――カラン、と何かの音が聞こえる。
その音の正体はわからないが、どこか懐かしい。それでいて何故か不思議と安心する。
そんな不思議な感覚を覚えながら目を開けるとまず視界に入ったのは吸い込まれそうなほどの闇。それが夜空であると気づいたのはその闇の中で無数に輝く星を見つけたからだ。体を起こし、まだ覚醒してない意識の中、ただ真っ直ぐ満天の星空を見上げる。
「あ、起きた?」
その声に振り返ると顔を黒く塗りつぶされた誰かが小さな手でお盆を持ってそこに立っていた。そのお盆には氷の入ったコップが二つ。先ほどの音は氷が揺れた音だったのだろう。
「うん、おはよ」
「おはよ、の時間かな?」
「そうじゃないかも」
その誰かが私の隣に座って――初めて自分が博麗神社の縁側にいたことを知る。そんな些細なことに驚いている私に気づかず、誰かは星空を見上げ、感嘆の声を漏らした。
「きれいだね」
「……うん」
今日は私たちしか神社にいないので二人とも黙ってしまうと何も聞こえなくなる。普段ならば不安に感じてしまうそれも隣に座る誰かと一緒なら心地の良い時間に早変わり。
「……***ちゃん」
「ん? 何?」
しばらく二人で星空を見上げていたが、私は震える声で隣に座る誰かに声をかける。誰かは星空から目を離し、私の方に顔を向けた。相変わらず顔は黒く塗りつぶされていて表情はわからない。それでも私は何となく誰かは優しく微笑んでいるような気がした。
「……ねぇ? 大人になったら結婚してくれる?」
この前、テレビで知った『結婚』という概念。簡単に言えばお嫁さんになること。難しいことはよくわからなかったが、大好きな人とずっと一緒にいることはとても素敵だと思った。そして、その相手は隣に座る誰かだったらいいと自然と考えていたのだ。
「結婚って何?」
「知らないの?」
「うん」
「やっぱり、こういうの興味ないんだ」
だが、隣に座る誰かは『結婚』を知らないらしい。そういえば一緒にテレビで見たのに私は目をキラキラされて食い入るように見ていたが、どうも隣に座る誰かは退屈だった今思えば私の隣でうたた寝していたような気がする。興味がなかったのだろう。
「ねぇ! 結婚って何?」
いきなり出鼻を挫かれ、どうしようと思っているとさすがに気になったのか隣に座る誰かはグイっと私に顔を近づけて質問する。知らなかったのなら仕方ない。今知ってもらえばいいのだ。誰かが興味が出るように説明しようと気合を入れて私は『結婚』について説明する。
「結婚はね~好きな人と一生、一緒に暮らす事だよ!」
説明しようとしたが、気合が空回りし、大きな声が出た。それに加え、私もよくわからないのでそんな拙いものになってしまう。これでは隣に座る誰かは興味を持ってくれないだろうと少しだけ落ち込んでしまった。
「へ~! じゃあ、れいちゃんと結婚する!」
「ッ!? ほ、本当!?」
だが、隣に座る誰かの言葉を聞いて私は顔を上げてそちらを見る。表情は見えないが何となく笑顔を浮かべているような気がした。
「うん! 好きだもん!」
私の問いに誰かは弾んだ声で答える。『結婚』という概念すら知らなかったはずなのにすぐに返事をしてくれたことに私は思わず笑みを零してしまう。胸の奥からまだ名前の知らない何かがこみ上げてきたのだ。
「大好きだよ!! ***ちゃん」
居ても立ってもいられなくなり私は無意識にそう叫んでいた。込みあがる想いを抑えきれなくなったのである。
(あ、そっか)
「これからも一生、一緒だよ!」
「うん!」
隣に座る誰かは私の手を握って満面の笑みを浮かべて言い放った。黒く塗りつぶされていた顔が見えていることに気づかず、私は勢いよく頷く。
先ほど想いが口から漏れた瞬間、この胸の奥からこみ上げる感情に名前が付いた。
『大好き』。
私が――彼に向ける感情。想い。気持ち。
それを自覚した瞬間、満天の星空も、すっかり溶けてしまった水面に浮かぶコップ氷も、私の隣で笑う幼い頃の彼も、全て、フッと消えてしまった。
「……」
バタバタと風になびくスカートを手で押さえ、私はゆっくりと地面に降り立つ。自然の多い幻想郷では珍しい何もない場所。何も育たない場所。全てが死んでしまった『死の大地』。
