三人の男女が、その場に、座している。二人が男、一人が女である。
昏い空間に、広い絨毯が敷かれていた。
絨毯は正方形であり、その中に三角形が描かれている。
三角形の頂点に、円が設けられ、三人はその円の中に座している。
その円と円との間に、高い燭台が置かれ、火を灯されている。
一人は、マヤであった。
マヤは、袖のない、白い貫頭衣を着用している。
手を胸の前で組んでいる。指と指を交差させ外側に出す形だ。
正座であった。
一人は、ガイストであった。
上半身は裸で、ズボンを穿いているだけであった。
その裸の胸の皮膚が捲れ、ブラック・マルスが剥き出しになっている。
作動したブラック・マルスが、熱を排出している為、唸りを上げていた。
胡坐を掻き、臍の下で、左手に右手を重ねている。
一人は、チェン=マオであった。
オレンジ色の僧衣を身に着けている。
結跏趺坐。
手は、胸の前で動き、目まぐるしく結ぶ印を変更していた。
マヤの左手側の円に、チェン=マオ。
チェン=マオの左手の円に、ガイストが座している。
三人は、何れも、口の中でぼそぼそと何事かを唱えていた。
マヤは、古ナワトル語。
以前、カイザーグロウを誕生させ、黒沼陽子に伝えて、山彦村の人々の怨霊をジンドグマの幹部たちとして転生させた呪文であった。
ククルカンは、“翼ある蛇”の意である。
シバルバは、マヤ文明の世界観で言う冥界の事だ。
ユム・キミルというのは、その冥界を支配する、死者の王である。
チェン=マオは、チベット語である。
『理趣経』の内容について、チベットの言葉で語っている。
『理趣経』は、五世紀頃に成立した、仏教の一つの完成形である、密教の根本経典だ。
『|般若波羅密多理趣百五十頌《プラジュニャーパーラミター・ナヤ・シャタパチャシャティカー》』――
これには、人間のあらゆる行為は、清浄なるものであると説かれている。
特に、生体の原理である男女の和合――SEXに関する事も、清らかなものであるという。
普通の者たちは、この真意を理解出来ず、世間的に悪とされている行動に走ってしまう心配がある為、『理趣経』を中国から日本に持ち帰った空海は、閲覧を制限した。
その『理趣経』の、原本である。
ガイストは、『般若心経』を唱えていた。
釈迦が、舎利弗に、この世界の実体は空であると説いている。
苦しみも喜びも空であり、見えるものや聞こえるものも空だ。
空とは、全ての源である。
あらゆるものは空から生じ、あらゆるものは空へと還ってゆく。
その為、空は清らかでもなく、穢れてもいない。
こうした内容が説かれている。
三人の、それぞれの言葉が交わり、奇妙な旋律を奏でていた。
それらを、ブラック・マルスの排熱音が繋いでいる。
読経の声と、風の音が混じり合い、空気を揺さ振っていた。
燭台の上で、蝋燭に灯された炎が揺れる。
決して大きな炎ではない。
しかし、それぞれの言葉を唱え続ける三人は、その皮膚に汗を浮かべていた。
声も、次第に枯れ始めている。
長い時間、集中して、延々と、それらを唱えているのである。
それぞれの呪文を、各々唱える三人の中心――つまり、三角形の中心には、一本の樹が置かれていた。
樹と言っても、一メートルから一メートル半という位のものである。
アーモンド――桜の樹であった。
女性のウェスト程の太さの幹から、七つの枝が左右に突き出している。
その七つの枝と、幹のてっぺんに、金属の玉が取り付けられていた。
又、その木の後ろには、二枚の石板が縦に重ねられている。
石板には、二枚とも文様が刻まれており、下の石板には、一本の幹に沿って並ぶ七つの法輪、上の石板には、三本の幹に、一〇個のセフィラが並んでいる。
十戒石板・八咫鏡――山彦村から回収された、“空飛ぶ火の車”を起動させる三種の神器の一つである、御影石であった。
桜の樹は、アロンの杖・草薙剣だ。
アロンの杖は、中国での五行思想に影響を受けて、五つの刀として改造された。
その内の四本は、黒井・克己・ガイストらのイレギュラーナンバー・ショッカーライダーたちと、ドグマの地獄谷五人衆との戦いの中で破壊されてしまったが、残った一振りはマヤから悪魔元帥の手に渡され、ジンドグマの守り刀“稲妻電光剣”となった。
この五本の剣の本体は、刃ではない。柄などに使われていたアーモンドの枝……アロンの杖である。
唯一回収された“木”の剣から、アロンの杖・草薙剣の樹皮を採取して、ショッカーの基地で培養し、ここまで成長させたものであった。
尚、“稲妻電光剣”は仮面ライダースーパー1・沖一也によって、悪魔元帥・サタンスネークへのとどめに使われた後、再びショッカーの手に戻っている。
そして、この桜の樹の枝に取り付けられた金属の玉は、マナ・八尺瓊勾玉である。
