第一節 遺跡
じめじめとした風が、森の中をぬるりと走っていた。
湿度を孕んだ空気が、そこに入る者の身体を、ゼリーのように包み込む。
獣たちが、草むらや木の陰に隠れていた。
下手に姿を現したものは、素早く駆け寄る捕食者の爪と牙で生命を奪われる。
ぴりぴりとした、獣同士の、生きるか死ぬかの雰囲気が、重く被さった木の葉の影の下には、満ち満ちていた。
その中で、一人の男が、そんな事など知るものかとばかりに、寝息を立てている。
樹の上の方、横に突き出た太い枝の上に寝そべっていた。
野生の中で、弱者が決して立ててはならない寝息を、轟々と鳴らしている。
しなやかな肉体を持った、薄汚れた衣装の青年であった。
赤と緑のまだら模様のベスト。
腰にはベルトが巻かれており、コンドルを思わせるバックルが臍の前に来ていた。
左腕に、獣の顔を模した、大きな銀の腕輪を付けている。
ぼさぼさの髪。
朴訥そうな顔をした青年であった。
ぐぉ、
がぉ、
と、鼾を掻いている。
はらわたを、猛禽類に啄まれても、そのまま眠り続けるのではないかと思われた。
山本大介――
六番目の仮面ライダーとして、ゲドン、ガランダー帝国との戦いを終えたアマゾンは、故郷のジャングルに戻り、自然を守り、ジャングルに踏み入って来た人間たちのガイドをするというような事を、生業としていた。
勿論、彼が文明のヒエラルキーに束縛される筈もない。
自然保護は名誉や金の為ではなく、純粋に動物たち――トモダチの為に行なわれる。
時には、自然保護を名目に、自分勝手に森の中に踏み込んで来る人々に、牙を剥く事さえないではなかった。
アマゾンは、日本にやって来て、岡村マサヒコや立花藤兵衛らと友達になり、日本での生活をそれなりに理解している。
バイクにも乗れるし、ラジオだって聞ける。
スーツを着て、正式な手順で船に乗り、海外へ旅行する事も出来る。
しかし、やはり、まだ近代の“文明”を、好きになる事が出来ない。
鉄を重ね合わせて積み上げた、あの高い建物の町を、それを造り上げるに至った様々な機械のシステムを、アマゾンはまだ、自分とは全く別の世界のものであると感じていた。
そうではない事は、分かっている。
自分が、日本語を覚え始めたのをきっかけとして、マサヒコや藤兵衛から与えられた諸々の近代文明に慣れて行った事からも、それが分かる。
以前、ジャングルを案内した外国の旅行者が、言っていた。
“空港に着いた時は、がっかりしたよ”
南米と言えば、マヤやアステカなどの古代文明の香りが残り、森林が生き生きと輝く、自然のままの生命が溢れる世界であると思っていたらしい。
しかし、飛行機が到着したのは、東京とか、ニューヨークとかの都会と何も変わらない。
もう一人のガイドは、それはそうだよと笑っていた。
いつまでも、“発展途上国”でいる事は、許されない。
人々は、文化や伝統を守る事もそうだが、生活が便利になる事を望んでいる。
その為に、古いもの、合理的でないものを切り捨ててゆかねばならない事は、仕方ない事である、と、言っていた。
アマゾンには、まだその事が分からない。
少なくとも、自分自身の実感としては、だ。
アマゾン自身は、今の自分の生活――金もなければ、家もなく、テレビでニュースを見る事も、コンピュータ・ゲームで遊ぶ事もない――に、何の不満もない。
洞窟の中で寝起きし、木の実や食べられる草を採り、時には野生動物を捉えて火で炙って喰い、こうして樹の上に横になる。
それだけで、良いと思っていた。
遠い国にいるトモダチに、会いたいとは思うが、決して孤独であるとは思わない。
この場所は、自然の生命溢れるこの森は、寧ろやかましい程だ。
樹も、草も、川も、動物たちも、コミュニケーションを採りに来る。
今日の天気はきっと晴れると、視界で揺れる葉っぱが教えてくれた。
後ろからオセロットが迫っているから気を付けろと、脛をくすぐる草が言う。
東京の町では、聞く事の出来なかった声たちだ。
あそこで、アマゾンは何も聞く事が出来なかった。
音が行き交うばかりで、そこには、どのような心も宿っていなかったのだ。
森には生命がある。
生命の会話である。
命の鼓動を、その声から感じさせてくれる。
しかし、あの、大量の人間が虫のように行き交う場所では――
と、ぱちりと、アマゾンが眼を開けた。
枝の上で身体を起こし、視線を彷徨わせる。
アマゾンは、森の声を聞いていた。
“危ない!”