そんな死んだ土地が広がる場所の中央に人影を見つけたのはついさっき。その人影を見つけた瞬間、
せっかく、掴めそうだったそれを易々と手放してしまった自分に対して舌打ちをした後、私はゆっくりとその人影に近づいていく。
「……」
その人はこちらに背中を向けている。異常なまでに長い黒いポニーテール。服装は外の世界で学生が着ているらしい制服と呼ばれるもの。そして、私が最も気になったのはポニーテールに使っている髪留めが『博麗のリボン』だったこと。それもただの飾りではない。あのリボンには何か術式が組み込まれている。ここからでは具体的な効果まではわからないが相当気合を入れて組み上げられたものだということは何となく把握した。
「……ねぇ」
距離は約3メートル。自然と足を止めた私はその人物――『万屋』に声をかける。きっと彼も私の存在には気づいていたのだろう。特に驚くこともなく、ゆっくりとこちらを振り返った。
「……久しぶり、といっても覚えてないか」
『万屋』は大変、美しい人間だった。思わず見惚れてしまいそうなほど整った容姿。挙動の一つ一つが洗礼されており、呼吸をするだけで優雅さを叩きつけられる。異常な長さのポニーテールも彼の容姿と相まって似合っていた。大きな『博麗のリボン』もきちんと彼を引き立たせるワンポイントとして仕事をしている。
「……」
しかし、どう考えても女にしか見えないのに私はすぐに『万屋』は男だと認識していた。いや、違う。男だと知っていた。容姿を見たところで私の常識が崩れないほど『万屋』は男性であると印象付けられていたのである。
「……えっと、すまん。お前が来たのは妖精が騒いでるからだろ? 俺もまさかここまで大事になるとは思ってなくて……あいつらにはよく言っておくから」
「……」
「……霊夢?」
自分の名前を呼ばれ、私は思わず肩をビクッと震わせた。ああ、そうか。わかった。私は彼を知っている。それに想像以上に私は彼を大切に思っていた。
なるほど、今ならフランたちが私を止めたようとした理由がわかる。これだけ私の心が悲鳴を上げているのだ。おそらく、彼も思い出していない私を見て傷ついているのだろう。なにより、彼を無意識の内に傷つけている自分に傷ついている私がいる。
彼女たちは彼だけでなく、私のことも助けようとしていたのだ。それすらわからなかった私はなんて愚かなのだろう。
でも、そんな助けを蹴飛ばして私はここまで来てしまった。傷つけようが、傷つこうが全てを知りたいと止める手を払ってここに辿り着いた。
「ごめんなさい。私はあなたのことを覚えていないわ」
「ッ……そう、だよな」
「だから……退治するわ」
「……は?」
私の言葉に『万屋』は首を傾げる。彼の表情が変わる度に私の心が締め付けられた。でも、それは負の感情だけではない。色々な想いが混ざり合い、ぐちゃぐちゃになって、全てをぶちまけてしまえと体の中で暴れまわる。それが私の原動力。私がここにいる理由。
「『博麗の巫女』だとか、異変だとか、私の想いとか……もうたくさん。疲れちゃった。だから、あなたを倒してすっきりすることにする」
「すっきりって……完全に八つ当たりだろ」
「ええ、八つ当たりかもしれないわ。でもね、どうしてかしら? そうした方がいいと
「……奇遇だな。
私が『博麗のお札』を構え、早苗から借りたアミュレットに霊力を注ぐと同時に彼も『博麗のお札』を構え、右腕に装着されていた白黒の腕輪が変形し、彼の背中へ移動。そのまま機械染みた翼へと変わった。
「さてと……貴方は知ってるかもしれないけれど、一応、名乗っておくわ。私は『博麗 霊夢』。『博麗の巫女』よ」
「じゃあ、お前は知らないだろうから名乗っておくぞ。俺は『音無 響』。『万屋』を営んでる『博麗の巫女』の息子だ」
『博麗の巫女』の息子。そう聞いても私はさほど驚かなかった。驚くほどそんな肩書に興味がなかった。
それほど私は今、目の前に立つ『万屋』――『音無 響』に夢中だったから。
「では、尋常に――」
「――弾幕ごっこ、しましょ?」
私と響が共に笑みを浮かべ、空に飛び立つのはほぼ同時だった。