東方楽曲伝   作:ホッシー@VTuber

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第497話 母さんの想い

「……」

 決して見えないように泣く母親の姿に俺は言葉を発することができず、黙り込んでしまう。

 最良の未来を視た母さんはまだ産まれてもいない俺に茨の道を歩かせることを強制してもなお、その未来に辿り着きたかった。そのためにリョウに襲われることを許容し、俺を産み、『象徴を操る程度の能力』と吸血鬼の血の暴走を抑えるために自ら肉体を捨てた。そうすれば母さんが夢にまで見た未来に辿り着けると直感(未来予知)が教えてくれたから。

 だが、消えるはずだった母さんを俺が止め、未来は変わった。最良だと思っていた未来よりも最良の未来が存在し、直感(未来予知)でさえも予期できないイレギュラーが発生する可能性を知ってしまった。そして、茨の道だった俺の人生は修羅の道へ、最良の未来は直感(未来予知)を持つ母さんが手助けしても簡単には辿り着けないものへと変貌してしまった。

 視てしまった最良の未来へ辿り着きたいがためにまだ産まれてもいない息子の人生を勝手に決めた罪悪感。

 ちょっとしたイレギュラーで未来が変わってしまう事実と更に辛い人生を歩ませることになってしまった絶望感。

 そして――彼女が生き残って視た最良の未来よりも最良の未来があるかもしれないという疑心。

 母さんが視た最良の未来はあくまでも彼女が視た未来の中での最良。俺が母さんを引き留めたことで更に最良の未来を視てしまった。つまり、母さんが視ていない未来の中にそれ以上の最良の未来があったかもしれないのだ。そう、たとえば誰も失わずに東の復讐心を排除できた未来、とか。

「母さん」

「ッ……」

 俺が声をかけると彼女はビクッと体を震わせる。東と戦っていた時に見せてくれたあの大きな背中はどこにもない。いるのは息子から拒絶されることを恐れる母親の姿。直感(未来予知)でこの先の展開を知っていればここまで怯えることはないだろう。おそらく、母さんはあえて直感(未来予知)を使って俺の返答を視ていないのだ。それが彼女なりの誠意。俺の言葉を真正面から受け止めようとする覚悟。そんな彼女に対し、俺は思わず笑みを零してしまう。どれだけ直感(未来予知)を持っていようと、母さんも人間なのだと実感できたから。

「確かに、母さんは……俺の人生を勝手に決めたのかもしれない。最良だと思っていた未来は最良ではなく、確実にその未来に辿り着けると断言できなくなったのかもしれない。なにより、俺たちが必死になって辿り着いたここは最良の未来ではないのかもしれない。でも、それはやっぱり『かもしれない』なんだよ」

 その言葉を聞いて母さんは顔を上げる。ポロポロと涙を零す彼女があまりにも弱々しくて咄嗟に上辺だけの慰めの言葉が口から漏れそうになるがグッと我慢して小さく深呼吸。

「母さんが言ってたとおり、すごい辛いこともあった。辛いことだらけだった。何度も死にそうになった。家族が危険に曝された。無力な自分を嘆いた。目の前で……大切な人を失った。それでも……俺は、(『音無 響』)しか知らない。この俺が歩んできた道しか知らない。どんなに可能性の話をされたって、それは結局、他人(『音無 響』)のことでしかない」

 母さんの話を聞いても俺の考えは変わらなかった。東の経験(絶望)で視た景色はあくまでも記録でしかない。俺はこの世界線の物語しか知らないのだから。

「悔いがないとは言えない。大切な人を喪った悲しみがなくなったとも言えない。それでも、この未来が母さんが夢に視た最良の未来だ。だから、謝るんじゃなくて誇ってほしい。あなたの息子はこの未来こそが最良だったと断言できるほど……満足のいく未来に辿り着いた」

「響……」

「ここまで俺を導いてくれてありがとう。母さんがいなかったら、俺はここにはいなかったよ」

「ぅ……あ」

 俺が感謝の言葉を述べると彼女は顔をくしゃくしゃにし、声をあげて泣いた。その涙には色々な感情が混ざり込んでいるのだろう。その涙を真意は彼女しか知らないが、少なくとも悲しみだけではないのは俺にもわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございます……落ち着きました」

 どれほどの時間が経ったのだろうか。やっと涙が止まった母さんにそう言われ、彼女の背中を撫でていた手を止め、腰を上げる。それに続くように母さんも立ち上がった。泣いた姿を見られたのが少し恥ずかしいのか彼女はどこかそわそわした様子でそっぽを向いている。

「見苦しいところをお見せしてすみません……」

「いや、それはいいんだけど」

 そんな彼女の様子になんとなく見てはいけないところを見てしまった気分になってしまい、なんとも気まずい空気になってしまった。

「それならいいのですが……おほん。私が消滅するまで少しばかり猶予があるようですので何か他に質問はありませんか?」

 空気を変えるために咳払いをした母さんは何の躊躇いもなく、『消滅』という言葉を使う。そうだ、彼女の告白に驚いて忘れていたが目の前に立つ母さんは残留意志。いつ消えてもおかしくない。それは母さんもわかっているはずなのに彼女はそれを気にした様子もなく、俺の言葉を待っていた。

「……じゃあ、一つだけ。『博麗の歴史』で先々代巫女の名前が黒く塗りつぶされてたって桔梗から聞いたけどそれって母さんのことだよな?」

「ええ、そうですよ」

「それは、やっぱり……俺を産んだからか?」

 『博麗の巫女』は幻想郷を形成する結界の一つである『博麗大結界』を管理している。また、『博麗の巫女』は幻想郷の中では中立の立場であり、基本的には弱者である人間を守るため、妖怪退治を行うことが多かった。霊夢も異変を起こした妖怪を退治するが博麗神社の境内に入ってきた妖怪を問答無用で追い返すことはしない。

