予定通り、本日から更新再開です。
これからも『東方楽曲伝』をよろしくお願いします。
「はぁ……はぁ……」
暗い森の中で俺の荒い呼吸音が木霊する。目の前が霞み、今にも倒れてしまいそうだ。だが、こんなところで倒れるわけにはいかない。今、倒れている暇などないのだから。
「マスター……」
もう一度、とスタート地点へ戻ると桔梗が小さな声で俺を呼んだ。しかし、それ以上の言葉は出て来ない。きっと、彼女は俺の体調を優先するべきか、俺の気持ちを優先するべきか悩んでいるのだろう。
結局、吸血鬼の予想通り、『コスプレ』は使えなかった。つまり、『コスプレ』ができなかったのは吸血鬼が部屋に閉じ込められていたからではなく、幻想郷内で何かが起きたせいである可能性が高くなったのだ。そして、幻想郷内に移動する手段は『時空を飛び越える程度の能力』だけになってしまった。
「すぅ……はぁ……」
スタート地点に立ち、5メートル先のカラーコーンを見ながら深呼吸。もうほとんど残っていない地力をかき集め、一点に集中する。『時空を飛び越える程度の能力』を発動する際、地力を集中させないと上手くいかないことが多かったのだ。
「ぐっ……」
しかし、少ない地力を強引に集めたせいか地力が不安定になり、体の中で暴走し始めた。咄嗟に集中するのを止めるが地力の暴走は治まるどころか激しさを増す。あと数分で体の中で暴れている地力が爆発してこの辺一帯が焦土と化してしまうだろう。
「マスター!」
俺の顔が歪んだのを見て桔梗が慌てて飛んで来た。まずい、このままでは桔梗が地力の暴発に巻き込まれてしまう。青怪鳥の嘴のおかげで頑丈になった彼女でも至近距離で暴発に巻き込まれたらひとたまりもないはず。
「に、げ――」
何とか地力を抑えようともがきながら言葉を紡ぐが出たのはなんとも情けない擦れた声だった。そんな声など桔梗の耳に届くわけもなく、彼女は心配そうに俺の顔を見つめている。抑え切れない地力が風となり、俺と桔梗の髪を揺らしていた。
(こうなったら……)
無理矢理にでも『時空を飛び越える程度の能力』を発動させてこの場から離れるしかない。俺には翠炎がいるのでたとえ死んだとしても生き返ることができる。とにかく今は桔梗の安全を優先にして――。
『……はぁ。闇、お願い』
『はいはーい!』
――と、その時、脳裏に呆れたような吸血鬼と嬉しそうに返事をする闇の声が響き、あれだけ大暴れしていた地力が何かに“吸い取られ始めた”。そのまま、地力の暴走によって発生していた風が止む。桔梗を傷つけずに済んだと安堵のため息を吐くと同時に体から力が抜けて膝から崩れ落ちた。
「もう……無茶しすぎよ」
倒れる前に顔にポフッと柔らかい何かが当たり、優しげな声が耳に滑り込んでくる。懸命に顔を上げると吸血鬼が苦笑を浮かべていた。俺が無茶をするとわかっていたか、地力が暴走した時のために闇に声をかけていたのだろう。
「すまん……闇もありがとう」
『どーいたしましてー!』
俺の地力を吸って暴走を止めてくれた闇にお礼を言うと彼女は嬉しそうに笑った。闇の能力は引力。それを駆使して暴走していた地力を俺から引き剥がし、吸収したのだろう。
「吸血鬼さん、マスターは!?」
「大丈夫よ。ちょっと無理して地力を使い切っちゃっただけ。明日になれば元気になるわ」「そう、ですか……よかったです」
ほっとした桔梗を見てくすくすと笑った吸血鬼は動けない俺を横抱きにして近くに生えていた大きな木まで移動する。そして、背中を木に預けられるようにそっと地面に降ろした。
「はぁ……」
また失敗だ。最後は大失敗だったが、それ以前も全然だめだった。能力の発動に地力を集中しなければならないことに気付いてからまったく進歩していない。このままではいつまで経っても幻想郷に行くことができない。
「ほら、そんな暗い顔しない」
「いでっ」
パチンという軽い音と共に額に痛みが走る。顔を上げると吸血鬼が少し怒ったような顔で俺を見つめていた。
