ここ何週間かの間で、夜の町からは、活気と言うべきものがすっかりと失せてしまった。
突如として始まった通り魔殺人は、犯人の正体が一向に掴めないままであった。
殺しの手口は、いつも決まって、五体をばらばらにするというものだ。
特に、腹を切り裂かれて、内臓が抜き取られている。
太腿や脹脛、上腕、胸、尻の肉なども削ぎ落とされ、骨が剥き出しになっていた。
目立った筋肉の部分は、殆ど持ち去られてしまっている。
猛獣に捕食されたかのようなありさまであった。
そんな遺体が、早朝、町の何処かに放置されて、鴉や、野良犬や、無数の蠅をたからせている。
又、遺体ですら見付からない行方不明者というのも、増えていた。
単独犯とは思えない通り魔殺人の事と絡めて、拉致だという声も上がっている。
まさか、白昼堂々とそのような犯行が行なわれる筈もなく、恐らくは犯行時間となる夜間、人々は外出を控えるようになったのである。
だが、それでも、どうしても星空の下を歩かなければならない人というのはおり、どうあっても人通りのない場所をゆかねばならない人というのもいる。
事件がやむ気配はなかった。
死人が減る気配は、なかったのである。
或る夜――
一人の女が、歩いていた。
蒸し暑い夏の夜の事であった。
温い風が、コンクリートの道路の上を駆け抜けてゆき、湿った空気が肌に張り付く。
嫌な気温と湿度であった。
陽射しもないと言うのに、後から後から、汗が浮かんで来るような夜だ。
店仕舞いをした商店街に、その女の姿があった。
袖を捲り上げ、襟を大きく開けたブラウスの上に、ベストを着ている。
ホット・パンツから、健康的な、長い脚が伸びていた。
物騒な事件が頻繁に起こる夜に、出歩く格好とは思えなかった。
その血色の良い肌に、ぽつぽつと汗の珠が浮かんでいる。
薄らと桃色の頬。
淡い色の唇。
まだ子供っぽさが抜け切っていない顔であった。
どうにも、堪らなくなってしまいそうな色気があった。
成熟には遠いが、男の眼を惹き付けるだけならば、もう充分なものがあった。
デニム素材のパンツに包まれた尻が、スニーカーが地面を叩くたびに揺れる所など、堪らなくなってしまいそうなのである。
と――
鼠一匹の気配さえなかった商店街であったが、その女の足音に、もう一つ、別の足音が重なって来た。
女が少し歩調を速めると、その足音も同じような速度を出した。
逆に、歩調を緩めると、やはり、付いて来る足音も速度が落ちる。
女は、歩く速さに緩急を付けながら、商店街の出口を目指していた。
女に歩みを合わせながら、後方から足音は付いて来ていたのだが、いつの間にか、距離が詰まって来ていた。
思い切り跳び掛かれば、背後から押し倒す事が出来る距離だ。
女も、それに気付いている。
気付いているからか、足を止めた。
背後から、ぬぅ、と、手が伸びて来て、女の肩に掌が置かれそうになった。
その時であった。
「――たぁっ!」
と、女の唇から鋭い気合が吐き出され、右足が地面を蹴っていた。
するすると、女の右足が後方に伸びてゆき、女を尾行するような動きを取っていた相手のボディに、スニーカーの踵が、力いっぱい叩き付けられていた。
「おぅ」
背後に立っていた男は呻いて、その場に倒れ込んだ。
女は、後ろを振り向いて、構えた。
右拳を胸元に引き、左拳を下段に突き出した残心の構えは、これからの対応如何に依っては、尻餅を付いた男に攻撃を叩き込んでやる事が出来ると言う意思の表れであった。
「あんたが、最近の事件の犯人ね!」
女はそう言うと、立ち上がって来ようとする男に、一歩踏み出してゆこうとした。
「ま、待った!」
男は言った。
白い無地のポロシャツに、ジーンズ。
頸や腕が太く、良く引き絞られた、逞しい身体をしていた。
「誤解だよ、誤解――」
と、両手を前に出して、女との間に距離を作りながら、立ち上がった。
優しい顔立ちである。
手慣れないパーマを当てられていなければ、女のように見えなくもない。
女は、後ろに引いていた右拳を顔の傍まで持ち上げ、スタンスを狭くし、いつでも突きや蹴りを叩き込めるように、構えを採っていた。
「ほら、最近、物騒じゃないか」
「――」
「それなのに、君みたいな女の子が一人でいるなんて、危ないぜ」
