仮面ライダー Chronicle×World   作:曉天

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第四章 General
第一節 暗黒


月の光の届かない、森の中の事であった。

 

湿り気を帯びた、草木や、土の匂いが、辺りに充満している。

 

都会の空気に慣れた人間が、そこに放り込まれ、肺いっぱいまでその香りを吸い込んでしまうと、それだけで、身体の中の何かが書き換えられてしまいそうだった。

 

ねっとりと、夜の空気が、皮膚に張り付いて来る。

泥の匂いが持ち上がり、身体を覆ってしまいそうである。

 

温い風が奔ってゆく。

 

木葉や枝を撫でて、音を立てる風である。

それは、樹木の呼吸であった。

うろの間から、息が吐き出されているように思ってしまう。

 

無数の樹が、同じように呼吸をして、その積み重なりが、風の音のようにも思えてしまう。

 

その中で――

 

 

がつ、

がつ、

 

 

と、硬い音がしていた。

 

太い枝を切り出し、それで、樹の幹を叩くような音。

石で、石を打ち付けるような音。

 

暗闇の中に、そんな音が響いている。

 

その周辺には、森のそれとは違う匂いが、沸き立っていた。

 

血臭――

 

昏い森の中であるから、分かり難いかもしれないが、その周辺には血が撒かれている。

 

黒っぽい水溜りのようにしか、見えない。

だが、漂って来る鉄の匂いは、紛れもない血のそれである。

 

その匂いに導かれるようにして、一頭の犬がやって来た。

樹の陰から、すぅ、と、顔を出す。

 

元は、猟犬である。

 

人間に連れられて、山の中に入ったは良いが、ハンティングの最中に飼い主の傍を離れてしまい、そのまま置いて行かれてしまった。

 

そうして野生化する犬は、決して少なくはなかった。

 

その猟犬は、濃厚な血の匂いに誘われて、そこにやって来たのである。

 

少し開けた場所であった。

 

そこを覗き込んだ時、犬の眉間に向かって、何かが跳び掛かって来た。

犬は、それに頭蓋骨を貫かれ、脳を傷付けられて、絶命した。

 

どさり、と、倒れる犬の遺体に、血の香りを纏った男が歩み寄る。

 

開けた場所の真ん中に腰を下ろして、

 

 

がつ、

がつ、

 

 

という硬い音を鳴らしていた男である。

 

男は、左手に棒状のものを持っていた。

 

男が握っている所から、先に向かうに従って膨らんでゆき、その先は途切れている。

先端から、白っぽいものが覗いていた。

 

脚だ。

獣の後ろ脚であった。

 

それを、股関節から引き千切っていた。

 

男の口元からは、血が垂れており、どうやら、その脚を喰っていたらしい。

 

硬い音の正体は、男の歯が、犬の骨にぶつかる音であったのだ。

 

男は、左手に持っていた犬の脚を口に咥え、倒れ込んだ犬を左手で持ち上げて、さっきまで自分が座っていた場所に放り投げた。

 

脳から溢れた血液が、そこに積み上げられた、他の犬の死体の上に、どぶりと垂らされた。

 

男は、既に何頭もの犬を殺しており、それを喰らっていたらしい。

 

元の場所に腰を下ろすと、男は、犬の頭に刺さったままのものを引き抜いた。

 

それは、巨大な、鉄の鉤爪であった。

 

男は左手でその鉤爪を持ち上げると、手首から先のない右腕に被せた。

 

義手――と、言うには、余りにも禍々しいそれは、赤黒い錆が浮かんでいる。

 

男は、口に咥えた犬の脚を咀嚼しながら、右腕の巨大な鉤爪で、今、殺した犬の身体を解剖し始めた。

 

腹の中に爪を潜り込ませて、肉を裂いて、そこに顔を突っ込んでゆく。

血の滴る音を、顔中で聞きながら、男は、犬のはらわたを喰わっていた。

 

その歯が、肋骨などに当たって、

 

 

かつん、

 

 

と、硬い音を立てている。

 

内臓をあらかた喰い終わった男は、新しい犬の脚を切り落とした。

その太腿に、かぶり付いてゆく。

 

最初に咥えていたものと交互に、その肉を喰らっていた。

 

と――

 

 

ざぁ、

 

 

