崖に面した道路を、城茂のカブトローが走っている。
その茂から幾らか距離を置きつつも、クリーム色のオープン・カーは、間違いなく彼の事を追跡しているようであった。
茂は、背後から迫って来る、獣のような圧力を感じながらも、こちらから仕掛けようとはしなかった。
動くとすれば、後ろにぴったりと付いて来るマシンが、何らかの行動を示した時だ。
煽られるのは決して気分の良いものではないが、車間距離を詰めて来ないのであるから、少し離れろとわざわざ言うのも変であった。
カーブに、差し掛かった。
急なカーブであり、ガードレールの向こうには、空と海との境目が見える。
下手にスピードを出し過ぎて、曲がり切れないという事も、ありそうである。
茂は速度を緩め、車体を傾斜させて、カーブを曲がり切ろうとした。
と――
背後を付けて来ていたオープン・カーが、速度を上げたのは、その時であった。
カーブで曲がり切れない速度ではない。
だが、前方で減速した車があるのに、出すような速さではなかった。
茂がここで加速しなければ、玉突き事故を起こして、ガードレールを飛び越える。
かと言って減速をしないのであれば、曲がり切れずに転倒してしまう。
――ぬぅっ。
サバンナで、ライオンに狙われたかのようであった。
草むらに隠れて、こちらを観察していたライオンが、機を見計らって、一息に獲物に飛び付いて来たようなものだ。
茂は、自分のうなじに牙を突き立てる獅子の姿を幻視した。
脳への信号を遮断した百獣の王は、茂の身体を仰向けにして、腹部を喰い破って内臓を啜り出し、尻の頬肉、太腿、腕、最後に顔面――そのように順序立てて、一瞬で殺害した生命を喰らい尽す。
茂の人工皮膚に、ばっと冷汗が浮かんだ。
どうするか⁉
加速――
自らの、改造人間としての感覚をフル稼働させて、どうにか曲がり切るしかない。
タイミングをミスれば、一発でお釈迦だ。
身体を限界まで傾けて、転倒しないまま、カーブに沿って走る。
そうすれば、少なくとも、後方の車に突き飛ばされる事はない。
ごぉぉっ!
背後で巨獣が吼えた。
明確な悪意を以て、前の車体を吹っ飛ばそうと、そういう意思が感じられる。
茂は、景色がスローになるのを見た。
大量のアドレナリンが、茂の意識を加速させているのだ。
普通の人間ならば、その停滞した世界を持て余してしまう。
改造人間・城茂であるから、そのゆっくりと進む時の中で、身体を反応させる事が出来た。
全身の神経を、ノーマルを遥かに超える速度で、生体電流が駆け抜ける。
加速する意識に合わせて、身体を加速させた。
その加速に応じるカブトロー。
ゆったりと、身体が傾いてゆく。
カーブの直前で、茂とカブトローは、地面と平行に近くなった。
そこで、体勢をキープする。
猛烈に吹き付けて来る筈の風が、速度を失い、塊のように、茂にぶつかって来た。
地面に散らばった、細かい砂粒が舞い上がる。
それが頬にぶつかって来るのを、茂は感じた。
ヘルメットの表面で、ぱちぱちと音を立てる。
永遠にも続くかと思われたカーブが、そろそろ、終わりを告げそうだ。
道は、ストレートに戻っている。
体勢を整えねば、このまま左手に曲がり続け、転倒する。
その前に身体を起こさねばならない。
尋常であれば、そのままタイヤがスリップして車体に潰されるか、姿勢を保ち続けたまま弧を描いて横手に激突するかであったが、茂は、何とか身体を起き上がらせる事に成功した。
地面と身体との角度が、大体、四五度まで戻って来た。
如何に茂とは言え、危うい所から助かったという、安堵があった。
一旦、路肩に停めて、後ろの車に注意をくれてやろう――
その時、カブトローのタイヤが噛んでいた路面に、銃弾がばら撒かれた。
――何⁉
振り向いてみれば、後方のマシンはカーブの手前で停止し、そのフロントから機関砲を剥き出しており、その銃口から吐き出されたものが、地面を抉ったのであった。
更にはミサイルまで発射して来た。
