仮面ライダー Chronicle×World   作:曉天

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第十節 生死

克己が眼を覚ました。

 

ベッドの上であった。

天井の様子からすると、恐らく、あの基地の別室であろう。

 

身体を起こそうとしたが、全身を鎖で拘束されているかのように、動かない。

意識が覚醒するに連れて、タールのような疲労が、込み上げて来た。

 

時計の音が鳴っている。

針が、一秒を何度も刻んでいた。

 

ベッドの右側に、扉があり、それが開いたのは、五分程してからであった。

 

「眼が覚めたかね?」

 

イワンであった。

 

初めて会った時より、さっぱりと小奇麗になっている。

服も、真っ白な、スリー・ピースのスーツになっていた。

 

イワンは、ベッドの傍にあった椅子の背もたれに、上着を掛けてから、腰を下ろした。

 

「私が分かるかね、カツミ……」

「――お、俺は……」

 

克己が口を開いた。

 

「や、奴は、どう、なった……?」

「奴?」

「よ、よも、よもつ……」

 

咽喉に、血の味を感じていた。

舌が巧く回らなかった。

空気が、折れた歯の隙間を通り抜けて行く。

 

「あの、ヨモツヘグリかね」

 

イワンが問うと、克己は頷いた。

 

「死んだよ……」

「死んだ⁉」

「憶えていないのかね」

「――」

 

克己には、ヨモツヘグリと戦っていた記憶はあるが、その結果が頭の中に残っていない。

 

いや、まだ、戦っている最中であるような気もして来た。

 

それなのに眠っているとは、どういう事か、と。

 

だから、死んだと聞いて、驚いたのである。

 

「君が、あれの、腹を突き破って、倒したのだよ」

「――」

 

右腕に、嫌な感触が蘇った。

 

臓腑の温もり。

その奥にあった柔らかさ。

返り血の温度。

ヨモツヘグリの、おぞましい悲鳴。

 

「女……」

 

ぽつりと、克己が呟く。

 

「あれは、女、だったんだな」

「ああ」

「子を、孕んでいたな……」

「そうだ」

「俺は、その、子供を……」

「――“生きてるんだろう”……」

「え?」

 

克己が、イワンの方に、顔を向けた。

 

「君は、そう言っていたよ」

「だ、誰に?」

「ヨモツヘグリにだよ」

「――」

 

思えば、確かに、そういう事を、言ったかもしれなかった。

だが、何故、そんな事を言ったのか。

 

「ヨモツヘグリが、抵抗をやめたのだよ」

 

イワンが説明を始めた。

 

「何?」

「君と戦うのを、やめようとしたのだ」

「――」

「しかし、彼が鞭を鳴らすとね、君に向かって行くのだよ」

「彼?」

「ゾル大佐さ」

「――」

「そうして、また、君らは戦った。けれど、少しして、ヨモツヘグリはまた、戦うのをやめようとする。すると、大佐が鞭を鳴らすのだ……」

 

そういう事を、繰り返したらしい。

 

その最中に――

 

“――生きてるんだろう⁉”

 

克己は、そう言ったらしい。

そう言って、泣いていたらしい。

そう言って、泣きながら、殴っていたらしかった。

 

「ああ……」

 

思い出した。

 

克己は、その時、自分が何故、そんな事を叫んだのかを、思い出したのだった。

 

「ゾルの、命令で……」

 

と、語り始めた。

 

「あいつが、俺から逃げようとするのを、やめるのが、分かった」

 

イワンは、それを静かに聞いていた。

 

「あの鞭の音で、あいつは、自分の恐怖心を、失くすんだ。でも、でも、それは、あいつ自身の意思じゃない。あいつと、実際に戦っていた俺には、それが、分かった……」

「――」

「だから、思ったんだ……」

「――」

「どうして、お前は、生きている筈なのに、自分の意志を押し通さないんだ――」

「――」

「子を孕んでいるのも分かった。それを守る為に逃げようとしたのも――」

「――」

「それなのに、あいつは……」

「カツミ……」

 

