仮面ライダー Chronicle×World   作:曉天

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作者の暴走・妄想は中々留まりません。


第三章 Geist
第一節 神隠


その男が、眼を開いた。

 

冷たい、鉄の台の上に、寝かされていたようであった。

 

男は、眼球をぐりぐりと動かして、周囲の状況を確認した。

 

上体を起こす。

 

男は、全裸であった。

下腹の辺りに、一枚、布を被せられているだけであった。

 

その肉体が、見事であった。

 

岩を削り出したように頑強で、白磁のように円やかであった。

体脂肪が極めて薄く、筋繊維が人よりも発達しているのである。

 

顔立ちが、整っている。

美しい。

男性的な魅力を、これでもかと貼り付けたような顔だ。

そして、その上で、余計なぜい肉をこそぎ落とした形であった。

 

蓬髪が、その魅力を少々妨げているようにも見える。

 

「ここは……」

 

低い声で、男が呟いた。

 

ここは、何処か。

 

そういった意味の問いが、込められていた。

 

昏い場所だった。

この鉄の台ばかりが、てらてらとした金属光沢を放っている。

 

他は、闇だ。

宇宙空間に放り出されてしまったかのような錯覚に、男は陥った。

 

先程、呟いた言葉が、小さく反響した。

そのエコーが、この空間に於ける、自分の孤独を強めて行く。

 

「――っ」

 

ずき、と、頭が痛んだ。

眼の前で、白い光が明滅する。

 

痛みを堪える為に瞑った瞼の裏側に、妙なシルエットが映った。

 

 

丸みを帯びた頭部。

そこから伸びるV字。

一対の赤い楕円。

銀色の身体――

黒鉄の掌底が、自分に向けられている。

 

そうして燃え上がる炎。

 

回転する視界。

拘束で移動する世界。

 

炎。

火炎。

火焔。

業火。

痛み。

熱。

苦しい。

呼吸。

酸素。

弾ける。

肉の内側から、

 

爆……

 

 

 

 

 

「眼が覚めたかい」

 

と、声が聞こえた。

 

男が、声の方向に眼をやった。

 

見れば、暗闇から、黒いコートを纏った男が、歩み寄って来た。

纏わり付く闇が、鴉の羽が舞い落ちるようであった。

 

台の上の男とは、違う意味で、整った顔立ちの男だった。

甘いマスク――と、そういう表現が似合った。

 

サングラスを掛けている。

コートが黒く、シャツが黒く、ズボンや靴までもが黒かった。

 

「お前は……」

 

男が、黒い男に問い掛けた。

 

「黒井響一郎――」

 

黒い男――黒井響一郎は、ぼつりと名乗り、サングラスを外した。

哀しみと狂気の籠った、刃のような瞳が、剥き出した。

 

「分かるかな」

 

と、黒井が言った。

 

「分かる?」

 

男が問い返す。

 

「君の事さ」

「俺の、と、いう事か?」

「ああ」

 

黒井が頷くと、男は、自分の事を思い出そうとした。

 

頭痛。

 

しかし、

 

「の、のろい……」

 

と、男の唇は動いていた。

 

「のろい?」

「それが、俺の……名前?」

 

男――のろいは、それに、確信が持てないようであった。

 

黒井は、

 

「そうだ。のろい……(のろい)だ、君は」

 

と、頷いた。

 

「呪……」

 

男が、噛み締めるようにして、その名を呟いた。

 

しかし、自分の事を“俺”と分かっても、自分が“呪”である事は、まだ、納得し切れていないようであった。

 

黒井は、片方の口角を持ち上げると共に、同じ方の肩を小さく竦めてみせると、呪の座っている台に歩み寄り、彼に寄り添うように腰掛けた。

 

「じゃあ、呪くん」

 

と、黒井が言った。

 

「君は、自分が、どういう人間だったか、憶えているかな」

「俺が?」

「ああ」

「――」

 

呪は、少し黙った後で、

 

「警察……」

 

と、自信なさそうに言った。

 

「警察官だった」

「ほう」

 

黒井は、少し嬉しそうに笑った。

呪には、黒井がそのような表情を浮かべた理由が、分からない。

 

黒井は、コートの内側に手を突っ込むと、

 

「食べるかい」

 

と、銀の、棒状の包みを取り出した。

 

「これは?」

「スナック菓子みたいなものさ」

 

黒井が差し出したそれを、呪は、受け取ろうとした。

しかし、指先がその包みに触れ、掌の中に収めようとした時、その包みは、台の上に落ちてしまった。

 

黒井はそれを拾い上げてやり、封を切った。

 

「まだ、回復していないみたいだね」

「回復?」

「そうさ」

 

