それから――
松本克己が、ショッカーに参入してから、二十余年の月日が過ぎた。
それまでに、死神博士のコードネームを得たイワンは、ショッカーの提供の下で、多くの人体実験を繰り返し、とうとう、改造人間計画を打ち立てた。
人間の身体に、他の動植物の特性を備えさせる事で、環境を破壊する事なく、世界に対して戦争を仕掛ける事を可能とする兵器である。
その第一号に選ばれた素材が、蜘蛛であった。
蜘蛛男――
と、いうのが、改造人間計画で、最初に実用化された個体の名称である。
以降、蝙蝠、蠍、サラセニア、蟷螂、カメレオン、蜂――と、様々な動植物を素材とした改造人間が生み出されて行った訳だが、その前に、第零号とでも呼ぶべき改造人間が存在した。
その零号の内の一体は、ゾル大佐である。
ゾルは、元から、ナチスに於ける薬物投与を用いて人間を超人化する、“人狼計画”の被験者であり、“人狼化現象”を起しながらも生存し続けた、稀有な固体である。
しかし、定期的な薬物投与をしなければ、延命は難しかった。
ゾルは、そのような我が身を死神博士に提供し、改造人間計画の礎たる事を望んだ。
死神博士に依る調整が行なわれ、ゾルは、薬物投与の呪縛から逃れる事が出来た。
改造人間第零号――その名は、“人狼化現象”を限界まで突き詰めた結果、安定を得た、狼の改造人間である、“黄金狼”であった。
そして、もう一人の第零号と言うのは、松本克己の事である。
克己は、幼い頃から争いと、修行の中で培って来た肉体を、常に死神博士に検体として差し出していた。
その優れた肉体は、どのような手術にも耐え、機械を埋め込まれ、別な生物の遺伝子を注入され、オリジナルと呼べる部分が、脳や、一部の神経だけと成り果てても、決して劣化する事がなかった。
寧ろ、改造されるたびに、その肉体は強化されて行った。いや、これは強化改造を重ねているのだから、当たり前にしても、その神経細胞が、改造の都度、強靭なものに成長を遂げているのである。
普通、そんなに手術を繰り返してしまうと、否が応でも、肉体が弱まって行く。
新たに埋め込まれた組織は兎も角、オリジナルの部分は、次第に擦り切れてしまうのだ。
だが、克己の場合は、異常なまでに発達した神経組織が、次からの手術に耐え得るように、進化を続けて行くのである。
一九七一年――
ショッカーの活動が、世界規模に及ぼうとしていた頃、克己は、死神博士と共に日本に帰って来た。
それまでは、死神博士が拠点としていたスイスにて、彼に身体を切り開かせていた。
日本に死神博士が呼び戻されたのは、新しい改造人間計画の為だ。
強化改造人間計画――
実用化された七体の改造人間のデータを基に、全く新しい試みが行なわれようとしていた。
今までの七体は、人間の身体に、他の生物の細胞を埋め込み、薬物で以て二種類の細胞を融合・適応させて行くという方式を取っていた。
更に、脳下垂体から分泌されるホルモンを操作し、人体に眠っていた進化の可能性を引き起こし、埋め込んだ他生物の遺伝子を元に、新しい器官を作り出すのである。
人間――ヒトは、猿から進化したものであり、その大本を辿って行けば、犬や鳥などにも行き付く。その為、人体の爪や牙を大きくしたり、翼を生やしたりという事は、人間の遺伝子に存在する可能性であった。
だが、昆虫と言うのは、人間とは全く異なる進化体系を遂げて来た。その為、ヒト遺伝子の中には、昆虫類の遺伝子の種が内包されていない。
そこで、昆虫の遺伝子を、人間のものと融合させるという計画が持ち上がった。
そうする事で、下垂体ホルモンを、昆虫の遺伝子に働かせ、人間の身体に、本来ならばあり得ない昆虫の組織を出現させる――
その成功例が、改造人間第一号・蜘蛛男なのである。
この蜘蛛男の例とも、又、異なる改造人間を創り出すよう、死神博士は命じられた。
ショッカー基地――
死神博士は、克己を伴い、或る男と面会していた。
歳は、死神博士とそう変わらない位であろう。
死神博士は、年齢以上にやつれた容姿であるが、それと同じ位に見えるという事だ。
しかし、死神博士の眼に、刃のような光が常に溜められているのに対し、その男は、何処となくおどおどとした雰囲気を、眼鏡の奥に秘めていた。
緑川弘――
城南大学の、生化学研究所に努める傍ら、人工臓器などの研究にも精通していた。
面会に使われた場所は、死神博士――イワンと克己が、ゾル大佐と初めて言葉を交わした、浜名湖の地下にある基地ではない。
東京郊外の、寂しい山の中に設けられている。
地下だ。
誰も足を踏み入れようとは思わない洞窟の奥深くに、オーバー・テクノロジーが眠っている。
円形の手術台が中心にあるフロアで、死神博士と緑川博士は向かい合っていた。