イワンが、静かに言う。

 

「君が、彼女の腹から、赤子を取り出した後……」

 

ヨモツヘグリは、それでも、まだ動いたという。

克己に襲い掛かった。

 

まるで、赤ん坊を取り戻そうとするかのようであった。

 

克己は、しかし、そのヨモツヘグリを返り討ちにした。

 

その一発の迎撃で、克己は倒れた。右手には、赤ん坊の胴体を掴んだままだった。

 

臍の緒で、ヨモツヘグリと克己は繋がっていた。

 

ヨモツヘグリが、這って、又、克己に襲い掛かった。

しかし、克己を叩いたヨモツヘグリの手が、赤ん坊に伸びた。

 

異様に太い腕が、赤子を抱き締めた。

すると、その凄まじい腕力が、自らの子供を絞め殺してしまったのであった。

 

ヨモツヘグリは、悲鳴を上げて、そのまま倒れた。

 

ゾルが、克己の戦闘力に、満足したように笑っていた。

 

彼が鞭を鳴らすと、何処にいたものか、黒尽くめの集団がやって来て、闘技場に入った。

 

疲弊した克己を助け出すのと、ヨモツヘグリを回収するのに別れた。

 

ヨモツヘグリを回収する黒尽くめの男が、彼女の手から、赤子を取り外そうとした。

 

肩を貸されて立ち上がった克己は、その光景を見て、眼を剥いて叫んだ。

 

“駄目だっ!”

“離しちゃだめだ!”

 

と、先程までの負傷などなかったかのように駆け出し、黒尽くめの男たちを、ヨモツヘグリから引き剥がしたのである。

 

克己は、真っ赤な眼で、男たちを睨み付けながら、ヨモツヘグリと、その赤子を抱き締めた。

 

ゾルが、克己の意思を尊重して、ヨモツヘグリと、その子の遺体を、決して別れさせる事なく運ぶよう、命じた。

 

「意外だったな……」

 

イワンが言った。

 

「君が、ああいう事を言うとはね」

「――俺じゃない……」

「――」

「空襲のあった、次の、日だ……」

 

克己の眼が、遠くを見つめていた。

 

その日――

 

隅田川に、遺体が溢れた。

 

空襲警報が鳴らされた。

人々は、自宅から、我先にと逃げ出そうとした。

川に飛び込んだ。

その川に、爆弾が落っこちて来た。

そのまま焼け死んだ。

 

そういう屍が、ごろごろと、脂の浮いた水の中に転がっていたのである。

 

遺体を回収する作業の指揮を、克己は執らされた。

 

その途中で、聞こえて来たのだ。

克己が言った通りの言葉だ。

 

“だめだ!”

“離しちゃだめだ!”

 

見れば、一人の少年兵が、川の中から引き上げた遺体を、抱き締めていた。

血涙を流さんばかりの凄い眼で、憲兵を睨み付けていた。

 

彼が抱いている遺体は、女であった。

女である事が、辛うじて分かる程度の膨らみを帯びるだけだ。

 

皮膚は真っ黒に焦げ、嫌な匂いが持ち上がって来る。

 

その遺体は、胸に、子供を抱いていた。

勿論、焼け焦げた遺体の腕の中で、子供が生きている筈もない。

 

それでも――

 

その親子の遺体を引き剥がそうとした者たちを、少年は睨み付けていたのである。

 

その時の光景が、克己の脳裏に焼き付いていた。

 

だから、ヨモツヘグリが我が子を抱く姿が、それに重なり、あの少年と同じ台詞を、克己に言わせていたのである。

 

「そうか……」

 

イワンが、静かに頷いた。

 

そうした所で、部屋のドアが開き、ゾルがやって来た。

 

「体調は如何ですかな、カツミ」

「――充分、休ませて貰った」

 

むすっとした様子で、克己が言った。

 

「それは良かった。こちらも、充分、君の力を知る事が出来ました」

「そうかい」

「首領も絶賛されていました」

 

