最初の手術室に、三人の男と、一人の女が集まっていた。
アポロガイストは、破損した鎧を脱ぎ、手術台の上に腰掛けている。その白い肌にも、裂傷や痣などが、色濃く浮かび上がっていた。
黒井に折られた右腕は、骨を肉の中に埋めているだけだ。
黒井響一郎は、手術台の脇に簡単な椅子を持って来て、そこに座っている。
顔はぼろぼろだったが、黒いコートと黒いズボンを穿いた、いつもの姿である。
松本克己は、壁に寄り掛かって、腕を組んでいる。
そして――
タイトな革のパンツを吐き、タンクトップの襟から豊満な胸の谷間を見せ付け、肩に革のジャンパーを掛けている、黒髪の女。
細められた眼と、通った鼻梁、ぽってりとした唇――それらが余りに美しく、寧ろ、見る者をぞくぞくとさせてしまう。
そんなマヤが、手術台の脇に立っていた。
「今の説明で、分かったかしら」
マヤが、アポロガイストに訊いた。
「何となくはな……」
アポロガイストが頷く。
マヤが、アポロガイストにした説明というのは、強化改造人間特有の現象の事だ。
死神博士――イワン=タワノビッチが完成させた改造人間の理論は、人体に、他の動植物の能力を備えさせる事であった。
脳下垂体から分泌されるホルモンを制御する薬物を投与し、与えた他の生物の細胞に反応させ、更に下垂体ホルモンを分泌させて、人体に、埋め込んだ別の生物に存在する器官を誕生させるのである。
ショッカー、ゲルショッカー、デストロン、そしてGOD機関に至るまで、死神博士の造り上げたこの理論が、長く使われている。
死神博士自身も、烏賊の細胞を埋め込んだ改造人間に変身している。
それは、この場にいる松本克己の肉体で実験した結果でもあった。
しかし、強化改造人間というのは、従来の改造人間とは別のプロットで組み立てられている。
オリジナルの肉体の不要な部分を切り捨て、強化された臓器や骨肉を埋め込む。
そうする事で、装着する外骨格に依って、あらゆる局面に対応出来る改造人間を造り出
そうとした。
それが、強化改造人間計画である。
その強化改造人間は、身体の殆どの部分を、別のものに置き換えられているが、決して変えてはならない部分があった。
脳である。
脳や、その周囲の神経だけは、オリジナルであらなければならなかった。
しかし、改造人間たるべく与えられた、常人を遥かに凌駕する五感が捉える膨大な情報を、人間の脳では処理し切る事が出来ない。
その為、強化改造人間の脳には、情報処理をサポートする小型人工頭脳が取り付けられている。
その小型人工頭脳と共に生活を送る内に、脳は、人工頭脳のサポートなしでも、今まで以上の情報を捉える事が出来るようになる。
すると、人工頭脳は、脳に負荷を掛ける事なく、更に膨大な情報を吸収し、脳に処理させる。
そうして、オリジナルの脳神経の進化に伴い、人工頭脳が処理する情報量も多くなり、脳は更に進化を続けて行く――
その果てにあるのが、感覚が肉体を超越してしまうという現象だ。
アポロガイストが、黒井と戦っている最中、黒井の事を見失ったり、黒井のパンチを酷く遅く感じたりしたのは、五感が過敏に作動して、黒井の動きを予想してしまえたからだ。
しかし、その情報を脳が処理し切ったとしても、肉体はそれに追い付かない。だから、アポロガイストは、ゆっくりと迫って来るように感じた拳を、何発も受けてしまった。
「そいつを、あんたにも起こして欲しくてね」
克己が言った。
「俺に?」
「ああ。だから、ちぃと手荒な手段だったが、黒井とやって貰ったのさ」
「――」
黒井が、痣だらけの顔を、ふぃと背けた。
「超回復って奴ね」
マヤが言う。
「超回復?」
「ここを酷使する事で、その細胞を強化するって事よ」
とん、と、自分のこめかみを指でつつくマヤ。
「根性論だな。実用的じゃない」
ぽつり、と、黒井が言った。
