「あなたが霊夢ちゃん?」
そう言って私と視線を合わせるためにしゃがむ女性。その人は外の世界だからだろうか、今の私が普段着ている巫女服とは少しだけデザインの違う(主に脇が開いていない)それを身に纏っていた。彼女こそ『博麗 霊魔』であり、私の師匠になる人。
「……」
「……それじゃあ、こっちに来てください」
無言のまま、頷いた私を見て師匠は僅かに笑みを浮かべ、そっと私の手を取った。いきなり手を繋がれるとは思わなかった私は立ち上がった彼女を見上げる。角度的に太陽と重なってしまい、師匠の顔はよく見えなかったが、風でなびく綺麗な黒いポニーテールは今でも鮮明に思い出す。
「これから一緒に生活することになるけど……心配は、してないか」
2歳の私を見下ろしながら話す師匠はどこか不思議なオーラを纏っていた。外の博麗神社に連れて来られる前に話した紫とも違う。言ってしまえば、よくわからない人。そんなことを思いながら彼女に引っ張られる形で博麗神社を案内される。
幻想郷の博麗神社は私の代ですでに寂れてしまい、ほとんど参拝客は来ないが、外の博麗神社は寂れているというより、隔離されていた。博麗の巫女になる素質を持っていた私はそれを何となく感じ取っていたのだろう。師匠の言葉を聞きながら神社を覆うように貼られている結界を気にしていた。
「結界が気になります?」
「……」
「そう。いつかあなたもあれぐらいの結界、息をするように貼れるようになります」
そう言い切った彼女はまるで未来がわかっているようだった。いや、今思えば何もかも知っていたのだろう。
未来予知としか思えない『直感』。
それこそ、『博麗 霊魔』が歴代の博麗の巫女の中でもトップクラスの実力を持つと言われる理由。そして、それを語り継がれる前に彼女は過ちを犯し、その肩書を剥奪された。
「あ、そうそう。あの子のことも紹介しないと駄目ですね」
「?」
あの子、と聞いて私は首を傾げてしまう。紫から修行が始まるまで師匠になる人とこの神社で暮らすとしか聞いていなかったため、同居人がもう一人いるとは思わなかったのだ。
「まぁ、今はお昼寝してるので本格的な挨拶は後になると思いますが」
そう言いながら師匠は徐に襖を開ける。そこには小さな布団が敷かれていた。そして、その中で一人の男の子がすやすやと寝息を立てて眠っている。
「あの子は響。私の息子です」
「……きょう」
「あら」
今まで一言も話さなかったため、彼の名前を呟いた私を師匠は少しばかり驚いたように目を見開く。未来予知があるとはいえ、さすがに1日の細かいところまでは視ていないのだろう。
「すぅ……すぅ……」
「……」
「……疲れてるなら響と一緒に寝ますか?」
「うん」
眠っている彼を見ていると不思議と自分も眠くなってきた。それを感じ取ったのか、師匠がそう質問してきたので素直に頷く。
「では、すぐに新しい布団を――って、あらら」
師匠が何か言っているか、眠気が限界に近かった私はのそのそと彼の――響へ近づき、そのままその布団へ潜り込む。
「……ん?」
私が布団に潜り込んだ衝撃で目を覚ましてしまったのか、響は眠たそうに目を開け、隣にいる私を見つける。
「……」
「……」
数秒ほど目が合ったものの、私たちはお互いに何も言わなかった。いや、お互いを見るのに夢中になっていたのだ。
そして、ほぼ同時に目を閉じて眠りにつく。いつの間にか繋がれていた手から伝わるぬくもりを感じながら。
「……おやすみ」
意識を手放す直前、そんな優しい師匠の声が聞こえたような気がした。
正直に言うと私は彼のことを舐めていたのだろう。5枚目のスペルカードを用意しながら数十分前の自分の頬をぶん殴ってやりたかった。
「これならどう! 神技『八方鬼縛陣』!」
スペルカードを使用すると私を中心に大量のお札がばら撒かれ、響へと襲い掛かる。もちろん、お札だけではない。中くらいの陰陽玉や彼の逃げ場所を失くすように鱗弾も放出。これを回避するのはそれなりの難易度がある。
「ッ――」
そのはずなのに彼は薄紫色の星が浮かぶ瞳を一瞬だけ見開き、最初からそこに
(本当に、面倒ね!)
回避されるのはまだいい。だが、回避しながら彼も私へお札を投げ、攻撃してくる。それも私の動きを制限するように絶妙な場所へ投げ込んでくるのだ。
「ぐっ」
逃げ道をなくされ、身動きの取れない私の顔面へ向かってくるお札をこちらもお札を投げて相殺。お札同士がぶつかり、小さな爆発を起こし、その爆風を突き抜けて響のお札が追い打ちをかけてくる。
「ぁ、が……」
そのほとんどは『神技』の流れ弾によって落ちたが、たった1枚だけ奇跡的に残ったお札が私の右脇腹を穿つ。弾幕ごっこ用に手加減されているとはいえ、痛いものは痛い。ジンジンと痛む患部を手で押さえながら彼から少しでも距離を離すために後退する。
きっと、この被弾も彼の狙い通りなのだろう。爆風を突き抜けて襲ってきた小規模なお札の弾幕は私に当たった1枚のお札を守るための壁。最初から響はたった1枚のお札を当てるために動いていたのだ。
じわじわと追い詰められる感覚。ああ、悔しい。手加減しているわけではないのにここまで差を見せつけられるとは思わなかった。
(せめて、直感が働いてくれれば……)
これほどまでに劣勢を強いられているのはやはり博麗の巫女特有の直感が依然として働いてくれないことだろう。先ほども響の狙いがわかっていたのならもっと上手くやり過ごしていたはず。
そう思った刹那、背筋が一瞬にして凍り付く。
「ッ!?」
咄嗟にその場で急上昇するといつの間にか後ろから飛んできたお札が今まで私がいた場所を通り過ぎていった。どうやら、気づかれないようにお札を操作して私の後ろまで移動させ、奇襲させたのだ。あの悪寒がなければ今頃、無防備な背中に強烈な一撃を受けていたに違いない。
「……」
それにしても、と不意に頭に疑問が浮かび、慌てて『神技』がブレイクするまでの時間を確認する。その時間は数秒ほど。『神技』は私を中心に弾幕をばら撒くスペルなので私が動き回ればその分、弾幕も散らばる。動きながら思考するのは難しいが、その間ならば響も回避することに専念するはず。その短い時間で先ほど浮かんだ疑問について考える。
響との戦いが始まってから――いいや、今回の異変が始まってから私の直感は働く時と働かない時がある。調子が悪い、もしくは響が何か細工を施したと思っていたのだが、どうにも違和感を否めない。今も響の動きはわからなかったのに自分の危機に関しては直感が働いた。今までも同じような現象が起きている。
つまり、私の直感が鈍ったのではなく、響に対して直感が働かないとみていいだろう。その原因は彼の細工か、能力か定かではない。それでも、
まぁ、そもそも私自身、直感そのものをコントロールしているわけではないので上手くいくかわからないが――。
「――それならやりようはある!」
そう叫んだ瞬間、『神技』がブレイクし、大きな白黒の鎌を持った響がトドメを刺しに私の懐へ潜り込んだ。