ゾルが言った。

 

「あの男こそ、我らがショッカーに相応しい男だ、と」

「――」

「カツミ、君を、ショッカーに迎え入れたい」

 

ゾルが、悦に入ったような表情をしていた。

 

「……イワン……」

 

克己は、ベッドの傍のイワンに声を掛けた。

 

「あんたは、どうする?」

「私かね……」

 

イワンは、溜め息を吐くように言った。

 

「私は、彼らに与する事にした。あの技術を見せられてはね」

「――そうか」

「私は、どうしても、ナターシャを取り戻したい……。その為には、あの、ヨモツヘグリを、死人を再び動かす技術が必要なのだ」

「――」

「仮に、ショッカーが、悪魔であったとしても、私は、きっと同じ事を言う……」

「――」

「私には、他に、何もないのだ。博士号など、それで得られる名誉など、財産など、何の意味も持たない。傍で、ナターシャが、笑い掛けてくれなければ、そんなもの、ゴミだ」

「……そうか」

 

克己は、眼を閉じて、頷いた。

そうして、再び瞼を持ち上げると、イワンに眼を向けた。

 

「同じだな……」

「同じ?」

「ああ」

 

克己は、次に、ゾルの方に視線をやった。

 

「ショッカーに、協力しよう……」

「ほぅ!」

 

ゾルが、喜色を浮かべる。

 

「俺も同じだ。イワンと同じで、何もない。いや、イワン以上に、何もないと言って良い。何せ、俺には、愛する人もない。俺にあるのは、この、身体だけだ。けれど、何もしないのであれば、その身体さえも意味を為さなくなってしまう」

「ふむ」

「俺は、死人だ……」

「――」

「ゾル、イワン……」

 

克己は、言葉を一旦止めて、深く息を吸った。

そして、蒼い炎のように、その口から言葉を吐いた。

 

「俺を、生き返らせてくれ……」

 

克己がそう言った時であった。

 

「克己よ――」

 

と、いきなり、そんな声が聞こえて来た。

 

思わず、上体を起こす。

 

イワンや、ゾルが入って来た時は、誰もいなかった筈の空間から、その声は響いて来た。

 

それ以降に、ドアが開いた様子もなかった。

 

見れば、そこには、一人の僧が佇んでいた。

 

僧――と、言っても、日本でいう僧侶とは違う。

裸の身体に、オレンジ色の布を巻き付けているだけであった。

右肩を出している。

 

チベットの修行僧などは、このような姿をしている。

 

頭を剃り上げていた。

整った顔立ちだが、どう表現する事も難しい。

 

その眉間に、ぽつりと、デキモノのように膨らんだものがあるのは、見て取れた。

 

ゾルは、その僧を見て、両足を揃え、右腕を高く掲げた。ナチス式の敬礼であった。

 

「あ、あんたは……」

 

克己が問い掛けた。

 

「ヘールカ」

 

と、僧形の男は言った。

 

「――と、一応は、名乗っている」

「一応は?」

「イワン博士、私の事が分かるかね」

 

ヘールカは言った。

 

「ああ」

 

イワンが頷いた。

 

「私に、連絡を取った男だね」

 

イワンは、ドイツで、その男から様々な条件を提示され、日本へ来るよう言われた。

 

克己は、ヘールカを見て、それから敬礼のポーズを採ったゾルを見て、彼の事を察した。

どうやら、このヘールカという僧が、ショッカーの首領らしい。

 

と、不意にヘールカは克己を見て、

 

「その通りだよ、松本克己――」

 

と、言った。

 

克己の心の中を読んだかのようであった。

 

「克己、私が、君の生き甲斐となろう――」

 

ヘールカは言った。

 

「生き甲斐⁉」

「そうだ。人類の為に、我々ショッカーに、手を貸してくれ給え」

 

ヘールカは、克己の傍に寄ると、右手を差し出した。

 

克己は、

 

「生き甲斐、か……」

 

と、小さく呟きながら、ヘールカの手を握った。


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