砂――
見渡すばかりの、涸れ果てた世界であった。
風が吹いている。
さらさらと、砂が流れていた。
流れる砂の中に混じった小さな小さな石が、陽光をきらりと跳ね返す。
そういう光が、幾つも重なって、地面に太陽の川を作り出していた。
風が吹いている。
砂が舞い上がった。
その砂の煙の中に、二つの空白があった。
そこに、二つの人影が立っているのであるが、何れも異形であった。
一つは、鮮やかな緑の仮面を被った男であった。
頭蓋骨を剥き出したような、飛蝗の仮面。
赤い複眼が、砂煙の中に、ぼぅと浮かび上がっている。
頸から、赤いマフラーがなびいていた。
それは、恰も燃ゆる炎であり、蛇の舌先のようであった。
ヘルメットと同じ、明るい緑色のプロテクターを纏っている。
黒いスーツの側面には、二本の線が入っていた。
緩く開かれた手と、砂に浅く埋まった足を包むレガートは、刃のような銀色だ。
赤いベルトの中心、丹田に当たる位置に設けられた銀のバックルの中心で、風車が回転
していた。
仮面ライダーである。
本郷猛が、秘密結社ショッカーに依って改造された姿であり、更に強化されていた。
仮面ライダー・本郷猛と向かい合うようにしているのも、やはりショッカーの改造人間であった。
蒼い鱗が、その全身を覆っていた。
毒々しい、赤い蛇腹を、胴体に持っている。
肩や上腕から、鱗が硬質化して伸びて行った棘が、突き出していた。
左手の指先に、毒を滴らせる、赤い爪が伸びている。
右腕が、ぶ厚いゴムを捏ねたり練ったりして長くした、蛇の尻尾を模した鞭になってい
る。
頸の上に、蛇の頭が乗っていた。
顔が、中心から下顎に掛けて、前方にせり出している。
裂けた口から、牙が覗いていた。
舌も、ちろちろと動いている。
頭の両側に、翼のように突き出た鱗があった。
巨大な、黄金の眼が、仮面ライダーを睨んでいる。
ガラガランダ――
ガラガラヘビをモチーフとした改造人間であり、かつてのショッカー最高幹部の一人・地獄大使の変身した姿である。
かつての、というのは、地獄大使が、ショッカー首領から死刑宣告を受けている為だ。
度重なる作戦の失敗の為、首領に見限られている事を感じた地獄大使は、ショッカーの計画を仮面ライダーに密告した。それがばれてしまい、処刑される事となった。
しかし、それは、地獄大使最期の作戦であった。
地獄大使は、本郷猛や、その仲間の滝和也に取り入って、この砂丘に誘き出したのである。
仮面ライダーを、最高幹部である自らの手で斃し、ショッカー大幹部の座に、返り咲く為であった。
二人の戦いも、終わりが近付こうとしていた。
それを眺める、二人がいた。
マヤである。
マヤは、砂丘の、特に盛り上がった所に立って、二人の戦の行方を見守っていた。
美貌に、ぴんと張り詰めたものがある。
ショッカーの大幹部として、地獄大使の結末を見届けなくてはならなかった。
そして、もう一人というのが、改造人間であった。
だが、ショッカーの改造人間ではない。
緑色の、ごつごつとした兜を纏った改造人間。
左腕の大きな鋏からすると、蟹のようである。
しかし、その脇に張られた膜や、顔の左側から突き出た耳は、蝙蝠のそれである。
蟹と蝙蝠の合成改造人間――
ガニコウモルであった。
ガニコウモルは、地獄大使が自ら出陣する少し前、ライダーとショッカーの前に、姿を見せている。
しかし、姿も相まって、その素性の知れない改造人間は、不気味なばかりであった。
ガニコウモルは、マヤから離れた場所で、やはり、仮面ライダーとガラガランダとの顛末を、見届けようとしているらしかった。
風が吹いている。
風が吹いていた。
ライダーが動く。
砂を舞い上げて、ガラガランダに突撃した。
ガラガランダが身構えた。
右腕を振るう。
空気が唸り、砂煙が切り裂かれ、仮面ライダーの身体を真っ二つにする勢いで、迫った。
仮面ライダー・本郷猛が、地面を蹴った。
直前まで、ライダーの胴体があった空間を、ガラガランダの鞭が薙いで行った。
ガラガランダが腕を引き戻す。
尾の先端が方向を変えて、仮面ライダーに向かって来た。
ライダーは、ベルトの両脇に設けられたバーニアに点火した。
ごぅ、
と、バーニアが火を噴いた。