台の上には、一人の男が大の字に拘束されている。
死神博士は、手術台を右手に見る。その左斜め後ろに、克己が立っていた。
緑川博士は、手術台の男を、左の肩越しに眺めている。
フロアの壁には、モニターやスイッチが無数に設けられており、白衣を着た男たちが、忙しそうに動き回っていた。
天井は、ガラス張りである。
「初めまして、緑川博士――」
死神博士が言った。
二〇年余りで、その頬の肉は削げ落ち、髪は灰色に変わり、肌は遺体のように蒼白くなった。
だが、一八〇センチの身長と、炯々とした狂狼の眼は変わらなかった。
「お噂はかねがね――」
緑川が、死神博士と握手を交わした。
「イワン=タワノビッチ博士……」
緑川の言葉に、死神博士が、小さく笑った。
「どのような噂かね?」
「え? それは、生化学の権威、延命治療の第一人者と……」
「――」
死神博士の視線を、真正面から受けて、緑川は唾を呑んだ。
その名前の由来を、緑川も知っていたからだ。
行く先々で、死人が出る――だから、死神。
「死神博士で構わんよ」
と、言った。
「はぁ……」
こめかみに浮いた汗を拭いながら、緑川。
「この男かね……」
死神博士が、手術台の上の男を見た。
縮れた髪、太い眉、逞しい肉体……
その姿を見て、彼がモトクロスの選手である事は分かっても、知能指数六〇〇を差す、まさに文武両道の鑑のような人間であるとは、すぐには分かるまい。
強化改造人間計画の素体として選ばれた、優秀な人物である。
本郷猛――
それが、男の名前であったが、しかし、死神博士には彼個人については興味がない。
「そうです」
緑川が言った。
聞けば、本郷猛は、緑川の推薦であり、本郷は緑川の弟子であるという。
ふ――
克己が薄く笑った。
「どうしたのかね、カツミ」
死神博士が訊いた。
「いや、緑川博士のお気持ちが、痛い程、分かったものでね……」
「私の⁉」
ぎょっとして、緑川が訊いた。
「その男は、あんたの弟子……しかも、かなり、力を入れて育てていたようだな。そして、今回のプロジェクトは、この死神博士と、緑川博士の、現段階に於ける技術の粋を集めたものになる。要するに、緑川博士の、ご子息のようなものだ」
「――つまり?」
「息子のように育てた弟子に、息子として育てた技術を使ってみたいという気持ちが、分かるのさ」
にぃ、と、克己は唇を吊り上げた。
緑川は、苦々しい顔をしていた。
要するに、緑川の、科学者としての冷酷な欲求が、本郷猛の身体を、人間とは違うものに造り変えさせようとしている――それを、克己は見抜いたのである。
「よしなさい、カツミ」
死神博士が、克己を諌めた。
この一言が原因で、緑川が、死神博士に、ひいてはショッカーに不信感を抱くようでは、困る。
「分かったよ、博士」
克己は素直に頷く。
「悪かったな、緑川博士。悪気はなかったんだ」
と、克己が手を差し出した。
緑川が、その手を取った。
すると、
「うぐっ!」
緑川が、低く悲鳴を上げた。
「カツミ!」
死神博士が、克己の身体を、持っていた杖で打った。
克己の身体が跳ねて、緑川の手を握った克己の手が、勢い良く離れた。
「――済まない、博士。先程の発言は兎も角、今のは、本当に悪気がなかった」
今度は、死神博士が謝罪した。
緑川は、克己の手に握られた瞬間、凄まじい激痛を覚えた。
克己の手が、緑川の手を握り潰そうとしたのである。
「先に、貴方の理論で、実験をさせて貰った」
「実験?」
「強化改造人間計画――」
「――」
緑川が、克己の事を見上げた。
緑川が、スイスの死神博士に送っていた、強化改造人間の設計図を基に、克己の肉体をそのように改造していたのである。
それに慣れぬままに日本へ帰って来たのだ。
克己は、ここに来るまでに何度か、意識する事なく、身の回りのものを破壊していた。
「脳改造は、していないのかね」
緑川が言った。
力のバランスを調整する機能は、脳に組み込まれている。
脳改造には、改造人間が、ショッカーに逆らう可能性――ショッカーの目的自体は人類の為と謳っているが、その行動が余りにも過激である為――を、失くしてしまうのと同時に、そうした目的もあった。
「うむ」
と、死神博士が頷いた。
「そうか……」
益々、緑川が、苦々しい表情で言った。
「カツミ、君は、手術の間、外に出ていなさい」
死神博士が言う。
克己は、ズボンのポケットに両手を突っ込んで、
「分かったよ」
と、少し拗ねたような態度で言い、そのフロアから出て行った。
「さ、手の感覚が戻りましたら、早速手術を開始しましょうか」
死神博士が、緑川に言った。
改造のシステムは私の勝手な解釈です。