マナとは、モーセ一行が砂漠を彷徨っていた頃、彼らの生命を長らえさせた甘露だ。
甘露は、サンスクリット語にすれば、アムリタ――不死の妙薬である。
中国に於いては、水銀を摂取する事で、不老長生を得る事が出来るとされていた。
真言密教を日本に於いて大成させた沙門空海も、高野山に眠る水銀を手に入れて、即身仏となる事が出来た。
日ユ同祖論に基づけば、古代ユダヤ教の三種の神器は、日本の三種の神器と結ぶ事が出来、アロンの杖が草薙剣、十戒石板は八咫鏡となれば、マナ(の壺)は勾玉とイコールである。
勾玉は、多くは
八尺瓊勾玉がマナであれば、それは金属製のものである。
かつて、賀茂氏が守っていたものを、源九郎義経が受け継ぎ、中国へ亡命する際に、大陸に持ち込んだ。そうしてチンギス=ハンとなった彼の子孫が守って来たものを、中国を訪れた大塚正志、後の赤心少林拳創始者・樹海が、原始キリスト教徒の末裔である火の一族に返却したものだ。
“火の車”の安全装置ともなっていた五つの石を溶かし、新たに八つの金属の玉として鋳造したものである。
それら三種の神器が、この場に揃っている。
チェン=マオは、その桜の樹の正面に座し、マヤとガイストは、両脇から神器を挟む形で、詠唱を続けていた。
そうしていると、三人の身体が、薄っすらと燐光を帯び始める。
その光が、ゆらゆらと空間を漂いながら、中央の世界樹に向かってゆくのであった。
世界樹――
多くの地域に伝承される、世界を貫く一本の巨大な樹木の事だ。
チェン=マオたちの詠唱によって、巫蟲が振動している。
世界に遍満するエネルギーの事だ。
それらを可視化した場合、彼らの身体に纏わり付く燐光となるのだ。
そのエネルギーは、世界樹の根元に延びてゆくと、幹を、螺旋を描いて昇り始める。
枝の先の金属の玉を経由して、頂点へと昇り詰める。
そうして頂点に達したエネルギーは、その螺旋軌道のまま下降する。
上昇と下降を延々と繰り返すエネルギーであった。
やがて、チェン=マオが、『理趣経』を唱え終える。
それに合わせて、マヤとガイストも読経を終えた。
『理趣経』の終了と共に、チェン=マオたちが纏っていた光が、すぅっと消えた。
ブラック・マルスが、冷却を始める音だけが、三本の蝋燭にのみ照らされる空間に、響いている。
チェン=マオが、おもむろに立ち上がった。
チェン=マオは世界樹に向かって歩み寄ってゆき、その先端に手を添えた。
そこで、
「ぬぅっ」
と、手に力を籠める。
すると、世界樹の枝に取り付けられた金属の玉が、熱されてもいないのにぐにぐにと変形を始めた。
金属の玉は、広がって、世界樹に絡み付き、世界樹を圧迫する。
金属で包まれた桜の樹は、更に変形してゆき、絨毯の上に、人の頭程の大きさの球体となった。
その球体を、チェン=マオは両手で持ち上げた。
「ガイスト」
と、マヤが呼び掛ける。
「はいよ」
ガイストも腰を上げ、そこに置かれた二枚の石板を持ち上げた。
チェン=マオを先頭に、マヤ、石板を持ったガイストの順で、その場を後にする。
三人は、暫く、昏いだけの通路を歩いていたが、やがて、開けた場所に出る。
正方形の、広い部屋であった。
その中央に、九つの櫃が並んでいる。
人が入る程の櫃だ。
八つが放射状に寝かされており、その真ん中に、一つだけ立っている。
これらの九つの櫃を跨ぐように、八本の柱から梁が渡されている。
上から見れば、柱の配置は、正方形を作るようになっている。
その屋根に、四角い窪みが二つと、放射状の溝が走っている。
ガイストと、チェン=マオが、その広い空間の、透明の床に足を踏み下ろした。
真ん中の、九つの櫃を区切る柱の上に、ガイストが飛び乗った。
石板を、窪みにはめ込む。
そうして、チェン=マオから金属の球体を受け取り、石板の間に置いた。
すると、金属の球体は形を崩し、溝に沿って走ってゆく。
溝は、中心から放射状になっているが、ふちに届くと、円になっている。
四角形の中に、円があり、その中に放射状の溝があるのだ。
金属の球体が、溝に行き渡ったのを確認して、ガイストはそこから降りた。
「これで、一段落って訳ですかい」
ガイストは、柱の隙間から、櫃を見下ろした。
櫃は半透明で、九つの櫃の内、三つに中身が入っている。
仮面ライダーアマゾン、仮面ライダーストロンガー、スカイライダーであった。
ストロンガーとスカイライダーは、第三号と第四号との戦闘で傷付いた強化服を修繕され、アマゾンは戦闘形態に変身させられている。
三人とも、全身にコードを繋げられていた。
「後は、残る六名の仮面ライダーを捉えれば、この曼荼羅は完成する」
チェン=マオが言った。
月面で作業に入っている仮面ライダースーパー1を加えた六名である。
