仮面ライダー Chronicle×World   作:曉天

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第七節 克己

松本克己――

 

天涯孤独の身の上である。

 

父親は、いない。

母を、無理矢理犯して、克己を孕ませたのだ。

 

その男は、母が殺していた。

 

情状酌量の余地ありとされ、長い期間は、拘束されなかった母だったが、殺人の前科を背負った事で、白い眼で見られるようになった。

 

克己を生んだのは、獄を出てから頼った、遠縁の家の、馬小屋の事であった。

 

家の中には入れて貰えなかった。

妊娠している事が発覚しても、その扱いは変わらなかった。

 

糞を掻き集める仕事をした。

肥料として、畑に撒く。

馬に餌をやり、やはり、馬糞を掃除する。

 

冬の、寒い日の事であった。

 

その日も、馬小屋で過ごしていた。

 

腹が、見るからに膨らんでいる。

 

少し前に、馬も子供を生んでいた。

 

その傍で、破水した。

女の股から香る、血の匂いに、馬たちが興奮を覚えていた。

 

家の中には入れて貰えない。

子供が生まれそうだから、手伝ってくれと言えば、流させられる事が眼に見えていた。

 

馬小屋の中で、生む事にした。

 

薄汚れた着物を千切り、それを、噛んだ。

洗濯は、週に一度位しか、させて貰えなかった。他の服は、ないようなものだ。

 

糞の匂いが染み付いている。

鼻孔に立ち昇って来る匂いに、気を失いそうになった。

 

小屋の中にあった縄を、梁に回し、握り締めた。

 

湯をひっそりと沸かした。

 

陣痛――

 

口の中の布を、強く噛み締めた。

奥歯の鳴る音がした。

 

縄を、手に血が滲む程、強く握り締めた。

梁が軋む。

 

腹が裂けそうな痛みがあった。

 

脚を、桶に向かって開いていた。

 

筋繊維の裂ける音が、激痛と共に、肉体を駆け上がった。

ぞぶり、と、肉の内側から、弾力のある肉が剥き出して来た。

 

鼻から、息を吐いた。

砕けんばかりに、奥歯を噛んだ。

 

梁が落ちて来そうであった。

 

女の呻きに、馬たちが反応していた。

 

風が、馬小屋を叩いている。

 

眼を剥いた。

涙袋に、血が溜まっていた。

 

全身の至る所で、ぶつん、ぶつん、と音を立てて、血管が千切れているのが分かった。

 

身をよじる。

下腹部の痛みに、身をくねらせた。

 

小便を垂らし、糞をひった。

 

括約筋を絞め上げると、その圧力で、産道からまろび出るものがあった。

 

全身から力が抜けた。

魂というものがあるなら、その場で、全てを吐き出してしまいそうであった。

 

背中を地面に着いた。

乳首の黒ずんだ乳房が上下する。

その向こうに、内包していたものを吐き出した腹があった。

 

その腹の向こう側から――

赤いものが、上って来た。

 

赤子だ。

血濡れた赤子が、生まれ落ちてすぐに、這い上がって来たのだ。

 

血の絡んだ眼で、やがて克己と名付けられるその赤ん坊を、眺めていた。

 

赤子は泣かなかった。

小さかった。

 

自らの力で歩き、眼も開いたが、それが、その赤子の最後の活動になると思われた。

 

起き上がった。

 

疲労など知った事ではない。

痛みなど自分には関係ない。

 

彼女の肉体は、そのようにして動いた。

 

親の傍で眠っている仔馬の身体を手繰ると、その腹に歯を突き立てた。

ぞっぷりと、その柔い肉が、口の中に包まれた。

 

咀嚼する。

皮も、肉も、肝も、歯でぐちゃぐちゃに砕いた。

 

親馬が吠えた。

蹴りに来た。

 

膨らんだ腹を、蹴り付けられた。

残った胎盤が、勢い良く押し出された。

 

赤子に歩み寄った。

 

柵に妨げられ、馬はそれ以上進めない。

しかし、荒い鼻息と、向き出された歯茎、柵の向こうに振り出される足の動きが、子のはらわたを裂かれた親馬の怒りを表していた。

 

赤ん坊の口を、指で開き、口付けをした。

ペースト状になった馬の肉を、喰わせた。

 

背後で、木の折れる音がした。

馬が、柵を蹴破ったのだ。

 

馬小屋に満ち満ちた血の匂いは、馬たちから静けさを奪い取っていた。

 

翌朝――

 

いつまでも、糞をくみ取りに来ない女を不審に思い、家の者たちが、馬小屋を見に来た。

 

