克己は、夢を見た。
マヤに、あれを見せられてからだ。
あれ――
仮面ライダーを、である。
S.M.R.――System Masked Ridersというのが、強化改造人間の名称であった。
しかし、マヤは、
「呼び難いわよ、それ」
と、言って、
「仮面ライダーが良いわ」
と、言い切ってしまったのだ。
「素敵な響きね。そう思わない?」
マヤに問われたが、克己は、答えられなかった。
彼女の腕の中に納まった、未だ、誰も被っていないあの仮面が、克己を眺めていた。
はらわたを、鉄の牙で喰い破られるような視線を、感じていた。
その夢を、何度も見るのだ。
あの直後、克己は、下級戦闘員に見咎められた。
一人で、ロッカーの前に、新兵器を持って佇んでいれば、そうなるのも当然であった。
マヤは、いつの間にかいなくなっていた。
それも含めて、夢なのではないか、と、思ってしまった。
マヤの事を、幾らかの戦闘員たちに訊いても、誰も知らないと言った。
死神博士や、緑川は、本郷猛を、S.M.R.――仮面ライダーに改造する手術に、忙しい。
首領は、こちらからコンタクトを取る事は、向こうとの約束がない限り、不可能である。
しかし――
あの仮面から感じる、冷たいながらも、熱を孕んだ視線は、忘れる事が出来なかった。
そして、克己が見る夢は、マヤに飛蝗の仮面を見せられた時の事ばかりではない。
自分が、あのマスクを被り、自在に駆ける夢だ。
しかも、それは不思議な事に、設計図を見たり、話を聞かされたり、そして自分でエンジンを唸らせてみたりした、あのオートバイと共に、思うままに荒野を駆け抜ける夢でない。
空――
戦争時、終ぞ、飛ぶ事が出来なかった空に、克己は、思いを馳せていた。
蒼空を、あの仮面を纏った自分が、飛び回る夢だ。
その不思議な夢を、克己は、毎晩のように見た。
本郷猛の改造手術が開始されてから、七日目――
硝子の割れる音で、眼を覚ますまで、だ。
「脱走だ――!」
その声を頭の中で聞いてはいたが、甲高い破壊音が鳴るまで、間抜けな事に、克己はそれが現実の事だと気付かなかった。
克己は、あのガレージで眠っていた。
他に場所は用意されていたが、どうしてか、眠れなかった。しかし、ガレージで横になると、とても寝てなんかいられない機械油の匂いの中でも、心地良く眠りの世界に浸る事が出来た。
サイレンが基地中に鳴り響いている。
何だ、と、起き上がる。
改造人間・松本克己の身体能力に、時間は関係がなかった。
どのような状況であっても、意識が覚醒すれば、一〇〇パーセントのスペックで行動する事が出来る。
「す、すぐ近くに、サイクロンを……」
と、言う声が、聞こえた。
「改造したオートバイを用意して置いた」
緑川の声だった。
「オートバイ⁉ しめた!」
初めて聞く声である。
しかし、その声の音程や、どの辺りから聞こえて来たか、そういう情報から、声を発した人物を分析する事は、難しくはなかった。
本郷猛――
あの時、一瞬だけ手術台の上に寝そべっていた男の声を、克己は、初めて聞くながらも、そうだと分かった。
どうやら、脱走者というのは本郷猛と、緑川弘らしい。
克己は、ガレージから繋がる出口へと向かおうとする、本郷と緑川の前に立ちはだかった。
「うむっ」
眼の前から迫る、剥き出しの肉体に、傷を浮かび上がらせた男と、睨み合った。
克己は、本郷猛が、今の自分と同じ肉体を持っている事を、察した。
いや、自分よりも、完全な――強化改造人間としての身体である。
不思議なシンパシーが克己の全身を覆った。
その高揚感が、体内の機械を作動させ、皮膚の上に改造手術の痕を出現させる。
――本郷!