仮面ライダーの身体が、鞭を躱しざま、ガラガランダに向かって突っ込んで行く。
その身体に纏わり付く風圧が、コンバーター・ラングから取り入れられ、ライダーの原動力となっている。
タイフーンが回転した。
風車が、紅蓮の円盤となる。
「ぐぁぁぁらららぁぁぁぁっ!」
ガラガランダが叫んだ。
仮面ライダーが、その目前にまで接近していた。
左手で、掴み掛って行った。
仮面ライダーはバーニアを反転させると、空中で、身体を後方に倒して行った。
ガラガランダの腕が、ライダーの顔の上を通り過ぎて行く。
本郷はガラガランダの腕を、胸の中に抱え込むと、地面に自ら倒れ込んで行った。
ガラガランダが、それに引かれて、体勢を崩す。
ガラガランダを一回転させて、地面に引き倒す仮面ライダー・本郷猛。
立ち上がって来たガラガランダの懐に入り込み、打撃を連発した。
パンチ。
パンチ。
パンチ。
殴る。
殴る。
殴る。
ガラガランダの蛇の鱗が、ぼろぼろと剥がれて行く。
しかし、剥がれて行くその内側から、新しい、瑞々しい蒼の鱗が再生するのである。
それでも、ライダーはガラガランダを叩く。
左の拳が、ガラガランダの頭部を、がくん、と、後方に下げさせた。
持ち上がって来る蛇の頭。
左腕を引き、腰を捻って、右のパンチを繰り出す。
その風圧がライダーの体内に取り込まれ、タイフーンが回転数を増す。
ぎゅぉぉぉん、
と、風車が唸った。
加速されたライダーのパンチが、ガラガランダの左の頬骨を砕いた。
牙が、口の中で、からからと音を立てる。
左の鉄拳が、ガラガランダの鼻先を潰す。
右の一撃が、ガラガランダの左目を潰した。
パンチ。
叩く。
殴る。
拳。
拳。
拳!
唸っていた。
吠えていた。
叫んでいた。
哭いていた。
仮面ライダー・本郷猛の丹田に、風のパワーが蓄積される。
最高威力のパンチを繰り出す為に、ひねりを加える。
足首から膝、膝から股間節、股間から背骨、背骨から肩、肩から肘、肘から手首――
地面を踏み込む事で発生する反動が、回転しながら、本郷猛の鉄の骨格を駆け上がる。
螺旋だ。
本郷猛の肉体が描く、
本郷猛の精神が創る、
それらが、昇って行く。
それらが、降って来る。
絡み合い、和合し、融合して、仮面ライダー・本郷猛は拳を打ち込む。
絶望の痛みが、仮面ライダーの力であった。
希望の明日が、本郷猛の戦う意味であった。
「ぐぁぁぁらららぁぁぁぁっ!」
ガラガランダが叫んだ。
折れた牙の隙間から、大量の空気が漏れて行く。
地獄大使の慟哭である。
地獄大使の慟哭であった。
ぎゅぉぉぉん、
ぎゅぉぉぉん、
ぎゅぉぉぉん、
タイフーンが唸る。
タイフーンが唸った。
仮面ライダーのパンチが、ガラガランダの身体を、強く叩いた。
体勢が崩れる。
ライダーは、地面を蹴った。
大量の砂が、まるで海のように、波打った。
砂の礫が、ガラガランダの全身の傷口から吹き出した血液に、べっとりと張り付いて行った。
太陽を背にして、仮面ライダーのシルエットが浮かび上がっていた。
高所からの急降下――
鉄のブーツが、ガラガランダの身体を打ち付けていた。
靴底に仕込まれた強力なスプリングが、凶暴な破壊力となって、ガラガランダを吹っ飛ばす。
砂の地面を、水切りの石のように跳ねて行くガラガランダの全身から、鱗が剥がれ落ちて行き、その動きが停まった頃には、赤く染まった、刺青の入った顔が剥き出していた。
地獄大使の顔だ。
ダモン――
と、いうのが、彼が人間だった頃の名前だ。
ガラガランダは――地獄大使は、ぼろぼろの肉体で立ち上がると、自らの宿敵を見やり、折れた牙を剥いて笑い、
「ショッカー軍団万歳!」
そう叫んで、爆裂した。
毒の血が、身体に仕込まれた爆薬の為に、炎に包まれて蒸発した。
仮面ライダー・本郷猛は、その炎をじぃと見つめていた。
マヤが、静かに踵を返した。
ガニコウモルが、ライダーに向けて、歩み出していた。
一週間後――
マヤは、ぼろぼろの身体で、逃走していた。
森の中を駆けている。
樹から突き出した小枝が、腕や脚の皮膚を、こそいでいた。
裸の足が、湿った地面を踏み締めている。
薄いシャツと、血のにじんだジーンズの上に、袖のなくなった革の上着を羽織っている。