茂のすぐ後ろに着弾したミサイルは、爆炎で、茂とカブトローを呑み込んでしまった。
その紅蓮の炎と鈍色の煙の中から、巨獣――トライサイクロンが飛び出し、停まった。
ドライバーであった黒井響一郎は、自分のミサイルが陥没させた路面と、そこからもうもうと立ち上る火炎と煙の奥に、城茂とカブトローの残骸があるかを確かめる為、マシンから降りる。
めらめらと、赤い舌がアスファルトを舐めていた。
サングラスを外した黒井は眼を細め、しかし、その炎の中に、タイヤのゴムが燃えるような匂いが混じっていないのを、しっかりと嗅ぎ取っている。
すると、何処からか、口笛が聞こえて来た。
空気を裂く音色。
哀しみの調べ。
切ない風の音が、ひゅるりと潮風と混じり合ってゆく。
頭上であった。
道路の上の崖っぷち、やはり設けられた白いガードレールの外側に、蒼いデニムで統一した男が、佇んでいる。
開けた上着の前には、大きなSの文字が染め抜かれた、黄色いシャツが見えていた。
「あれで、無傷か」
黒井が言った。
「流石は、城茂……」
「へっ」
と、茂が鼻を鳴らした。
「この俺を城茂と知って、あの程度の事しか仕掛けられないとはね」
「――」
「何者だい、お前さん。ネオショッカーの残党か? それとも、ドグマだか、ジンドグマだとかいう連中の……?」
ネオショッカーとは、デルザー軍団壊滅後に現れた新たな組織である。
仮面ライダーの一人として、茂も、彼らと戦った。
苦戦するスカイライダー・筑波洋に、特訓をした事もあった。
ドグマやジンドグマについての情報は、谷源次郎から聞かされているのである。
「それに、何やら見覚えのある色味の車だな……」
茂は、ちらりと、トライサイクロンを見やった。
後方には巨大なブースター、フロントには機関砲の他、剥き出しのスーパー・チャージャーがある。
しかし、そのカラーリングが、仮面ライダー第一号・二号の愛機である、サイクロン号のそれとそっくりであった。
又、車体には、バイクに跨ったRの文字――立花レーシングの紋章が刻まれている。
いや、元を辿れば、そのマークは、仮面ライダー・強化改造人間・S.M.R.のマークであった筈だ。
「俺の名は、黒井響一郎」
「黒井? ……そうだ、あんたも、何処かで見た顔だと思ったら、F1レーサーの、黒井響一郎か!」
茂が言った。
一〇年近く前の事だが、日本最速のレーサーとして、メディアに引っ張りだこになっていた男であった。
日本一の称号を得た頃、突如として行方不明になったと聞いたが……
「そうだ。俺が、その黒井だ」
「……何故、その黒井が、こんな所で、性質の悪い暴走族紛いの事をしてるんでぇ」
「誰にでもやっている訳じゃない。相手があんただから、やったんだ」
「何ぃ」
「あんたが、城茂……仮面ライダーストロンガーだからさ」
「――」
「そして俺が、黒井響一郎だからだ」
「何だと⁉」
「ドグマでも、ジンドグマでもない。この俺は、ショッカーの改造人間だ」
「ショッカー⁉」
茂が驚く間に、黒井は、コートを脱ぎ捨てていた。
コートの下には、既に、強化服を着込んでいる。
蒼いコンバーター・ラングと、強力なショック・アブゾーバーを備えたレガース。
黒いスーツの側面には、金のラインが血管のように奔っている。
頸には、金属製のリングで固定された黄色いマフラーが、風になびいていた。
腰には、大きなバックルのあるベルトが巻かれている。
バックルの中心には、翼を広げた鷲のレリーフがあり、それが左右に展開すると、赤い風車が現れた。
ベルトの両脇のバーニア上部にあるスイッチを押す。
タイフーンの風車ダイナモが回転し、引き起こした風をコンバーター・ラングが吸収し、その風力をエナジー・コンバーターが動力として変換する。
黒井は、トライサイクロンの運転席から、蒼い仮面を取り出した。
飛蝗を模した、人間の頭蓋骨のようなマスクである。
