凄まじい匂いが、そこには、詰め込まれていた。
濃厚な鉄の匂い――
常人が踏み込めば、すぐにでも発狂しそうな程の、死の匂いであった。
狂気の空間であった。
町外れの倉庫である。
滅多に人の寄り付かない区画に、ぽつんと建てられ、打ち棄てられていた。
しかし、廃棄されて長い割には、小ざっぱりとしている。
いや――
少し前までは、小ざっぱりとしていた、と言うべきである。
今は、おぞましい光景が、その中に広がっていた。
高い天井から、鎖が、鬱蒼としたジャングルの羊歯のように、垂れ下がっている。
その鎖には、黒く変色した、ぶくぶくと膨らんだ蛇のようなものが絡み付いていた。
腸である。
若し、この倉庫に足を踏み入れたならば、腸が纏わり付いた鎖が、暖簾のようになる。
上の方の鎖は、隣の鎖と繋げられており、倉庫を一周している。
倉庫の、四方向の壁には、大きく、魔法陣が描かれていた。
赤く、掠れた色である。所に依っては、黒っぽく酸化しているものもあった。
血で描かれているのだ。
魔法陣は、外縁から、内側に向かって、螺旋を描いている。
渦巻きの線と線の間に、文字が並んでおり、この文字も、やはり螺旋を描く事になる。
文字と文字との間には、長い杭で以て、心臓が打ち付けられていた。
その心臓であるが、魔法陣の外側から、色が悪い。
軽く防腐処理はしているらしいが、すぐに、腐ってゆこうとする。
外側のものが古く、内側にゆくに従って、新しい心臓が追加される方式らしい。
垂れ下がっている鎖に巻き付いた腸であるが、上の方が、古い。
丁度、魔法陣の中心に来る辺りで、鎖は途切れているが、そちらに近い腸は、まだ薄らと赤い色が残っていた。
魔法陣は、天井と床にも描かれている。
やはり、螺旋状の魔法陣だ。
しかし、この上下の魔法陣は、描かれているもの自体は同じなのだが、打ち付けられた心臓の配置が、逆である。
内側から、古い心臓で埋めてゆこうとしている。
四方の魔法陣は、外側から順に配置しているが、上下の魔法陣は、内側から配置していた。
その魔法陣の外側の二ヶ所から、鎖が伸びている。
天井の魔法陣の、内側へ向かうラインに沿って床に垂れ、床の魔法陣の、反対側に、杭で固定されていた。
床から天井に持ち上げられた鎖は、天井から降りてくる鎖の反対側に、杭で固定されている。
捩じれた一対の鎖が、魔法陣を中心に描くのは、二重の螺旋である。
それが、色とりどりのパーツで構成されているのならば、教科書に載っている環状二重螺旋の図を思い起こさせるであろう。
しかし、螺旋の鎖を彩るのは、やはり、臓物であった。
心臓と腸を除く臓物がワン・セット、並べられている。どうやら、天井からの鎖は男性の臓器で、床からの鎖は女性の臓器で飾られているらしい。
男性の臓器は、上から、肺から睾丸までが飾られ、睾丸の下には、又、肺が置かれている。
女性の臓器は、下から、肺から子宮までが飾られ、子宮の上には、又、肺が置かれている。
丁度、鎖が交差する点では、睾丸と子宮が向かい合っていた。
その、おぞましい曼陀羅を、黒い膜を被った、獅子の仮面の異形たちが、作成していた。
大きく掛かれた魔法陣を踏まないように、配置された臓物を壊さないように、慎重に、獅子の仮面たちが動き回っている。
外に停められたトラックから、防腐処理を施された臓物を運び出して、丁寧に設置してゆく。
魔法陣の薄れている箇所があれば、保存されている血液のタンクを持って来て、上から重ねて塗ってゆく。
天井に配置する時など、特に苦労しているようであった。
伸縮式の長い棒を、何もない部分に突き立てて、下から何人かで押さえて、二人で上ってゆく。一人は手ぶらで、もう一人は、配置すべき臓物を入れた箱を背負っている。
天井に辿り着いたら、下の者が、上の者を支えつつ、箱を差し出し、上の者が箱から取り出した臓器を、杭で打ち付けたり、鎖に絡めたりしている。
設置が終わったら、そろりそろりと床まで下りる。
そうした作業を、一人の男が、眺めている。
森の中で、黒井響一郎、松本克己、ガイストらに襲われたが、マヤの言葉で危機を免れ、暗黒大将軍に引き入れられた男――デッドライオンである。
倉庫の入り口付近の地面に、邪魔にならないように胡坐を掻いているデッドライオンは、右手の鉤爪を外して、暗黒大将軍に与えられた義手と、一応は生身の手である左手で、一つの頭蓋骨を持っていた。
最近の猟奇殺人を行なっている、暗黒大将軍から宛がわれた部下たちに殺された、男女のものだ。
中身は、全てくり抜かれている。
視神経を脳に伸ばす眼窩の孔や、鼻、耳など、隙間は全て埋められていた。
下顎は、針金で留められているが、ぱかぱかと動かす事が出来る。
その頭蓋骨の頭頂を、掌に載せていた。
くり抜かれた内側には、黒ずんだ染みがある。
デッドライオンは、ぼぅっとした眼で、その染みを眺めていた。
と――
獅子の仮面――デッドライオン配下の戦闘員が、大きな樽を持って、デッドライオンの傍にやって来た。
「おぅ、出来たか」
と、デッドライオンは言った。
戦闘員は、獅子の仮面で頷き、樽の蓋を開けた。
鉄に混ぜられた、饐えたような、酸っぱいような匂いが、むんと立ち昇って来た。
中に入っているのは、どろりとした、赤い液体である。
