ガイストは、スタンダードに構え、アマゾンに立ち向かってゆく。
ローキックで牽制し、ジャブで距離を測り、ストレートを打ち込む。
綺麗な蹴りだった。
素早い拳だった。
見事な突きであった。
恐らく、これが、空手の試合場や、キック・ボクシングのリングの上であれば、その余りの呆気なさに、しじまかブーイングの嵐さえ起こりかねない。
鉄の脛で太腿を蹴り込まれれば大腿骨が折れ、鉄拳はジャブでさえも骨を砕き、ストレートは頭蓋骨の反対側から脳しょうをぶち撒けるであろう。
そのような事態になっても、恐らく、ガイストの動きは、感歎すべき美麗さを誇る。
円だ。
蹴り、ジャブ、ストレートという、たった三つの動作が、円のように連続しているのだ。
円と言うよりは、螺旋である。
終わる事なく続く渦巻きの軌道をなぞって、ガイストは、攻撃を繰り出しているのであった。
完璧なコンビネーションだ。
螺旋――円であるからだ。
完璧な螺旋は美しい。
ガイストの戦いは、美しかった。
但し、相手がこのアマゾンライダーでなければの話だ。
武道には、型がある。
或る一定の動作に対し、定められた動作で反撃する事もそうだ。
ローキックならば、膝を曲げて、脛で受ける。
ストレート・パンチは、ウィービングやダッキングで躱す。
無条件で定められているのではない。
飽くまでも型であって、形ではない。
実用性という土台があって初めて、形は、型となる。
アマゾンは、それがない。
かと言って、型無しという訳では、なかった。
アマゾンは、戦いに於ける実用性を、十二分に備えている。
その上で、人間たちが勝手に定めて来た型を――知らないという事はあっても――、アマゾンは破ってしまう。
型があるからこそ、型破りなのだ。
アマゾンは、定石ではない、自らの本能の赴くままに、繰り出される攻撃を躱していた。
下段への蹴りに対して、大袈裟に飛んで回避する。
脱力して繰り出されるフラッシュのようなパンチを、敢えて躱そうとする。
真っ直ぐな突きをスウェーで避けようとして、躱し切れないとなるとバック転で距離を取る。
少しでも武術を学んだ人間ならば、不合理と切り捨ててしまうような事を、アマゾンはやれたし、その不合理を覆す程の反撃を、アマゾンはする。
その動きが、これ亦、美しい。
躍動する筋肉。
しなやかな関節。
鳥が青空を旋回するように、アマゾンの動きも、円であった。
一見すると無駄に見える動作の中には、その実、無駄なものなど何一つない。
本能の美しさだ。
ガイストの格闘を、ミケランジェロやダ・ヴィンチ、ラファエロなどの美術品と例えるならば、アマゾンの戦闘は、空と海と大地が育んだ大自然そのものであった。
理性の美しさと、本能の美しさ――二つの完璧なる円が真っ向からぶつかり合い、絡み合い、途切れる事のない、無限の二重螺旋を描き出しているのである。
ガイストのパンチを、アマゾンが上空に跳んで躱した。
振り抜いた拳を引き戻す僅かな間隙、頭上という死角から、野生の爪が襲い掛かる。
ガイストは、身体を倒し、アマゾンを地上に引きずり込もうとした。
アマゾンの爪が空を切った時、ガイストはアマゾンの右腕を左手で掴んで引き寄せ、アマゾンの頸の外側から右腕を回し、相手を腰に乗せた。
「――せぃっ」
ガイストの腰が跳ね、アマゾンを投げ飛ばす。
落ちる直前、アマゾンは蹴りを放ち、落下のダメージを軽減した。
ガイストがアマゾンから距離を取り、又、ローキックで攻めて来た。
その次は、ジャブだ。
アマゾンがどんな避け方をしても、ガイストは下段蹴りの次はジャブで間合いを測る。
アマゾンの眼は、すっかり、ガイストのジャブの速度に慣れていた。
ガイストが繰り出すジャブの軌跡が、アマゾンの赤い瞳の奥に予想された。
四度、ガイストは拳で連打した。
その四発の拳の、微妙に異なる打撃点を見切り、四回の引手に合わせて、アマゾンはガイストとの距離を殺した。
膝の間合いまで、入り込まれていた。
アマゾンは、ガイストの右ストレートが伸びる前に、引手である左手の死角に右腕を隠し、至近距離からの大切断でガイストに重傷を負わせようとした。
全神経を集中したヒレカッターによる一閃は、ガイストの左腕か、又は、その左脇から右肩までを切り落とすであろう。