それを頭からすっぽりと被り、せり出していたクラッシャーを顔の方へ押し込んだ。
ヘルメットの中でクッションが開き、黒井の頭部を固定する。
仮面のメカニックが、黒井の脳と直結し、風を動力源として、強化改造人間の肉体を起動させた。
黄色いCアイが、太陽のように輝いた。
「とぉっ――」
その躯体が跳躍する。
茂が見下ろしていた道路から、黒井が、茂のいる所までジャンプしてやって来た。
ガードレールと、茂を飛び越えて、海に臨む形で、黒井が振り返る。
「俺は、仮面ライダーを斃す為に生まれた――仮面ライダー三号」
茂と向かい合い、黒井響一郎は名乗りを上げた。
天空を、一人の男が歩いている。
気を失いそうな程に真っ蒼な空に向かって、雲の柱が立ち上っていた。
そのすぐ下には、地上に向かって伸びてゆく雲もある。
いや――
良く見れば、その光景が、上下対称であるという事が分かった。
空の光景が、地上に映っているのであった。
一〇〇キロメートル四方の中での高低差は、たったの五〇センチ。
その広大な塩の受け皿に、降り注いだ雨が水鏡を作り、蒼穹を映し出している。
遮蔽物の凹凸が全くないその大地の天空に、男が独り、歩いていた。
整った容貌に、薄っすらと影を差した、長身の男である。
髪に癖があり、耳の辺りで、横に跳ねている。
雨期の事であるから、決して暖かくはないのだが、上着の袖を捲っていた。
その男が、独り、天空の鏡を歩いているのである。
平坦な大地をゆく男の周囲には、他の人間は誰もいなかった。
観光に来る時期ではない。
塩で満ちた足場は悪く、車であっても進むのが難しい。
乾期には、そこで採れる塩が延々と広がる、白銀の大地が剥き出しになるので、雨期の神秘的な美しさよりも、そちらの方を目当てに来る者の方が、多かった。
暫く、一人で歩き続けていた男だったが、やがて、同じように天空に立つ人物を、発見した。
永遠に途切れる事がないのではないかとさえ思わせる蒼い景色の中に、黒い染みとして、その男は立っているようにも見える。
赤いラインの入った、黒い革のジャケットを着ている。
ざんばら髪の下に、刃物のような鋭い双眸が光っていた。
松本克己である。
男は、克己の数メートル手前で足を止めた。
「君が、俺を、呼んだのか」
男は克己に声を掛けた。
静寂に包まれた鏡の上で、その声が良く響く。
「そうだ」
克己が答えた。
「何故⁉」
「お前を、斃す為だ」
「斃す⁉」
「そうだ。人類の未来の為に、俺たちは、貴様ら仮面ライダーを斃さねばならぬ」
「人類の未来だと……」
男が眉を潜めた。
克己は頷いて、このように語った。
「この世界は、箱庭さ……」
「箱庭?」
「人間たちが、自ら住み易くするために造ったものだ。しかし、その箱庭を維持する為に、人間以外の者を、人間は蔑ろにし過ぎた。挙句、自分たちが蔑ろにしたものの為に、箱庭の秩序を乱し、その平穏を取り戻す為に、新しい犠牲を生み出そうとする。自らの分を弁えぬ哀れな箱庭の住人たちを、自由と平和などという題目で誑かす仮面ライダー共が……彼らに純粋なる解放を授けるには、邪魔なのだよ」
長い台詞を、すらすらと吐き出す克己。
この類の文章が、彼の頭の中には深く刻み込まれているのだ。
男は、克己を見据え、
「純粋な開放とは、何の事だ」
「大いなるものに抱かれる安心感……」
「――」
「家畜として
「何⁉」
「その為に、家畜共を選定する必要があるのさ。お前たちは、言うなれば、豚が草を喰い尽してしまうのを眺めているだけ……寧ろ、豚共の権利などとと言うものを主張して、暴食を促進するだけの行為だ」
遊牧民が家畜を育てる際、留意せねばならないのは、その数の調整である。
草を喰って生きる動物であれば、その数が増え過ぎれば、食糧難に陥る。
次の年、植物が生えなくなるからだ。
そうなると、結果的に家畜も育たない事になる。
だから、管理者たちは、草を食べ尽させないよう、その数を調整する必要があった。