殺した男の精液と、殺した女の経血を混ぜた液体であった。
獅子の仮面たちには、月経の期間に入っている女を狙わせていたのだが、そうでない場合は、愛液を搾り取らせ、やはり、この樽の中に混ぜ込んでいた。
デッドライオンが、頭蓋骨をすぅと差し出した。
この頭蓋骨も、実は、単にくり抜いて隙間を埋めたものではない。
頭蓋骨の大きさが同じ位の男女のものを、半分に断ち割って、くっ付けたものだ。
その内側に、戦闘員が、柄杓で掬い上げた和合液を、注いで行った。
デッドライオンは、頭蓋骨の中に溜まったその液体を、ぐぃぐぃと咽喉に流し込んでゆく。
無精ひげの浮いた咽喉が、毛虫のようにもぞもぞと動き、和合液が腹の中に蓄えられて行った。
髑髏の盃から唇を離したデッドライオンは、実に満足そうに、生臭い息を吐いた。
「堪らんなぁ」
と、次の一杯の為に、盃を差し出すデッドライオン。
その許に、別の戦闘員が駆け寄って来た。
何やら、急いでいる様子であった。
「どうした」
と、デッドライオンが訊いた。
「もう良いぞ、結城」
結城丈二は、風見志郎が、獅子の仮面を被った改造人間を捕らえたのを確認すると、さくらの口元から手を離した。
結城は曲がり角から出て、頸を絞めて脳への酸素供給を断った戦闘員を、小脇に抱えている風見と、顔を見合わせた。
さくらはと言うと、呆気に取られるばかりであった。
後ろから近付いて来た、ブレザーに、ワイシャツに、ネクタイときっちりとした格好の上、この季節には蒸し暑そうな黒いグローブなどを付けた、知的な雰囲気の青年に、口と動きを押さえられたかと思ったら、倒そうと思っていた獅子の仮面を、別の男に眠らされてしまった。
獅子の仮面を抱えているのは、蒼いカッター・シャツに、白いベスト、白いパンタロンを穿いた男だった。努めて浮かべた柔らかい表情の中に、ぎらぎらとしたものを持っている。
「――間に合わなかった」
ぽつり、と、風見が言った。
獅子の仮面の戦闘員を放り投げると、女性の、捻転させられた頸骨を元に戻してやり、見開いた眼と、血で染まった歯を剥いた唇を、閉じてやった。
結城も、哀しみの表情を浮かべている。
風見は、獅子の仮面の背骨に膝を当てて、肋骨を開かせ、蘇生させた。
びっくりしたように息を吹き返し、きょろきょろと辺りを見回す戦闘員。
その戦闘員を立ち上がらせると、風見は、鳩尾に下突きを入れた。
「うへぇ」
と、さくらが言った。
ボディに拳をめり込ませられた時の痛みは、充分に知っている。
「貴様らだな、ここ最近の殺しは?」
と、風見は、腕刀を戦闘員の頸にやり、塀に押し付けた。
苦しそうに身悶える、獅子の仮面の戦闘員。
「この人を何処へ連れてゆく心算だった?」
尋問するも、獅子の仮面から滑り出して来るのは、
「れぉぅ」
「がぅる」
などと言った、意味のない言葉であった。
「風見、無駄だよ」
結城が言った。
「そいつらは元から人間の言葉では喋れない。ショッカーやデストロンの戦闘員たちとは違って、改造人間ではないからね」
「――そうか」
風見と勇気のやり取りを聞いていたさくらだが、理解はしていないようであった。
「しかし、脳内を覗く事は出来るぞ」
結城はそう言うと、右手のグローブを外した。
その内側から、銀色の義手が剥き出した。
ブレザーとシャツの袖を、肘まで捲り上げる。
結城が、夏にしては厚着をしている理由を、さくらは知った。
さくらの視線も気にせず、結城は肘からカセットを排出した。
ブランクのカセットを取り出すと、腰のポーチから、別のカセットを取り出して、肘の空白の部分に挿し込んだ。
すると、結城の右腕にひびが入り、皮膚が裏返って、内側から、金属のパーツが盛り上がって来た。
見る見る内に、結城の右腕は、黒鉄色の、無機質なものに変わった。
その掌が展開して、五指の第一関節が分離した。
「新しいアームだな」
風見が言った。
「高坂博士の遺品さ」
結城はそう言って、五指の先端を、獅子の仮面の戦闘員の頭部に宛がった。
みり、と、指先に触れられた部分が音を鳴らした。
「がぎっ」
と、戦闘員が呻く。
指の腹から伸びた極小の針が、頭の膜を突き破り、頭蓋骨を穿孔して、脳に突き刺さったのである。
スキャニング・アーム――
指の腹から出る針が、生体電流を読み取り、その情報を、改造人間の脳内でグラフィック化するのである。
仮面ライダー第一号・第二号に依って改造された風見志郎と、神啓太郎の術式で全身改造を受けた結城丈二は、スキャニング・アームから送られて来る電波に周波数を合わせて、獅子の仮面の戦闘員の記憶を読み取っていた。
「ふむ」
「これは――」
眉を寄せて頷く風見と、皮膚に汗を伝わせる結城。
獅子の仮面の脳内にあった、あの異形の曼陀羅を見たらしい。
スキャニング・アームを回収し、ブランクに戻す結城は、風見に顔を向けた。
「ゆこう」
「うむ」
と、風見。
風見は、戦闘員にとどめを刺し、その場に放置した。
生命活動の停止から、暫くすれば、その細胞は自壊する筈である。
その場を立ち去ろうとする風見と結城。
と――
「ちょっと、待ってよ!」
すっかり置いてけぼりであったさくらが、声を上げた。
風見と結城が、そちらを振り向く。
「あんたたち、いきなりやって来て、何なのよ⁉」