「ショッカー?」
どちらともなく、ゾルに対し、訊いていた。
「ええ。ショッカーです」
ゾルが頷いた。
それが、ゾルが、今現在、席を置いている組織であるらしい。
イワンをドイツから呼び寄せた、平和な世界を建設する為の組織――
「私を含む、多くの、ナチスの残党が、再起の為に組織致しました」
「ナチス?」
「ええ。と、言っても、過去のやり方を反省した上での事です」
「――で、我々の頭脳と肉体が、どう、役に立つというのだね?」
イワンが質問した。
「平和な新世界の建設と言うが、それは、どうやって行うんだ?」
克己も、ゾルに訊く。
「もう一度……」
「む⁉」
「もう一度、戦争を起こすのです」
「何だと⁉」
椅子から立ち上がり掛ける克己。
彼を手で制して、ゾルが言葉を続ける。
「但し、国と国のそれではありません」
「――」
「人類に対して、戦争を仕掛けるのです」
「人類?」
「自らの利権の為に、戦争を始めようとする、醜い人々ですよ……」
「――」
「そういう連中は、平和な世界には必要ありません」
「そのような人々を、抹殺する為の、戦争か」
「ええ。そういう意味で、人類に対しての戦争です」
「――だが」
「先程の言葉と、矛盾していると?」
ゾルが、克己の言葉を、先回りした。
克己は、眉を寄せながら、頷いた。
先程、共通の認識として、次の戦争は起こす事が難しいと言っている。
次の戦争は、確実に、原子爆弾――核兵器を使用したものになるからだ。
そうなると、自然環境は激しく壊され、つまり、人間の生存も難しくなる。
「ヘル・カツミ――」
ゾルが、低く笑った。
「戦争とは、何も、戦車で町を焼き払う事だけではありません」
「――」
「“人狼部隊”……」
ゾルが、ぽつりと漏らした。
イワンが、小さく反応する。
「博士は、勿論、ご存じでしょう」
「――ああ」
終戦間際――
追い詰められたドイツに於いて、市民たちで編成された、所謂ゲリラ部隊の事である。
夜陰に乗じ、ソ連軍に奇襲を掛けた。
戦果も、それなりに挙げていたらしい。
しかし、結局は、ソ連を挑発する結果となり、被害を増やす事になった。
「私は、あれを、率いていたのです」
「――そうか、君が……」
イワンが、感慨深そうに言った。
「“人狼計画”、最後の生き残りという訳か」
「人狼計画?」
克己が、イワンに訊ねる。
「薬物投与に依って、人間の身体能力を引き上げた兵士――所謂、“超人”を生み出す計画です」
ゾルが、イワンに代わって答えた。
正確には――と、イワンが引き継いだ。
自分のこめかみの辺りを、指で、叩いた。
「脳下垂体から分泌されるホルモンを調整し、肉体の一部を変質させるのだ」
「変質?」
「例えば、腕の筋量を増して腕力を、足を太くして脚力を、という風にです」
「その成功例の一つが、“人狼化現象”だったのだよ」
「人狼化?」
「爪と牙が生えて来たのさ」
にぃ、と、ゾルは唇を捲り上げてみせた。
その内側に、明らかに普通の人よりも長い犬歯が見えた。
「末端肥大症――と、呼ばれる症状がある」
ゾルが簡単に説明した。
普通よりも、身体の一部が大きくなったりする事だ。
巨人症――身体は以上に大きいが、心臓は平均的な大きさであるという、そんな症状も、存在する。
それらの多くは、脳下垂体ホルモンの分泌異常が原因で起こる。
その症状を人為的に、しかも、望む形に起こそうという実験がされた。
ナチス内でその計画を提唱するきっかけとなったのが、イワンの実験で得られた成果の一つであった。
「その、“人狼化現象”を起こした者たちが、“人狼部隊”となった訳か」
「――いいや」
ゾルが、克己の言葉を否定した。
「結果は失敗だった」
イワンが言う。
「失敗?」
「ホルモンの調整が巧くいかなくてね、拒絶反応を起こして、死んだ」
「――」
「それが、“人狼化現象”を起こした一三人のナチスの兵士の内、一〇人だ」
「確か、最初の変身で、理性がなくなった、と、聞いた」
と、イワンが言った。
「ええ、それで、共喰いを始めましてね」
「――」
「残りの三人も、内二人は、強化細胞に蝕まれてね。要するに、異常発達を起こした細胞だ。それの為に、死んだ」
「――」
「では、その最後の一人が」
「俺だ」
ゾルが言う。
「俺だけが、“人狼化現象”に耐えられたのだよ。肉体的にも、精神的にもね」
「――」
「そして、“人狼部隊”を率いて、ソヴィエトと戦った……」