そこには、累々とした馬の死骸と、身体を丸めて死んでいる女があった。

 

その女の腕の下から、赤子が這い出して来た。

馬の肉を呑み、生き延びた赤子であった。

 

女の寄り掛かっていた壁に、血で、

 

 

克己

 

 

の、文字があった。

 

それが、松本克己の誕生であった。

 

克己は、或る程度の年齢まで、その家で育てられた。

しかし、当然のように、待遇は、冷たいものになる。

 

彼の母親が殺した馬の代わりとでも言うかのように、雑用を命じられた。

 

その家に子供が生まれ、彼らが育つと、遊びと称して暴力を振るわれた。

 

物心付いた時、克己は、とうとうその家を抜け出す事になる。

 

夜、その家の金を懐に詰めて、逃げ出した。

一晩の内に、遠く離れた。

 

それからは、若者と言うにも程遠い年齢ながら、住した町でちんぴら紛いの事をやった。

 

その町の悪がきたちを集めて、大人を脅し、金や食糧を奪い取った。

人の家に火を点けたりもした。

 

やらなかったのは、殺人と強姦だけである。

 

或る時――

 

生地から遠く離れた町の事、仲間の密告で、とうとう捕縛された。

 

その折に、或る武道家に出逢っている。

 

武道家は、克己を引き取ると、息子のように育て始めた。

何でも、克己に、自分の姿を見たからだと言う。

 

自分も、悪い事は散々やって来た。しかし、今ではそれを後悔している。克己程の事をやっていれば、自分以上に、後々悔やむ事になるかもしれないが、まだ小さな頃であれば引き返せる――克己の更生役を、買って出たのである。

 

最初は、その武道家を気に入らなかった克己であったが、一緒に暮らして行く内に、彼の事が決して嫌いではなくなっていた。

 

どれ程気に入らなかったかと言えば、食事中にちゃぶ台を蹴り上げて、箸で眼玉を突いて殺そうとしたり、寝首を掻いて、剃刀で咽喉を斬り付けてやろうとしたりする位であった。

 

だが、その尽くが失敗し、逆に、死なない程度に痛め付けられる事になる。

 

それが、克己は、嬉しかった。

 

その武道家は、克己の事を、真っ直ぐに見てくれたからである。

 

他の大人たちが、自分を叱る時は、必ずと言って良い程、冷たい視線を向けた。

ゴミでも見るような眼だ。

この世の屑を見下す眼だ。

 

自分が、ゴミ屑であるという事を、克己は分かっていた。しかし、そういう眼を向けられる事が、気に喰わなかった。

 

しかし、その武道家は、決してそのような眼はしなかった。

 

克己の過去など関係なく、克己の現状を、真っ直ぐに眺めてくれるだけであった。

 

克己を、“悪がきの中でも特に酷い”何かではなく、“松本克己”として見てくれたのは、その武道家だけであった。

 

“あんたの事を、必ず、ぶっ殺して、ここから出て行ってやるからな”

 

というのが、克己の口癖であった。

 

それを決意した日から、同居する武道家の稽古を盗み見て、武術を修得した。

 

克己の肉体には、凄まじい可能性が秘められていた。

 

天才というものだったのであろう。

一度、一つの技を見れば、それをあっと言う間に修得してしまえる性質であった。

 

その上、そのたった一度の成功に、堪らなく感動出来る男であった。

 

自分の肉体に、ここまでのものがあるのか――

 

それに、感動した。

それに、感激した。

 

その感激が、更に、克己の肉体を磨き上げた。

 

感動を持つ天才――

 

当たり前に出来てしまう事に驕る事なく、努力出来るのが、克己という男だった。

 

それに気付いた時、克己は、武道家の許を去った。

 

そうして、様々な武道や格闘技の道場に、殴り込みを掛けるようになった。

道場破りという奴だ。

 

空手。

柔道。

相撲。

合気道。

ボクシング。

レスリング。

 

それらを全部学び、それら全部に勝ち、自分なりに煮詰めて、近代の総合格闘技に勝る技術体系を、自らの中に練り上げて行った。

 

廻し蹴りの軌道なども、その中で、自然と創られていったものであった。

 

勝てる――

 

克己は、自分を拾い上げてくれた武道家の許へ帰った。

 

戦争が始まる、僅かに前の事であった。

 

しかし、武道家は既に他界していた。

結核を発症したのであった。

 

克己は、目標を失った。

失くした目標を探して、克己は入隊する。

 

格闘技術を、唯、学んで来ただけの人生であった。

戦う以外には、何も出来そうになかった。

 