「焦ってもさっきみたいに上手くいくはずないわ。それよりもどうして上手くいかないのか考えた方が賢明よ」
「……そりゃそうだけどなんで失敗するのかいくら考えてもわからないんだよ。地力を集中することぐらいしかわかってないんだから」
「地力を集中、ねぇ……」
「吸血鬼さん?」
俺の言い訳染みた言葉を聞いた彼女は納得できていないのか腕を組んで首を傾げた。それにいち早く気付いた桔梗が声をかける。
「ねぇ、地力を集中した後はどうしてる?」
「どうって……能力の発動と同時に開放してるけど」
「『開力』と同じプロセスね」
“開力『一転爆破』”は地力を一点に集中した後、相手に向かって解き放つスペルカード。文化祭の日、笠崎の透明化(具体的には中にいる人を透明化するフィールドを発生させる装置)を吹き飛ばしたのもこのスペルだ。確かに彼女の言う通り、能力を発動させる時の感覚は『開力』に似ている。
「それがどうかしたのか?」
「うーん、私も何となくしかわかってないんだけど能力を発動した瞬間、せっかく集中させた地力がバラバラになってたような気がするの。そのせいで設定した座標が狂って変なところに飛んでるんだと思う」
「集中した地力を開放せずに能力を発動させるってことか」
しかし、少し前に一度だけ地力を開放せずに能力を発動させたが、上手くいかなかった。むしろ、能力すら発動しなかったのである。つまり、開放ではない別のプロセスが必要となる。
「でも、開放以外にどうすれば……」
「あの、一つ質問いいですか?」
再び行き詰りそうになった時、桔梗が手を挙げた。黙って頷くと彼女はどこか居心地が悪そうにしながらそっと口を開いた。
「えっと、『カイリョク』という技は地力を解き放つものなんですよね?」
「ああ、そうだ」
「つまり、地力を外に漏らさずに開放すればいいのではないでしょうか」
「地力を外に漏らさずに?」
桔梗の発言に俺と吸血鬼は思わず顔を見合わせてしまう。そんなことできるのだろうか。少なくとも今までそんな地力の使い方をしたことはない。仮にできたとしても使いこなすためには相当な時間がかかってしまうだろう。
「いえ、マスター。あなたは覚えていないかもしれませんが小さい頃、ずっと練習していました。結局、最後まで上手くいきませんでしたけど」
そう言うと桔梗は少しだけ寂しそうに目を伏せた。桔梗と経験した旅は永琳の薬のおかげで夢に見ることはあるが全てを見たわけではない。何より、俺によって
「それはどんな技なんだ?」
「……『夢想転身』。博麗の巫女に伝わる奥義の一つだそうです」
「『夢想転身』……」
まさかこのタイミングで博麗の奥義が出て来るとは思わなかった。霊夢の『夢想封印』とは違う技なのは明らかだが、どんな技なのだろうか。
「私自身、読んだわけではありませんが肉体強化だそうです。他の奥義は結界や遠距離攻撃が多く、肉体強化の奥義は『夢想転身』だけだった、と」
「でも、どうしてその奥義が地力を外に漏らさずに開放することに繋がるの?」
「その奥義の習得方法が自分の霊力を『ぎゅーん』として『パーン』ってなったら体の中で霊力が『ぐるぐる』して最後に『ちゅどーん』、です」
「……え? なんて?」
「ですから、自分の霊力を『ぎゅーん』として『パーン』ってなったら体の中で霊力が『ぐるぐる』して最後に『ちゅどーん』とするんですよ!」
グッと胸の前で両手を握りしめて力説する桔梗だったがまったく意味がわからなかった。吸血鬼も理解出来なかったのかキョトンとしている。
「マスターは『夢想転身』は霊力を心臓に
だが、それは
「……」
目を閉じて意識を体の内側に向ける。会話の間に回復したなけなしの霊力を心臓に集め、圧縮。弥生との四神憑依のおかげで凝縮のコツは掴んでいる。
限界まで霊力を集中させた後、一気に解放。その刹那、体中に巡っている霊力が通る器官へ圧縮されたそれが凄まじい勢いで駆け抜ける。そして、俺の体から紅いオーラが迸り、桔梗と吸血鬼の髪を揺らした。
なお、第355話で霊奈を倒した紅い旋風は『開力』だったりします。