「うぅ……絶対に返してよ? あれがないと怒られるの私なんだから」
「おう、ちゃんと協力したら
項垂れた様子で飛ぶ鈴仙に対し、彼女の隣にいる魔理沙はケラケラと笑いながら答えた。あの様子だといつものように難癖を付けて盗んでいくに違いない。
鈴仙があの真っ白な依頼状を読めると判明してから数十分ほど経ち、全員で彼女を捕獲した後、キノコを人質――キノコ質にとって何とか異変解決に協力するように説得することができた。現在、キノコは寺子屋に預けている。預けに戻った時の慧音の顔には明らかに呆れが表れていたがこれも異変を解決するため。仕方ないのだ。
「それで依頼状にはなんて書いてるんです?」
鈴仙が持っている依頼状を覗き込みながら早苗が質問する。どうせ、読めないのだから依頼状を見ても意味はないのだが。
「えっと……要約すると白玉楼に料理を作りに来いって依頼、かな」
「要約せずにそのまま読み上げなさい。全部よ、全部」
今回、大事なのは依頼の内容ではない。
依頼状が誰宛のものなのか。
どういった経緯でその依頼状を出したのか。
依頼状の報酬は何なのか。
その全てがヒントになりえる情報だ。私の言葉に少しばかり嫌そうな顔をした鈴仙だったが素直に依頼状の内容を読み上げる。
「『万屋
「……」
「うっ」
『本当に読むの?』と言わんばかりの視線に私は無言で圧をかける。それに耐え切れなかったのか、彼女は顔を引き攣らせながら続きを読む。
「久しぶりね。あなたがいなくなってから随分時が経ったような気がするし、自覚がなかったせいで数日だけ顔を出さなかったような気もするわ。でも、本当に無事でよかった。あなたの料理は妖夢とはまた違った美味しさがあって食べられなくなるのは寂しいもの。まだ、あなたのことを思い出している人は少ないけれど時間が経てば自然と思い出すわ。依頼を受けてくれるのなら妖夢と合流して献立を考えて欲しいの。もちろん、今日はきっと疲れているでしょうから今日じゃなくてもいいわ。それじゃあ、楽しみにしているわね」
「……」
鈴仙が依頼状の内容を読み終えるが誰も言葉を発することなく、今の言葉の真意を考える。
まず、幽々子はこの依頼状を受け取る人物――『万屋 響』なる人のことを思い出している。文章から幽々子も少し前まではその人物を忘れていたため、思い出していなければ依頼状自体、出すことができないからである。
また、『万屋 響』なる人は妖夢のことを知っており、料理が上手い人であることもわかった。
そして、最も重要なのは――時間が経てば私たちも思い出す、ということ。きっと、慧音が人里の歴史を食べた時、人里が見えなかった人間組と見えていた妖怪組のように思い出すタイミングにラグが生じるのだろう。
「……鈴仙は何故、依頼状が読めたの? 幽々子みたいに人外だから?」
「あー……実は普通に見ただけでは読めなかったの。ただ、適当に波長を操ったらたまたま依頼状が読める波長を見つけただけ」
鈴仙の能力は『狂気を操る程度の能力』。しかし、その実態は物事に必ず存在する波長を操る、といったものだったはず。つまり、彼女は何となく依頼状の波長を操作して読めないか試し、その波長を見つけたのだ。
「因みにその波長ってのはなんだ? 確か、波長にも色々な種類があるんだろ?」
「私が操ったのは『存在』の波長よ。短くすれば存在が過剰になってどんなに遠くに離れてても声が聞こえるようになるし、逆に長くすれば存在が希薄になって隣にいても気づかれなくなる。今回は『存在』の波長を短くしてみたの」
その言葉に私と妖夢、早苗は顔を見合わせる。慧音は人里の歴史を食べることで人里を隠そうとした。異変の首謀者は彼女ではなかったが、彼女の能力に似た何かが作用していることは
「……つまり、異変の首謀者は自分の『存在』を食べた」
「存在を、食べる……それじゃあ、この依頼状が読めなかったのは首謀者に関する存在が食べられているから?」