だが、ガイストの左肘が、アマゾンの右腕を抑え、その動作の為に切られた腰が、右のストレートをアマゾンの左頬にぶち当てていた。
「がぅっ……⁉」
顔の鱗が剥がれ、牙が何本か折れた。
アマゾンは眼を細めながら、パンチのダメージから後退する。
腰の入った見事なパンチが、アマゾンを打撃した。
アマゾンの意識の外から、いきなりパンチが現れたのであった。
ガイストが、一瞬だけ唖然としたアマゾンに、殺気を叩き付ける。
バック・ステップで逃げようとしたアマゾンの右腕を、ガイストの左腕が掴んだ。
右腕がアマゾンの頸に伸びて来る。
アマゾンは、身体を縮め、落とされると同時に蹴りを放とうと
だが、ガイストはアマゾンの
アマゾンの頭を脇に挟み、右手首を左手で握る。
鉄の装甲に、アマゾンの頭蓋骨が圧迫される。
「がぅっ、がああぅっ!」
アマゾンが、めりめりと音を立てる頭蓋骨の痛みに悶えた。
獣人となり、瞼を失くしたアマゾンは、眼球を冷たい金属で直に押し込まれている事になる。
「知ってるかい、ターザン」
ガイストが囁いた。
「神さまって奴は、人間がお勉強をする事が嫌いらしいぜ」
アマゾンの爪が、強化服や装甲を掻く。
が、傷が付きこそすれ、内部にまでは届かない。
ガイストは腰を振り、アマゾンを解放しながら、投げた。
床に落下するアマゾンは、体勢を立て直すが、頭部の鱗がぽろぽろと剥げ、金属に擦られて出血を起こしていた。
そのアマゾンに、ガイストが蹴りにゆく。
ローキック。
ジャブ。
ストレート。
距離を置くアマゾンに、ガイストは、再び蹴り付ける。
ロー。
ジャブ。
ストレート。
アマゾンはガイストを飛び越えて、背後から切り付けて来た。
その右腕を取り、腰に乗せて、投げる。
ガイストも蹴られたが、アマゾンは、余りにも簡単に投げられた事に、驚いている。
ガイストが、アマゾンを蹴った。
ローキック。
太腿に、ぺちんと、鉄の脛当てが触れた。
アマゾンが、全く痛みを感じない蹴りに、ぽかんとなる。
「ぼーっとすんな」
ぽん、と、ガイストの左の拳が、アマゾンの顔の真ん中を叩いた。
やはり、痛みなどない。
「ほら、後三発」
ジャブと言うには余りに遅く、普通のパンチにしては威力がない。
それを、アマゾンは、躱した。
二発目。
三発目。
次で、ジャブは終わりだ。
ストレートが来る。
引手に合わせて前進し、右のヒレカッターでがら空きの左脇腹を……
アマゾンの左頬を、横殴りに、ガイストの掌底が襲った。
アマゾンが横に吹っ飛んでゆく。
ガイストはそれを追い、右腕を掴んだ。
投げ⁉
アマゾンの予想に反して、ガイストはヘッド・ロックを仕掛けて来た。
又、みきみきと、骨がひしゃげ掛ける。
ガイストが腰を動かそうとした。
今度こそ、投げる気だ。
その力に逆らわず、しかし、逆にガイストを投げようと、アマゾンはプランニングした。
成功すれば、バック・ドロップのような形になる。
ガイストがアマゾンの身体を右側に振り出す。
その腰の回転に合わせて、アマゾンは抱いたガイストの腰を持ち上げ、後方に――
と、その前にガイストはアマゾンの脚を、自分の脚で引っ掻けて、バランスを崩させた。
川津掛け――
倒れ込もうとする二人。
ガイストは更に、アマゾンの頸を固定したまま、掌底を彼の顔面に当てた。
アマゾンは、硬い床と、ガイストの装甲の重みに、サンドウィッチされた。
「かふっ……」
掠れた声が、牙の間から漏れる。
「ここまで、台本通り……」
ガイストが言った。
アマゾンから離れて、立ち上がるよう促した。
「大罪人だな、俺は」
ガイストが、腕を組んだ。
アマゾンが立ち上がり、ガイストの周囲を飛び跳ねて、隙を伺い始める。
残像が生じる程の速度で、アマゾンは、ガイストの周りだけではなく、頭上までも飛び交い始め、無形の檻に、ガイストライダーを閉じ込めた。
しかしガイストは、
「捕まったのは、お前さんの方だぜ」
と、言った。
アマゾンが、後方から飛び掛かる。
ガイストの裏拳が、アマゾンの顔を叩いた。
弾き落される。
床に倒れ、起き上がろうとしたアマゾンの顔を、ガイストがローキックの軌道で蹴った。