“怖いものがいるよ!”
“何かが目覚める……”
“「助けて!」”
森たちが一斉にざわめいた。
その中に、助けを求める声を伝えるものがあった。
アマゾンが、その声が何処から来るのかと枝の上に立ち上がり、森を見渡そうとした時、地面が大きく揺れた。
何だ――?
ご、
ご、
ご、
と、鈍い地響きが、アマゾンを枝から振り落とした。
猫か蛇のようにしなやかに地面に下り立ったアマゾンは、振動の起点を目指して、森の中を駆けた。
森が、その場所を教えてくれる。
“こっちだよ!”
“探検隊の連中が、地震に巻き込まれた”
“只の地震じゃないよ”
“悪い気を感じる”
普通ならば、物陰に隠れている、蛇や蠍、蜘蛛などを警戒して、ゆっくりと枝を払いながら進まねばならないが、アマゾンにとっては、庭と言うのですら余所余所しい。
アマゾンは、垂れ下がる枝や羊歯を容易く払いつつ、震源までやって来た。
そして、そこにあったものに、驚愕する。
これは⁉
それは、地面を引き裂いて盛り上がった、巨大なピラミッドであった。
階段式のピラミッドである。
一五メートル程の高さで、全体的に土を被っていた。
又、階段部分には、圧し折られた枝や、引き千切られた葉っぱが載っている。
ピラミッドの根元を見てみると、地面との間に空間が出来ている。
今まさに、地中からせり上がって来たという体である。
そのピラミッドの傍には、頭から血を流して倒れている、サファリ・ルックの男たちが、何人かいた。
アマゾンが駆け寄ってみると、高所から叩き落とされたらしく、帽子の内側の頭蓋骨が陥没して、死んでいた。
他にも、ピラミッドと地面との隙間に挟まれ、圧死している者もあった。
アマゾンが聞いた“助けてくれ”の言葉は、彼らの断末魔であった。
しかし、それにしてもこのピラミッドは、一体何であろうか。
アマゾンにとって、この森は自宅のリビングと変わりがない。
それでも、彼の知らない闇を幾つも秘めている、広大なジャングルだ。
まだ発見されていない遺跡が、他にも何ヶ所かに分かれて存在している。
アマゾンが知らないだけで、その遺跡の周辺に住まう者たち――ピラミッドを建造した者の子孫たちは、平気で遺跡に出入りしているかもしれない。
だが、こうも突如として地面が隆起し、埋もれていたピラミッドが姿を現す事が、果たしてあるだろうか。
地震の為というのではない。それであれば、アマゾンには、地震が起こった事が分かる。
さっきの揺れは、このピラミッドが隆起するその際に起こったものだ。
地震が原因で、ピラミッドが浮かび上がって来たのではないのだ。
この地球上の物体には、何れも命がある。
動物は勿論、植物や、鉱物に至るまで、だ。
人間がそれを認識出来ないだけで、道端の石だって何かを思案している。
とは言え、有機物と無機物の区別はあり、自ら動く事は、このピラミッドを形成している物質には不可能である。
故に、このピラミッドが、自分の意思で地面から顔を出す事は、あり得ない事だった。
何者かの手によって、ピラミッドは地表に姿を現したのだ。
アマゾンは、この密林の守り手として、その正体を探らねばならなかった。
ピラミッドのぐるりを回り、正面に当たる場所を見付け、階段を駆け上がった。
頂上の手前に、土で埋もれた入り口らしき作りがあった。
そこを、コンドラーのピックで掘り返すと、手を差し込んで外す事が出来る、蓋のような扉になっていた。
ピラミッドの蓋を開け、アマゾンは、その奥の階段に滑り込んで行った。
ひんやりとした空気が、石造りの階段を包んでいる。
アマゾンは、改造人間としての感覚を頼りに、階段を下りてゆく。
その最中に、このピラミッドが“遺跡”である事に疑いを持っていた。