「――」
「結果は、ご存じの通りだがね」
そこまで言って、ゾルは、一つ咳払いをした。
一人称が、“私”から“俺”になり、口調が些か砕けていた事に、気付いたらしい。
「ここまで言えば、博士には、お分りでしょう?」
ゾルが訊いた。
「――戦争が、町を焼き払うだけではないという事かね」
「ええ」
「ゲリラ戦――」
「――」
「いや、火薬や放射能を必要としない、最強の、超人部隊の事か……」
イワンが言った時、克己が、小さく眼を剥いた。
「超人――さっきも言っていたな」
「“人狼部隊”は、本来ならば、そうなる予定であったのですよ」
「さっき言っていた、“人狼計画”に依り、“人狼化現象”を起こした――言わば、“人狼兵士”で構成される部隊の事か」
「ええ」
「ゲリラ――成程な」
克己が唸った。
「あんた、凄い事を考えるな……」
「――」
「要するに、強化された肉体のみで、敵を制圧する部隊を作りたいって訳だ」
「――」
「一種の生体兵器とでも言うべきか……」
「そうなります。自然や、文化財を、一切破壊する事なく、定められたターゲットだけを、あらゆる障害を乗り越えて抹殺する、超人部隊です」
「――その完成の為に、私が必要なのだね」
イワンが呟く。
“人狼計画”を発案させたのは、イワンの実験を知った科学者である。
しかし、“人狼計画”そのものに、イワンは着手しなかった。
その頃に、ナターシャが死に、ナチスの実験から手を引こうと考えていたのであった。
「その通りです」
イワンの言葉を、肯定するゾル。
「その報酬が、貴方の妹さんです」
ゾルが告げた。
イワンの眉が動いた。
「いえ、勘違いをなさらないで頂きたい。唯、我々は、貴方の研究を援助するだけです。貴方の妹さんを生き返らせる研究を、お手伝いします、と、いう事です」
「――」
「その研究の為の場所を、提供します。必要なものは何でもお申し付け下さい。金と場所と資材の心配ならば要りません。但し、貴方の研究は、全て、私たちに明かして頂きたい――」
「――」
「それが、我々ショッカーと、イワン=タワノビッチ博士との契約です」
ゾルは言い終えた。
イワンは、暫くの間、黙っていた。
この提案を呑むべきかどうか、考えあぐねていた。
ゾルは言った。
金。
場所――つまりは、研究施設の事だ。研究の為の環境を充実させるという事であり、冷凍保存したナターシャの遺体の無事も保障してくれる。
資材。
それら全てを、イワンが望む通りに提供する。
しかし――
と、イワンが迷っていたのは、戦争を起こすとか、平和な世界とか、そういう事ではない。
イワンにとって、戦争も、平和も、関係がないものになっていた。
ナターシャ……
小さい頃から病弱だった、愛しい妹……
若くして死んだ最愛の子……
彼女を生き返らせる為なら、例え、悪魔に魂を売ろうと、構わなかった。
だが、それをやるのは、自分の役目であるという。
環境は、全て、受ける事が出来る。
その充実した中で、ナターシャを生き返らせる為の研究を、する。
それは良い。
それは良いが、しかし――
自分に、出来るのか、と、思ってしまう。
自分の生体技術は、少なくとも現在では、誰にも到達出来ないものだと思っている。
慢心ではない。
正直な所、“人狼計画”を完璧に仕上げる事は難しいにせよ、これから少しばかり研究を続ければ、ゾルや、ヒトラーが望んだ、紛れもない“人狼兵士”を作り出せる自信がある。
だが、ナターシャを蘇らせる事が、果たして、出来るのか⁉
そういう思いがある。
“人狼化現象”だ、何だと言っても、所詮は、生きている者に手を加える事だ。
ナターシャは、既に死んでいる。
死んだその肉体を、自分の思い出の通りに、再び動かす――否、その肉体に、再び動き出して貰うという事は、出来るであろうか。
その為の設備が充実していたとして、その為に自分の一生涯を捧げたとして――
「博士」
ゾルが、イワンを見ていた。
あの、真っ直ぐな眼だ。
今なら、彼に幻視した、黄金の狼の理由も分かる。
「勿論、我々とて、技術は提供させて頂きたい」
「――」
「そして、遺体を動かすというだけであるのなら、我々は既に成し遂げている――」
「何だと⁉」
イワンは、思わず、立ち上がっていた。
ゾルが、口元に笑みを張り付けていた。
「お見せ致しましょう」
つぃ、と、ゾルが視線を克己に移した。
「カツミ、私が君を求める理由は、向こうで話しましょう」