「そうして管理される中にこそ、生命としての幸福がある」
「――貴様は、ネオショッカーの者か」
男は、そう訊いた。
ネオショッカーの目論見は、地球の資源を枯渇させない為に、人類の総数を減少させる事であった。
克己が語った事は、それに近しいと、男は思ったのであった。
だが、克己は首を横に振った。
「ネオショッカーは我々の一部に過ぎん」
「一部?」
「我らはショッカー。この世界を改造人間が支配し、その改造人間を大首領が管理する事で、人間共は人類という家畜として、安穏を得る事となる」
「む、ぅ……」
男は唸った。
克己は、迷う事なく、そう言い切った。
男にとっては、理解し難い事であった。
確かに、地球の資源の枯渇は問題であったが、かと言って、それを糧として生きる人々を切り捨てる事で解決しようという方法は、短絡的に映る。
生命とは、他に代え難い尊きものであるからだ。
その上、人間を家畜にする事が、幸福であるという意見には、賛同し得ない。
餌を与えられ、飼われるばかりの家畜となれば、確かに苦しみはなく、傷付けられる事もないであろう。
しかし、それは同時に、喜びや楽しみもなくなるという事だ。
人間の心の自由を奪う――男は、克己が語ったショッカーの野望を、そう判断した。
それが、人類の為であると、克己は言ったのである。
「成程、つまり、君は……」
男は、克己の言葉を吟味して、言った。
「人類の幸福を見ている訳だ。言うなれば、人類の味方だな」
「そうだ」
「ならば、お前は、人間の敵という訳だ――」
「無論だ」
克己は、人類と人間という言葉を区別して使っている。
人類とは、種としての呼び名だ。
ヒトという獣、そう言い換えても良い。
生まれたままの、ありのままの、純粋な生命としての名前が、ヒトである。
優劣で語るべき事ではないのだろうが、その一段階上にいるのが、人間という概念だ。
他の動物が、自らの生命を守る為に強く進化したのに対し、自ら爪と牙を捨てる事で、理性によって尊厳を確立した人間。
克己は、ショッカーは、人間の敵ではあっても、人類の敵ではない。
そのような立場を、明らかにしたのである。
ならば、それまで、人間として生き、人間として戦い、人間を守って来た男にとっては、彼とは相容れない存在であった。
「来い。貴様らと、我ら、どちらが正しいのか、決めようじゃないか」
「ゆくぞ、ネオショッカー……いや、ショッカーの改造人間」
男が言った。
克己は、唇に切れるような笑みを浮かべると、
「違うな……俺は、貴様らと同じ、強化改造人間――」
と、言いながら、ジャケットを脱ぎ捨てる。
その下には、銅色のプロテクターに覆われた、飛行機のパイロットを思わせる強化服を着込んでおり、バック・パックからは、飛蝗をモチーフにした仮面がせり上がって来た。
ヘルメットが頭部に被さり、ヘッド・セットを起点にチン・ガードが回転する。
顎を固定したチン・ガードとヘルメットの隙間に、鉄のマスクが被さり、剥き出しであった顔の下半分を覆った。
ふと、水鏡に波が立った。
見れば、蒼い空の彼方から、一機のプロペラ機がやって来る所であった。
機関砲を、男に向かってばら撒くスカイサイクロンだ。
スカイサイクロンは、その後、空中で旋回すると、地面ぎりぎりまで降りて来て、克己と男との間を横切った。
巨大な鉄の塊が、突風を巻き起こして、水の鏡を波立たせる。
この風圧で、克己の腹部の風車ダイナモが回転した。
「仮面ライダー第四号……!」
ねっとりと、しかし、力強い口調で、克己は、上空に向かって名を告げた。
スカイサイクロンの飛び去った天空に、一人の男が
鮮やかな緑色の強化服と、オレンジ色の装甲。
黒光りする、鋼鉄のレガース。
頸からは赤いマフラーが、イナゴの羽のように伸びている。
牙を剥き出した、髑髏の仮面に、赤い光が灯っていた。
男の名は、仮面ライダー。
スカイライダー・筑波洋であった。
次回から、3号・4号による俺tueeee予定。