東方楽曲伝   作:ホッシー@VTuber

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第493話 復讐者の最期

 その姿はまさに天使そのものであった。

 2対4枚の翼を大きく広げ、尻餅を付いた己を見下ろす響を見上げながら東はどこか他人事のようにそんな感想を抱いた。もちろん、少し前まで彼は本気で響を殺そうとしていたし、事実、響が能力を発動させるのが1秒でも遅ければ今頃、東の拳は響の胸を貫き、リョウと同じように心臓を握りつぶしていただろう。

 だが、1秒足りなかったのは偶然ではない。つい先ほどまで戦っていた未来予知にも匹敵する直感を持つ響の生みの親である先々代巫女『博麗 霊魔』と死ぬ間際に東の影に術式を仕込んだリョウ。そして、最期の最後まで――いや、壊れてからも主を守った完全自立型人形であり、響の従者である桔梗が稼いだ1秒。その1秒を偶然という言葉で片づけるにはあまりにも奇跡的であり、込められた想いは重かった。

 また、1万回以上の『死に戻り』を繰り返し、なんとか響の本能力が『象徴を操る程度の能力』であると突き止めた東も『象徴(シンボル)付与(エンチャント)』を見るのは初めてだった。無理もない。並行世界の『彼女(音無 響)』も含め、『象徴を操る程度の能力』で己の存在を書き換え、もしくは上書きしたのは今日が初めてだったのだから。

 そもそも今回の世界線はおかしいことばかりだ。女だったはずの響は男として生まれ、攻撃方法も、思考も、得た能力も何もかも違いすぎた。

 だからこそ、東は『象徴を操る程度の能力』に変更点がないか、『タロットカード』を渡すことで確かめようとした。そして、響が『タロットカード』を使ったスペルカードを使用したことで本能力に変更はないと判断したのである。

 だが、まさか今までの響が使わなかった使い方があるとは思わなかった東は茫然と尻餅を付いて響を見上げていた。

(なんて……)

 何も書かれていないスペルカードが花吹雪のように舞う中、翼から跳ねる白い粒子が月光を反射させる。そんな神々しい響の姿に東は不覚にも見惚れてしまった。1万回以上の『死に戻り』を繰り返し、記憶が摩耗し始めている東ですら今まで見た中で最も美しい景色だと断言できた。

「待っ――」

 しかし、すぐに我に返り、咄嗟に手を伸ばす。ここで響を逃がせば取り返しの付かないことになる。殺されるよりも、封印されるよりも、復讐を成し遂げるよりも恐ろしい何かが起きる。何故か東はそう確信していた。

 必死に伸ばされた東の手が触れる直前、響は翼を羽ばたかせ、一気に上昇。そもそも尻餅を付いている状態で手を伸ばしたところで届くはずもない。そんなことにすら気づかないほど東は動揺していた。

 一条の光となった響がどんどん高度を上げていくのを見ながら彼はそれでもなお、空へと手を伸ばし続ける。その時点で幻想郷の住人から集めた地力は底を尽き、あの驚異的な強化は行えなくなっていた。つまり、東の負けが決まったのである。それでも、東は諦めていなかった。

 ここで負けを認めてしまったらこれまでの努力は無駄になる。

 ここで諦めてしまったら自分を信じて――能力を使って騙した協力者たちの犠牲が無駄になる。

 ここでこの気持ちに蓋をしたら殺された■■■への想いは行き場を亡くし、まるで最初からなかったように消えてしまう。

 だから、負けを認めない。諦めない。復讐の炎を燃え上がらせる。

(そうだ、俺は……やらなければならない。やらなければ!)

 すっかり、響の姿は見えなくなり、一番星のように輝く光にしか見えなくなった頃、東は伸ばし続けていた手を降ろし、徐に懐から一丁の拳銃を取り出した。ネックレスによる蘇生時に一緒に復活していたのである。だが、その拳銃には弾丸は1発しか込められていない。それもそのはず、これは響を殺すためではなく、己を殺すために用意していた自決用の拳銃なのだから。実際、これまでの世界線で追い詰められた東は何度かこの拳銃を使い、自殺し、『死に戻り』を発動させている。だから、今回も今までと同じように自殺して次の世界線の自分にバトンを繋ぐ。もう、自殺する恐怖心はない。そんな感情、すでに失くしてしまった。

「じゃあな……」

 こめかみに銃口を向け、引き金に人差し指を引っかける。少しでも力を入れれば弾丸が東の脳髄を破壊し、『死に戻り』するだろう。

「……」

 この世界線でも駄目だった。しかし、この世界線で得た経験や情報は絶対に次の世界線で役に立つ。なにせ、この世界線はあまりにイレギュラーであり、まだ情報が足りていないと自覚できたから。きっと、これからは再び情報収集に勤しむことになるだろう。そして、十分に情報を収集し、きちんと対策を立てた暁には、絶対、復讐してみせる。そう決意した東は空に浮かぶ光を見上げながら引き金を――。

「――――」

 ――引く直前、光から不意に歌声が聞こえ始めた。最初は聞き間違いかと思ったがすぐに気のせいではないとわかった。そう、響はこの状況になって突然、歌い始めたのである。

「何、を……」

 てっきり、己を殺すか、封印するために『象徴(シンボル)付与(エンチャント)』を使ったのだと思っていた。殺されるならまだしも封印されてしまっては『死に戻り』ができない。だからこそ、東は自殺しようとした。だが、蓋を開けてみれば攻撃するわけでもなく、封印するわけでもなく、ただ歌を歌っている。思わず困惑してしまった東はその体を硬直させてしまった。それが致命的な隙になると気づかずに。

