「……ここ、は」
ふと気づくと俺は見渡す限り真っ白な世界に立っていた。起きたばかりだからか、まだ頭が回っておらず、記憶も曖昧である。だが、このまま黙っているわけにもいかないので少しでも情報を集めようと周囲を見渡すが『何もない』こと以外に手掛かりは得られなかった。
(確か……)
少しずつ意識もはっきりしてきたため、今度は記憶を辿ることにする。俺は『象徴を操る程度の能力』を使い、東の復讐心を取り除くために想いを込めて歌っていたはず。そして、いつしか力尽きてそのまま落ちて――。
そこまで思い出したところでいきなり背後に誰かの気配を感じた。そのあまりの唐突さはまさに瞬間移動して俺の後ろを取ったとしか思えない。いや、実際にそうなのだろう。後ろの気配には覚えがあり、その気配の持ち主はいつだって俺の傍にいたのだから。
「……先ほどぶりですね、響」
「……母さん?」
おそるおそる振り返るとレマ――『博麗 霊魔』が最初からそこにいたといわんばかりにすまし顔で立っていた。何となく予想していたとはいえ、目の前で自爆した彼女の元気な姿を目の当たりにして俺は思わず驚いてしまう。
「ええ、あなたのお母さんです」
俺に『母さん』と呼ばれたことが嬉しかったのか、彼女は満面の笑みを浮かべて頷く。そんな母さんの様子に俺は溜息を吐いてしまう。
俺がここにいる時点で東の件はどうにかなったのはわかっていた。そうでもなければ俺は『死の大地』に墜落して死ぬか、奇跡的に生きていても墜落した後、東に殺されていただろう。こうして意識があることこそ、俺が生きている証明になっているのである。
だが、目覚めた場所がこんな何もない真っ白な世界であり、目の前には死んだはずの母さんの姿。どうやら、まだ異変は解決していない――というより、まだ片づけなければならないことが残っているらしい。
「お母さんの顔を見て溜息を吐くのは感心しませんよ」
「だって……まぁ、いい。それでここは……俺の魂の中、か」
母さんの顔を見たからか、混乱していた頭の霧も晴れ、ここが俺の魂の中だと何となく把握できた。崩壊した魂構造は修復中なのか、見慣れた部屋はどこにもない。もちろん、吸血鬼たちの姿もなかった。
「ええ、その通りです。もう少しで魂構造の修復もありますが……少しばかりお時間をいただきました。それに――」
「――母さんは、母さんの……残留意志、なんだよな?」
その言葉を遮るように言うと母さんは目を伏せた後、苦笑を浮かべて頷く。ああ、わかっていた。彼女の姿を見た時、『もしかしたら』を考えてしまったが、そもそも『博麗 霊魔』はすでに死んでいる。俺の能力を封印するためにその身を捧げ、俺の心の中で術式を維持していた。ああやって外に出て東相手に時間稼ぎできた方が異常なのである。ましてや、度重なる無茶と最期の自爆。こうやって残留意志を対面できただけでも奇跡なのかもしれない。
「やはり、理解が早いですね」
「まぁ……残留意志には一度、会ってるから」
思い出すのは『死』になりかけていた時、壊されてもなお俺を助けてくれた桔梗。永い間、離れ離れになっていたのに桔梗の残留意志は存在していたのだ。数十年にも渡って俺の中にいた母さんの残留意志が存在していても不思議ではない。
「そう、でしたね……さて、あまり時間もないことですから手短に済ませてしまいましょう。まずは……おめでとうございます、響。あなたは見事、東の復讐心を完全に取り除くことに成功しました」
母さんはまるで自分のことのように嬉しそうにそう言った。魂の中にいるので生きていることはわかっていたが、東の復讐心を完全に取り除くことができたのかわからなかったのでホッと安堵の溜息を吐く。これで彼が『死に戻る』こともないだろうし、別の世界線の俺が戦うことにもならないだろう。
「そっか……ありがとう、母さん。母さんがいなかったら――」