言いながら、黒井は、銀の包みの中から、茶色っぽい、麩菓子のようなスティックを突き出して、呪の口の傍に寄せた。

 

呪は、黒井から与えられた“食べる”、“スナック菓子”という情報から、それが食べ物であるという事を理解して、食べる為に、口を開いた。

 

黒井が運んで来るスナック菓子を、呪は歯で噛んで小さく千切り、口の中に入れた。

 

歯で、細かく噛み砕く。

舌で、噛み砕いたものを撹拌して、ペースト状にする。

 

飲み込んだ。

 

「変な味だ」

 

呪が言った。

 

「ヴァリエーションは増やすべきだな」

 

黒井が、笑いながら言う。

 

「ヴぁりえーしょん?」

 

呪のアクセントは、少し、黒井のものとは違った。黒井の言った言葉を、理解し切れないままに、繰り返しただけという風であった。

 

「種類って事さ。種類は分かる?」

「――莫迦にするな」

 

むっとした様子で、呪が言った。

 

種類位は分かる。

意味を説明しろと言われれば、言葉に詰まるかもしれないが、種類という概念がどういうものかは、理解している心算だった。

 

「結構だ」

 

黒井はそう言いながら、手に持っていたスナック菓子を齧った。

 

「やっぱり不味いな、これ」

「まずい?」

「旨くないって事さ」

「――」

「変な味、って言ったろう? そういう事さ」

「変な味というのは、不味いという事なのか?」

「場合にも寄るだろうけどね」

 

それから暫く、二人は、似たような会話を繰り返した。

 

黒井が何となく漏らした言葉の説明を、呪が求め、黒井が教えてやる。

 

何度もそういう事をしている内に、呪は、段々と説明を求める――分からない事が少なくなって来て、平気で色々な話を、黒井と出来るようになって来た。

 

話が、あさま山荘事件から、警察の事に辿り着くに当たって、黒井が、呪に言った。

 

「所で、呪くん」

「ん」

「君は警察官だったそうだね」

「そうだ。俺は、あの日――」

 

と、そこまで言った所で、呪は言葉を止めた。

 

何故、自分は、いきなり、“あの日”などと言い始めたのか。

 

黒井を見る。

 

話の流れを切ってしまう事は、余り良くないと、学んでいる。

 

黒井は小さく顎を引いた。

話を続けても良いという事であった。

 

「俺は、あの日、或る事件を捜査していた……」

「事件?」

「そうだ。確か……子供が、攫われる、事件だった」

「ほぅ、子供が」

「赤ん坊だ」

 

呪は、確信を持てないでいる筈なのに、途切れ途切れながらも、比較的スムーズにその唇を動かしていた。

 

脳からほろほろ漏れ出して来る記憶を、まるで、眼の前に差し出された台本を読むかのように、滑り出させている。

 

「赤ん坊が、攫われ……誘拐される事件だ」

「ふむ」

「一月に、一度……同じ頃に……」

「同じ頃に?」

「一人、赤ん坊が……生まれて、一年も経たない赤ん坊が攫われた――」

 

呪は、部下と共に、その事件を担当していたという。

 

しかし、一向に犯人の足取りは掴めなかった。

 

攫われたのが赤ん坊という事で、先ず、疑ったのは、子供のいない夫婦である。子供が欲しいが、中々授からず、神仏に頼ろうとさえしていた夫婦に、容疑を掛けるのは辛かった。

 

何れも、白であった。

 

又、子供がいる筈のない家から、泣き声が聞こえたとなれば、すぐに飛んで行った。

 

それでも、成果は挙がらなかった。

 

最初の一件から四ヶ月が経った――つまり、五件目の事件が起こった月に、その事件が進展した。

 

夏だった。

うだるような、熱い陽射しの降り注ぐ夏であった。

 

その月に、六件目が起きたのだ。

 

月に二度、一月に二人というペースは、今までにはない事であった。

 

しかも、この時には、殺人事件まで起こっている。母親だ。

母親が、赤ん坊を奪われて、その上、殺害されたのである。

 

この時、解決を見た。

 

赤ん坊を包んだような袋を持った男が、血臭を漂わせながら、現場付近から逃げるように去って行く姿が、目撃されたのである。

 

「旨かった」

 

と、いきなり、呪が言った。

 

黒井が怪訝そうな顔をしていると、

 

「蕎麦さ」

 

呪は言った。

 

「蕎麦?」

「うん。蕎麦だ」

「蕎麦って、あの?」

 

と、汁に浸けて、蕎麦を啜る動作を、黒井がする。

 

「そうだ。暑い昼間にな、打田と一緒に入ったんだ」

 