「――ふぅん。で?」
「それを教えて置こうと思ってね。何なら、家まで送って良い」
「――下心が見え見えね」
と、女は鼻を鳴らした。
男は、困ったような笑みを浮かべて、
「そんなんじゃないさ」
と、言うのだが、女は信じていないようである。
「結構です!」
そう言うと、踵を返して、すっ、すっ、と、その場から去ってゆく。
男は、気の強そうな女の後ろ姿を眺め、小さく息を吐いた。
そうして、彼女が商店街から出て行ったのを確かめると、柔和そうであった表情に、ぞろりとしたものを出現させた。
「さて――」
男が、硬い声で言った。
「そろそろ、出て来たらどうだ」
あの女性に対して語り掛けていたのとは、口調から異なっているようであった。
すると、その声に反応して、男を囲むように、無数の気配が立ち上がって来た。
商店街の闇の中に、黒尽くめの人影が、潜んでいたのである。
それは、着ているものが黒いと言うのではなく、肌そのものが、人間のそれではない黒をしていたのである。
皮膚の上に、薄らと、黒い膜を張っているようにも見えた。
極限まで厚さを減らした、外骨格のようであった。
仮面らしきものを身に着けている。
どうやら、ライオンをモチーフにして作ったマスクらしかい。
その顎は可動式のようで、開くと、鋭い牙と、赤い舌が覗く。
「貴様らか」
男が言った。
獅子の仮面は答えない。
男を囲んでいるのは、一五名程であった。
その一五の獅子の仮面のそれぞれが、男に対して殺気を振り向けていた。
「最近の事件を起こしているのは」
男が言った時、獅子の仮面たちが、男に襲い掛かって来た。
拳で突っ掛けて来て、蹴りを放ち、男の服を掴もうとする。
男は、それを巧く躱して、顔やボディに、パンチや蹴りを打ち付けて行った。
先程、女の後ろ蹴りを喰らった事が、信じられないような動きであった。
しかも、思い返してみれば、ボディに踵を叩き付けられた後にも拘らず、この男は平然とした顔であの女と喋っていたのだ。
男は、獅子の仮面の一人の腕を背中で極めてやると、盾にするようにして、身体の前にやった。
流石に仲間を殴る事は出来ないのか、他の獅子の仮面たちは、動きを止めた。
「お前たちは何者だ?」
男が問う。
獅子の仮面たちは、答える様子はなかった。
男は、捉えた獅子の仮面の腕を、何でもないような顔をして、圧し折った。
「ぎぃぃ」
と、悲鳴を上げて暴れる。
その獅子の仮面を蹴り飛ばして、地面に倒す。
と、他の獅子の仮面たちが、男に肉薄した。
顔に向けられたパンチを、スウェー・バックで躱そうとした男であったが、殴り付けて来た獅子の仮面の手の甲から、鋭い爪が剥き出して来た。
その分だけ、距離を見誤り、男の顔には、ざっくりとした切れ込みが入れられた。
「ちぃっ」
男は、その獅子の仮面の腕を取り、背負って、地面に落とした。
他の仮面の男たちが、男に向かって、同じように爪を向いて迫って来る。
男は、その包囲からどうにかして抜け出した。
と――
いきなり、昏い商店街を、真っ白な光が染め上げた。
動揺する獅子の仮面たち。
光は、男の後ろにやって来ていた、一台のバイクのライトであった。
不思議な事に、そのバイクには、人が乗っていないのである。
さっきまではなかった事を考えると、自動で、そのマシンがやって来たとしか思えない。
白い装甲のオートバイであった。
フロントの両脇に、プロペラが付いている。
男は、そのマシンに跨り、タンクに張り付いていたベルトを装着した。
中心に、船のスクリューを内包した、銀のバックルの脇には、赤いグリップが突き刺さっている。
ライトの光に慣れた獅子の仮面たちが、バイクに跨った男に、襲い掛かろうとした。
しかし、その前に男は、ベルトの両脇から、それを抜き取っていた。
一対の楕円の中心に、Vを伸ばした円形のユニット――レッド・アイザー。
表面に段差のある、角張ったデバイス――パーフェクター。
この二つを用いて、男――神敬介は、Xライダーへとセット・アップを果たす。
マーキュリー回路が作動して、白いマシン――クルーザーに搭載されていた強化服が、神敬介の身体に自動的に装着されて行った。
強化服やマーキュリー回路については、タグにあるように私なりの解釈という事で、どうか一つ。