克己は、心の中で叫びながら、本郷に掴み掛って行った。
本郷が、それを見て、床を蹴る。
豹のようにしなやかに跳び上がると、本郷は、克己のうなじに手刀を叩き込んで来た。
克己が感じたのは、巨漢が巨木に打ち込む、巨大な斧であった。
克己の頭骨が、頸骨から分離する。
頸の靭帯が伸び切ったのが分かった。
克己は、視線を明後日の方向に向けて、その場に倒れ込んだ。
「うっ」
本郷が呻いた。
「何をしているんだ! 急げ!」
緑川が、立ち止まった本郷を急かした。
本郷は、自分の手が、一撃の下に沈めた男を、何とも言えない表情で眺めた後、緑川に続いた。
「これだっ、早く!」
どうやら、緑川がサイクロン号を発見したらしい。
克己は、その場でもぞもぞと動きながら、ショッカー首領の声を聴いた。
『……二人とも殺しても構わぬ! 絶対に外には出すな――』
そうしていた克己の傍に、歩み寄る者があった。
死神博士である。
死神博士は、克己を見下ろして、
「驚いたな」
と、呟いた。
克己の傍に膝を着くと、彼を起き上がらせてやり、骨を接いでやった。
克己が、頭が固定されたのを確認し、蘇生する。
「君が、不覚を取るとはね……」
死神博士が笑っていた。
「ふん」
克己は鼻を鳴らす。
「それが、強化改造人間なんだろう」
「その通りだ」
死神博士は、得意げであった。
格闘技――と、言うよりは、武術のプロフェッショナルと言っても良い克己を、咄嗟の事とは言え撃退――普通の戦闘員であれば殺していた――したのは、本郷自身の運動能力ばかりではない。
強化改造人間の、人間や、他の改造人間たち以上に優れた感覚や、それが齎す運動神経あっての事である。
「しかし、良いのか」
克己が訊いた。
「何がだね」
「本郷猛を、ああも、簡単に、脱走させてしまって」
「今、蜘蛛男が追っている」
「いや、そういう事ではなく……」
と、言い掛けた克己に対して、死神博士は、薄笑いを浮かべてみせた。
「そうでなければ、面白味がない……」
「面白味⁉」
「そうだ――」
「――」
「足りぬのだよ、カツミ……」
「足りない? 何がだ?」
「血が、だ」
「血⁉」
「そうだ、血だ――」
「――」
「ナターシャの為の、貢ぎ物よ……」
死神博士は、そう言いながら立ち上がると、低く、笑い声を上げた。
克己は、その姿を見て、どうにも表現し難い感情を、胸に抱いた。
それから――
一年が経った。
本郷猛が、仮面ライダーとしてショッカーと戦っていた。
本郷を斃す為に、強化改造人間計画の第二期が実行された。
六人の仮面ライダー“第二号”の内、五体が破壊され、一体は脱走。
死神博士はヨーロッパに帰還する事となった。
仮面ライダー・本郷猛は、それを追って日本を離れる。
仮面ライダー・一文字隼人が、日本の守りを任せられた。
ゾル大佐の来日。
黄金狼――ゾル大佐の死。
死神博士の日本支部就任と、仮面ライダー・本郷猛の帰還。
ダブルライダーの結成。
斃される改造人間。
尽く潰される計画。
そして――
死神博士と共に、日本の地を再び踏んだ克己は、その女と一年振りの再会を果たした。
ショッカー基地――
その一室で休んでいた克己の許を、マヤが訪れた。
「私の事、憶えているかしら」
と、マヤが訊いた。
一年前とは異なり、官能的なドレスを纏っていた。
しかし、彼女の事を忘れ掛けていた克己に、その記憶を取り戻させるには、そのぞっとする程の美貌だけで、充分であった。
「あんた――」
克己が言った。
「現実に、いたんだな……」
「え?」
「いや……こちらの話だ」
と、克己が首を横に振る。
マヤは、口角を持ち上げた。
「ね、克己――」
馴れ馴れしささえ感じさせながら、マヤが、言い寄って来た。
「さっきね、博士に怒られちゃった――」
「博士?」
「死神博士よ」
「何だと?」
「チーター男を、勝手に借りちゃったの」
「――」
チーター男は、新しい改造人間だ。
強化改造人間に近い方法で、作成されている。
骨格を、全て蛇腹のものに挿げ替えてある。
筋肉も、培養した、異様なまでの柔軟性を持つものを使っている。
その身体に、更にチーターの遺伝子を融合させて造り上げたのが、チーター男である。
死神博士にとって、新機軸となる改造人間であった。
それを勝手に持ち出したと言うのであれば、死神博士も、怒るだろう。
そもそも、決して沸点の高い男ではない。
「自業自得だな」
克己が、ドライに吐き捨てた。
「酷ぉい!」
と、マヤが頬を膨らませた。
克己が小さく笑う。
と、マヤは克己に擦り寄ると、
「ねぇ、貴方、少し私に協力して欲しいんだけど」
と、囁いた。
「協力?」
「ええ」
「――」
「私は、ショッカーの最高幹部よ?」
マヤがうそぶいた。
しかも、この時、日本支部を任されている死神博士よりも、ショッカー首領からのバック・アップを受けていたのは、このマヤである。
克己は、やれやれと言った風に頷いた。
「何をすれば良いんだ?」
「話が早いわ。若いって、良いわねぇ」
マヤが言う。
克己は別に、若くはない。
戦争の直後と比べれば、歳を喰った容姿に作られているが、それでも、精々見積もって、三〇代という所であった。
「チーター男……」
「む?」
「あの子と、同じ身体になって欲しいのよ」
マヤが言った。