「空が、蒼いですねぇ……」
その男は、手で顔の前にサン・バイザーを作り、頭上を見上げて、しみじみと呟いた。
見上げる空は蒼く澄み、しかし、その足元に緑はなかった。
降り注ぐ太陽の光を受け止めるのは、見渡すばかりの砂色である。
時折、風が吹く。
熱風だ。
熱い風が、砂の粒子を舞い上げ、黄色いカーテンを作り出していた。
砂漠の中にあって、男の姿は異質であった。
黒いジャケットと、パンツ。
セーター素材の、白いタートル・ネックを着ている。
高級そうな革靴が、砂の中に潜り込んでいた。
顔立ちが、すぅっと整っている。
髪には綺麗に櫛が入れられていた。
砂漠のど真ん中に、ぽつんと立っているより、高層ビルの最上階で都会を見下ろしながら、脚を組んでソファに深く腰掛けている方が、余程似合いそうである。
「貴方もそう思いませんか、バッファル」
「ウス……」
理知的な男――ウルガに言われて、バッファルは静かに頷いた。
禿頭の男である。
背が高く、肩幅が広かった。
肌は浅黒く焼けている。
耳がよじれ、鼻が潰れているのは、打撃系格闘技を専攻する者の特徴だ。
その見事な体躯を、鰐皮のジャケットとパンツで包んでいる。
「しかし、あの太陽は頂けません……」
ウルガは、額に浮いた汗を、ジャケットの胸ポケットから取り出したハンケチーフで拭った。
「ウス」
バッファルは、寡黙だ。
必要以上の事は、喋らない。
多少は気の利いた事を言える者なら、ウルガの話を広げる事が出来る。
それを、バッファルはしない。
しないが、ウルガの言葉には、
「ウス」
と言って、肯定する。
「貴方は、どうです」
ウルガが、視線を下げた。
そこに、中年の男の頭があった。
「アシモフ博士……」
黄色い地面に、男の頭が、転がっている。
転がっていると言っても、顔の何処かの面を、砂に埋もれさせている訳ではない。
頸から下が、砂の中に、潜り込まされていた。
「……」
アシモフは、喋らなかった。
ウルガが、バッファルからアルミの水筒を受け取って、アシモフの頭の上から水を掛けた。
「う、うむ……」
アシモフが苦しげに呻く。
「博士、どうあっても、新エネルギー理論を、我々に提供して頂く訳にはいきませんか」
ウルガが、丁寧な口調で訊いた。
アシモフが答えないでいると、
「あのね、博士。何も、私はテロに貴方の新エネルギーを利用しようというのではありません。ビジネスに、有効活用したいという、それだけなのですよ」
「び、ビジネスだと」
掠れた声で、アシモフ。
「はい、ビジネスです」
ウルガは、指をぱちんと鳴らした。
バッファルが、上着の懐から冊子を取り出した。
表紙には、
Nova Project(仮)
と、ある。
「こちらをご覧下さい」
バッファルがその場に跪き、アシモフの前で冊子を開く。
ウルガが、Nova Project(仮)について説明し、それに合わせて、バッファルはページを捲った。
ウルガは、やたらに大きい身振り手振りや、やけに抑揚を付けた喋り方で、自らの計画と、自分自身に酔っているかのように、プレゼンテーションを進めた。
その内容を掻い摘んでみれば、全世界のエネルギーを、アシモフが考案した理論によって生み出される新エネルギーを使って掌握し、経済的な面から世界を征服するというものであった。
但し、ウルガは“世界征服”であるとか、“人類支配”であるとかの単語は用いず、飽くまでも自分たちを“世界的な企業”として話した。
「先ずは、貴方の開発した新エネルギーを、全世界に供給するシステムを造り上げます。博士の論文については既に眼を通させて頂いております。いや、あれは実に素晴らしい発明です。風力や太陽光発電よりも効率的に、原子力よりも多くのエネルギーを安全に使用する事が出来る。このエネルギーですが、しかし、まだ世界の何処にもこの規格にアダプトした設計はありません。そこで、貴方にはこの為のスタンダードなシステムをクリエイトして頂き……」
ぺらぺらと語るウルガを、アシモフは憔悴した眼で見上げ、
「協力、すると、思うのかね……」
と、言った。
「して、頂けないのですか」
「あ、あの事故で……」
アシモフが乗った飛行機は、ウルガとバッファルに襲撃され、墜落した。