黒井は、レーサーであった頃、トレーニングのメニューは、徹底的に管理していた。
三日のハード・ワークの後は、きちんと身体を休ませる。
間断なく鍛錬を積む事で、スポーツでも武道でも上達出来ると思われていた時代にあって、黒井のような男は珍しい方であった。
「確かにな」
と、克己が言う。
克己は、一時、或る武道家の許にいた。
その男は、鍛錬の合間には、柔軟体操やマッサージを欠かせていなかったらしい。
身体を休ませる事が、身体を強くする事だと、知っていたのだ。
「しかし、生物の身体って奴ァ、理詰めだけじゃない」
だから、マヤの言っている事――根性論を、頭ごなしに否定する心算はないと、克己は言う。
一晩中か、或いは何日かも掛けて、休む事なしに、東京から静岡まで走って辿り着いた経験のある黒井も、分からないではない事だった。
兎も角、アポロガイスト――最初の強化改造人間を創り出した緑川博士の設計をベースに改造された、同じ強化改造人間の系譜を持つ彼は、今、その特有の現象である脳の深化を体現した訳である。
「だが――」
アポロガイストが、口を開き掛ける。
「復讐、したいんだろう?」
黒井が、アポロガイストに先んじて、言った。
アポロガイストを蘇らせ、脳の深化を促した事の理由を、アポロガイストが訊こうとした。
「Xライダーに、さ」
「――ああ」
二度も自分を斃した、鏡合わせの男。
仮面ライダーX・神敬介への復讐の炎を、アポロガイストは宿していた。
「奴も、起こしてるぜ」
克己が言う。
「何?」
「脳の深化って奴さ」
「何だと⁉」
「驚く事はない。奴だって、強化改造人間さ」
「――」
「神敬介だけじゃない……」
黒井が、唸るように言った。
「本郷猛……」
その名前が、黒井響一郎にとって、何よりも憎むべき男の事であると、アポロガイストはまだ知らない。
「それと、一文字隼人、風見志郎も、ね」
マヤが、黒井を見て、それから克己に視線をくれて、言った。
克己は、マヤの視線の動きの理由が分からなかったが、
「それと、結城丈二も、だな」
結城丈二――ライダーマンは、デストロンのプルトン・ロケットの町への投下を妨害する為、ロケットに乗り込んで、東京湾上空で爆散している。
しかし、彼はタヒチに流れ着き、現地で蘇生した後、建設途中であった神ステーションで、神啓太郎と出会い、ヨロイ元帥に奪われた右腕だけではなく、全身をサイボーグに改造して貰っている。
神ステーションとは、神啓太郎が、海中に建設した要塞であり、啓太郎の人格をコンピュータに保存していた。だが、息子・敬介をサポートする為の要塞は、却って敬介の成長の邪魔になると考えた啓太郎の人格プログラムに依り、自爆している。
啓太郎の生前に、結城丈二は全身改造を受けたのだが、啓太郎の持つ改造技術は、緑川の考案した強化改造人間のそれである。結城丈二が、脳の深化を起こすのも、そう遠くはない。或いは、既に、という所だ。
「連中に勝つには、どうあっても、連中と同じ土台に立つ事が必要さ」
克己が言った。
「そこなのだが――」
アポロガイストが訊く。
「私は、その強化改造人間の技術がベースにあるのだろう?」
「ああ」
黒井が頷く。
「神敬介と同じだ」
「うむ」
克己が首を縦に振った。
「しかも、私が改造されたのは、恐らく神敬介よりも先だ」
「そうね」
マヤが、アポロガイストの言葉を肯定した。
「だのに、何故、私には脳の深化が今まで起こらなかったのだ?」
これが、例えば、神敬介とアポロガイストとの間に、明らかな戦闘経験の差があるのならば、分かる事である。
しかし、アポロガイストとても、Xライダーとの戦いを始めるまで、幾つかの戦場に踏み込んで、視線を潜り抜けて来た。
Xライダーとの戦いでは、特に全力でぶつかり合ったものである。
それが、どうして、神敬介には起こったらしい現象が、自分には起こらなかったのか。