サッカー・ボール・キック。
アマゾンの頸の靭帯が、ぶちぶちと音を立てた。
当たった場所は違ったが、今のは、ローキックだ。
ならば次は、ジャブが来る……
ガイストは、しかし、左手でアマゾンの右腕を握った。
ああ、今度はこっちか。
彼が右腕を掴んで来たら、次は頸に手を伸ばして、投げるか、絞めるか……
ガイストはアマゾンの右腕に脚を絡め、ベルトを起点に肘を極めて、腕を折った。
鱗の隙間から、肉の絡んだ骨が覗いた。
腕拉ぎだ。
これは、今までになかったパターンだ。
パターン化されていない事なら、アマゾンも、対応出来る。
いや、対応出来ないから、対応出来ないなりに、対抗する。
アマゾンの顔の前には、ガイストの脚が伸びていた。
膝の裏が、顎のすぐ前にある。
関節は、他の部分と比べて動きが多い為、狙われれば壊れ易い。
咬み付きにゆく。
所が、ガイストの膝はアマゾンから離れ、靴底を、アマゾンに向けた。
横手から、蹴り込まれた。
顔が反対側を向く。
顔を戻すと、又、蹴られた。
顔を戻すと、又、蹴られた。
顔を戻そうとしたが、蹴られる事が分かったので、蹴って来る足をどうにかしなくてはならない。
ならば、戻された顔を蹴ろうとするガイストの脚を、逆に攻撃してやれば良い。
アマゾンは左腕を胸の前にやり、顔を蹴りに来る足をガードしながら、顔を戻した。
ガイストの左足を、アマゾンの左腕が受ける。
アマゾンは、左半身を持ち上げ、ガイストの左脚を制しながら、右腕を引き抜こうとした。
だが、ガイストは払われた左脚をアマゾンの頸に掛け、アマゾンの右腕と一緒に、彼の頭部を中心とした三角形を作らせた。
変形の三角絞めが、アマゾンの頸動脈を圧し、呼吸を妨げた。
体内に酸素ボンベの類を持たないアマゾンは、脳に充分な酸素を送れず、意識を闇の中に放り投げてしまった。
変身の一因でもあるアドレナリンが、ブラック・アウトと共に霧散し、鱗が落ち、アマゾンの素顔が剥き出した。
戦闘形態は解いても、変形した骨格はすぐには戻らず、自らの鱗の為に流れた血を纏った半獣半人――ギギの腕輪を付けているにも拘らず、プレ・アマゾンの姿になってしまった。
ガイストは、アマゾンが動かなくなったのを確認し、技を解いた。
パーフェクターとグリーン・アイザーも外し、素面になる。
仮面の内側で擦れた皮膚が出血し、痣を作っていた。
舌を口の中で転がすと、折れた歯が音を鳴らす。
手に、歯と、唾と、血を吐き出すと、煙草を取り出した。
指先に灯した炎で火を点けて、一服した。
松本克己――
父親は、不明。
母親は、その男に犯されて、克己を孕んだ。
自分を強姦した男を殺害し、人殺しとして見られるようになった母は、遠縁を頼った。
そこで、馬車馬のように働かされた。
馬小屋の世話をさせられ、母は、克己を馬小屋で生んだ。
克己は、母が殺して喰らった仔馬の血を啜り、生き延びた。
暫くはその家で、やはり母と同じように雑用を命じられたが、物心付いて少し経つと、その家から金品を奪って、逃げ出した。
町では、悪がきたちを集めて、散々、悪い事をした。
強盗。
火付け。
克己少年の悪行は、仲間による密告で捕縛されるまで続いた。
克己の身柄を引き取ったのは、松本
琉球出身の男である。
講道館が台頭して来た頃、琉球武術である唐手の強さを示す為、何人もの柔道家に野試合を挑み、その悉くに、勝利した。
唯一人、慶朝には勝てなかった男がいた。
前田光世――
彼に敗れた慶朝は、最早、自分には最強の座を目指す資格はないと判断し、自分の武道をどのように活用するかを思案した。
その案の一つに、青少年の育成というものがあった。
時代が大正に変わり、琉球から、船越義珍が本土にやって来て、唐手を披露した事がきっかけである。
琉球武術であった
それが、少年少女の精神修養の為の科目となったのが、空手道であった。
慶朝は、自分が修めた唐手や、自分を倒した柔道など、様々な武道・格闘技を研究し、それらによるメソッドが完成した頃、克己と出会ったのだ。
当初は慶朝を毛嫌いしていた克己であったが、次第に、彼に対する親愛の情と、他の人間たちが見放した自分を、武道で以て救ってくれた彼に、強くなる事で恩を返したいという思いを抱くようになった。