古めかしい、今まさに掘り出されたばかりといった外見とは異なり、内部は清潔に保たれていた。
外部から完全に密封されていた為と言うよりは、日常的にここを使う人間がいるかのようであったのだ。
ピラミッドとは、そもそも何であろうか。
恐らくは、墳墓と祭壇の二つの用途に分かれる筈だ。
例えば、エジプト王のピラミッドなどは、前者である。
王の骸を、無数の財宝や奴隷たちと共に埋葬する。
こちらの場合、誰も立ち入る事は許されない、死者の為の聖域が作られる事になる。
アステカ・マヤ文明のピラミッドは、祭壇と見る事が出来る。
王が神と交信する場である。
そうなると、使用感が残る。
かと言って、墳墓ピラミッドが、本当に誰の立ち入りも許さないという場合は、全くないという事はないであろう。
例えば、空海という男がいる。
日本で真言宗を開いた沙門である。
彼は、唐から持ち帰った密教を広め、その法を修める事で、入定した。
悟りの世界に入り、不老不死を体得したのである。
即身仏――生きたまま仏と成った空海は、高野山にて、数百年の時を生きている。
生きてはいるが、自由に肉体を行動させる事が出来ない為、修行僧によって毎日食事が届けられ、袈裟を交換させている。
そのような事が行なわれたピラミッドが、あるかもしれない。
そうなると、やはり、そこに誰かが足を踏み入れた形跡が残る。
アマゾンは、このピラミッドに、つい最近まで頻繁に出入りしていた者の存在を、回廊の空気から確信していた。
が、そうだとすれば、このピラミッドが今の今まで埋もれていた理由が、分からない。
そうこうしている内に、アマゾンは、地上部分を降り切り、地下階層へ入ろうとしていた。
ここで、通路が折れている。
右に曲がり、暫く階段を下りる。
突き当たりになると、又、右に曲がる。
突き当たり、右折し、階段を下りる。
階段は真っ直ぐに下に向かっているし、突き当たりも直角の壁である。
しかし、このピラミッドの地下へと誘う階段は、螺旋を描いていた。
どれだけ地下へ降りたのか、漸く、出入り口が見えて来た。
蒼い燐光を纏った空間が、階段の下に開いている。
そこを潜ると、アマゾンはぎょっとした。
ヒカリゴケのようなものかと、最初は思ったが、その燐光は生物由来のものではない。
電灯であった。
石造りではなく、近代技術で以て整備された空間だ。
古代の、大地に埋もれたピラミッドの底に、近代の、天に挑む建造物の内部のようなスペースが設けられているのだ。
黒い壁に、等間隔で蒼いライトが埋め込まれている。
広い空間だ。
一〇〇メートル四方はある。
その中央に、柵が立てられていた。
床に、四角く孔が開いているようで、その孔に落ちない為に、四方を柵で囲んでいるのだ。
アマゾンは、このスペースを一度見渡して、中央の空洞に歩み寄った。
柵の向こうを覗き込んだアマゾンは、更に唖然とするものを、そこに発見した。
それは――
「招かれざる客、か……」
アマゾンが、横手から掛けられた声に、顔を向けた。
アマゾンが下りて来たのとは違う場所にも、出入り口があり、そこから入って来たのであろう。
見れば、蒼い光で照らされる黒い空間に、白い服装の男が浮かび上がっていた。
ジャケット。
ベスト。
シャツ。
ズボン。
ベルト、
靴下。
革靴。
全てを純白で統一する中で、ネクタイとグローブが黒い。
背が高く、がっちりとした体格の、精悍な顔立ちの男であった。
男は、両手をズボンのポケットに突っ込んで、アマゾンの事を眺めていた。
「いや、単に無礼な客と言うべきかな。まだ、パーティの招待状は出していない」
そう言って太い唇を吊り上げたのは、呪ガイストであった。