と、梢の鳴る音がした。

 

男は、眼を細めて、音の方向を向いた。

 

今のは、自然の風ではなかった。

何者かが、森の中で動いた音であった。

 

そして、それは、この猟犬のような、獣の立てる音ではなかった。

 

男はその場に立ち上がり、暗闇の奥を睨んだ。

 

湿った泥の上を踏み、落ちた小枝を踏み折る音がした。

 

男は、右腕の鉤爪を、緩く持ち上げた。

 

森の闇の中から、ぬぅ、と、顔を出して来たものがあった。

人間であった。

 

夜、しかも、真っ暗な森の中だというのに、サングラスを掛けている。

闇に溶け込むような、黒いコートを着ていた。

 

「旨そうだな」

 

コートの男が言った。

 

「俺にも、少し、分けてはくれないか」

「――」

 

鉤爪の男は、警戒を解かない。

こんな時間、こんな場所に、こんな格好で人間が来られる訳がない。

 

とすれば――

 

「――じゃっ!」

 

鉤爪の男は、コートの男に向かって、犬の死骸を蹴り飛ばした。

物言わぬ獣の骸は、コートの男に向かって飛来した。

 

コートの男は、樹の陰に隠れた。その樹の幹に、犬の死骸がぶち当たった。

その間に、鉤爪の男は、反対側の木々の隙間から、走り去って行った。

 

「ふん」

 

コートの男は、小さく鼻を鳴らした。

 

 

 

鉤爪の男は、逃げている。

 

あの黒いコートの男が、偶然、ここにやって来たのではない事は明らかだった。

 

若し、何かの目的があるならば、それは自分であると思った。

そして、そうならば、自分にとって良い事ではない筈だ。

 

だから、鉤爪の男は、逃走を図った。

 

情けない事ではある――

 

そう思っているが、死ぬタイミングも場所もなくなった自分は、こうして逃げて、生き延びる他にはないのだとも思っている。

 

男は、泥を踏み締め、木々の間を駆け抜けた。

 

常人ならば、この暗闇の中で、獣と同じか、それ以上の速度で走り抜ける自分に、追い付ける筈がない。

 

仮に、常人ではなかったにしても、この場所にすっかり慣れ切っている自分を、昨日今日、この森に足を踏み入れた人物が追って来るのは、難しい。

 

その僅かな難しさが生む僅かな時間で、鉤爪の男は、逃走を考えていた

 

だが――

 

追って来ている。

 

自分を追う者の存在を、男は感じ取っていた。

まるで猿のように素早く、この森の闇を駆け抜ける者がいるのだ。

 

男は、何度か方向転換をして、相手を撒こうとしたが、全て読まれてしまっている。

それ所か、何処かしらの場所に誘導されている可能性もあった。

 

「むぅっ!」

 

鉤爪の男は、足を止めた。

 

森を抜けて、川原に出ていたからだ。

昏い水面に、白い流れが見えて、月が映り込んでいる。

 

対岸に、男が立っていた。

白いスーツを着た男だ。

 

白いスーツの男は、持ち上げた右手の指先に火を灯すと、咥えた煙草の先端に近付けた。

 

森の中に、煙が吐き出される。

煙草の先で、赤い光が小さく燃えていた。

 

白いスーツの男の眼が、ぎらりと光り、鉤爪の男を睨んだ。

 

背筋に、ぞくりとしたものが奔った。

 

鉤爪の男は、男が川を渡って来る前に逃げ出そうとしたが、振り向いた先には、森から抜けようとしている黒いコートの男の姿を見付けてしまった。

 

黒いコートの男を避けて、別の道から抜けようとした鉤爪の男であったが、ふと、月が翳った。

 

見上げてみれば、恐らく、高い樹のてっぺんから跳躍し、鉤爪の男に向かって落下して来る人物があった。

 

それは、革のジャケットを羽織った、ざんばら髪の男だ。

ざんばら髪の男は、空中で身体を捻りつつ、鉤爪の男の前に着地した。

 

猫のような――と、言うよりは、飛蝗が、草むらから草むらへと飛び移るのに似ていた。

 

「う」

 

と、鉤爪の男は呻いた。

明らかに、この男たちは、常人ではない。

 

「糞ぅ」

 

