克己は、基地内に設けられたガレージにいた。
ガレージは、あの改造手術室の真上から、少し逸れた所にある。
そこには、一台のオートバイが停まっていた。
クリーム色の、滑らかなラインをしたマシンである。
赤い線が、流麗なボディに走っていた。
左右に三気筒ずつ、計六気筒が、後方に伸びている。
一対の丸いライトの中心に、バイクに跨るRのマークが貼られていた。
強化改造人間の外部ユニットと呼べる特殊自動二輪車――
サイクロン号と名付けられたマシンであった。
克己は、無人のガレージの中で、引き寄せられるように、サイクロン号に歩み寄って行った。
その滑らかなボディに誘われて、克己は、シートに跨っていた。
だが、ハンドルに手を伸ばそうとして、躊躇った。
強化改造人間計画の試作品としての改造が、克己の肉体には施されている。
緑川の設計通りではなく、その要となる部分のみを、肉体に埋め込んでいる。
いや、正確に言うならば、強化改造人間の実験素体に、克己を埋め込んだと言った方が良い。
今までの改造人間とは、全く異なる改造人間のシステム――
なるべく生身の機能を拡張する為に、特殊な機械を身体の中に入れるというものである。
だから、既に生身の部分の大半を失っている克己では、強化改造人間の実験となる事は出来なかった。
死神博士は、先ず、別な人間を用いて、強化改造人間の素体を作成した。
そこに、克己の唯一残ったオリジナル部分――つまり、脳と神経を移植したのだ。
克己には、特殊な体質があった。
あらゆる生物の遺伝子に対して、すぐに適応する事が出来るのだ。
普通の人間ならば、別の動物の遺伝子を身体に入れられて、拒否反応を起こす事がある。
“人狼計画”の失敗と、似たような現象である。
それが起こらない。
その克己であるから、別の人間の身体に、それが殆ど中身を機械と挿げ替えられたものであるとしても、問題なく適応出来る。
しかし、強化改造人間のボディそのものに、常人を遥かに超えるパワーが秘められているからか、中々、脳が肉体に馴染んでくれないのである。
リジェクションこそ起こらないが、肉体を自在に操れるようになるには、まだ、暫くの間、トレーニングを積まねばなるまい。
そうしなければ、触れるもの全てを握り潰してしまう。
サイクロン号――現在に於けるショッカーの最高技術を破壊してしまう事を、克己は躊躇した。
だが、握った。
ハンドルに、手をそっと置く。
それだけで、自然と握り込まれてしまう。
市販のバイクならば、この瞬間に、ハンドルがねじ折れている所である。
サイクロン号は、耐えた。
ぴたりと、掌に、そのハンドルが密着した。
「ぬぅ」
克己が呻いた。
ぞくぞくとしたものが、改造された肉体を駆け巡り、脳を刺激する。
身体の中に生まれた熱が、皮膚を切り開かれた痕を浮かび上がらせた。
恐る恐る――否、自ら積極的に、克己はハンドルを捻った。
ライトが、煌々と床を照らし上げる。
エンジンが、力強い唸りを上げた。
ごぉぉぉん、
ごぉぉぉん、
ごぉぉぉん、
まるで巨獣の咆哮であった。
大きく、強く、低く、逞しく、熱いものが、マシンから伝わって来る。
自分が、違う何ものかに変わってしまいそうであった。
作動した機械が熱を孕み、その熱が神経を犯して、脳を縦横無尽に斬り付けて来た。
斬り付けられた脳は、痛みを訴えて神経にフィード・バックし、機械に信号を送る。
その信号が、又、神経を逆流して、脳みそを活性化させた。
視界が、一気に広がって行く。
聴覚が、遠い場所で針が落ちたのを報せた。
鼻は、手術室でメスを入れられた男の血を嗅いだ。
舌は、吸い込んだ空気の味さえも全て判断してしまう。
皮膚は、バイクの唸りが舞い上げた埃を識別していたのである。
そして、精神は――
「そこまでにして置きなさい――」
何処かから、声が降って来た。
鼻に掛かった、甘い声だ。
この時から三〇年もすれば、“アニメ声”と呼ばれるようになる声だ。
克己は、エンジンを止めた。
声のした方向――頭上を眺めると、天井のふちに、一人の女が腰掛けていた。
豊満な身体を強調するような、ぴったりと張り付いたセーター。
気持ちの良い程、脚を露出するホット・パンツ。
黒い髪を、肩の辺りまで伸ばしている。
ぱっちりとした瞳、通った鼻梁、ぽってりとした唇――
ぞっとするような美貌の女であった。
