アポロガイストは、アポロマグナムを解除した。
銃弾が尽きたのである。
アポロマグナムの先端に突き出していた、アポロフルーレだけを、右手に握っていた。
煙の中から、黒井の、蒼い仮面が顔を出す。
緩く開いた左手を前に出し、右手で、胸の辺りをガードしていた。
その黒井に、アポロガイストは躍り掛かって行った。
アポロフルーレでの、刺突。
鉄の蛇が、樹から樹へと飛び移るが如く、剣先が唸った。
身体を沈めた黒井は、左手でアポロガイストの右手を打ち上げ、同時に、右のパンチを突き出した。
ガイストカッターで受ける。
アポロガイストは、日輪の盾を、身体の内側にずらした。つまり、黒井が叩き付けて来た右の拳を、黒井の身体の中心側に、引っ張ってやったのだ。
黒井が体勢を崩す。
その顔面に、アポロフルーレのナックル・ガード部分を叩き付けた。
右側を向いた黒井。
その胴体を、アポロガイストが蹴り込んだ。
後退する。
アポロガイストは、ガイストカッターとアポロフルーレを宙に放り投げ、落下するまでの間、黒井の身体を散々に打ち据えた。
拳。
蹴り。
拳。
拳。
蹴り。
キック。
パンチ。
パンチ。
その都度、鉄の拳が、鉄のプロテクターにぶち当たり、光を散らす。
「ぬっ!」
アポロガイストの、思い切り踏み込んだ正拳突きが、黒井の鳩尾を捕らえ、黒井が後退った。
そこに、丁度、アポロフルーレが舞い戻って来る。
アポロガイストは剣を振り上げ、黒井に斬り掛かった。
そもそもが刺突用の西洋剣であり、本来の用途は、鎧の僅かな間隙に突き込んで、そのまま殺傷せしめる事だ。如何に全力の潰し合いとても、トレーニングや、確認の一環で
ある限りは、そのような事はしない。
しかし、鉄の蛇剣のしなりは、打撃としては、十二分に有効である。
黒井は、コンバーターラングに、十字の傷を入れられながら、アポロガイストが追撃で放った後ろ廻し蹴りで吹っ飛ばされ、床を転がった。
アポロフルーレを携えながら、ガイストカッターを手にするアポロガイスト。
黒井はすぐさま立ち上がると、アポロガイストに向かって駆け出して行った。
真っ直ぐ――
と、フルーレを突き出そうとしたアポロガイストであったが、黒井は右に跳び、アポロガイストがそちらを向くと、左に跳んだ。
フット・ワークを使って、アポロガイストを撹乱する。
黒井が、アポロガイストの周囲を回り始めた。
飛蝗の能力を模した黒井の脚力で、周囲を目まぐるしく回られては、アポロガイストでも捉え切る事が出来ない。
しかし、赤い兜の奥で、アポロガイストは太い唇を吊り上げる。
ガイストカッターを振り上げて、後方に放り投げた。
蒼い飛蝗の仮面の残像を、日輪の盾が切り裂いた。
黒井は、アポロガイストの背中側に回っていた。
その瞬間、アポロガイストの、ガイストカッターを手放したばかりの左手が唸り、その延長線上にあったアポロフルーレの切っ先が、黒井の胸を横一文字に引き裂いた。
アポロガイストは、黒井がガイストカッターを躱し、自分の背後に回る事を予見して、盾を放り投げる動きのままに左側に回転し、同時に剣を持ち替え、黒井が攻撃をして来
るであろうタイミングで、アポロフルーレを振るった。
黒井は、舌を打ちながら、バック・ステップで下がった。
「どうした、黒井!」
と、外野から、克己が吠えた。
「良いトコなしだなぁ」
「――ふん」
黒井は、手首を握って、意識を高め直すと、アポロガイストに立ち向かって行く。
「ここからさ」
とんっ、と、地面を蹴った。
まるで空中を滑るように、黒井の身体がアポロガイストに真っ直ぐ進んだ。
簡単に、カウンターを取れそうであった。
しかし、持ち上げ掛けたアポロガイストの、フルーレを握り直した右手が、小さく、本当に小さくではあったが、揺れた。
その刹那、跳び上がった黒井の膝蹴りが、アポロガイストの顔面に叩き付けられていた。
ずずぅ、
と、アポロガイストは、蕎麦を啜っていた。
夏の陽射しに焼かれ続けた身体の内側、熱された内臓に、冷たい汁を絡ませた蕎麦が、するすると入り込んで行く。
葱の香りが、ワサビの辛さと一緒に、鼻を抜けて行った。
辛さという感覚は、痛み、熱と同じと言うが、冷たいものを触っても、痛みの反応が出る。熱くなった身体には、その冷たい痛みが、心地良かった。
「旨いな」
と、ぽつりと言った。
「そうっすねぇ」
と、打田が言った。
揚げ立ての海老天を、はふはふとやりながら、齧っている。
打田の歯に齧られたが、唇に触れて弾かれた衣が、ぽろぽろと、皿の方へ落ちて行く。
唇が、油でてらてらとしていた。
或いは、髪の生え際から落ちる汗が、鼻の横を通り、天ぷらに混じっているのかもしれない。
塩だな。
と、俺は思った。
天ぷらは、塩だ。
揚げ立ての、金色の衣に、はらはらと真っ白い塩を振り掛けて、それで喰うのが、旨いのだ。
液体に混じって、立ち上がって来る、とろとろと溶け出した塩の結晶の匂いが、堪らない。
俺も、天ざるにして置けば良かったかな――
そう思いながら、蕎麦を啜った。
「先輩」
と、打田が声を掛けて来た。
「何だ?」
と、言い返すと、黒井がいきなりパンチをぶち込んで来た。
痛みを感じる前に、次のパンチが、俺の腹にめり込んで来る。
おいおい。
打田よ。
確かに、この炎天下、お前を連れ出したのは俺だが、いきなりパンチを黒井する事は蒼い拳ないだ蒼い鉄ろう。
俺は今かなりいい気分で痛蕎麦を啜っ苦ていた拳ん蹴だ。
こんな天ぷらを倒れしたんだ。
お蕎麦、呪博士に神啓太郎を敬介してもアポロガイストじゃないか。
あれ⁉
あれれ⁉
何で、打田、お前、そんな変てこな仮面を被っているんだ。
まるで飛蝗みたいな……
パンチ。
パンチ。
パンチ。
ああ、黒井か。黒井が俺の上に馬乗りになって、蕎麦をぶっ掛けて来る。
打田はそのまま、天ぷらにパンチを落として、俺の茶碗を打ち砕いた。
痛み。
痛み。
痛み。
ワサビが熱い。
葱が苦しい。
蕎麦が痛い。
パンチが辛い。
パンチが香る。
パンチが旨い。
黒井が打田の拳を呪の腹に落として蕎麦が黒井の呪に克己を天ぷら。
む?