「――感謝の言葉はいりません」
ピシャリ、とどこか怒ったように言われ、思わず口を噤んでしまう。母さんも予想以上に鋭い口調になっていたのか、ハッとした後、わたわたし始める。それを見て跳ねた心臓も落ち着き、いつも冷静だった『レマ』がこうやって慌てたところはあまり見たことないな、と呑気な感想を抱いてしまう。
「い、いえ……これは、違うのです。あなたからの感謝の言葉は嬉しい。嬉しいのですが、私にはそれを受け取る権利はありません」
「それは、どういう……」
そこで俺の言葉は力を失くしたように途切れてしまう。いきなり目の前で母さんが正座し、地に両手をつけて頭を地にこすりつけるように下げる。その姿はまさに土下座と呼ばれるものだった。
「え、お、おい! いきなりそんなことされても……」
「あなたが戸惑うのは当たり前です。ですが、どうしても私はあなたに――息子である響に謝らなければならないのです」
「……説明くらい、してくれよ」
土下座を続ける母さんを見て何を言っても無駄だとわかり、素直に事情を聞くことにする。『ありがとう、ございます』とどこか泣きそうな声で母さんはお礼を言い、その姿勢のまま話し始めた。
「あなたも知っての通り、私には『未来予知』にも似た直感を持っています。だから、
「ッ……」
確かリョウは瀕死のところをレミリアから血を分けられ、眷属――吸血鬼にされた。そして、吸血鬼の血の影響で性別そのものが変化しそうになっていた時、母さんと出会い、過ちを犯した。その時にできた子供が俺だったはず。それを母さんは知っていた。最初から、何から何まで。
「だ、だったらなんで行き倒れそうになっていたリョウに接触したんだよ。わかってたなら回避することだって……」
「ええ、できたでしょうね。私の『未来予知』はあくまで『可能性』を見せるだけ。直感通りに動けばイレギュラーがなければその通りになりますし、その未来が気に食わなければそうならないために動けばその未来には辿り着きません。でも、できませんでした……だって、あんな未来、見せられたら――幸せそうに笑う息子の姿を見せつけられたら、そうなってほしいと願ってしまったのですから」
そこで土下座していた母さんは体を起こし、どこか誇らしげにそう言い切る。母さんは『未来予知』にも似た直感が見せた未来を見てから俺の――まだ産まれてもいない息子のために生きようと決意したのだ。
「なんで、そこまで……」
「どうしてでしょう。まだ子供を産める年齢ですらなかった時に見た未来で、本来であれば母親の気持ちなんてわからないはずなのに……どうしてか、あなたの未来を見たいと思ったのです。たとえ、その選択が茨の道で、命すら自分で捨てることになるとわかっていても、どうしてもあなたに出会いたかった」
そう言いながら母さんは正座したまま、俺に向かって右手を差し伸べる。慌てて駆け寄った俺は肩膝を付いて彼女の右手を両手で握った。
「ほら……これが、私の、夢にみた未来。あぁ……やっと、叶った。叶ったのです。ずっと、こうして触れたかった。全ての困難を打ち破り、成長した立派なあなたの手を取りたかった。『よく頑張りましたね』と褒めてあげたかった」
いつしか母さんは自身の右手を握る俺の両手に額を当て、涙を流していた。その涙に悲しみは含まれていない。親譲りの直感が告げている感情は嬉しさと、後悔。
しかし、どうして母さんは俺に謝ったのだろうか。後悔したのだろうか。俺の方こそ、俺のために命を燃やしてくれた彼女に対して感謝と謝罪の言葉を述べるべきなのに。
「わかっています。あなたの疑問は正しい……正しいからこそ、謝らなければならないのです」
そう言って顔を上げた彼女の顔は酷く歪んでいた。きっと、母さんの罪はここからなのだろう。俺は覚悟を決め、肩膝を付いたまま、彼女の言葉を待った。