長い髪は、汗と夜露に濡れて、肌に張り付いていた。
そのマヤを、追う者たちがあった。
木々の間を擦り抜け、梢の上を飛び越え、木葉を散らしながら、マヤの四方から迫って来るのは、青と黄色のコスチュームを纏った、改造人間部隊であった。
マヤが、少し開けた場所に出た途端、同時に、四体の戦闘員たちが襲い掛かって来た。
一体が、後方からナイフを投げた。
マヤが身体を反らす。
刃物を掠められた耳が、ぞっぷりと裂けた。
ナイフの進む先にあった樹の幹に、どつっ、と、刃が突き立った。
樹のうろが剥がれ落ち、音とも言えない音を立てて、湿った根の上で跳ねた。
痛みに顔を顰める間もなく、脇から戦闘員の蹴りが襲って来た。
身体を沈めつつ、戦闘員の膝を横から蹴り付ける。
関節を打撃されて、体勢を崩す戦闘員の顔面を、マヤの掌底が襲った。
力そのものは、大して込められていなかったが、倒れ込みそうになっていた所に力を加えられ、太い樹の幹に後頭部をぶつけたのだ。ダメージは、決して小さくはない。
その反対側から、黄色いグローブが伸びて来た。
上着の襟を掴まれる。
マヤは、腰を切る事で、戦闘員を投げ飛ばし、地面に倒れ込んだ蒼い覆面越しに、踵を打ち付けた。
投げを打つ際に、上着が落ちて、成熟したボディ・ラインが、森の中に晒される。
下着を身に着けていないようであった。
シャツが透けて、肌色が見えている。
西瓜のように膨らんだ胸の先に、しこりが浮かんでいた。
最初にナイフを投げた戦闘員と、マヤの進行方向に現れた戦闘員が、すぅと樹の陰に身を隠した。
マヤは、樹の幹から、投擲されたナイフを引き抜くと、樹を背中にして、戦闘員たちの襲撃に備えた。
マヤを狙っている、この改造人間たちは何者か――
何も彼らは、マヤだけを特別に追跡し、殺害しようとしているのではなかった。
マヤが狙われるのは、彼女がショッカーの幹部であるからだ。
この改造人間の部隊は、ショッカーの粛清を目的として、動いていた。
地獄大使の敗北は、ショッカーの壊滅を意味していた。
ショッカー首領が、地獄大使――ひいては、ショッカーという組織そのものを、見限ったのである。
そこで、一部の幹部や科学者たちのみを集めて、アフリカの、ゲルダムという集団と手を結んだ。
かつて、ナチスがショッカーに対して行なったのと、同じであった。
違うのは、アプローチを掛けたのがショッカー側であるという事だ。
敗戦が間近に迫ったナチスから、ゾルを筆頭に将校を引き抜き、ショッカーに誘い入れた。
今は、壊滅を目前としたショッカーという組織から、自分に付き従う優秀な幹部たちを引き連れて、ゲルダムに手を組もうと言い寄ったのである。
いや――
そのゲルダムにしても、やはり、ショッカー首領が組織したようなものであるらしい。
兎も角、そのゲルダムと合併した新たな組織に、マヤは、迎え入れられなかったようだ。
新しい組織――その名もゲルショッカーは、新組織には与さないが、ショッカーの情報を少しでも持っているショッカーの残党を、狩り出していた。
それから、マヤは、何とか逃げようしているのである。
ナイフを構えて、襲撃に備える。
その眼の前に、いきなり、ゲルショッカー戦闘員の顔が、ぬぅとやって来た。
「――っ」
マヤは、ナイフを横薙ぎに振るう。
戦闘員は、伸びた太い枝に蝙蝠のように足で掴まり、背中を反らして、ナイフの一戦を躱した。
と、その間に、マヤが背にした樹の陰に入り込んでいたもう一人の戦闘員が、マヤの両腕を樹の裏側に引っ張った。
背中に幹が当たる。
樹に拘束されたようなものであった。
枝から降りた戦闘員が、ナイフを取り出して、マヤを突き刺そうとする。
マヤは、地面を蹴り上げて、泥を飛ばした。
眼に泥が入り、一瞬、動きを止める戦闘員。
マヤは自分の両肩を外しながら、跳び、眼の前の戦闘員を両足で蹴り付けた。
驚いたもう一人の戦闘員が、僅かに力を緩める。
マヤは腕を引き抜いて、一瞬、地面に伏せた。
両肩の関節が外れている。
樹の背後にいたゲルショッカー戦闘員が、マヤを取り押さえようとする。
マヤは、口にナイフを掴んでおり、擦れ違いざま、その頸を掻き切った。
頸動脈!
