黒い、広大な空間を、蒼いライトが照らしている。
その闇の閨に、二つの影が踊っていた。
黒い強化服と、緑の装甲が、グリーンの尾を引きながら駆け抜けてゆく。
それに対し、赤と緑の斑模様が、上下左右に変則的な動きを繰り返した。
銀の蛇がしなり、アマゾンライダーの咽喉元を狙う。
アマゾンは、ガイストが繰り出した右手のアポロ・フルーレの刺突を、身体を反らして躱し、そのまま脹脛から突き出したヒレカッターが、ガイストに向かって駆け上がってゆく。
緑色のガードランの正中線に沿って、ヒレカッターが縦の擦り傷を付けた。
「くっ」
ガイストライダーは呻きながら、左手に持ったアポロ・ショットを、一瞬、背中を向けたアマゾンに突き付けた。
アマゾンは、空中で逆立ちしたまま身体を横に回転させ、銃弾をやり過ごす。
着地したアマゾンは再び回転しながら跳躍し、ガイストの頭部に蹴りを打ち込んで来た。
ガイストは、身体を深く沈めて、蹴りを避ける。
身体を持ち上げてゆくと共に、アマゾンの脚の付け根に向けて、フルーレの切っ先を走らせた。
その切っ先と同じ軌道で、アマゾンが天井に逃げてゆく。
アマゾンは、ベルト・コンドラーから取り外したロープを天井に投げて突き刺し、それを伝って、ガイストの頭上へと逃げてゆくのである。
アポロ・ショットを向けるガイストであったが、アマゾンはロープから跳び、ガイストに跳び掛かって来た。
空中では身動きが取れない――そのようなガイストの意に反して、アマゾンは背びれを激しく動かして、空中で動体制御を行なう。
そうしてそのまま、ガイストの上半身に組み付いた。
アマゾンの両脚が、ガイストの両脇に差し込まれ、うなじでクラッチされる。
鉄の強化服を纏っていなければ、脚のヒレカッターで咽喉を貫通されていた。
しかし、アマゾンの脚の鱗が、ガイストの強化服にぎっちりと喰い込んで来る。
しかも、ガイストは両腕の動きを制限されているのだ。
「けけーっ!」
アマゾンは怪鳥の叫びを迸らせ、Gマスクの後頭部に爪を叩き付け始めた。
鋭利な生体刃が仮面を削り、打ち込まれる衝撃が脳を揺らす。
ガイストは、振動に晒されながらも、どうにかアマゾンの腰で両手を結び、後方に向かって反り返りながら、跳んだ。
そのままであれば、アマゾンは、顔面から床に落ちる事になる。
アマゾンはガイストの腕の中で身体を捻り、クラッチを解かせた。
回転しながら跳んでゆく。
ガイストだけが、受け身を取りながら、その場に仰向けになった。
着地したその次の一歩で、アマゾンは仰臥位のガイストに迫る。
ガイストは両脚を腹の方に畳み、アマゾンのボディを蹴り上げた。
アマゾンの身体がふわりと舞うが、ストライクの瞬間に腹筋を締め上げた為、衝撃が皮膚と脂肪の部分で分散した。
立ち上がったガイストライダーは、剣と銃を放り投げた。
徒手で、アマゾンに立ち向かってゆく。
ローキック。
跳んで、躱した。
左の拳で、空中のアマゾンを狙う。
アマゾンは右足でガイストのパンチを蹴り上げ、左で蹴り込んで来た。
その左脚を右肩に担ぎ、ガイストはアマゾンを投げ飛ばす。
アマゾンは身体を丸めた。
頭を腹の方に丸め、僧帽筋から落下してゆく。
この際に、獲られた左脚を、折り畳んでいた。
ガイストの右肩の付け根に、アマゾンの膝が押し当てられており、落下の衝撃が、アマゾンの身体を通して、ガイストに伝わった。
肩の装甲にひびが入り、内側でも、肩の関節が悲鳴を上げた。
鉄の骨格が歪んで、痛覚の通った人工筋肉に、鋭い熱が走るのだ。
じくじくと、まるで獣の牙を喰い込まされているような痛みが、ガイストの肩にはある。
肩を手で押さえて膝を着くガイストと、地面をごろりと転がって敵に向き直るアマゾン。
「怖いな、野生ってのは……」
ガイストが呟いた。
そういう裏技が、ないではない。