アシモフと、彼の研究のみが、ウルガとバッファルによって助け出された。
「どれだけの人間が、死んだと、思っているのかね……」
「――それについても、お話し致しましょう」
バッファルが、ページを捲った。
そこには、高度経済成長期以降の、世界人口の推移がグラフ化されていた。
「世界の人口は、現在(一九八〇年代)で約四五億人……このまま進めば、二一世紀初頭には、七〇億人を超える事になるでしょう。人口増加が何を齎すのか、分からぬ科学者ではありますまい」
「――」
「人口の増加は、物価の高騰を招き、物価の高騰は節約という名前の許に経済の収縮を意味します。即ち、適切な人口調整は、快適な経済循環の為に必要な事なのですよ。言うなれば、ああした事は、世界の地均しなのです」
「地均し⁉」
「はい。余計なものを切り捨て、ニーズだけを取り上げ、ブラッシュ・アップしてゆく……サイエンスとはそういうものでしょう?」
ウルガは、さも当然であるかのように言った。
すると、不意に、
「ウルガ……」
バッファルが、声を掛けて来た。
見れば、砂漠の向こうから、砂煙と共に一台のバギーがやって来る。
「あれは……」
「イーグラ……」
バッファルが、まだウルガには視認出来ない距離から、ドライバーの正体を目視した。
間もなくバギーが到着した。
「どうしました、イーグラ」
「勝手な行動をしたわね」
イーグラが、バギーから降りて、言った。
「ショッカーに……大首領に、逆らう心算?」
「はい」
臆面もなく、ウルガが頷いた。
「何ですって⁉」
「古いのですよ、大首領の……ショッカーのやり方は」
「古い?」
「世界征服? 人類統治? 挙句の果てには、ジャイアント・インパクトだの、智慧の果実などといったオカルトだ……」
「――」
「今はね、イーグラ、サイエンスの時代ですよ。怪しげなオカルトだ、スピリチュアルだのが流行る時代じゃありません。ノストラダムスってのがいるでしょう? あれだって、騒ぎ立てている連中は、私からすれば愚かとしか言いようがない……」
ノストラダムスの予言が、世紀末へのカウント・ダウンを間近にしたこの頃、流行していた。
曰く、
一九九九年、七の月、アンゴルモアの大王が降臨する
というもので、それが、世界の滅亡を意味するというものだ。
しかしこれは、ノストラダムスの詩篇を解釈したものであって、ノストラダムス本人は、予言として残したものではない。
にも拘らず、ノストラダムスの詩篇にある様々な出来事が、それまで現実で起こった事と符合している為、世界の滅亡という解釈が、予言であるかのように語られている。
「つまりね、イーグラ。私はより現実的な手段で、世界のトップに立つのですよ」
「……その為に、彼を?」
イーグラが、アシモフの方に眼をやった。
「はい」
「彼を必要とする者がいる事を、知っての事かしら」
「あの病人たちの事ですか」
「いいえ」
「四号の事ですか」
「そうよ」
ウルガの言う四号は、克己の事である。
スカイライダーとの戦いの中で破壊された、左腕の動力開放スイッチの修理に、アシモフが必要なのである。
「それも含めての事ですよ……」
ウルガが、ぞろりと言った。
「どういう事?」
「ウルガ……」
再び、バッファルが声を掛けた。
ウルガの眼が、刃のように光った。
「来たか……」
「来た?」
「貴女かな、イーグラ……」
「何の事かしら」
「ふふん、まぁ、良いでしょう」
「――」
「イーグラ、貴女の目的は分かっていますよ。我々を裏切り者として始末しに来たのでしょう? しかし、それなら見てゆくと良い」
「何を?」
「私の計画が、旧ショッカーを凌駕し得るという事ですよ」
「――」
「それを、証明してみましょう」
ウルガが、バッファルが眺めている方向を、振り向いた。
イーグラが乗って来たバギーとは反対方向から、やはり、砂煙がやって来る。
眼を凝らしてみれば、それは、二台のオートバイと、一台のスポーツ・カーであった。
「厄介だな……」
風見は、マシンのハンドルを握りながら、呟いた。
その呟きは、エンジンの唸りと、タイヤが巻き上げる砂嵐に掻き消されてしまう。
「どうした」
黒井が、トライサイクロンの運転席から問い掛けた。
「何でもない」
風見は言った。
「それより、そろそろだぞ」