と、叫ぶと、鉤爪の男は、右腕の爪で以て、眼の前のざんばら髪の男に切り掛かった。

 

ぎらり、と、月光を反射して光る巨大な爪。

 

しかし、ざんばら髪の男は、左腕の腕刀で鉤爪の男の手首を打ち上げ、爪での攻撃を止めた。

 

そうして、右のパンチを繰り出して、鉤爪の男のボディを叩く。

 

「ぐぃ」

 

身体をくの字に折り曲げる鉤爪の男。

 

ざんばら髪の男の左足が跳ね上がり、更にその鳩尾に吸い込まれて行った。

 

前蹴りは、普通、中足を返して蹴り込むが、ざんばら髪の男は、前蹴りの軌道を取らせながらも、ブーツの爪先で、鉤爪の男の腹に蹴り込んで行った。

 

倒れ込む、鉤爪の男。

 

「ひぃぃっ」

 

と、鉤爪の男が、身体を丸めた。

 

鉤爪の男に向かって、三人の男たちが歩み寄ってゆく。

 

と――

 

「よし給え、ユーたち……」

 

暗闇の中から、声が聞こえて来た。

 

三人の男たち――黒井響一郎、松本克己、呪ガイストが足を止めた。

 

見れば、いつからそこに立っていたものか、一人の老人が、三人と、鉤爪の男を眺めていた。

 

白い髪と髭が、茫々と伸びている。

黒いマントに身を包んでいた。

身長は、黒井やガイストと同じく一七五センチ程である。

 

「何者だ、あんた」

 

黒井が訊いた。

 

「俺たちの邪魔をするのかい」

「であれば、容赦は出来んぞ」

 

克己とガイストが、続けて言った。

 

「退きなさい――」

 

と、森の中から、姿を見せた女が言う。

 

マヤであった。

 

豊満な身体を、無理に、男物のタキシードに押し込んでいた。

タイを結んだ胸元が、今にも弾けそうになっている。

肩まである黒い髪は、頭の上で結わえていた。

 

「その人は、私たちの同志よ」

 

マヤが言う。

 

と、老人は、愉快そうに笑った。

 

「成程、では、ユーたちがそうでしたか」

「――こいつはどうする?」

 

黒井が、鉤爪の男を見て、マヤに問う。

 

「彼に任せるわ。私たちは、退きましょう」

「――分かった」

 

マヤが森の中に消えてゆくと、それに、黒井たちも続いた。

 

残ったのは、白髪の老人と、鉤爪の男だけであった。

 

「無事かね、ミスター」

 

と、鉤爪の男に歩み寄る老人。

差し伸べられた手を、左手で握ろうとした鉤爪の男だったが、

 

「ぎゃああっ!」

 

と、声を上げた。

 

老人が手を伸ばす時に、マントが自然と開かれたのだが、その隙間から見えたものに対して、悲鳴を上げたらしい。

 

老人の腰にはベルトが巻かれており、そのバックルには、曲がりくねった蛇の紋章が刻まれていた。

 

「ご心配なさらず、ミスター」

 

老人は、にこやかな笑みを浮かべて、後退る鉤爪の男の傍に膝を着いた。

 

「私は貴方の味方ですよ」

「――し、信じられるか……」

 

鉤爪の男は、絞り出すようにして、言った。

 

「貴様らの事など、信じられるものか!」

「――ほぅ」

「わ、我々を裏切った奴らの事など、誰が信じるものか⁉」

「――」

「デルザーめ……!」

 

鉤爪の男の顔に、さっと筋が浮かんだ。

 

白髪の老人は、その姿を見て、立ち上がると、自らのマントを開いた。

 

そうして、腰を飾っていたバックルを引き千切ると、川原に投げ捨て、踏み砕いてしまった。

 

鉤爪の男は、その様子を見て、呆気に取られている。

 

「これで、信じて頂けますかな?」

「――あ、あんたは?」

 

まだ、完全に信じ切ってはいないようであったが、鉤爪の男には、老人の行為がどれだけのものであるのか、分かっているらしかった。

 

「ミーは、暗黒大将軍」

 

老人はそう名乗ると、

 

「ミスター・デッドライオン、貴方を迎え入れに来ました」

 

と、鉤爪の男――デッドライオンに、手を差し伸べた。


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