タックルで押し倒される時、どうしても自分の身体に密着している相手の頭に、拳を当てて、肘から落下してその衝撃を相手の頭に伝える。
試合では使う事の出来ない、危険な技である。
これは、命を懸けた殺し合いだ。
だから、ガイストは、そのチャンスが来れば、使う事が出来る。
アマゾンを“怖い”と評したのは、恐らくはそうした武術を専門的に学んではいない筈の彼が、戦う中で本能的に技術を行使した事である。
アマゾン本来のファイト・スタイルは、獣のように、相手の肉体を破壊するものだ。
コンドルのように跳躍し、猿のように跳び掛かって爪で切り裂き、ジャガーのように牙で咬み付き、ヒレカッターで敵を切断する。
人間の枠に囚われない、ワイルドな戦い方をする。
そうした相手は、ガイストのように武道を――戦いの理論を学んだ者にとっては、非常にやり難い。
武術とは、人を殺す理論である。
素手であっても、刀を持っても、銃を担いでも、それは変わらない。
相手が“このように”攻めて来たら、“こうして”反撃する。
自分が“こうやって”動けば、相手は“こうする”ので、“こう”返す。
そうしたロジカルなものが、武術だ。
所が――
このアマゾンには、そのようなロジックが通用しない。
アマゾンは、人間社会からは大きく外れた環境の中で生きて来た。
そうであるから、武術家であれば絶対にやるような事をアマゾンはやらないし、決してやらないような事をアマゾンはやれる。
本能に根差した戦い方である。
埋め込まれたトカゲの遺伝子の影響か、アマゾンは獣の戦い方をする。
ヒトとは違うロジックを持っている。
それと同時に、人間としての側面も、アマゾンは保持していた。
だから、獣のように本能的に、人間に対して有効な攻撃を繰り出せる。
獣として獣を喰らい、ヒトとしてヒトを殺し、獣のようにヒトを殺し、ヒトのように獣を喰らう事も出来る。
それは、アマゾンという男が、獣でもあり、人間でもあるからだ。
戦う獣神――
仮面ライダーアマゾンは、最も神に近い人間であると言える。
だが、ガイストは、人間である。
獣を殺すにも、ヒトを殺すにも、人間としてしか殺し得ない。
人間と獣を自在に使いこなすアマゾンとは、戦い方の幅が、大きく違っていた。
「良かろう……」
ガイストは、肩の動きを確かめた。
痛みはあるが、動かせないという事はない。
「本番は、ここからなのだ……」
ビールから、始まった。
克己と向かい合った黒井は、滅多に頼まない生ビールで、ガラナと乾杯した。
最初の一口で、ジョッキの半分程まで、呑み込んだ。
ちびちびと、克己がグラスからガラナを啜る。
克己は酒を飲まない。
強化改造人間である彼らには、アルコールを直ちに分解する機能がある為、人間のように酔っ払うという事は、気分の上でしか出来ない。
黒井や、飲兵衛のガイストは兎も角、泥酔した振りをする事に、克己は意味を見出せないらしい。
酒を飲む合理的な理由がないと、克己は言うのである。
ガイストは、黒井たちをちょくちょく飲みに誘った。
彼が言うには、
“酒は良いぞ”
“酒は人を明るくする”
“円滑な関係を築く為には、酒が不可欠だ”
“良いか、お前ら。お前らが人を世話する立場になったら、必ず誘え”
“いや、世話される立場でもそうだ”
“別に酒である必要はないがな、酒が入って若干でも明るくなれば、そう関係は崩れん”
と、いう事であった。
彼自身、酒に拘る必要はないと言っているが、酒は、独りで飲むよりかは、何人かでやった方が良いという事は、譲らなかった。
黒井も、酒を飲むには飲む。
洒落たワインなどを好んだ。
殊更にワインが好きと言うのではなく、カー・レーサーという“ヒーロー”の自分を演出するのに、ワインを飲む事が必要であると思ったので、人前で入れるアルコールは、いつもワインだった。