血の霧が吹き、マヤの、色の濃い肌に鉄臭い液体が振り撒かれた。
自分で、肩を填め直す。
マヤは、大きな胸を上下させながら、立ち上がって来る三体の戦闘員たちを見つめた。
頸を掻き切られた者は兎も角、他の戦闘員は、回復を終えている。
「――」
マヤの唇が、細かく動いていた。
「……五七、五八、五九……」
一斉に、マヤに掴み掛ろうとする戦闘員。
しかし、マヤのカウントが、
「六〇」
を、越えた時、戦闘員たちは動きを止め、悶えながら、その場に倒れた。
ゲルショッカーの戦闘員は、三時間ごとに摂取しなければ死亡するゲルパー薬を飲まされている。マヤを追跡している間に、その時間が過ぎたのである。
マヤは、その数字を数えていたのだ。
大きく息を吐いて、その場に座り込みそうになるマヤ――
梢が鳴ったのは、その時であった。
上を見ると、木葉と枝の間から、昏い眼がマヤを見下ろしていた。
ガニコウモルであった。
マヤは、木葉を掻き分けて落下して来たガニコウモルにナイフを投げ付け、それを払い落としている間に、逃げ出した。
又、逃走が始まる。
ガニコウモルは、時には地面を走ってマヤを追い、時には気を蹴って一息に距離を詰めて来たりする。
左腕の鋏が、マヤの背中を斬り付けた。
シャツが千切られ、背中がぱっくりを裂けた。
もう少しで、背骨が見えそうな程だ。
それでも、マヤは、樹の間を走った。
背中から、血がどろどろと流れ落ちる。
走っている内に、小枝に引っ掛かって、シャツの布が何処かへ消えていた。
背中からの出血が、ジーンズの中に入り込んでいる。
形の良い尻の頬肉を伝わり、菊座に鉄の液体が触れていた。
アキレス腱の所で、血河は二つに分かれ、地面に湿気とは違うぬめりを帯びさせる。
顔を真っ蒼にしながら、マヤは、森を走り抜けた。
ガニコウモルは、必死に逃げる彼女を追い詰めるのが楽しいとでも言うように、ゆっくりと彼女の後を追った。
森を出ると、そこに、大きな池があった。
向こう岸に渡る為に、迂回していると、ガニコウモルに追い付かれる。
マヤは、傷口の事も忘れて、池に跳び込んだ。
血を染みさせながら、マヤが、向こう岸まで行こうとする。
胸元の脂肪が、水に浮かぶ。
と――
その向こうに、二人の女性の姿が見えた。
キャンプ中の、女子大生であろうか。
彼女らが、マヤを発見した。
マヤは、
「助けて――」
と、大声を張り上げた。
女子大生らが、殆ど裸で、血を流しながら、必死の形相を浮かべているマヤに、手を差し伸べようと、池の傍まで駆け寄ろうとする。
しかし、マヤの背後から、池の水が持ち上がって来た。
ガニコウモルである。
ガニコウモルは、マヤに背中から覆い被さると、右手の爪を、マヤの胸の傍に突き立てた。
皮膚を毟り取られ、喘ぐマヤ。
「と、東京の、仮面ライダーに……」
マヤが、苦し紛れに声を発する。
その頭を、ガニコウモルの手が押さえて、水中に没させた。
ガニコウモルの胸の辺りで、気泡が幾つも浮かび上がる。
ガニコウモルが手を離すと、酸素を求めて、マヤが顔を上げた。
途端に、異形の手が、再び彼女の頭を沈めてしまう。
眼には血が絡み、ぽってりとした唇は紫色であった。
マヤは、美貌をぐちゃぐちゃにしながら、水面に顔を上げた瞬間に、どうにか叫ぼうとした。
東京
仮面ライダー
立花
そういう言葉しか、女子大生らには聞こえなかったであろう。
しかし、あの怪人に襲われる事を恐れ、彼女らはその場から逃げ出した。
マヤは、ガニコウモルの腕の中で、無茶苦茶に暴れ、何とか抜け出した。
手が、岸に着く。
べっとりと、胴体に、赤い色が塗りたくられていた。
岸に上がる。
乳房から、水滴が落ちて行く。
水と血を吸ったジーンズは、元の色が想像出来ない程だ。
岸辺で四つん這いになったマヤの太腿を、ガニコウモルの鋏が掴んだ。
僅かの隙も与えずに、大腿骨が切断され、ジーンズに包まれたままのマヤの左脚が、その場に転がった。
マヤは、声にならない悲鳴を上げて、傷口を抑えようとした。
そのマヤに、ガニコウモルが覆い被さる。
濡れた髪を、右手で掴み上げたガニコウモルは、左腕の鋏を何度か開閉し、マヤの首筋に宛がった。