『―――』

 何が起きているかわからず、響の歌声を聞いているとどこからか声が聞こえたような気がした。聞き覚えのない、聞き慣れた声。その声の主は近くにいるのか、東は何故か耳元で囁かれているような感覚を覚える。自殺を邪魔されてはたまったものではないといつでも引き金を引けるようにしながら周囲を見渡すが誰もいない。

『―――た』

 気のせいだと判断する前に再び声が聞こえ、彼は自然と立ち上がっていた。相変わらず、響の歌声が響き渡る中、東は声の主を探す。そして――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あなた』

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――はっきりとその声が聞こえた時、東は響の本当の目的に気づいた。

「ぁ……」

 そもそもおかしかったのだ。歌声が聞こえた程度で自殺の手を止めた時点で彼は響の術中にはまっていた。咲の『魂を鎮める程度の能力』によって復讐の炎の勢いを抑えられたせいで『何の躊躇いもなく自殺する』という狂気を取り除かれていたのである。

 だが、今更気づいたところでもう遅い。東の持つ『神経を鈍らせる程度の能力』と同様、響の『鎮魂歌(レクイエム)』は聞けば聞くほど負の感情は抑えられ、正気に戻ってしまう。実際、こめかみに当てられた拳銃の銃口は震えていた。まるで、初めて自殺する際、子供のようにガタガタと震えていた自分のように。

『……あなた』

 そして、響の『鎮魂歌(レクイエム)』に込められたもう一つの効果。それは響の翼にもなっている白い鳩が象徴する――『平和』。その権化が今もなお、東の後ろから声をかける女性の存在である。

「ぁあ……」

 その声に東は聞き覚えがなかった。いや、忘れてしまっていた。聞き慣れた声だと思ったのは擦り切れた記憶の中に埋もれたピースが反応したせいだ。彼が復讐者になってしまった原因でもあり、復讐する本当の目的だった女性。

『あなた……ごめんなさい』

「……」

 謝る女性に対し、東は何も反応しない。振り返りもしない。声もかけない。ただ、震える拳銃の引き金を引こうと精一杯、人差し指に力を込めるだけ。だが、いつまで経っても人差し指は引き金を引かず、ただ震えるばかり。

『私が死んでしまったせいで……あなたに、悲しい思いをさせてしまったわ』

 そう言って女性は東を後ろから抱きしめる。それでも東は反応しない。彼自身、わかっているのだ。後ろにいる女性は響の能力によって生み出された幻であり、偽物である、と。今、ここで振り返って女性の姿を見た瞬間、東は本当の意味で負けてしまうのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも……それでも、彼女が偽物だとわかっていても、抱きしめられた瞬間、東の手から拳銃が零れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 響の目的は東の復讐劇を止めること。しかし、咲の能力では一時的に復讐心を抑えることしかできない。だからこそ、『平和』という概念を『付与(エンチャント)』して復讐する理由そのものを取り除こうとした。

 その結果、生み出されたのが復讐するきっかけとなった――東の妻、■■■の幻影であった。響自身、東の身にそんなことが起きていることは知らない。ただ、『平和』を込めて歌っているだけにすぎない。

 だからこそ、■■■が現れたのは東の心が原因である。そう、彼を抱きしめている彼女を生み出したのは他でもない、東本人なのだ。

『本当に、ごめんなさい……でも、もう十分よ。十分だから……もう、休んでいいの』

「き、えろ……偽物」

『ええ、私は偽物よ。でも、この気持ちは本物。きっと、■■■も同じことを思ってるわ』

 今もなお、名前を思い出せないからか、妻の名前だけノイズが走り、思わず顔を顰めてしまう東。この復讐劇を始めるきっかけとなった妻の名前を忘れてしまっていることに今更ながら気づいた東は思わず苦笑を浮かべる。

『やっと、笑った』

 その声にハッと前を見れば見覚えのない女性が笑っていた。だが、見覚えがないはずなのにその微笑みを見て胸の奥底で何かが震えるのがわかった。

『やっと……見てくれた』

「や、めろ……」

 いつかのように己の右頬に手を当て、優しく笑みを浮かべる女性。その姿は彼女の死ぬ直前と瓜二つであり、東の目から自然と涙がこぼれ始めた。

 偽物なのはわかっている。幻であるのはわかっている。

 しかし、それでも……東の凍り付いた心を溶かすには十分すぎるほど■■■の温かさは熱を持っていた。

『あなたはもう、十分頑張ったわ。だから、もう休んで。本当に、お疲れ様』

 気づけば女性も東と同じように涙を流し、儚げに笑みを零す。『私のことは気にしないで』、と安心させるように。

「あぁ……そう、だな」

(そうか……俺は、止められたのか)

 響の目的も、女性が偽物であることも、ここで折れてしまえば『死に戻り』が起きないことも東は気づいている。気づいていても、それを赦してしまえるほど、むしろ、響に感謝してしまえるほど東の心はとっくの昔に限界を迎えていた。

『そろそろ、お別れみたい……愛しているわ、あなた』

 それを感じ取ったのか、女性の体はどんどん透けていき、白い粒子が天に昇っていく。まるで、心残りを解消し、成仏する幽霊のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ……俺も愛してるよ、ヒビキ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ようやく、愛する女性の名前を思い出せた東が最後に見たのは目を大きく見開き、驚いた後、満面の笑みで喜びを噛み締める最愛の女性の姿だった。


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