「うむ」
風見と結城は、それぞれ自分のバイクに乗っている。
トライサイクロンを黒井が運転し、助手席に、隻腕の克己が座っていた。
町から砂漠に入った四人は、ウルガたちと合流したイーグラから座標を送られ、V3ホッパーで正確な地点を観測しながら、アシモフ救出の為にマシンを走らせている。
V3ホッパーは、V3に与えられた二六の能力の一つであり、小型の人工衛星を打ち上げ、その情報を受信するものである。
ホッパーから送られて来る映像では、ウルガもバッファルも、その場から逃げようとしない。
戦う心算が、あるらしかった。
「黒井響一郎……」
風見が、小さく呼び掛けた。
「さっき、あんた、何を言おうとしたんだ」
「さっき?」
「俺と、あんたが同じ、頭てっぺんから足の爪先まで、仮面ライダーというのは……」
「そのままの意味だ」
「――」
「あんたは、仮面ライダーの手で、仮面ライダーたるべく生まれた仮面ライダー」
「――」
「俺は、仮面ライダーを斃す為、仮面ライダーとして生まれた仮面ライダーだ」
「――」
「だから、同じと言ったのだ」
そうした所で、ウルガとバッファルを、人間でも肉眼で捉え切れる――言葉を交わせる距離にまで、接近した。
風見志郎。
結城丈二。
黒井響一郎。
松本克己。
それぞれマシンから降りて、ウルガとバッファルの前に、立ち並んだ。
ウルガの足元には、アシモフが埋まっている。
又、二人の背には、バギーの傍にイーグラが立っていた。
黒井が、イーグラを見た。
イーグラは、マヤに命じられて、ウルガとバッファルの監視の役目を持っている。
しかし、ウルガとバッファル、反逆の疑いのある彼らを、粛正する事は命令にはない。
それ所か、マヤからは“自由にせよ”とも言われている。
彼女が、ウルガの計画に賛同したのなら、風見たちとは勿論、黒井にとっても敵となる。
どうする心算か――
それを問う為の、アイ・コンタクトであった。
イーグラは、黒井を真っ直ぐに見返し、薄く微笑んだ。
この状況を、楽しんでいる風があった。
ウルガの行動如何で、これから先の身の振り方を判断する気であるらしい。
「これは、どうも、仮面ライダーの皆さん」
ウルガが言った。
「どういう心算だ、ウルガ」
克己が、すっと前に出た。
「ショッカーを裏切るのか」
「裏切る……? そうされても仕方のない結果しか、出せていない組織が何を偉そうに」
「何……」
「世界征服だなんだと謳いながら、約一〇年……これまで、結果にコミットメントした事が、どれだけありましたか? ダムを壊し、毒ガスを作り、新型爆弾を開発し……その結果、FBIやインターポールなどから眼を付けられ、人間たちの反感を買っているだけではありませんか」
「――」
「私は、違う」
「違う?」
「私の考える世界征服は、ですよ」
ウルガは、先程、イーグラに言ったのと同じような事を、克己に言った。
ショッカーのやり方は、古臭い。
いや、そもそも世界征服という考え自体が、遅れている。
「今が戦国時代なら、それも良いでしょう」
「それ?」
「こいつですよ」
そう言うとウルガは、上着と、セーターを脱いだ。
燦々と照り付ける砂漠の太陽の下に、日焼けとは縁のない白い裸体が晒された。
「むんっ」
ウルガが全身に力を籠めると、その至る所に、灰色の点が湧き出して来た。
毛穴から、虫のように、獣毛が押し出されてきているのだ。
その獣毛が生えるのと同時に、肉体が膨らんでいた。
ごりごりと、ウルガの頭蓋骨が変形してゆく。
額から上と、鼻から顎に掛けてが、前方にせり出し、双眸が窪んでしまう。
狼――いや、ハイエナだ。
ハイエナと人間を組み合わせたような怪物。
ハイエナ男だ。
ウルガ・ハイエナ男が、
「くむぅっ」
と、更に力を籠めると、彼の背中から、めりめりという音がした。
すぐ後ろにいるイーグラは、ウルガの背中に起こった異相を、目の当たりにしている。
肩甲骨のある位置の皮膚が裂け、数本の鉄骨が伸びて来た。
鉄骨は、魚の骨のように枝を伸ばす。
電波塔のような形状であった。
ウルガ・ハイエナ男は、両肩の柱の先端を、風見たちに向けた。
すると、その柱から、衝撃波が発生し、風見、結城、黒井、克己らを襲った。
砂が舞い上がり、不可視の鉄槌が、四人の改造人間を叩いた。
