をしている⁉」

 

部長が、一喝した。

 

呉割大学の男たちが、やって来た、空手衣の連中を眺めた。

 

「何だい、おたくは」

「空手部の高橋だ。城谷に何をしている」

 

城谷というのが、リンチされた学生の名前である。空手部員であった。

 

城谷のガール・フレンドであった千恵子の腕を掴んでいる男が、高橋を睨んだ。

昏い双眸は、暴力慣れした人間である事を意味している。

 

高橋は、きっと睨み返した。

 

「おい、ムツ」

「うす」

 

と、城谷をリンチしていた男の内、顔に痣を作った男が、前に出た。

左の瞼が腫れ上がっており、裂けた唇の隙間から、前歯が折れているのが見える。

 

「ムツが、おたくの城谷くんにお世話になったらしくてね」

 

と、リーダー格らしい男が言った。

 

「そのお礼に来たのさ」

「礼⁉」

「おたくら、空手やってんだろう。危ないじゃないか、俺たちみたいな素人に向って、パンチをぶち込んで来るなんてさ」

 

と、言う。

 

高橋は、一度、倒れている城谷を見た。

 

確かに、空手の経験者と、武道らしきものを何もやっていない人間とのパンチを比べてみると、前者の拳は、非常に危険である。だからこそ、試合ではサポーターやグローブを装着するのだ。

 

「違います!」

 

と、千恵子が叫んだ。

 

「城谷さんは――」

 

そう言い掛けた所で、リーダー格の男が、千恵子の腕に込める力を強くした。

痛みに顔を顰める千恵子。

 

「やめなさい!」

 

さくらが、鋭く叫んだ。

 

上気した頬に、汗を吸って肌に張り付いた髪が、健康的なエロスを醸していた。

 

道衣の合せ目から覗く、透けた下着のシャツの内側の肌色と、その盛り上がりが、男たちを堪らなくしてしまいそうである。

 

そんな視線を無視して、さくらは、大凡の事情を察していた。

 

どうやら、城谷が、ムツと呼ばれた男を殴ったらしいのだが、リーダー格の男が、城谷が積極的にムツを殴ったと言っているのに対して、千恵子はそれを否定している。

 

呉割大学の普段の素行と、正義感は強い方である城谷の性格を考えるに、ムツがしていた迷惑行為を戒めようとした結果、最終的に拳を使わざるを得ない状況に陥ったのだろう。

 

そのように、判断していた。

 

「その子を離しなさい」

 

さくらが言った。

 

「城谷が、そこの彼に手を出した事は分かったわ。でも、ここまでやったのなら、もう、気は済んだでしょう。早く学校の敷地から出てゆきなさい」

 

城谷の怪我は、ムツとは比べものにならないが、事を荒立てるのは、誰も望む所ではない。

 

仮にも空手家を名乗るのであれば、素人に危害を加えてはならないのは、正拳の握り方や打ち出し方と共に、最初に教わる事だ。

 

城谷だって分かっている。

 

穏便に済ませるには、それが最善であった。

 

しかし、リーダー格の男を含む、ムツ以下五人の男たちは、さくらの凛とした態度に対して、下卑た笑いを浮かべていた。

 

「実はよぅ」

 

と、リーダー格の男が言い始めた。

 

「ムツの奴、顔だけじゃねぇ。股間に、一発、良いのを貰ったらしくてな」

「――」

「きんたまだよぅ、きんだま。お前さんには分からねぇだろうがな」

「――それが?」

「流石に、それで潰れちまいましたってんじゃ、笑えねぇだろう。だからな、確かめて貰いたくてな」

「確かめる⁉」

「おう。使えるかどうかをさ」

「な――」

 

さくらは、リーダー格の男の浮かべる、爬虫類のようないやらしい表情を見て、怒りで顔を真っ赤に染め上げた。

 

「後輩の尻位、拭ってやれよな、先輩よぅ」

 

リーダー格の男が言う。

すると、その傍に控えていた別の男が、

 

「拭うのは尻じゃなくて、竿の方じゃないんすか」

 

と、言った。

 

男たちが、げらげらと笑い始める。

 

さくらは、今にも咬み付いてゆきそうな眼で、連中を睨んでいた。

 

「別にあんたじゃなくたって良いんだぜ。何なら、ボーイ・フレンドがムツを殴ってる所を見ていた、こっちの嬢ちゃんでもな」

 

リーダー格の男はそう言うと、千恵子の腕を引っ張って自分の方に引き寄せ、彼女の胸元に掌を這わせた。千恵子が、拒絶感を現して、身をよじると、リーダー格の男は、益々興奮したように、唇をぎりぎりと吊り上げた。

 

「やめなさい!」

 

さくらが叫んだ。

 

「その子を離しなさい!」

「じゃあ、確かめて貰えるかい」

「――」

 

さくらが、リーダー格の男を睨んだ後、ムツに視線を移した。

 

痣だらけのムツの顔には、下品な色が浮かんでいる。

 

ムツが、喧嘩慣れをしていて、城谷でも危なくなり、仕方なく金的に蹴りを喰らわせたという事は、考えられる。

 

潰れていないかとか、使えるかどうかとか、そんな事は、ムツにとっては兎も角、リーダー格の男にしてみれば、どうでも良い事だ。

 

要は、自分たちが掻かされた以上の恥を、風道館の者に掻かせてやろうというのである。更には、千恵子やさくらに、そうした事をさせて、悦に入ろうという魂胆があった。

 

これが、さくら一人の問題であれば、全員をノックアウトしても構わない。

 

だが、このきっかけを起したのは城谷であり、千恵子も巻き込まれている。風道館空手部のメンバー以外にも、大学の学生たちが、この場に集まって来てしまっている。

 

下手に事を大きくする事は出来なかった。

 

飽くまでも穏便に、被害を小さくする為には――

 

さくらは、ムツの足元に跪いている自分の姿を想像し、燃え立つような怒りを堪え、又、千恵子にそんな事をさせてしまった場合に、自分の心に残る感情に恐怖した。

 

そんな時であった。

 

「あッ」

 

と、誰かが声を上げた。

 

顔を上げれば、呉割大学の、リーダー格の男の後方から、弧を描いて飛んで来るものがあった

 

リーダー格の男が気付いた時には、その頭に、グラウンドで練習していた、アメリカン・フット・ボール部の使っている筈のボールが、真上からぶつかっていた。

 

「何だ⁉」

 

と、リーダー格の男が振り向いた。

 

グラウンドにいたアメフト部の学生たちは、しきりに首を振って、自分たちではないとアピールをしている。

 

しかし、リーダー格の男の視界の真ん中――恐らくは、ボールが飛んで来たであろうその地点に、一人の青年が、悪びれた様子もなく、突っ立っていた。

 

「貴様か⁉」

「ああ、俺さ」

 

にぃ、と、唇を捲り上げて、胸元にSの文字を張り付けたシャツに、デニムの上下を合わせた青年が、頷いた。




最後にちらりとライダー要素。

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