予定していた半分も終わってない……。
そして3号映画がもう一年前という、ね。
雪が、庭園に積もっている。
プラトンの庭は、ホテルの庭園としては気取った感じがなく、自然そのものが、そこに生き生きと、或いは静々と存在していた。
その庭園を、黒井は、一人眺めていた。
夜――
マヤから、ドグマが欲しているという“空飛ぶ火の車”にまつわる、長く果てしのない歴史を聞き終え、解散となった、その後だ。
マヤと克己、黒井とガイストという部屋割りで、リビングの左右に分かれた。
酒が入っていた事もあり、すぐに眠りに就いた――改造人間は即座にアルコールを分解出来るが――ガイストと違い、黒井は、なかなか寝付く事が出来なかった。
そこで、部屋を抜け出して、この庭園へとやって来たのである。
風が、閨から降って来る雪の粒を流していた。
六花の結晶が更に集まった白い粒子は、風になぶられながらも地面や、生け垣に落ちて積もり、池や石の上に溶けてゆく。
その静けさの中で、黒井は、独り、物思いに耽っていた。
九年前――
黒井は、妻子を奪われた。
妻は頸を裂かれ、息子は背中を貫かれた。
その下手人である本郷猛・仮面ライダー第一号への復讐を胸に、今日まで生きて来た。
本郷の足取りを掴めない日々に、苛立ちが募り、焦燥が起こる。
そんな中で、ふと、思ってしまう事がある。
――俺は、正しいのか?
いや、これは正確ではない。
自分の所属している組織は、果たして正しいのか?
このような疑問である。
ショッカーの目的は、増え過ぎて資源を喰い潰すだけの人類の数を減らし、醜い争いに明け暮れる人間たちを管理する事で、平和な世界の実現を目指すというものだ。
それは、分かる。
言いたい事は、分かる。
言うなれば、盆栽の剪定のようなものだ。
地球という盆栽の景観を汚す、余計な人間という小枝などを、ショッカーという鋏で断つ。
それが、悪い事とは思えない。
思えないが、しかし――
この、ありのままの庭の姿を見ていると、それはどうなのであろうか、と、思う。
人の身体に機械を埋め込み、脳波を操って、誰もが笑顔のペルソナを被って生きる――
そのようなユートピアが、本当に正しいものか、黒井にはどうにも分からない。
確かに、マヤの言っている事に、感銘を受けはする。
ショッカー首領の思想が、眼の前だけではない、何年も、何十年も、何百年も先を見通したものであるという事も、分かる。
だが、ふと冷静に考えてみると、マヤが自分たちに背反しているドグマと何が違うのか、と、思う事もある。
ドグマ王国は、美しく、優れたものだけで構成される国家となる。元から美しい者、優れた者を選び取り、迎え入れる為の王国を造り上げようとしている。
それは違うと、ショッカーは言う。
ショッカーは、地球の資源を守る為に人間を減らしはするが、その為の尖兵としての人間に優れた者が選ばれるのは当然として、口減らしされる人間の美醜や優劣は問わない。又、やがて創り上げられる理想国家では、容姿や能力で差別される事はなく、争いも起こらない。
何が違うのか。
結局、人間を理想国家に導く一方で、多くの人間の生命を奪っている。
社会の様子を見てみると、ろくでもない者たちも多い。
人間社会なんて滅びてしまえと、思わないではない。
公害。
汚職。
隠蔽工作
エログロ。
ナンセンス。
何よりも――戦争。
しかし、ドグマもショッカーも、やっている事は同じではないか?
これらを失くす為に、これらと同じ事をやっている。
ドグマもショッカーも、今の社会と目指しているものは同じではないか⁉
本郷への復讐とは切り離した問題として、そのように思うのであった。
それでも、最愛の妻子のいない世界がどうなろうとも、関係ないと思う黒井もいた。
迷っていた。
その迷いを、ヨロイ元帥の話が、更に加速させた。
結城丈二を、人間染みた嫉妬から殺そうとしたヨロイ元帥。
ヨロイ元帥の悪意の中から生まれた、ライダーマンという復讐の鬼。
結城は、自分自身と、そして、自分を助けてくれた科学者の仲間たちの怨みを込めて、ヨロイ元帥に戦いを挑んだ。
大切な人を奪われ、その怨みを晴らす為に、巨大な敵との戦いに臨む。
それは、俺と同じではないか⁉
たった一人や二人で、ショッカーを破滅させたダブルライダー。
黒井響一郎に、彼らと同等の能力が宿っているにしても、その戦闘経験の差は歴然である。
その片割れである本郷猛の影の、何と巨大な事か。
結城だけではない。
黒井と同じく、三番目の男である風見志郎も、やはり愛する者を喪っている。
首領が、ショッカー以前より遂行して来た人減らし。
デストロンの暗躍を知った風見の暗殺を目論む中で、彼の両親と妹を、その礎とするかのように殺害している。
風見もこの事から、人間である事をやめ、改造人間として生きる事を選んだ。
それだけに留まらない。
神敬介・仮面ライダーXは、父と恋人をGOD機関の為に亡くしている。
山本大介・仮面ライダーアマゾンも、ゴルゴスの野望の為に住処を失った。
城茂・仮面ライダーストロンガーが改造されたのは、親友の仇を討つ為だ。
彼らも、黒井と同じく、哀しみと、怒りを背負って、強大な敵に立ち向かった。
若しかしたら、本郷や一文字も――?