指向性衝撃波発生装置だ。
風見たちは、それぞれ身を守りながら、ウルガから距離を取って展開する。
「この、力……」
ウルガが、擦過音の混じった声で言った。
「力⁉」
黒井が問い返した。
「そうです、力です」
「それが、何だと言うんだ」
「こいつで、逆らう連中を皆殺しにして、愚民共を屈服させる事ですよ」
「それが、古臭いと言うのか」
「ええ。今日日、そんなやり方は流行らない……いや、誰も認めはしませんよ」
「――」
「いや、そんな事はありませんね。認める者も、幾らかはいるでしょう……」
ウルガが、腕を組んで、言った。
「分かりますか、皆さん、それが、どんな層か」
と、問い掛ける。
まるで、プレゼンテーションをするかのようだ。
「弱者ですよ」
「弱者⁉」
「敗者と言い換えても良いかもしれません」
「どういう事だ?」
「世の中に不満を持っている人間という事です」
それは、例えば貧乏である事かもしれない。
生まれ付き、身体が弱い、運動が出来ない人間であるかもしれない。
事業に失敗した者。
思う通りに人間関係を進められない者。
誰かに裏切られ続けた者。
そうした者たちは、遍く、世の中に不平不満を抱いている。
中には、そのような逆境から、成功する者も現れよう。
しかし、成功した時点で、彼らは敗者でも弱者でもない。
勝者であり、強者だ。
そうなれない者。
勝てない者。
弱い者。
このような者たちこそ、力による支配を望む。
頭が良くないから、力で他人を圧倒する。
人より体躯で劣るから、力のある人間に縋る。
金がなくて莫迦にされるから。
顔の造詣が悪くて異性と出会えないから。
人の心の機微が分からずに常に利用されるだけだから。
それで敗けるから――シンプルな強さに憧れる。
強さとは、力だ。
力とは、暴力であり、武力である。
ショッカーは、結局、そうした武力で以て、世界征服を目論んでいた。
改造人間は兵器である。
不気味な怪物や、超常の兵士を使って、世界を掌握しようとした。
だが、今の時代、それは通じない。
「今は
「――」
「パーフェクトなデモクラシーなど、ありません。……分かるでしょう? 一〇人や、二〇人ばかりなら、それらが全て納得する結論を出す事が出来ましょう。しかし、日本の人口は一億数千万……ありますか、彼ら全てが満足する事の出来る、世の中が」
「――」
「ない! どうしても、納得出来ない者がいる。そうした者は、弱者です。敗北者たちです。何故なら、結論を出すのは勝者だからです。金があり、頭が良く、人脈を持っている――そうした勝者たちが、最後に捺印するのです」
「――」
「おっと、これはいけない。私はね、それを否定したいのではないのですよ。寧ろ、肯定したい。そう、勝者が弱者を蹂躙し、自らの好きなようにクリエイトしてゆける世界をね」
「――」
「つまり、今は強者が微笑む時代なのです。強者とは、リッチで、クレヴァーで、グローバルな者の事です。プアーで、フーリッシュで、ロンリーな者たちは、ヴァイオレンスというファンタジーを抱いたまま、踏み潰されてしまえば良いのですよ……」
「――」
「三号……」
ウルガは黒井を見た。
「“勝てば正義、敗ければ悪”……貴方は常々、そう仰っている」
「そうだ」
「では、勝利とは何ですか」
「――」
「人と人との喧嘩の事ではありません。誰が一番速くマシンを走らせる事が出来るかでもありません。王手を獲る事でもない。では、勝利と何ですか⁉」
「――」
「この世で一番になる事ですよ……」
「――」
「弱い者を排除し、生き残った強い者たちでのみ、皆が手と手を取り合う事の出来る世界――その世界を創り上げる事が出来た者こそが、勝者であり、正義なのです」
「――」
「その為には、ショッカーのようなやり方ではいけない。仮面ライダー、貴方たちのように、武力でねじ伏せようとして来る者たちから弱者を守るだけでもいけない」
「――」
「
ウルガは、語り終えた。
満足げな怪人の横で、バッファルが、静かに拍手をしている。
イーグラは、ほんの少しばかり、興味深そうな顔をしていた。
「言いたい事は分かった……」
克己が、静かに口を開いた。
「続きは地獄でやれ」
ウルガは意識高い(系)な気がする。