「いや、全く心当たりがない」
真っ白な依頼状をしばらく眺めていた慧音はそれを床に置いた後、首を横に振った。
あれから私たちは寺子屋へと向かい、授業の準備をしていた慧音を捕まえて事情を説明した。その結果が今の否定である。
「……本当に何も? 心当たりの『こ』の字もないの?」
「ああ、何もない。確かに私の能力を使った時と同じような現象だが……それならば色々とおかしい点がある」
その言葉に私と妖夢は顔を見合わせた。なお、私たちの隣で呑気にお茶を飲んでいる早苗が視界に入り、少しばかりイラっとしてしまう。
「まず、私に『歴史』を食べた記憶がないこと」
「食べたらあなたの記憶からなくなる、とか」
「ありえない。私の能力は『歴史』を食べるというが、本当にその『歴史』をなくすわけではない。どちらかといえば『見えなくする』と表現した方がいいだろう。少なくとも能力を使った私は今まで食べた『歴史』を忘れたことはもちろん、『見えなくなった』こともなかった」
妖夢の指摘を慧音は真っ向から否定した。つまり、彼女も床に置かれた依頼状に書かれた内容を読むことはできなかったのだろう。
「それにあの異変の時だって緊急事態だったからやむを得ず食べたんだ。この依頼状に関する『歴史』を食べる理由がない。そもそも、私はこの依頼状に関して今初めて知ったんだ。どうやって食べればいい?」
「……なら、別の話に移るわ」
きっと、慧音は嘘を吐いていない。この依頼状に関して彼女は何も知らないし、内容を知る術も持っていないのだろう。
しかし、私は自然と次の話に移行していた。もちろん、そんな予定はなかったので妖夢も早苗も驚いたように私の方を見ている。
「別の話……子供たちが来る時間まで多少余裕はあるができれば手短に頼む」
「ええ、おそらくそこまで時間はかからないわ。知っているか、知らないかだけで十分よ」
「ふむ。それで?」
先を促すように慧音は私に真剣な眼差しを向けた。横から妖夢と早苗の視線も感じる。だが、私はそれを無視してただ淡々とずっと内に秘めていた疑問を口にした。
「数年前に起きたはずの『何か』を知ってる?」
「……すまない。あまりに抽象的過ぎて理解ができなかった。もう少しわかりやすく説明してもらえないだろうか」
「そのままの意味よ。私たちから見えなくなった『歴史』でも食べた張本人であるあなたは見えてるのでしょう? なら、数年前に起きた『何か』だって知ってるはずだわ」
「……」
私の言葉に慧音は言葉を詰まらせた。『何か』について心当たりがないのか、それとも心当たりはあるが、彼女も『見えない』のか。少なくとも彼女は『何か』について知っていることは何もなさそうだ。
「……そう、だな。その『何か』は私も気になっていた」
「なら、やっぱり『何か』あったのね?」
「あくまで憶測の話だ。実は……ハクタク化した時の『歴史を創る程度の能力』を使っても見えない空白期間がある」
「空白、期間ですか?」
「ああ、それが数年前……丁度、幻想郷が平和になった前後の『数年分の歴史』がなくなっている。もしかしたらその『歴史』がこの依頼状と関係しているから『見えない』かもしれないな」
キョトンと首を傾げる早苗に慧音は頷いてみせた。やはり、幻想郷が平和になったことと今回の異変は繋がっている可能性がある、ということだろう。
「慧音はどう思う? 今回の異変とこの依頼状。そして、なくなった『数年分の歴史』について」
「……やはり、私には心当たりがない。『数年分の歴史』を食べたのなら何かしらの痕跡は残るはずだ。それこそ『歴史を創る程度の能力』を使えば『食べた歴史』を閲覧することは可能だろう」
しかし、今回はそれすらできない。彼女ですら把握できない『歴史』が存在している。その『歴史』が幻想郷に平和を強制した。その『歴史』が今回の異変を解決する鍵なのだろう。
「色々とありがとう。助かったわ」
「ああ、こちらこそずっと抱いていた疑問を共有できてどこか胸が軽くなったように感じる……それと」
