席を立ったゾルの後に付いて、イワン、克己が、入り口の反対側の扉を潜った。
外から、このフロアに来るまでと同じような、剥き出しの岸壁――洞窟であった。
しかし、外から来る洞窟よりは、湿気が少ない。
冷たいが、乾いていた。
その地面を、一同の靴が叩いていた。
「ここ――」
ゾルが口を開いた。
「ここは、元は、日本軍の基地だったのですよ」
それは、先程も、克己が言っていた。
「外見――まぁ、外に出ていないのに、外見もありませんが――見た目は兎も角といて、目的だけは、果たしていたようでしてね」
「目的?」
「ええ。それは置いておくとして――終戦直前、我々が、もぬけの殻になっていたここを発見し、改装したのです」
「あの、壁に埋め込まれた機械もか?」
克己が、驚いた様子で聞いた。
日本にはないシステムであった。
それ所か、アメリカでさえ開発されていない、平成の世と比べても優秀なコンピュータが、基地には設けられていたのである。
「ええ」
「ほぅ……」
イワンが、歎息した。
「随分と、短い時間で、出来たのだな……」
「感歎せざるを得ません」
「あんたたちの事だろう?」
克己が言った。
「ナチスの残党が、終戦前に日本に来られたというのも、驚きだがな――」
「――ああ、いや」
ゾルが、克己の言葉を訂正する。
「我々と言っても、ナチスの事ではありません」
「む?」
「ショッカーですよ」
「ショッカー? だから、それは、ナチスの残党の事ではないのか?」
「いいえ、私を含むナチス残党は、彼らに吸収されたという形なのですよ。ショッカーは、元から、人類の陰に存在していたのです」
「人類の、陰?」
「ええ。我々――ナチスと言いましょうか、ナチスは、彼らに接触し、私や、他の将校たちを引き抜いて貰ったのです」
「――」
「“人狼計画”で、私だけが生き残り、そして、生き延びているという事も、彼らの技術に依る所が大きいのです。勿論、博士の力あっての事ですがね」
「――ショッカーとは」
イワンが訊く。
「何なのだね?」
「――」
「君たちの事ではない。君たちが接触したがった組織の事だ。それをショッカーと言うのであれば、ショッカーと呼ぼう。それ以外の呼び名があるのなら……」
「人間ですよ」
「――人間?」
イワンと克己が、顔を見合わせて、首を傾けた。
「人間の――影の部分、とでも、言って置きましょうか」
そうしていると、ゾルが、足を止めた。
突き当りであった。
やはり、扉が埋め込まれている。
ボタンを数度に渡って押した。
モールス信号で、開く扉だった。
広い空間であった。
天井が、一〇メートル位はある。ここまでやって来るのに、下り坂があった。
入り口から、向こう側まで、たっぷり五〇メートルはあるだろうか。
手前一〇メートル程度の所で、硝子で仕切られていた。
その硝子は、中心二〇メートルを四方から囲っていた。
空間の左右に、寝台が設けられているのが見える。
傍には、医療器具が設置された棚などがあった。
「病院……?」
と、克己が小さく呟いた。
「いいや」
イワンが、克己に言った。
「実験場だな、ここは……」
「実験場?」
「流石は博士――」
ゾルが満足げな顔であった。
「さて、カツミ。君の事です」
「――あんたたちの理想とした“人狼部隊”の完成に、イワン博士の頭脳が要るのは分かったよ。で、俺の肉体と、あんたは言ったが、どういう事だ?」
「簡単ですよ。私はね、貴方に“人狼”の――超人の役目を、求めているのです」
「超人?」
克己は、薄く笑った。
「莫迦な事を言うね、大佐」
「――」
「俺は、只の、武道しか取り柄のない小僧だぜ」
「知っているとも」
「そんな俺が、超人かい?」
「超人――と、言うには、些か普通過ぎるかもしれません。しかし、君の肉体は――そう、君の唯一の取り柄であるその肉体こそ、超人の因子となるべきものなのです」
「ほう⁉」
「先程、貴方は仰いました――」
“要するに、強化された肉体のみで、敵を制圧する部隊を作りたいって訳だ”
「別にね、それには、超人である必要はないのですよ」
「――」
「貴方のように、格闘技に優れていれば、それで良い……」
「――むぅ」
「例えば、カツミ。一〇人ずつで、戦争をする事にしましょう」
「――」
「大将を、互いに一人だけ選出して、その人物を殺せれば、勝ちです」
「――」
「武器は――ま、拳銃と刀剣、それ位でしょうかね。生物兵器……毒ガスや細菌などは禁止にしましょうか。勿論、原子爆弾もね。互いに、保持している武器の数や、大将の居場所を明かして、さぁ、戦争開始です」
「ふむ」
「そんな時、最も犠牲を出さずに、戦争を終わらせる手段とは何でしょうか」
「――すぐに、大将を、殺す事だろう」
「ええ」
「犠牲はその為だ。あちらの大将を殺したいが、こちらも大将は殺されそうになっている。だから、兵士同士で殺し合いが起こる。兵力を半分にするとして、攻めに行った者、大将を守る者、どちらにも、犠牲が出る……」
「その通り」