しかし、戦いを求めて入った軍隊でも、終戦に依り、目標を見失う。

 

終戦間際、特攻隊に、志願した。

 

良く、美化されて語られる特攻志願ではあるが、実際には、同調圧力のようなものが強かった。

そんな中、少なくとも克己ばかりは、自ら一歩前に進み出た。

 

だが、克己が飛行機に乗る前に、戦争は終結を迎える。

 

又、独りになった。

克己は、何処にも行く場所がなかった。

 

荒れた。

喧嘩を、繰り返した。

 

相手は誰でも良かった。

適当な理由を付けて、喧嘩に発展させた。

 

眼付きが悪かった。

肩がぶつかった。

気に喰わない。

 

身体の奥に溜まりに溜まった、どろどろとしたものを、拳や蹴りに乗せて吐き出した。

 

虚しかった。

 

俺は何をやっているのだ……

 

そういう思いに駆られた。

 

そもそも、戦争なんて、嫌な事しかない。

人が死ぬのを見たり聞いたりして、悦ぶ性質の男ではなかった。

 

自らの肉体が、人をとことん破壊出来る可能性を持っている事を知ってからは、過去の悪行さえも、激しく嫌悪するようになっていた。

 

武道という粗野な世界にありながら、道場破りという蛮行に及びながらも――

 

克己の中には、優しさが生まれていたのである。

 

少なくとも、弱者をいたぶる事を嫌がる程度には、だ。

 

その克己に、ゾルが接触を図った。

克己を選んだのは、偶然か、それとも、何らかの意図があったのか。

 

克己の身体能力を見たゾルが彼を選んだのか、それともゾルに使者として選ばれた彼が、特異な身体能力を有していたのか。

 

それは、ゾルの口からも、語られていない。

 

しかし、克己がゾルと出逢い、イワンと出逢い、ショッカーと出逢ったのは、紛れもない事実であった。

 

「カツミ――」

 

ゾルが、硝子の向こうから、声を掛けて来た。

 

克己は、拳に包帯を巻いて、硝子に四方を囲まれた場所にいる。

 

その眼の前には、全身がぶくぶくと膨らんだ人間が、立っていた。

 

服は着ていない。

股間に、腹の肉が被さっていた。

 

とても、人間とは思えない姿をしている。

 

ごつごつとした皮膚が、何となく、蒼黒い。

人体の不健康の為に、そのような色をしているのではなかった。

 

ゾルが、硝子を上げ、鞭を鳴らして、この個体に、中心に出るように命令した。

その際に、コンクリートが擦れる音が、裸足の足音ではなかった。

 

鱗のようなものを、全身に、生じているのであった。

“人狼化現象”が、爪や牙、又は毛皮を生やすものであるならば、これは、“魚鱗現象”とでも呼ぶべきか。

 

そのような症状が、存在しない事はない。

 

しかし、全身を鱗が覆い尽くして尚、行動が出来るというのは、異常と言うべきであった。

 

異常に太い四肢――

 

最早、外骨格とさえ呼べるような鱗であった。

 

それと、戦えという事であった。

克己の実力を、ゾルと、そしてこの場を把握しているらしい首領に見せろと。

 

それで、克己は承知したのであった。

 

「ヨモツヘグリ――」

 

ゾルが、先に説明した。

 

「日本軍は、そのような名称で、この兵器を呼んでいた」

 

『古事記』に於いて、女陰を焼いて死んだイザナミノミコト。彼女を取り戻そうと、イザナギノミコトは黄泉へ赴くが、イザナミノミコトは既に黄泉の食べ物を喰い、高天原の住人ではなくなっていた。

 

その、黄泉のものを食べるという行為を、黄泉戸喫――ヨモツヘグリ、或いは、ヨモツヘグイと呼ぶのである。

 

つまりは、死者となるという事ではあるが、既に死んでいるものを殺す事は出来ない。

そのような認識と、薬物投与=体外からの物質の摂取に依ってその現象を引き起こす事から、ヨモツヘグリと呼ばれるようになったのである。

 

実用化されるには至らなかったが、その実験の途中経過が、ここには残っていた。

 

「気を付けて下さい、カツミ」

 

ゾルが忠告した。

 

「彼らは、強い――」

「――ふん」

 

と、克己は鼻を鳴らした。

 

そんなものに敗けるような、生温い生き方はして来なかった。

 

その克己を、硝子の向こうから、ゾルとイワンが眺めている。

 

「始めて下さい」

 

ゾルが、鞭を鳴らした。




武道家の事は、各自想像にお任せ致します。

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