「簡単な話よ」
マヤが言う。
「頭の中を弄くられていたからよ」
「頭の中?」
「脳改造よ」
「脳改造⁉」
アポロガイストが、ぎょっとなって言った。
まさか、GOD機関の最高幹部である自分が、他の改造人間たちと同じように、思考を奪い取られていたと言うのか⁉
そういう驚きと、屈辱とがあった。
「だって、おかしいとは思わなかった?」
「え?」
「貴方、GOD総司令――呪博士と、決して仲が良くはなかったじゃない」
「――」
確かに、アポロとして改造される以前、警察に入るよりももっと前、父がおり、母がいた頃、呪少年と、呪博士は、不仲であった。
呪博士は、臆病で矮小なくせに、自分に逆らわない母を散々にいたぶった。
それは、息子である呪少年に対しても同じであった。
呪少年が中学卒業を控えた頃、とうとう、少年の中の不満が爆発した。
父の顔を、膨れ上がるまでぶん殴った。
呪博士は、息子に土下座までして、許して欲しいと懇願した。
そんな父親を、少年は、虫のようだと言って、毛嫌いしていたのだ。
幾ら、人間の醜さを突き付けられた直後だったとしても、そんな父が率いる組織に与し、そんな父を総司令として崇める事など、出来る訳がない。
息子としては信用も愛も抱いていなかった呪刑事の、身体能力だけは、呪博士にとっても魅力的であった。
「し・か・も」
と、マヤは、更に呪博士の秘密を暴露する。
「呪博士ったら、貴方の身体だけが目当てだったんだから」
「身体?」
「その、若くて健康な身体よ……」
マヤの白い指が動き、アポロガイストの、逞しい胸板を撫で上げた。
呪博士の身体は、強い方ではなかった。
病にも蝕まれていた。
彼が、生化学や人工臓器の研究に没頭したのは、自分の生命を永らえる為であった。
自分の脳を、別の肉体に移して、永く生きる事を考えていた。
息子――同じ血を持つ人間の肉体は、その脳を受け入れるのに、最高のものだ。
その為、呪博士は息子である呪刑事を自らの下に呼び寄せ、秘密警察第一室長の座を与えて、その身体を乗っ取る時を待っていたのである。
その時に、アポロガイストが反抗しないよう、自分に都合の悪い記憶は抹消していたのだ。
「だから、深化が起こらなかったのか?」
「ええ。だって、思考放棄した脳みそが、どうして進化しようとするの?」
進化がなければ深化もない――と、マヤ。
マヤは、以前、克己に対して、ショッカーの改造人間と、仮面ライダーとの差について語っている。
それは、絶望だ。
人間ではない者が、人間を守る為に戦う、孤独感という絶望があるからこそ、人類の明日に対する希望を抱く事が出来る。
絶望と希望は、互いが存在する故に、存在する事が出来ている。
人間の遺伝子が描く、環状二重螺旋のように、だ。
一方、ショッカーはと言うと――
ショッカーの目的は、世界征服であった。
世界征服と言っても、それは、ショッカー首領の意思の下で、人間たちから戦争や差別を失くした、理想の世界を創り上げる事である。
希望に溢れた世界だ。
しかし、その世界には痛みがない。
痛み――絶望がないのである。
絶望がないのならば、希望も存在し得ない事になる。
絶望があり、希望を求めるからこそ、人間は絶望を避ける為に進化をしようと思い、深化して行くのである。
絶望と希望の二重螺旋――
仮面ライダー・本郷猛。
仮面ライダー・一文字隼人。
仮面ライダーV3・風見志郎。
ライダーマン・結城丈二。
仮面ライダーX・神敬介。
何れも、師を、友を、家族を、信じる者を、そして自分自身を、理不尽に奪われた者たちだ。
その絶望を、人類の明日に希望を見出すように昇華させているからこそ、彼らは戦い続けられるのである。
アポロガイストの場合は、GOD機関への忠誠プログラムのようなものを仕込まれていた為、強化改造人間のボディであったにも拘らず、深化に至らなかったのである。