克己は、他の様々な武道・格闘技を学ぶようになった。
そうして時代は、戦争へと突き進んでゆく。
慶朝は、その頃、結核を発症し、真珠湾攻撃の年、病床に臥せる事となった。
今わの際、克己は慶朝から、前田光世との因縁を語られたのであった。
師父を失った克己は、軍に於いて、若くして武術指導役を務める事になった。
黒井やガイストと比べると、頭の位置が低い克己であるが、当時からすれば高身長であった為、上官や年下の兵士たちからは妬まれる事もあった。
それから、東京大空襲。
克己は、隅田川に溢れ返った遺体の片付けに、臨時で駆り出された。
特攻隊に志願したのは、その直後の事だ。
日本を離れ、異国の特攻基地に赴いた。
そこで、克己は敗戦の報を受ける事になる。
日本が、敗けた。
克己は不思議と、どのような感慨も受けなかった。
子供の頃の悪行も、少年時代の修行も、軍人となってからの全ても、克己の心の虚ろを満たすには至らなかったのだ。
敗北による終戦を知った兵士たちは、故郷へ帰れる喜びと、故国に塗られた泥への哀しみを入り混じらせていた。
そんな折、一機の飛行機が、突如として飛び立っていった。
部隊長であった。
日本の勝利を信じて疑わず、自身の生命を擲ってでも敵国を討たんと、宣言していた。
その隊長が、唯一人、帰投燃料を積まずに、米軍の戦艦に突っ込んでゆく。
隊長の飛行機は、敵艦に届く前に撃ち落され、海へと沈んだ。
何故――
何故、あんな、自殺のような事をしたのか。
特攻ですらない、単なる、生命の無駄打ち……
克己には分からなかった。
分からない克己は、分からないままに日本に戻り、そこで、ショッカーからの接触を受けた。
ドイツから、首領が招聘したイワン=タワノビッチを迎えに行った。
そして浜名湖地下のショッカー基地にゆき、空虚な自分を満たすべく、ショッカーの一員となったのである。
淡々と、克己は、自らの来歴を語った。
その間に、何枚も皿が入れ替わっている。
黒井は、
「そうか……」
と、今まで知らなかった克己の過去を聴き、その壮絶な人生に、言葉を失っていた。
それで良い……
克己はそういう顔をした。
脳改造手術を受けているとは言え、克己の記憶が全て失われている訳ではない。
克己の記憶は、脳の奥に封印されているだけである。
その記憶と絡み付いた“克己”の感情を俯瞰してみると、恐らく“克己”は、そのように思うであろうと、克己は感じた。
他者の過去に、大きく踏み込む必要などない。
語られた者は、それを、心の中で静かに転がし、嚥下した事を言葉少なに告げれば良い。
「俺のような人間を……」
克己は言った。
言いながら、克己は、妙な違和感を覚えていた。
「これ以上、生み出さない為に、ショッカーはある」
どうして、いきなり、こんな事を話し始めたのか。
分かり切っている事を、どうして、今、黒井に告げようとしているのか。
「君のような人間を?」
黒井が訊いた。
「空っぽという事さ」
「空っぽ⁉」
「俺には何もない。唯苦しんで、唯傷付くだけの……」
「――」
「そんな人間を救う事が出来るのは、ショッカーだからな」
「克己……」
「俺には、何も、ない……」
何もない?
克己は、自分の言葉に首を傾げた。
何もない人間が、どうして、過去などを語ったのだ。
どうして、語った自分の過去への反応を、分かる事が出来たのだ。
「そんな事を言うな」
克己は、顔を上げた。
いつの間にか、視線が下に行っていた。
眼の前に、真剣に自分を見つめる黒井の顔があった。
「お前には、俺たちがいる」
「お前たち?」
克己はそう言った。
黒井が言った“俺たち”を、黒井たちの事であると訳して、訊き返した。
「そうだ。お前には、その……」
「――」
「俺たちが……仲間がいるじゃないか」
「なかま」
「だから、お前は、空っぽなんかじゃないさ」
「――」
その言葉を、じっくりと呑み込もうとした克己であったが、彼の思いを遮るように、脳波通信が入った。
黒井も、同じ電波を受信している筈だ。
ガイストを介して、マヤから届いて来るものであった。
――二人とも、すぐに基地に戻りなさい。
それぞれ了承して、席を立った。