「犠牲を出来る限り少なくと言うのなら、攻めに行った事を気付かれず、相手の責めから大将を守らざるを得ない状況を回避する――」
「つまり?」
「暗殺だ」
「そう」
「敵の兵士に気付かれぬよう、敵将に接近し、悟られぬ間に抹殺する」
「素晴らしい」
「しかし、それが難しいから、犠牲が出るのではないか」
「毒ガスや細菌兵器を使えないのではね。しかし、その戦いは終わらせなくてはならない。どうしますか?」
「――」
「カツミ、君にならね、出来るのですよ……」
「俺に⁉」
「先程、言ったでしょう?」
「――暗殺か⁉」
「ええ」
「だが――」
「素手……」
「え?」
「カツミ、貴方が、仮に大将で、兵士たちに守られ、その上、機関銃で武装しているとして、裸の男を警戒しますか」
「――」
「その顔を見て、敵だと分かれば、即座に撃ち殺す事でしょう。しかし、見た事も聞いた事もない顔、或いは、知り合いの顔を真似ていたなら……」
「――」
「その男が、戦争に参加しているとは思わない貴方に、その男が親しげに話し掛けて来たなら――?」
「――ぬむ……」
克己が、息を漏らした。
「やれるな……」
「ええ」
「そいつが、友達の顔をしていれば、きっと、俺は言うだろうな。……“その男は俺の友人だ。銃を下ろしなさい。さぁ、こちらに来なさい”……と、でもね」
「貴方が兵士であってもそうですよ」
「あんな丸腰の男に、何が出来るか。仮に何かをやったとしても、大将とて武装しているのだ、何かあれば、自分で自分の事は守れよう――」
「そう考えるでしょうね」
「そういう事か」
「そういう事です」
「但し……」
「ええ、貴方の格闘技術が、余人よりも優れていれば、です」
「素手で、人を、殺せる技術を持っていれば――大将に警戒心を抱かせる事なく接近し、殺害する事が出来る――!」
克己が言った。
ゾルが、指を打ち鳴らした。
「私が、超人に求める事です……」
「素手である事が、即ち、武器である状態、か」
克己が、何度目とも知れない唸りを、漏らした。
肉体とは、そういう事か。
“人狼部隊”――
“人狼化現象”――
克己は、肉体のみを武器とする、シンプルなその計画を、自らの肉体に秘めながらも、全く思いも付かなかった。
と、そうしてゾルの話に唸っていたのだが、ふと、イワンの姿が見えない事に気付いた。
見れば、イワンは、入り口から少し離れた、寝台の傍にいる。
棚があった。
そこから、資料を取って、眺めている。
「イワン博士?」
「――ゾル、大佐」
イワンが、ゾルに呼び掛けた。
「ここは、本当に、日本軍の基地なのかね――」
「――」
「本当に、これが、日本で行なわれていた実験なのかね――⁉」
眼が、血走っていた。
何十、何百日と禁欲して来た男が、堪らない身体の女と出会った時のようであった。
「その通りです」
「これなら……」
イワンの手が、震えていた。
資料を持つ手だ。
歯が、かちかちと打ち鳴らされていた。
「ナターシャ……」
ぼつりと、妹の名前を呟いた。
それ切り、イワンは、黙ってしまった。
克己が、不思議そうにイワンを眺めていると、ゾルが克己の肩に手を置いた。
「カツミ、一つ、見せて欲しいものがあります」
「何だ?」
「君さ――」
「俺⁉」
「君の力を、私に見せて欲しい。――いや、あの方に、だ」
「あの方、と、いうのは、ショッカーの……」
「首領です」
「しかし、何をしろと?」
「イワン博士が驚いたものと、戦ってみせて欲しいのですよ」
ゾルが笑みを浮かべた。
ゾルは、克己とイワンを伴って、その空間の奥へと移動した。
そこには、今までのものよりも大きな、鉄の壁が設けられていた。
やはり、モールス信号を打ち込んで、鉄扉を開かせる。
と、扉の向こうには強化硝子が張られており、その向こうに、蠢く無数の影が見えた。
「これは⁉」
克己が声を上げた。
「この施設で実験されていた者たちです」
ゾルが説明した。
硝子の奥には、何十人もの人間が屯していた。
しかし、どの顔も、まともとは思えなかった。
白眼を剥き、涎を垂らし、失禁し――
その上、彼らの肉体は、何処かが歪であった。
腕が異様に太い。
足が異常に長い。
頭が、胸が、肩が、腰が――
獣のように四つん這いになっている方が、体勢が楽そうな者もいた。
見れば、爪や牙が生え、皮膚に鱗が浮いているものもあった。
「“人狼化現象”――?」
克己が言った。
「そちらは、我々が手を加えたものですが」
ゾルが答える。
「日本軍で開発途上であった、生体兵器です」
「何――?」
「我々と、同じような思想の下、造られた兵士ですよ」
「素手の……」
「ええ。そして、何より――」
「不死身……」
イワンが言った。
先程の資料を見て、実験の内容を知っているらしい。
「不死身⁉」
克己が声を上げる。
「どれだけ血を流そうと、鉛玉をぶち込まれようと、決して進軍をやめない兵士――」
ゾルが、遠くを見る眼で、硝子の向こうの彼らを眺めた。
「カツミ、彼らと戦い、君の力を証して欲しい」
ゾルが言った。