葡萄酒が好きだとか、人間関係を円滑にする為のアルコールであるとかいう理由よりは、自分の中にある黒々とした狂気を隠す、ペルソナとしての意味合いが大きかった。
それが、癖になっている。
その癖が、ガイストに誘われ、マヤや克己と一緒に飲むようになっても、抜けない。
だが、今、黒井はビールを飲んでいる。
咽喉を、苦みを孕みながらも爽やかに駆け降りる黄金を、腹の中に落としている。
ヒーロー・黒井響一郎ではなく、黒井響一郎という個人として酒を飲み、克己と向き合っているのであった。
克己は、そんな黒井に対して、やはり酒は飲まない。
ガイストは時々そんな克己に不満を漏らすが、黒井は好意的に解釈している。
ガイストは、“円滑な関係”の為に、酒は必要であると言った。
若し、克己が敢えて自分たちの前で酒を飲まないのならば、それは、自分たちの間には、アルコールという潤滑剤を差さねばならないような摩擦はない……気の置けない仲間であるという風に認識してくれているという事ではないか、と、黒井は思っているのだ。
「……こうして」
黒井が、口火を切った。
「二人で話すのは、初めてだな」
「ああ」
克己が、無表情に頷いた。
黒井は、次の言葉を失ってしまう。
克己のレスポンスを期待していた訳ではないが、色々と話したい事が多く、纏まりが付いていない。
皿の上の料理が、少しずつなくなってゆく程度の沈黙を挟んで、黒井が再び口を開く。
「以前は、ありがとう」
「以前……?」
克己が怪訝そうな顔をした。
黒井は、話題を間違えたかと思いながら、そのまま、話を続ける。
「あの時、俺を止めてくれた」
「あの時?」
「ゲルショッカーが壊滅した時さ」
ゲルショッカーは、ショッカーに次ぐ第二の組織である。
二種類の動物を掛け合わせた、合成改造人間を尖兵に、仮面ライダーと戦った。
一九七三年三月、ロシア革命にも参加した将校であり、最高幹部であったブラック将軍が斃され、浜名湖地下のゲルショッカー本部に、ダブルライダーが潜入した。
そこで、大首領は本郷と一文字を巻き込んで、基地ごと自爆しようとしたのである。
基地は吹っ飛んだが、仮面ライダーたちは無事に脱出した。
その約一年前にマヤに見出されていた黒井は、死神博士による強化改造人間手術を受け、更にゲルショッカーが造り出した六体のショッカーライダーのデータを得て、強化改造人間第三号として、ゲルショッカー本部に眠っていた。
基地の壊滅直前に覚醒した黒井は、用意されていたトライサイクロンで脱出し、本郷と一文字のダブルライダーと戦うべく、待ち構えていた。
爆炎の中から飛び出して来るライダーたちを追撃せんとしたトライサイクロンを、しかし、別の強化改造人間が止めた。
強化改造人間第四号――同じく死神博士の改造手術で生まれ変わった、松本克己であった。
「あの時、君が止めてくれなければ、俺は敗けていたかもしれないな……」
黒井が言った。
黒井が、改造手術を受けながらも眠り続けていたのは、彼の覚醒よりも先に死神博士が死に、遂にはショッカーまでも潰えてしまったからだ。
ショッカーの改造手術の多くを担っていた死神博士を失った事で、強化改造人間を万全な状態で覚醒させる事は難しくなってしまった。
そうして、黒井の身柄はゲルショッカーに移され、新たな改造人間さえも相手取る本郷と一文字にぶつける事が、躊躇われた。
そこでショッカーライダーを使ってダブルライダーのデータを収集し、それに基づいて第三号に強化手術を施したのだ。
だが、ぎりぎりまで眠り続けていた黒井が、再生改造人間やヒルカメレオン――ブラック将軍の改造人間態――と戦って疲弊しているとは言え、唯二人で無数の改造人間たちに勝利して来た経験を持つダブルライダーと、どの程度戦えるだろうか。
最新型が必ずしも勝つ訳ではない事は、本郷が独りであった頃、五人の第二期強化改造人間たちを制圧し掛けた事で、判明している。