そんな気がする。
そんな風に、迷いが生じる。
庭園を見つめる黒井の胸に、大きなしこりが出来ていた。
掻き毟りたい程に大きくなっているのに、決して触れる事の出来ない、しこり。
肋骨の下から腕を突っ込んで、心臓を握り潰した所で、消えない何か。
叫び出したい程の情動と、例え叫びと共に吐き出してもなくならないわだかまり。
これを感じた事は、一度や二度ではない。
戦争が終わって、自分の価値観全てががらりと変わったあの瞬間。
自分の正しさを証明する為に、強くあろうとあらゆる事に打ち込んだ。
フォーミュラ・カー・レースで勝つ為に、多くの絆を切り捨てて来た。
愛した人の顔を思い浮かべて、真夜中一人の部屋でこぼした涙。
九年前、黒井の時は止まった。
流れた血の涙を浴びて、時計の針は錆び付いていた。
その、赤黒い殻に凝り固まった時計が、じっくりと動き出そうとしていた。
「黒井――」
と、背後から声を掛けられた。
ガイストが立っている。
「いつまでもそうやっていると、風邪を引くぜ」
ガイストは太い笑みを浮かべて、言った。
「なかなか帰って来ないもんでね。心配したぜ」
「気付いていたのか」
ベッドから抜け出した事を、である。
「応よ」
「――」
「何か、考え事か?」
「……ああ」
黒井は頷いた。
そうして、今まで誰にも明かさなかった胸の内を、ガイストにのみ吐き出した。
「お前の迷いは、間違ってはいないよ」
と、ガイスト。
「マヤは、仮面ライダーたちが、ショッカーのような巨大な組織に戦いを挑み続けられるのは、その迷いがあるからだと、言っていたらしい」
「迷い?」
「ここが人間のままだからな」
と、ガイストは自分の頭を叩いた。
脳改造を受けていない事が、他の改造人間と、仮面ライダーたちとの違いであると、マヤは語った事がある。
皮肉なのは、それを知っている筈の克己が、脳改造を受けてしまっている事だ。
「ショッカーって奴は、迷いも苦しみもない理想の世界だ。だから、逆に進化しようとしない――と言うよりは、出来ない。これで完全、ここで充分と思える訳だからな。だから、お前さんのように、人間らしく迷い続ける奴は、却って強い。頭の中を弄くられた改造人間連中が、死を恐れないのと反対に、自分の為以外に死ぬのは恐ろしいからね」
「――」
「……こいつは、俺の考えだが、人間って奴は自分本位な生き物さ。だから、自分の為に何かをやれれば、そいつは人間さ」
「自分の為?」
「機械なら、そういう機能があって、そうプログラミングしてあれば、泣く事が出来る。哀しい話を聞いた時に、涙を流す事が、ね」
「機械には、自分の為に泣く事が、出来ないと?」
「自分の為以前に、自分って奴がねぇさ、機械には」
「――」
「だが、俺たちは人間以上の――機械が持つべき力が宿っている」
「機械が持つべき力?」
「機械は人間の役に立つ為に造られたんだぜ。なら、人間より優れているのが当然さ。俺たちの身体は、戦う機械よ。人間が出来ない戦いをする為の機械さ」
「――」
「そんな機械が、人間になんか成ってみろよ。それが哀しみであれ、憎しみであれ、人間よりも、機械よりも強い」
だから、と、ガイストは黒井の肩に手を置いた。
「お前さんは、最強の改造人間さ」
「――」
黒井は、驚いたような顔をした後、片方の肩と共に、同じ方の唇を持ち上げた。
「ありがとう、ガイスト。少し、心が軽くなった……」
「そいつぁ良かった」
「唯、その……」
「ん?」
「“改造人間”とか、“強化改造人間”とか……そういう名前は、やはり、味気ないと思う」
「そうだな」
「だから、ガイスト、君の……その」
黒井は、照れたように頬を掻き、眼を反らしながら、言った。
「“ガイストライダー”という名前が、少し、羨ましい」
「――」
ガイストは眼を丸くした後、黒井の背中を強めに叩いた。
「だったら、お前さんも、名乗ってみるかい」
「――」
「“仮面ライダー”を、さ」
「……しかし」
「お前さん、言ってたじゃないか。風見志郎も、結城丈二も、神敬介も、アマゾンも、城茂も、自分と同じなんじゃないか、って」