克己は、声を掛ける事も忘れて、女に見惚れてしまった。
女は、くすり、と、微笑むと、そこからガレージまで跳び下りて来た。
蛇が、樹の上から落下しても、身体をくねらせて無事に済ませるような着地であった。
「壊れちゃうわよ」
「あ……ああ」
克己は、そう言いながら、ハンドルから手を離した。
女は、又、薄く笑う。
「そっちじゃないわ。貴方の事よ」
「俺の⁉」
「ええ。貴方、強化改造人間の試作品――言うなれば、零号らしいけれど」
「――」
「そのままだと、駄目よぅ」
「駄目?」
「強化型はね、その上に、もう一枚、着てなくちゃいけないのよ」
「――」
女が踵を返して、歩き出した。
克己は、サイクロン号から降りると、女の後を付いて行った。
「あんた、何者だ?」
克己が、女の背中に訊いた。
「マヤ――」
と、女は答えた。
「まや?」
「ショッカーの、最高幹部よ」
「……女が、か?」
「あら、女を舐めちゃいけなくってよ」
マヤが、肩越しに振り向いた。
「もう何年かすれば、男の子たちは、みぃんな、女の子のお尻の下なんだから」
「――ショッカーは」
克己が、呟くように言った。
「そういう事を失くすのが、目的ではないのか?」
ショッカーの理念――
克己は、別に、ショッカーに共鳴したから、首領の許に草鞋を脱いでいるのではない。
しかし、自分が属する組織の事を知らないままでは、いられない。
ショッカーの目的は、地球上から、争いを失くした、新しい世界の建設である。
貧富、美醜、人種、生まれや育ち、そして男女の差別を、全く撤廃して、それらの為に流されていたあらゆる血と涙を、無用のものとしようと言うのだ。
その為、克己自身の発言も、マヤの言葉も、ショッカーの理念には適わない事であった。
「ふふっ――」
と、マヤが笑う。
「偉い、偉い。きちんと、ショッカーを理解してくれているのね」
「――」
克己を子供扱いするようなマヤ。
改造して、イワンが出会った当初のそれに寄せている容姿や、精神的には兎も角、克己は既に四〇代である。
克己はむっとして、顔を歪める。
マヤの容姿からして、成人は迎えている筈だ。けれども、年下であろう。そういう相手に、手玉に取られるような事は、良い気分がしない。
そのマヤが、ガレージの端で立ち止まる。
そこには、細長いロッカーが設けられていた。
マヤがロッカーを開ける。
ロッカーの中には、マスクとスーツが掛けられていた。
マヤがスーツを引き出して、克己に手渡した。
ずしり、と、重いのは、鉄のプロテクターの為だ。
黒い、頑丈でありながらも、柔軟性を失わないスーツ。今は一繋ぎになっているが、上下のツー・ピースらしかった。
上着の胸の前に、人間の大胸筋と腹筋をデフォルメしたらしいプロテクターが付いている。
深緑色をしていた。
六分割されたプロテクターの下部には、何れもスリットが入っていた。
又、上着には他にも鉄のグローブが、ズボンの方には鉄のブーツが一体化している。
更にマヤは、太いベルトを克己に渡した。
白いベルトに、大きな銀色のバックルがあり、腰の左右に来るであろう位置にバーニアが設けられている。
バックルの中心から、内包された風車が見え、その上に透明なカバーが張られていた。
克己は、死神博士から見せられた資料で、その名を知っている。
プロテクターは、コンバーター・ラングと呼ばれていた。
このベルトは、タイフーンといった筈である。
そして――
マヤが最後に見せたマスクを、ヘルメットを、仮面を見て、サイクロン号に跨った時以上の、ぞくりとしたものを、克己は感じ取った。
それは、飛蝗の顔であった。
それは、向き出された頭蓋骨であった。
それは、苔むしたまま放置された髑髏であった。
血が溜まったような、一対の楕円が、眼である。
眉間に、仏像にも存在するランプが付いていた。
触角が二本、丸みの後方に反り返っている。
鉄をも噛み砕きそうな牙が、ぎらぎらと見せ付けられた。
強化改造人間計画で生み落される改造人間の能力を、限界まで引き出す為のユニフォームであった。
「S.M.R.……」
克己が呟いた。
それが、強化改造人間計画の別名であり、新戦士の名前であった。
だが、
「違うわ」
と、マヤが言った。
蒼いマスクを、たおやかな白い指で撫でながら、マヤが言う。
「仮面ライダーよ」