本郷と一文字が蓄えて来た経験値を、果たしてスペック差だけで覆し得るのか。
或いは、第三号・黒井が勝つという場合もあるかもしれなかった。
だが、同じ確率で、第一・二号が三号を倒してしまう可能性も、あったのだ。
「だから、ありがとう」
その危ういギャンブルに挑もうとした黒井を、寸での所で止めた克己に、黒井は言った。
「命令だったからな」
克己の答えは素っ気ない。
「命令?」
「マヤの、だ」
「――」
「来るべき時まで、お前を死なせてはならないからな」
「来るべき時というのは……」
「裏切り者の
仮面ライダーの事である。
緑川博士の背反から、ショッカーの敵に回った本郷猛。
彼独りであったのが、本来はライダー・キラーであった一文字隼人が二号になった。
更にV3。
ライダーマン。
Xライダー。
アマゾン。
ストロンガー。
スカイライダー。
スーパー1。
気付けば、たった一人の反逆者は、九人の軍団となっていた。
「マヤ、か……」
黒井が呟く。
「妙な女だな、彼女は」
仮面ライダーに対して浅からぬ理解を持ちつつ、仮面ライダーが生まれ出る条件をそのままに、何度も同じ過ちを繰り返させた。
脳改造――
ショッカーに従う機械ではなく、人間と機械の間に立つ事で生まれる、希望と絶望の二重螺旋こそが、改造人間が仮面ライダーとなり得るものである。
一文字は、脳改造手術前に脱走させられたので置いておくにしても、自ら望んで手術を受けようとした城茂や、志度博士の懇願からであるとは言え生命を助ける為に改造した筑波洋などは、先に脳改造を済ませてしまえば良かったのだ。
それに……
「俺も、向こうに付いていたかもしれないからな」
「――何?」
克己が眉を顰めた。
「俺だって、何かの間違いで、彼らと同じように仮面ライダーを名乗っていたかもしれないって事さ。それこそ、V3を差し置いて、称号のナンバリングとして、三号になっていたかもな」
「――」
「それは、お前だって同じ筈だ」
「俺も?」
「若し、奈央と光弘を奪ったのが、ショッカーだったのなら、さ」
「――」
「あ……済まない、克己。別にショッカーを悪く言う心算はないんだ。唯、色々と考えてしまってね」
「へぇ……」
「歴史に“若しも”があり得ない事は分かっている。けれど、くどいかもしれないが、若しもが“若しも”あったのならと、最近、思うようになったんだ」
あの時、ああしていなければ。
あの時、あれをやれていれば。
黒井の価値観を変えたのは、敗戦だ。
若しも、日本が勝っていれば。
若しも、敗戦を他の者たちと同様に受け入れてしまっていれば。
若しも、レーサーになっていなければ。
若しも、勝利に拘らない人間であれば。
若しも、奈央と出会っていなければ。
そうした無数の仮定の中で、それでも黒井響一郎が強化改造人間になっていたのなら――
若しかしたら、黒井の隣には、本郷や一文字がいたのかもしれない。
「……後悔しているのか」
克己が訊いた。
「後悔?」
「ショッカーに与した事……」
「まさか。俺は、俺の選択に後悔など感じていないよ。少なくとも、克己、君のような仲間が出来た事を、俺は、間違いだったなんて思わないさ」
唇の片端と一緒に、同じ方の肩を持ち上げた。
「そうか」
と、呟く克己は、いつもと同じく表情がない。
それでも、少しだけ首肯の身振りが大き目だった事で、安堵している様子が分かった。
「そうだ、克己。君の話を聞きたいな」
「俺?」
「考えてみれば、君の事を、俺は余り知らないからな」
「――」
黒井に言われて、克己は少し黙った。
自分こそが最も強い人間であろうとしていた黒井が、他者にこうして興味を持ち、問い掛ける事など、今までなかった。
振り絞った勇気の量を感じたか、或いは他の何かが原因であったのか。
「分かった」
と、克己は言った。