 だが、そんな妖怪と人間の間に立ち、規律を守る存在である『博麗の巫女』が吸血鬼擬きと交わり、吸血鬼の血が混じった忌み子を産んだ。その『博麗の巫女』が母さん――『博麗 霊魔』とその息子、『博麗 響』だった。

「……そうではないと言えば嘘になります。私はあなたを産み、『博麗の巫女』という肩書をはく奪されました。ですが、それは私から言い出したことです」

「言い出した?」

「ええ、響……あなたは『象徴を操る程度の能力』の恐ろしさをまだわかっていません。いいですか? もし、あのままあなたの存在が幻想郷の住人に知れたらあなたは『博麗の巫女が産んだ忌み子』となります」

「……」

 霊夢たちから貰った二つ名と同じだ。俺の存在が『博麗の巫女が産んだ忌み子』と認識された時点でそれが俺の象徴となり、派生能力が発現する。中立の立場である巫女が産み落とした忌み子。その派生能力の内容はあまり良くないものだと容易に想像できた。

「それに私的には最良の未来に辿り着くために早く降板したかったのです。だからこそ、霊夢から見て先代巫女の育成も早めに始めましたし、事前に紫にはそれとなく相談はしていましたのでスムーズに巫女を止めることができました」

 『まぁ、その条件として霊夢と霊奈の教育係になることになりましたが』と苦笑を浮かべる母さん。やはり、霊夢と霊奈の師匠は母さんだったらしい。そんな彼女たちに子供の頃の俺が出会い、笠崎と戦って翠炎に燃やされた。それが霊夢と霊奈との初めての出会い。

「いえ、霊夢に関しては初めてではありませんよ?」

「……え?」

 直感(未来予知)で俺の思考を読んだのか、首を傾げる母さんだったが俺は目を丸くしてしまう。俺は霊夢と会っていた? いつ? どこで?

「響がまだ小さい頃の話ですから覚えていないのも無理はありません。あなたのお世話をしてくれる人を見つけるまでの間だったため、さほど長くはありませんでしたが、響と霊夢は外の世界の博麗神社で一緒に暮らしていた時期があります」

「……」

 俺をお世話してくれる人――義父さんと義母さんのことだ。どうやら、彼らと会ったのは母さんが『博麗の巫女』を止め、外の世界に来てからのことだったらしい。いや、今はそんなことよりも霊夢の方が大切だ。何か、忘れているような気がする。とても大切な、何かを。でも、それが何だったのか。何も思い出せない。思い出したいのに思い出せないのがもどかしく、心がざわつく。

「……そうですね。母親らしく、最初で最後のお節介を焼きましょうか。いえ、響……考え方を変えましょう。思い出せないということは、その記憶が欠落していると言い換えられます」

「欠落……あっ」

 記憶の欠落。それは記憶に穴が開いていることに他ならない。そして、穴が開いているのなら――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――それに気づいた後は早かった。

 額に汗を滲ませ、衰弱した母さんが生まれた直後の俺を見て微笑みながら涙を流す姿。

 ずっと放置されていたせいで荒れ放題だった外の世界の博麗神社を幼い俺を負んぶしながら掃除している最中、若い男女――義父さんと義母さんが連れ立って参拝に来た時のこと。

 翠炎で燃やされた過去の俺(キョウ)の旅の記憶。桔梗との大切な想い出。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――キョウちゃん!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、俺と同じくらいの女の子と交わした大事な約束。

「……………そっか。そうだったのか」

 ああ、やっとわかった。少し前からこの胸を燻ぶる感情の正体。忘れていてもなお、この心に残り続けた想い。今なら、やっと言葉にできる。この想いに名前を付けられる。

「……ふふ、いい顔になりましたね、響。さて、そろそろ時間が来てしまったようです」

 その言葉で彼女の方を見れば桔梗と同じように白い光がその体から漏れている。彼女も桔梗と同じように消えようとしていた。

「母さん!」

「もう……そんな泣きそうな顔をして、無礼ではありますが私との別れを惜しんでくれていることに喜びを覚えてしまいます」

「そりゃ、そうだろ! だって、母さんなんだから……」

「……そうですね、私はあなたの母親であり、あなたは私の息子です。だから……あなたに伝えなくてはならないことがあります」

 どこか儚げに笑った母さんは光が漏れ続けている右手で俺の左頬に触れた。すでに彼女の体は透け始めている。それでもその手には心が落ち着くようなぬくもりが存在していた。

「あなたにはまだやるべきことが残っています」

「やるべき、こと?」

「ええ……詳しく説明する時間がありませんので最期の一言で察してください。必ず、この未来に辿り着いてくださいね」

「ちょ、待っ――」

 俺の頬から手を離し、数歩だけ後ずさった母さん。まだ伝えたいことがたくさんある。それを全て伝えられなくともきちんとした別れの言葉を言いたい。そう思い、咄嗟に手を伸ばすが俺の手が触れる前に母さんは笑顔を浮かべ、口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また会いましょう(・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「母さ――」

 そう言って、俺の実の『母親』であり、ずっと支えてくれた『先々代博麗の巫女』、『博麗 霊魔』の残留意志は消滅し、それと同時に真っ白な魂の部屋が崩壊を始め、俺の意識はそこでぷっつりと途切れてしまった。


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