「――」
「お前さんが憎んでいるのは、誰だよ」
「……一号ライダーだ」
黒井は、妻の奈央と、息子の光弘が、仮面ライダー第一号に殺害されたと思い込んでいる。
「で、その一号は、誰だい?」
「本郷猛だ」
「“仮面ライダー”ってのは、何も本郷だけの名前じゃない。そもそも、ショッカー最強の改造人間に与えられる、そういう称号だろう」
「ああ」
「だったら、お前さん、そう名乗れよ」
「――俺が」
「第一号と第二号のデータを基に造られたのなら、お前は、三号だ」
「三号?」
「仮面ライダー第三号――どうだい、それで」
「――」
黒井は、眼を瞑り、深く頷いた。
「悪くない」
かつて、この京都を――山背国に移された都を、怨霊たちの祟りから守る為、その怨霊を神として祭り上げる事で、祟りを防ぐという方法が取られた。
敵対するものを、敢えて讃える事で、災いを避ける結界と為す。
ならば、この黒井響一郎が、仮面ライダーという仇敵を討つ為に、敢えて仮面ライダーの称号を名乗る事は、不自然な事ではあるまい。
「ガイスト……」
黒井が、空を見上げて、小さな声を上げた。
「雪が降っているな」
「ああ、降っている」
「けど、そろそろ雨になるぞ」
「雨になるか」
「ああ――そして、雨が上がったら、きっと晴れる」
「晴れるか、明日は」
「晴れるよ、明日は」
黒井はそう言った。
「だから、今は、もう少しこの雪を楽しもう……」
そして――
歪な山から吹き下ろす風に、家を焼く火の粉が舞い上がっている。
山彦村の真ん中で、火宅に囲まれながら、黒井響一郎――仮面ライダー第三号は、ヘビンダーと、彼の操る分身たちと対峙していた。
鉤爪をヘビンダーに向け、闘気を叩き付ける。
黒井ライダーの周りを、四人の敵が囲んでいた。
眼の前にヘビンダー。
その左手に女。
背後に二人の男である。
ヘビンダーの細胞を埋め込まれ、その脳波で操られているのは、この村の人々だ。
誰かの娘で、誰かの兄である。
殺す訳にはいかない。
ここで彼らを殺してしまっては、それは唯の戦闘マシンと同じである。
ヘビンダーを斃し、山彦村の人々を救う為に、彼らの同胞である若い男女を殺す――感情を全く差し挟まない、非常に合理的な、非情な機械的選択である。
黒井は、それを良しとしなかった。
その一線を踏み越えてしまえば、黒井響一郎は、単なる強化改造人間第三号だ。
戦う為の機械。
申し訳程度に人間の部分が埋め込まれた、鉄の人形。
この非合理的な迷いが、この不条理な悩みが、黒井響一郎に仮面ライダーを名乗る事を許している。
その黒井響一郎・仮面ライダー第三号は、黄色い瞳をぎらりと輝かせ、炎に照らされるヘビンダーの蒼い鱗を、じろりと睨んだ。
「ゆけ!」
ヘビンダーに命じられて、三人の男女が黒井ライダーに襲い掛かる。
素人同然のパンチや蹴りである。
しかし、ヘビンダーの細胞で強化された彼らは、生身の人間に対しては、恐ろしい兵器となる。
一方、仮面ライダー第三号のプロテクターやレガースを破壊する事は、出来ない。寧ろ、ガードされれば、攻撃した部分が破壊される。
これは、黒井の望む所ではない。
黒井は、繰り出される分身たちの攻撃を、防御ではなく回避し続ける事を選んだ。
脳に埋め込まれた人工頭脳が、鋭敏に改造された感覚から得られる膨大な情報を処理してゆく内に、脳の情報処理能力が上昇している。
脳の性能が上昇すると、人工頭脳が処理する情報の数も、更に多くなってゆく。
これらが際限なく繰り返される事で、肉体よりも、その神経伝達物質という面に於いて、他の改造人間を遥かに凌駕する反応速度が与えられる。
生身の人間に毛が生えた程度の者たちの攻撃を躱す事は、容易かった。
が、問題は、攻撃を躱してばかりでは、どうにもならないという事である。
彼らの攻撃をいなし、ヘビンダーを倒したとて、彼らの身体に埋め込まれたヘビンダーの細胞は消失するのか。
恐らく、答えはノーだ。
