鴨川の畔で、マヤが、“火の車”の眠る場所について、説明をしている。
それによれば、“火の車”は長野県の皆守山に封じられているという。
だが、“火の車”を起動させるのに必要な神器の一つ、十戒石板・八咫鏡は、火の一族によって都から持ち出されたものと、それと対になるもう一枚があり、それは石川県の宝闥山にあるとの事であった。
そして、モーセの墓があるという宝闥山の石板は、八咫鏡と名付けられた石板より先にイスラエルを離れ、全く逆のルートで日本に運び込まれたという。
「ロスト・アーク……失われた聖櫃というけれど、では、それはいつ失われたのかしら」
マヤの問いに、
「それは、第一次ユダヤ戦争の折ではないのか」
黒井が答える。
この時、アークを運び出したのは、火の一族である。
つまり、原始キリスト教徒、エルサレム教団の一部だ。
「もう一つの説があるわ」
「もう一つ?」
「バビロン捕囚の際よ」
バビロニア王国により、ユダ王国が滅ぼされた時、人々はバビロニアに連行された。
これがバビロン捕囚である。
「この時、ソロモン神殿から、アークは失われた」
ソロモン神殿は、古代イスラエルの三代目の王ソロモンが建てた神殿である。
アークは、このソロモン神殿に安置されていた。
しかし、聖櫃が失われたのがこの時であるとすると、“火の車”を持ち込んだのがエルサレム教団の一部であるという話が、成り立たない。
「けれど、若し、この時に失われたアークが、全ての神器を揃えていなかったとしたらどうかしら」
「つまり、バビロン捕囚の折に十戒石板の片割れを収めたアークが、ユダヤ戦争の時に石板の半分と他二つの神器を収めたアークが、失われたという事だな?」
ガイストが確認した。
マヤが頷く。
「実際、アークは三種の神器ではなく、十戒石板のみを収めたものであるという説もあるの」
「二つの説があり、どちらかが正しいのではなく、どちらも実際にあった事が、混同されて一つの事になってしまっている、という事か」
黒井が唸った。
「そうよ」
「では、そのもう一枚の石板が宝闥山の石板だとして、真逆のルートというのは?」
「“火の車”と呼ばれる事になるアークは、火の一族が持ち出した……つまり、これは彼らが自発的にパレスチナを離れたという事だわ」
「うむ」
「でも、バビロン捕囚の時には、石板は奪われたのよ」
お前立のようなものね――と、マヤ。
お前立とは、眼に見える形で存在する本尊の事だ。
本来の本尊は人に眼には触れさせず、その化身としての本尊を信者たちに公開する。
或いは、本地垂迹説に於ける仏と神、アヴァターラに於けるビシュヌ神と一〇の化身、大日如来と諸仏諸菩薩との関係に似ている。
三種の神器が全て揃ったアークは秘宝故に隠し通し、その片割れである十戒石板は信仰の対象として表に立たせて置いた。
その、表に立っていたものが奪われた、と、マヤは言うのだ。
それに、
「イエスは、古代ユダヤ教の教義であるカバラを、水を器に移し変えるように、紛れもなく相承した。それはつまり、古代イスラエルの秘宝である三種の神器を、全てが揃った状態で受け取ったという事でもあるわ」
バビロン捕囚はイエスよりも以前の事であるから、イエスがアークを受け継いでいるのなら、バビロン捕囚の時点で全ての神器が失われているという事はない。
「で、その石板は?」
「ナイル川を遡って、エジプトに運ばれたわ」
「エジプト?」
「そして、エジプトから更に、エチオピアへと移った」
「エチオピア⁉」
「アクスムという町があるわ。エチオピア北部の町よ。そこに、アークが眠っているという話があるわ」
「ほぅ……」
「アクスムの聖マリア教会の前に、オベリスクが何本も建てられているの」
オベリスクとは、エジプト由来の、象形文字を刻んだ巨大な柱である。
神殿や宮殿の前に、左右対称に一本ずつ建て、門の役割を果たす。
尚、ルクソール神殿という場所があるが、ここのオベリスクは一本しかない。これは、もう片方の一本が、ナポレオン三世によってパリに運ばれ、コンコルド広場に建てられている為だ。
「このオベリスクは、アークの力によって建てられた、と、されているわ」
「しかし、そのアクスムから、更に移動したのだろう、アークは」
「更に西へと、進んだわ」
「西へ?」
「エジプトには、太陽信仰があるからね」
太陽は、東から昇り、西に沈む。
その太陽を崇めようとするのならば、陽が昇り来る東ではなく、陽に導かれて進む事が出来る西を向くのが自然である。
エジプトの太陽信仰に基づいて、アークは、アクスムにオベリスクを建てると、更に西へと進み、やがて――
「大西洋を横断する事になるわ」
「大西洋を⁉」
「アークは箱舟だからね。海を渡るのは、当然でしょう?」
「う、うむ……」
そして、アフリカから大西洋を渡った先にあるのは、アメリカ大陸である。
「ここにも、アークの痕跡があるわ」
「痕跡?」
「エジプトやアフリカと同じ文化が、あるのよ」
「同じ文化……」
「太陽を臨むピラミッドよ。それに、大地を蛇に見立てるという事も共通しているわ」
「大地、蛇……」
黒井が口の中で言葉を転がした。
そうして、あっと声を上げる。
「マヤか!」
すると、
「マヤは私よ?」
などと、とぼけたような顔をするマヤ。
「あ、いや……マヤ・アステカ文明の事だ……」
照れたように、腕を組み、肩を竦める黒井。
マヤは、分かってるわよ、と、笑った。