打田というのは、呪が、行動を共にしていた部下の事である。

 

「葱とわさびをたっぷりと載せてな……」

 

そこから、五、六分ばかり、呪は蕎麦の話をした。

 

スタミナを付ける為と言って、打田が、天ぷら蕎麦を頼んだ。それで、金色の衣を纏った海老天を食べようとして、汁の中に落としてしまい、汗だくのワイシャツにはねを飛ばしてしまった事を思い出して、小さく笑った。

 

ふと、自分が食べたのが、ざる蕎麦だったのか、掛け蕎麦だったのか、忘れてしまったらしく、口籠った。しかし、黒井のパントマイムを見て、ざる蕎麦だったと思い出し

た。

 

「それで、どうなったんだ?」

 

黒井が訊く。

 

「どうなった?」

「赤ん坊の事さ」

「ああ、赤ん坊か……」

 

と、話の本筋を思い出して、呪が言った。

 

「資産家でな……」

「資産家?」

「赤ん坊を誘拐して、殺していたのがさ」

「殺していたのか?」

「うん」

「それで?」

「殺して、埋めていたんだ」

「埋める?」

「家の庭にな」

「――」

「大きな家だった。塀に囲まれた」

「それで、その資産家の家まで」

「資産家? いや、何処かの大企業の部長の家だよ」

「そうだったか」

「そうだったよ」

「――で?」

「ん……娘がな、いたんだ」

「娘?」

「乗り込んだんだよ」

「赤ん坊を連れ去った、男を追って?」

「うん」

「その部長の家に?」

「ああ」

「それで、娘って言うのは?」

「部長の娘さ。赤ん坊を攫ったのは、その旦那さ」

「旦那? つまり、婿養子かい」

「婿養子?」

 

呪が首を傾げるので、黒井は、簡単に“婿養子”について説明した。

 

「それだ」

 

呪は納得したように言って、満足した顔になった。

 

黒井が、じぃと呪を見つめていると、呪は事件について話していた事を思い出す。

 

「そう、その旦那がな……」

「婿養子の旦那だな?」

「婿養子? いや、平社員だよ」

「そうか、平社員か」

「うん。赤ん坊を連れ去ったのは、平社員だ。その妻が部長の娘だ」

「ほう」

「それで――」

 

そこから、呪は、その部長の家について、時間を掛けて語った。

 

複雑な事情があったらしい。

 

先ず、その部長には、娘がいた。

部長が、娘を小さな頃から甘やかされていたらしく、奔放な性質であった。

 

だからか、悪い仲間と付き合う内に、子供を孕んでしまったらしい。

 

娘は、決して堕胎はしないと言う。しかし、世間体もある。

 

そこで部長は、会社の部下で、独身の男を一人、娘に宛がう事にした。

それが、呪の言う“平社員”である。

 

部長の娘を宛がわれた平社員は、大きな出世を遂げたという訳でもないが、それなりの地位、それなりの収入を得る事になった。

 

しかし、幸せであったかどうかは、別である。

 

部長の娘だが、何処の誰とも知れない男に孕まされた子供は、流れてしまった。

 

娘がおかしくなったのは、それからである。

 

結婚してから、娘は大人しくなったのであるが、月のものが始まると、以前にも増して樹が強くなった。と、言うよりは、荒れるようになった。

 

月に一度、自分の赤ん坊は何処かと、泣き喚く周期が訪れる。

 

平社員――夫は、そんな妻を見るに見かねて、何処かの施設から、赤ん坊を貰って来ようとした。

 

しかし、月のものが終わってしまうと、その養子に取ろうと思った子供を、自分の赤ん坊ではないと傍と気付き、返すように言う。

 

何度か同じ事が繰り返され、ノイローゼになった夫は、とうとう、赤ん坊を誘拐し始めた。

 

生まれて間もない赤ん坊である。

 

生理中は、その赤ん坊を、どれだけぐずられても自分の子供のように扱うのだが、終わってしまえば、憑き物が落ちたように冷静になる。

 

誘拐した赤子を、今更、親元に返すという事は、誘拐を認める事に他ならない。

夫は、仕方なく、その赤ん坊を殺して、庭に埋めた。

 

娘はその事を知り、大いに嘆いた。そうして、自分を仕置きするように、夫に頼んだ。

美人ではあるが、好きでもない女である。

収入はあるが、やりたくもない仕事である。

 

夫の鬱憤は溜まっており、妻を緊縛して、鞭や棒で、むやみやたらと引っ叩いた。

 

それが仕置きである。

 

繰り返す事、五回に及び、六度目の仕置きの最中に、呪と打田は乗り込んだのである。




事件については『佐武と市捕物控』から拝借致しました。

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