ヘビンダー本体が死んでも、残った細胞が、他者の栄養を喰らいながら、やがて脳を構成し、ヘビンダー・蛇塚蛭男は復活する事であろう。
彼を完全に斃すには、分身に使われた細胞まで破壊しなくてはならない。
その為には、操られている彼らに対し、非情にならなくてはならない。
「ちぃっ」
黒井は、仮面の奥で舌を鳴らし、大きく後方に跳ぶ。
距離を取った黒井ライダーを追って、分身たちが迫った。
何れも、異形に変えられた顔には苦悶が浮かんでいる。
自分たちの肉体の限界以上のパワーを、無理矢理引き出されているのだ。
早く彼らを解放してやらねば、細胞の浸食という事だけではなく、強制的に酷使された肉体に蓄積した疲労が、激痛となって彼らを襲う。
その前に――とは思うが。
「どうしようもあるまい、仮面ライダー!」
ヘビンダーが、赤い舌を見せて、笑った。
そうだ。
確かに、どうしようもない。
黒井は、そう思った。
――但し、それが、お前ならば、だ。
自分になら、出来る。
この俺にならば、彼らを救う事が可能だ。
黒井は、後退する足を止め、向かって来る分身たちの前で構えを採った。
その全身から、殺気が漲る。
ヘビンダーが、ぎょっと眼を剥いた。
やる気か⁉
彼らを救う事を諦めた――ヘビンダーは、黒井が自分の生命と彼らの生命を両天秤に掛け、自身を優先する事を決めた、と、考えた。
ライダー三号が、蒼いブーツで地面を蹴った。
大きな跳躍ではない。
鋭く、前方に向かって跳んだ。
その鉄のブーツが、彼らの頭を砕く所を、誰もが想像した。
「いやああぁぁっ!」
女が、絹を裂くように叫んだ。
その間に、三号ライダーの手刀と蹴りが唸りを上げ、三人の村人たちの肉体を打ち据えた。
倒れる分身たち。
さっきまでの劣勢は何処へやら、迷いを振り切った黒井ライダーに、ヘビンダーが戸惑っている。
そのヘビンダーの胴体を、黒井のミドルキックが薙いだ。
鈍い音がして、ヘビンダーの身体が、横に“く”の字に折れ曲がる。
手応えは弱かった。
骨が恐ろしく柔らかい為、普通の骨格ならば背骨が破壊されているような蹴りでも、受け流してしまえるのだ。
ならば!
黒井は、右の手刀を振り上げた。
「ふんっ!」
肉厚な蒼い刃が空気を切り裂き、ヘビンダーの首筋に叩き込まれた。
重量と速度を持った手は、まさにその名の通りの刀と化した。
ぞっぷりと、ヘビンダーの左肩から右の脇腹に掛けて、黒井・ライダー三号の右腕が喰い込んでいた。
「しゃあああああ~~~~っ!」
ヘビンダーの鎖骨が割れ、肋骨が裂け、その奥で脈打っていた心臓が押し潰された。
黒井は、右腕をヘビンダーの胸の中から取り出すと、左腕を振り被り、反転した軌道で、やはり頸動脈を狙った手刀を一閃する。
ヘビンダーの頸が胴体から切り離され、破裂した心臓が血液を吹き上げる。
その大量の返り血を全身に浴びる仮面ライダー第三号。
ヘビンダーが斃れた事で安心した村人たちであったが、黒井の手でとどめを刺された同胞たちに駆け寄った。
そして、声を上げた事には――
「い、生きてる!」
「心臓が動いているわ!」
「見ろ、あの化け物みたいになった顔も、元に戻ってる」
戦闘のダメージは残っていたが、若い男二人と、女、彼らは何れも生命に支障はなかった。
黒井は、その鋭敏な感覚で、ヘビンダーの分身細胞が特に強い部分を探り出し、そのピン・ポイントを狙って、チョップやキックを繰り出したのだ。
正確無比な打撃が、ヘビンダーの分身細胞だけを殺し、人々を助けたのである。
良かった、良かった――と、口々に言う村人たちに、黒井は背中を向けた。
まだ、やる事は残っている。
トライサイクロンの運転席に乗り込み、ギアをローに入れた。
巨獣の眼が光り、エンジンが唸る。
地面を、特殊素材で造られた四つのタイヤが削ってゆく。
黒井響一郎――仮面ライダー第三号は、ガイストと合流し、“空飛ぶ火の車”を狙う地獄谷五人衆を斃すべく、山の方に向かった。
皆守山――それが、“空飛ぶ火の車”の眠る山の名前であった。
独自解釈による改変と思われる設定の為、山彦村は東北ではなくなっています。