メソアメリカの文明――アステカや、トルテカ、マヤにも、太陽信仰の為のピラミッドが至る所に存在している。
彼らにとっても、大地を形成するのは大蛇であった。
アフリカには、大地を形成する“ダ”という蛇神の伝承がある。
マヤ文明の世界観でも、大地は螺旋を描く
エジプトの神々は、主に獣と人を合わせたような姿をしている。
アステカには、翼ある蛇の王、ケツァルコアトルの伝説もあった。
古代のキマイラである。
「それに、私の故郷に、こんな神話があるわ」
人類を創り上げた王には、四人の子供がいた。
獣の姿をしたものが、二人。
人の姿をしたものが、一人。
獣でもあり、人でもあるものが、一人。
王の後を継いだのは、半人半獣の息子であった。
人の姿は、神性を。
獣の姿は、戦力を表している為だ。
人の優しさと、獣の強さを持つ故に、半人半獣の息子が王となった。
彼は、王としての役目を終えた後に、人の姿をした兄弟――神官の役目を持つ者に王の座を譲り渡し、船で、西の彼方へと去った。
「この話を解釈すると、父の後を継いだ王の獣の姿というのは、力――十戒石板の事ね。半人半獣の王が去った後、人の姿しか持たない兄弟が王になったのは、十戒石板が先代王によって持ち出されたからよ」
そして、これらの時系列を整理してゆくと――
アクスムがエチオピアに運ばれたのは、四世紀頃。
メキシコの文明には連続性があり、いついつがピークであるというような事は言えないが、マヤ文明の遺跡の中で最多の遺跡発見数を誇るカラクムルは、先古典期後期から古典期、つまり五世紀から七世紀に掛けて繁栄した。
カーン王朝が起こったのが五世紀で、カラクムルが首都と定められたのが六世紀であるから、この間に十戒石板のみを収めたアークが活躍し、ピラミッドなどを建造したのであろう。
そして、十戒石板を受けた王は、西へ――再び海の彼方へと去った。
環太平洋造山帯に沿って流れる海流に乗り、日本へと。
「そうして、宝闥山に、石板がやって来た……いや、帰って来た訳か」
ガイストが言った。
「成程、確かに真逆だな……」
第一の十戒石板は、バビロニアに奪われ、川を遡り、海を越えて、日本へ。
第二の十戒石板は、火の一族が自ら、シルク・ロードを通って、列島にやって来た。
目指したのは、西と東。
全くの逆方向に、全くの逆の理由で、全くの逆の方法を採って、しかし、それらはこの日本列島で再び巡り合ったのだ。
「俺にとって、日本は地図の中でも世界の中心だが、本当にそのような気もして来たよ」
冗談めかして、黒井が言った。
「超古代史によれば、全ての人種は、日本から発生したと言うけどね」
ふふん、と、マヤが黒井の言葉に乗っかる。
しかし、まだ話は終わっていない。
「それで、その能登の石板が長野に移ったという事だが……」
義経を東北に逃がすのに力を貸した火の一族が、一度、能登に寄り、二枚の石板を長野に移動させたという話である。
「最初は、皆守山ではなかったけどね」
「すると、何処に?」
「九郎ヶ岳という場所よ」
「九郎ヶ岳?」
黒井とガイストは、顔を見合わせて、首を傾げた。
聞き慣れない名前であった。
「名前が証拠よ」
義経の名前の変遷を見ると、
牛若丸
遮那王
源九郎義経
と、なる。
この内の“九郎”という部分が、二枚の十戒石板を隠したという九郎ヶ岳の名前の由来となった。
「義経の生存説を見るに、彼は、東北の先で、自分は源義経であると公言していたようね」
義経を祀った神社が多いのは、その為だ。
更に北海道には、“ホンガンさま”という信仰の対象があるが、これは、義経が“判官”と呼ばれていたからであろうと推測されている。
“判官贔屓”というように、義経は、逃亡しながらも自らの名を高らかに告げる事で、民衆たちの同情を引き、後世にまでその名を残したのである。
時代から考えて、空海の『景郷玄書』に記されている事ではないが、三〇〇〇年にも及ぶ自分たちの系譜を記憶し続けた火の一族ならば、こうした事も記録していてもおかしくはない。
山頂を目指して、アポロクルーザーとトライサイクロンが走る。
「む!」
その途中で、ガイストが言った。
「黒井、衝撃に備えろ⁉」
刹那、夜の風を切り裂く轟音と共に、眼の前の木々が、山頂からの砲撃によって薙ぎ倒されて行った。
アポロクルーザーとトライサイクロンが、それぞれ切られたハンドルに従って、左右に展開する。
もう一度、花火のような音が迸る。
弧を描き、それは、森の中に落下して、破裂した。
真っ白い光と、茶色の土煙、爆熱によって発火した木々の隙間を、三輪バギーとスポーツ・カー・タイプのスーパー・マシンが駆け抜ける。
「何だ⁉」
「象の改造人間だ」
ガイストが、交戦した五人衆の内の三人のデータを、黒井に送った。
生体火薬を大砲から打ち出す、ゾゾンガー。
身体の縞模様を硬化して武器にする、クレイジータイガー。
鋼鉄の皮膚と怪力を備えた、ストロングベアー。
黒井が倒したヘビンダーと、頭領の鷹爪火見子を除いた三体の改造人間である。
そうしている内に、黒井とガイストの周囲を、ゾゾンガーが降らせて来る爆撃が襲う。
小回りが利くとは言えない二つのマシンが、良くそれらを躱せるものであった。
「なかなか、正確な砲撃だ」
黒井が、仮面の内側で呟いた。
「とすれば――」
ふふん、と、ガイストが浮かべている笑みが、Gマスクとパーフェクターの奥から覗けるようであった。
「やるぞ、三号」
「おう、ガイスト」
仮面ライダー第三号と、ガイストライダーの反撃が、始まる。