むむ⁉
違うな。
違うぞ。
お前は打田じゃないな。
お前は黒井だ。
黒井響一郎と名乗った男だ。
そうか。
俺は、何を勘違いしていたのだ。
俺は、今、炎天下の聞き込みの最中に思わず入ってしまった蕎麦屋にいるのではない。
私は、Xライダーに喫したに度目の敗北から蘇りその身体を確かめようとしているのだ。
その相手というのが、黒井だ。
その相手というのが、黒井響一郎だ。
その相手というのが、強化改造人間第三号だ。
強化改造人間第三号・黒井響一郎は、今、俺に馬乗りになって、俺の顔を殴り続けている。
右の拳が、弧を描くような軌道で、顔の脇に叩き付けられた。
兜の左側面だ。
鉄に亀裂の入る音が聞こえた。
次は、黒井の左の拳だった。
やはり兜が軋みを上げる。
私は、腰をぐりぐりと左右に動かして、黒井を振り落としてやろうとした。
すると、呆気なく、黒井の身体が横に崩れた。
どうやら私は、黒井に馬乗りになられる直前、黒井の胴体を両脚で挟んでいたらしい。だから、下から、俺が黒井を揺すってやる事が出来たのだ。
私は、左側、私にとっての右側に倒れて行く黒井を追って、身体を持ち上げた。
このまま起き上がれば、黒井から、馬乗りのポジションを奪う事が出来るからだ。
しかし、黒井は私の脚の中で腰を捻ってクラッチを緩めさせ、私の左脚を抱え込もうとした。
ぞくぞくと、私の左脚から、稲妻のように脳まで走る予感。
私が、黒井の腕から脚を抜くのがもう少し遅ければ、私のアキレス腱は捩じり上げられていただろう。
しかし、それにしても、親父はどうしてマッハアキレスに神話通りの弱点を与えたりしたのだろう。
アキレスという改造人間がいたのだ。
気の短い奴で、私は確か“瞬間湯沸かし器”と呼んだ。
その上、自分の力を過信する愚か者だった。
だから、Xライダーを一度はピンチに追い込みながら、逆転された。
もう勝てないだろうと見たから、私は、あいつの事を撃ったのだ。
ああ、それで、何の話だったか。
そう、今はアキレスの事などどうでも良いのだ。
私は黒井の腕の中から左脚を抜き、そのまま、右脚も一緒に脱出した。
尻で滑る、何とも間抜けな姿を晒しながら、立ち上がろうとする黒井から逃げる。
黒井は四つん這いに近い姿になると、そのまま、私を追って来た。
超低空の、タックルとも呼べないタックルだ。
私の上に覆い被さって来る。
又、馬乗りになろうと言うのだろうか。
そうはさせるか。
私は、向かって来る黒井の腹に、膝を打ち上げてやった。
奴のプロテクターと、私自身のレッグ・ガードの重みに、私の脚の筋肉と骨格が悲鳴を上げる。しかし、黒井にもダメージは通った筈だ。
私は左膝で黒井の腹を押さえたまま、そこを支点に右脚を跳ね上げ、黒井の左肩に脚を絡めてやった。このまま上下を反転し、脚で絡め取った左手首を握って捩じり上げてやれば、肩関節が極まる。
我々のように外骨格や強化服を纏う改造人間は、パンチやキック、銃撃などの瞬間的ダメージには強いが、関節を取られて動きを止められたりしては、どうにもしようがない。
だが、黒井は無理に自分の腕を引っこ抜くと、逆に、起き上がった私の右手首を右手で掴み、左掌を肘に押し当てながら、私の身体を引き倒した。
みちっ、
みぢっ、
と、私の右肘が叫んだ。
私が耐えると、黒井は左膝で私の右脇腹を小突き、左手を私の前腕に移動させると、肘の所に左肘を宛がった。
何をするかと思えば、黒井は私の横から頭の方へ移動して、頭部に右の肘を落としながら、掌で右肩を押さえ、私の身体をねじ伏せた。その際に、右肘の骨が、筋肉から剥離する。
「うむっ」
と、私は唸ったが、黒井はしつこくも私の右腕を破壊せんと、後ろに回って来ようとした。
壊れているなら構う必要はない、と、私は右腕を取り返して、黒井の顔に左のパンチを当ててやった。
そのお返しとばかりに、黒井の右の鉄拳が、私の兜の半分を砕いて行った。