一九七三年二月一〇日――
浜名湖の水面に、一つの、大きな水の柱が立った。
その詳細が、世界に明かされる事はなかった。
ましてや、浜名湖の真下に、旧日本軍の生体実験施設、ショッカー、そして、ゲルショッカーの本部が存在していた事などを、誰が知っていよう。
世界征服を目論んだ秘密結社の存在と、人知れず人類を守ろうとした戦士たちの事など、誰が知るであろうか。
爆発するゲルショッカーの基地から、二人の仮面ライダーが脱出した。
本郷猛と、一文字隼人である。
どちらも、搭乗しているマシンは、ショッカーから奪い取ったサイクロン号ではない。
立花藤兵衛や滝和也との協力で、サイクロン号をベースに全く新しいマシンに改造したものであった。
又、本郷猛の、仮面ライダーとしての姿が変わっているが。それは一文字隼人も同じであった。
腕のラインや、ベルトの色はそのままに、四肢のレガートを赤く変更している。
苛烈さを増すショッカーとの戦いの中で、強化して行ったものであった。
強化改造人間の、他の改造人間と異なる点は、進化するという点にあった。
戦う内に、その人工筋肉が強靭さを増して行く。
そういう事もあるが、それよりも特筆すべきは、優れた五感――その情報を処理する脳である。
普通の人間がするよりも、遥かに膨大な情報を処理しなくてはならないのだ。
それを支援する為の人工頭脳や、神経伝達物質の働きなどが折り重なり、強化改造人間である本郷猛、一文字隼人の脳は、進化を続けていた。
その進化する脳に適応し、半分以上が機械で造られている肉体も進化している。
その進化する肉体に適応する為の、新しいスーツが必要であったのだ。
だが、その戦いも、この日、終わりを迎えた。
ショッカーとゲルショッカーを率いていた首領は、幹部を倒され、基地内部にまで潜入され、とうとう自爆を決意したのである。
仮面ライダーの活躍で、ゲルショッカーは滅んだ。
だが、戦士たちに訪れる平和は、束の間のものでしかなかったのだ――
丘の上から、その男は、二つの白い影を眺めていた。
仮面ライダー・本郷猛と、仮面ライダー・一文字隼人の駆るサイクロン号を、である。
ゲルショッカーを壊滅させた直後の、二人の戦士であった。
男は、その姿を眺めると、片方の口角と肩を、同時に持ち上げてみせた。
黒井響一郎――
かつては誰もが振り返った甘いマスクには、明らかな狂気が宿っていた。
その身体を、黒い強化服が包んでいる。
身体の側面に、金色のラインが走っていた。
蒼いプロテクターと、同じく蒼いレガートを、胸と四肢に装着している。
手首と足首には、銀色の輪が填められており、その輪には鷲の姿が彫り込まれていた。
稲妻のような、黄色いスカーフが、風になびいている。
金のベルトを巻いていた。
大きなバックルの中心には、赤い風車が確認出来る。
その傍に、一台の自動車が停まっていた。
屋根が取り外されている、オープン・カーだ。
フロントには、巨大なスーパー・チャージャーのユニットが乗っている。
フロント・ライトが削り取られ、一対の三連装機銃が剥き出していた。
後部には、派手なロケット・エンジンと、六本のマフラーが伸びている。
クリーム色の車体。
前方や側面には、揺らめく炎が描かれており、その中に、バイクに跨るRの文字があった。
トライサイクロン――
それが、マシンの名であった。
黒井響一郎の為に、用意されたマシンである。
黒井は、トライサイクロンの右ドアを開き、シートに乗り込んだ。
自動的に、腰に、ベルトが巻き付いた。
黒井は、助手席のシートの下から、それを取り出した。
仮面――
人の頭蓋骨を思わせる、飛蝗の仮面である。
仮面ライダーのそれとそっくりであったが、色は、ダーク・ブルーであった。
複眼――Cアイや、単眼であるOシグナルの色は、黄色である。
黒井は、
仮面を被る。
クラッシャーが閉じ、小さく火花を散らした。
内装パッドが膨らみ、頭部と密着した。
眼に光が灯る。
黒井は――いや、既に黒井響一郎ではない。
ショッカーは壊滅した。
しかし、ショッカー粛清の際、黒井響一郎は、ゲルショッカーに引き抜かれる事となった。
正確に言えば、その時点で、既に黒井響一郎は黒井響一郎ではなくなっていた。
強化改造人間――
その第三期である。
しかし、すぐに実践に投入される事はなかった。
第三期のデータを採る為、第二・五期とでも呼ぶべき六体の強化改造人間が生み出された。
所謂、ショッカーライダーである。