そこで何かを言いかけた慧音は不自然に口を閉ざしてしまった。話すか悩んでいるのだろう。視線だけで先を促すと彼女はこほんと咳払いをした。
「……最初にも言ったがこの依頼状に起きている現象は私の能力を使った時と類似している。ならば……私の能力と似たような能力が使われているのかもしれない」
「……」
「だが、もし仮にそうならば……気を付けた方がいい。相手は、相当の手練れの可能性が非常に高い。弾幕ごっこすらやらせてもらえないかもしれないぞ」
『では、そろそろ失礼する』と言って慧音は部屋を出て行った。残された私たちは無言のまま、寺子屋を後にする。最後に慧音が遺した忠告は不思議と脳裏にこびりついて離れなかった。
「おー、やっと来たか。待ちくたびれたぜ」
人里を出てすぐ合流地点に到着するとすでに魔理沙と咲夜が待っていた。しかし、私たちは魔理沙の言葉に返事をすることもなく、ゆっくりと歩いて彼女たちの傍へ向かう。
「ん? どうした、そんな辛気臭い顔して……あれ、妖夢じゃん」
「……こんにちは」
「お、おう? 本当にどうしたんだ?」
「色々あったのよ……そっちも色々あったみたいだけど」
「ああ、でっかい兎を捕まえたぜ」
そう言って魔理沙は背後の地面を見る。そこには何故かロープでグルグル巻きにされ、猿轡を噛まされている鈴仙が転がされていた。彼女は咲夜にナイフを突きつけられ、ブルブルと震えている。耳もヨレヨレになってしまっており、今にも死んでしまいそうだ。
「えっと……どうして、鈴仙さんがここに?」
「森で怪しい行動してたから捕まえてみたのよ」
「んー、んんー!」
「本人すごい否定してますけど」
「犯人は皆、そう言うもんだぜ?」
早苗の疑問にナイフでチクチクと鈴仙の肌を軽く突きながら答える咲夜に対し、呆れたようにいう妖夢とカラカラと笑う魔理沙。このままでは埒が明かないので鈴仙のロープと猿轡を外す。
「はぁ、はぁ……し、死ぬかと思った。ありがとう、霊夢さん……」
「ほら、さっさと野生に帰りなさい」
「野生じゃないけど!?」
兎耳をピンと立ててツッコむ鈴仙を無視して魔理沙と咲夜に人里で手に入れた情報を伝える。それを聞いた彼女たちを真っ白な依頼状を見ながら首を捻った。
「本当に何も書かれてないな」
「私も駄目ね……本当に悪戯じゃないの?」
「幽々子様はそんなこと……する方ですが、今回に限ってはないと思います! 多分ですが」
「そこは断言してよ……まぁ、気持ちはわかるけど」
何故か妖夢と鈴仙はほぼ同時にため息を吐く。彼女たちは自由奔放な主に仕えている。色々と気苦労が絶えないのだろう。
「それにしてもそんな異変が起きてたとは……」
「それで鈴仙さんはどうしてこんなところに?」
「師匠におつかい、のようなものを頼まれて……ほら、これ」
そう言って鈴仙は地面に転がっていた袋を持ち上げる。どうやら、魔理沙たちは鈴仙を捕まえた後、戦利品として彼女の持ち物を持ってきたらしい。
「これは……キノコ?」
「そう。人里近くに群衆してるキノコを採って来いって……そしたらこんなことに」
袋の中を覗くとキノコがたくさん入っていた。今日は何かとキノコに縁のある日だ。別に嬉しくとも何ともないけれど。
「お、ならそのキノコが身代金だな! そのキノコを寄越せば五体満足で帰してやるぜ?」
「もう解放されてるから! 全く、今日はホントに厄日……ん?」
魔理沙が『くれよ』とひょいひょいと手招きすると鈴仙はツッコむがその途中で魔理沙の手にあった真っ白な依頼状を見て言葉を噤む。むむむと顎に手を当て、凝視する姿を見て私はピンと来てしまう。
「……読めるのね?」
「あー、えっとー……」
「読めるのね?」
「……はい」
はぐらかそうとする鈴仙に詰め寄ると私のプレッシャーに耐え切れなくなったのか、彼女は正直に頷く。よし、これで今後の方針は決まった。とりあえず――。
「捕獲」
「よっしゃ!」
「いやあああああああ!」
――兎狩りの時間だ。