私の呟きに咲夜がそう結論付けた。もちろん、この依頼状だけではない。
ここ数年、幻想郷が平和だったこと。
慧音ですら把握できなかった隠された数年分の『歴史』。
もしかしたら、私の悪夢や早苗の異常なまでのハイテンションも首謀者の存在が少しずつ元に戻りつつあるせいなのかもしれない。
「それで、この後どうするんだ? その首謀者の記憶が戻るまで待つか?」
「……いいえ、一か所だけ心当たりがあるわ」
魔理沙の疑問に私は僅かに震えた声で答える。もし、数多くの謎が首謀者の『存在』が食べられたことで謎になったのならいつできたのか思い出せないあの場所――『死の大地』が最も怪しい。今思えば妖精たちが向かっていた方向には『死の大地』があった。十中八九、あそこに何かある。そう、私の勘が叫んでいた。
「……よし、そうと決まれば――ッ」
魔理沙が笑顔で頷いた瞬間、どこからか大量の魔弾が飛んできた。私たちは慌ててその場から離れ、なんとか魔弾をやり過ごす。『死の大地』に向かおうとした矢先の攻撃。一体、誰だと魔弾が飛んできた方向へ視線を向け、思わず目を見開いてしまう。
「さて……ここから先に行きたければ私たちを倒すことね」
「よーし、久しぶりの弾幕ごっこ! たっくさん暴れちゃうぞ!」
驚きのあまり、声すら出せない私たちを見下ろすように『レミリア・スカーレット』と『フランドール・スカーレット』が日傘も差さずに日光の下で笑っていた。
霊夢たちがスカーレット姉妹と邂逅する数時間前、『死の大地』に向かって歩く一人の男がいた。彼の肩にはメイド服を着た可愛らしい人形。本来であれば話すことはおろか身動きしないはずの人形はあたかも生きているように男へと声をかけた。
「マスター、どうして『死の大地』に向かってるんですか? 今すぐ皆さんに会いに行かないんです?」
「パチュリーを紅魔館に送り届けた時、咲夜とすれ違ったけど全く気付かなかっただろ? 多分、まだ俺の『存在』が元に戻ってないんだと思う」
「でも、レミリアさんやフランさんは声をかけてくれましたよね?」
「人間と人外でタイムラグがあるんじゃないか? 詳しいことは俺にもわからないけど」
『そんなものなんですかねぇ』と人形は不思議そうに首を傾げ、不意にピクリと体を硬直させた。そして、滑り台を滑り降りるように肩から右肩、右腕へと移動し、右手首に到達した直後、人形だった姿は白黒の腕輪へと変化する。
「マスター、気を付けてください。この先、何かいます」
「ああ、
人形の忠告に男は素直に頷く。だが、その歩みは止めない。
その時、茂みから大きな影が男と人形の前に飛び出た。
それはまさに巨大なムカデだった。妖怪の類なのだろうが、何故かそのムカデの頭部は少しばかり陥没しており、腹には痛々しい火傷の痕。その他にも細かい傷が多く、その体に残っていた。きっと、厳しい環境の中、戦い続けてこの日まで生き残った個体なのだろう。
「……」
ムカデを見上げた男はそれでも特に反応を示さない。そんな男の態度が気に喰わなかったのか、ムカデは奇声を上げた後、凄まじい勢いで男へと迫る。このまま何もしなければ男はムカデの凶悪な顎に捉われ、体を真っ二つにされてしまうだろう。
「……
「はい、マスター」
そう、それは男が何もしなければの話。
右腕を振り上げた状態で腕輪になった人形に声をかける男。そのままゆっくりと右腕を振り下ろすとムカデは何故か男を素通りする。いや、違う。いつの間にか男が持っていた白黒の大きな鎌によって一刀両断され、ムカデは男の体を捉えることなく、体を真っ二つにされてしまったのだ。
「……さて、早く移動しちゃおう。パチュリーの話じゃ異変が起きないほど平和になったみたいだけどそうでもなさそうだし」
「そうですね」
その場で鎌を振るい、ムカデの血を払った男は鎌を肩に担ぎ、再び歩き始める。彼らが去った後、そこに残ったのは無残にも息絶えたムカデの死体だけだった。