ゲルショッカーは、黒井響一郎のボディに、仮面ライダー・本郷猛と一文字隼人に倒されたそれらのデータを加え、更に改造を施し、そして、トライサイクロンを造り上げた。
だが、黒井が目覚めるより早く、ゲルショッカーは壊滅させられた。
その直前に、黒井はゲルショッカー基地から、トライサイクロンと共に抜け出していた。
ゲルショッカーが、ライダーたちに壊滅させられるのは、時間の問題と見たのだ。
そして、今――
黒井響一郎――否、第三期強化改造人間――否々、仮面ライダー第三号は、仮面ライダー・本郷猛と、仮面ライダー・一文字隼人に対し、戦いを挑もうとしていた。
妻と、息子の復讐の為だ。
黒井は、妻の奈央と、息子の光弘を殺したのが、仮面ライダー第一号であると思っている。
約一年――
黒井は、右手首を左手で握り、意識を集中した。
エンジンに火を入れる。
機器に光が灯った。
唸る。
白い獣の唸り声が、大気を震わせた。
ギアをローに入れる。
アクセルに足を載せ直し、エンジンを吹かして行く。
クラッチを離して、駆け出そうとした。
だが――
「む⁉」
黒井は声を上げた。
仮面ライダーたちに向かって、飛び込んで行く筈のトライサイクロンが、動かないのだ。
タイヤが、空回りして、砂利を跳ね上げるだけであった。土煙が上がる。
幾らアクセルを踏み込もうと、トライサイクロンが進もうとする様子はなかった。
メーターの針が、進んで行く。
動かない。
ギアを、一番パワーのあるローにしているのに、後輪は、空回るだけだ。
黒井は、そうしている内に、身体が傾くのを感じた。
前方にせり出している。
後輪が地面を削る音が、なくなった。
只、空気を磨り潰すように、回転しているだけである。
トライサイクロンの後ろの部分が、持ち上げられているのだ。
「く――」
黒井が、仮面の奥で歯を噛んだ。
トライサイクロンが、エンストを起こした。
ブザーが鳴る。
傾きが直った。後輪が地面に戻されたのである。
黒井はギアをニュートラルにして、エンジンを切った。
ドアを乱暴に開け放ち、トライサイクロンの空ぶかしが齎した砂煙を掻き分けて、車の後部に回った。
黄土色の煙の中に、男が立っていた。
「貴様――俺の邪魔を、するな!」
黒井が鋭く叫び、拳を叩き付けて行った。
その男は、緩く後退して、パンチを躱す。
砂煙の中から現れた男は、緑色の飛行服を着て、その上に銅色のプロテクターを纏っていた。
黒井が、距離を取ろうとする飛行服の男を追った。
飛行服の男の身体に纏わり付くようにして、砂煙がうねった。
その奥から、黒井が蹴りを放って行く。
黒井の蒼いレガートが、飛行服の男のボディにぶち当たった。
しかし、その衝撃はプロテクターに受け止められ、しかも、飛行服の男は自ら後方に跳躍する事で、蹴りの威力を全く受け流してしまった。
ふわり、と、黒井の蹴りのパワーを利用して、男の身体が浮かび上がった。
空中高く、である。
「ぬ――」
黒井が驚愕している間に、飛行服の男は、月面宙返りをしてみせ、更に身体を数回捻りながら、黒井の間合いの外に着地した。
地面が、鉄のブーツを支え切れず、陥没する。
飛行服の男の身体から、何らかのエネルギーが立ち上っているかのように、土埃が天空に舞い上がって行った。
「貴様……」
黒井が、飛行服の男の姿を改めて目視し、動きを止めた。
その飛行服の男は、仮面を被っていた。
銅色のヘルメットは、飛蝗を模しているらしいが、本郷ライダーや一文字ライダー、そして黒井のものと比べると、やはり、飛行機のパイロットらしいそれになっている。
「何者だ⁉」
黒井が問う。
銅色の、仮面ライダーと同型のマスクを被った、飛行服の男は、その問いに、静かに答える。
「俺の名前は、仮面ライダー……」
「何⁉」
ぎょっとする黒井の前で、飛行服の仮面ライダーが、ヘルメットを外す。
本郷や一文字、形状は違うが黒井のマスクに設けられている、クラッシャーに当たる部分は存在していなかった。そこには、鉄のプレートが埋め込まれているだけだ。
そのプレートが左右に展開され、顎を押さえている鉄のチン(顎)・ガードに収納される。
チン・ガードが前方にせり出して、ヘッド・セットを起点に、後頭部にまで回転した。
赤い光を灯していた複眼から、光が消える。
飛行服の仮面ライダーは、そうして、仮面を外す事が出来る。
仮面の内側から、ざんばら髪の男の顔が現れた。
昏い刃のような光を、双眸に湛えていた。
松本克己であった。
第二章はここで幕引きとなります。
あとがきは活動報告にて。
では、第三章の投稿まで、少々待ち下さい。