「後は、龍の眼を入れれば良いって事ですな」
「うむ」
「下準備は完了……それじゃあ、俺もそろそろ、奴さんとやりたい所だがねぇ」
ガイストは、マヤに言った。
奴――Xライダー・神敬介の事だ。
三種の神器を、新しい姿に作り替える作業の為、ガイストは基地から離れられなかった。
それが終わり、漸く、ガイストは宿敵との戦いに赴けるのだ。
「そうね。響一郎と克己から連絡があり次第、貴方にも動いて貰うわ……」
そう言った所で、
「報告が御座います」
と、声を掛けられた。
マヤたちが、天上を見上げる。
この曼荼羅の空間の天井は高く、上階の床に孔が開けられている構造だ。
上階からの落下を防止する為の柵越しに、女の顔が見えた。
整っているが、冷たい顔立ち。
黒い髪は、雑に乱されている。
すらりとした長身を、白衣で包んでいた。
「イーグラ? どうしたの」
マヤが訊いた。
イーグラと呼ばれた女は、
「ウルガとバッファㇽの姿が見えません」
どちらも、改造人間である。
ウルガはハイエナの、バッファㇽはコンドルの能力を再現している。
「あの二人は、確か……」
「トレーニング・ルームで、身体を慣らしていた所です」
「それなのに、いないの?」
「はい」
「勝手に抜け出したって事?」
「そのようです」
「困るわね……。何処に行ったか、分かる?」
「アシモフ博士……」
ぽつりと、イーグラが言った。
「アシモフ?」
「トレーニング・ルームに、彼の論文がありました」
「アシモフ博士の所に向かったって事?」
「その可能性があります」
イーグラからの報告に、怪訝そうな顔をするマヤに、
「黒井たちの応援って所じゃないのか」
と、ガイストが言った。
「それにしたって、一言欲しかったわね」
「――彼ら……ああ、恐らくウルガでしょうが、彼が読んでいたのは、アシモフ博士の新エネルギー理論についての論文です」
「新エネルギー理論?」
「はい」
パワード・スーツとは別件の研究である。
しかし、今は油圧式という事で、かなりの重さを必要とするパワード・スーツに、その新エネルギーを組み込めれば、服を着るようにパワード・スーツを動かす事が出来るようになるかもしれない。
「ウルガという男……」
ふと、チェン=マオが口を挟んだ。
イーグラは、今まさにチェン=マオがそこにいた事に気付いたように、慌ててその場に跪いた。忠誠を誓った大首領を見下ろす事は出来なかった。
「お前のやり口には、否定的だったな」
チェン=マオの視線が、マヤに向けられた。
「巫蟲の事さ」
「巫蟲の?」
「我々は普通とは違う。巫蟲を見る事が出来る」
「――」
「ガイストは、お前から話を聞き、ブラック・マルスを備える事で、巫蟲を感じられるようになった……」
世界に遍満するエネルギーであり、この世界のあらゆる物質の最小単位が、巫蟲である。
分かり易い言い方をすれば、霊という事になる。
霊魂、気、オーラ、怨霊、幽霊、悪霊など、全て巫蟲と同一である。
それらは、感情の動きによって、良質のものにも、悪性のものにも変化する。
本来ならば、それを知覚する事は出来ない。
マヤとチェン=マオは、これを捉えられる性質であった。
ガイストは、本来ならば、巫蟲を見る事は出来ない。
だが、マヤから説明を受けたので、今は、見る事が出来ている。
地獄谷五人衆の一人、象丸一心斎・ゾゾンガーが、“火”の剣を自らに突き刺して進化したゾゾンガー・ブラストが、ゾゾンガー・スペクターへと変貌し、霊的攻撃を仕掛けたのに、対応してもいる。
「ウルガには、それが分からぬのさ」
「分からない?」
「あやつは、唯物的だからな」
「目視出来ない霊的エネルギーは、存在しないと……」
「うむ」
「ふふん……」
マヤが、ぽってりとした唇を、小さく吊り上げた。
「頭でっかちなんだから……」
「如何致しますか」
イーグラが訊いた。
「どうします」
マヤは、チェン=マオに眼を向けた。
「お前の好きなようにせよ」
マヤはそう言われて頷くと、
「イーグラ、貴女に、監視をお願いするわ」
「ウルガとバッファルと、合流せよと?」
「そう」
「監視と言うと……」
「彼らが何をしようとも、特別、手を出す事はないわ。但し、彼らの動向は報告して」
「は……」
「後は、貴女の好きなように行動なさい」
「それで、よろしいのですか」
「よろしいわ」
マヤに、投げやりともとれる命令をされ、イーグラは困惑した表情であった。
が、チェン=マオとマヤに一礼をして、イーグラは去ってゆく。
アシモフ博士の許を訪れる心算であろうウルガたちと、合流する為だ。
アシモフ博士の乗った飛行機が墜落したと、そのようなニュースが流れたのは、間もなくの事であった。
新エネルギー理論……何だか雑だなっ←