『……本当にいいんですね?』
『はい、覚悟はできています』
彼女は私の目を真っ直ぐ見て頷いた。予想ではもう少し戸惑うと思っていたがあの子に出会って彼女も随分成長したらしい。それがとても嬉しく思い、今からそれを奪う罪悪感に心が締め付けられる。だが、やらなければならない。やらなければ目の前にいる彼女もあの子も全員、死んでしまうのだから。
『わかりました。では、始めます』
予め組んでいた術式を発動させた。薄暗かった部屋が淡い光によって照らされ、床に書かれた術式の真ん中に立っている彼女の髪や服が揺れる。そして、パタリとその場で倒れてしまった。
『……』
これで再び薄暗くなった部屋で立っているのは私だけになってしまった。あの子はすでに家に帰したし、この子も後数時間で向こうに行ってしまう。
『……情けないですね』
気絶してしまった彼女を横抱きにして持ち上げながら思わず呟いてしまった。本当なら罪を犯した私たち大人が解決するべきなのだろう。でも、それは叶わない。他の皆は奴の手によって動きを封じられてしまうし、私にはもう時間がない。全てをあの子に託すしか方法がなかった。
『ごめんなさい』
隣の部屋に敷いていた布団に寝かせ、彼女の頭を撫でながら謝る。不甲斐ない自分が許せない。この子や彼に運命を委ねることしかできない自分が情けなくて仕方ない。でも、やるしかない。ここまで来たらもう後戻りはできないのだから。
『……さて、そちらの準備は大丈夫でしょうか?』
『……ああ』
私の問いかけにずっと別の部屋で術式を組んでくれていた彼が静かに頷いた。その顔はどこか儚く、とても美しかった。彼ともっと話していたかったがそれは贅沢な願いなのだろう。
『では……始めましょう』
だからだろうか、悔しさや悲しみが表情に出ないように私は彼に微笑んだ。それに対し、顔を歪めて俯く彼。そんな顔をしないで。そんな顔を見てしまったら決心が揺らいでしまう。このまま彼と一緒に逃げてどこかで静かに暮らしたいと願ってしまう。だが、それはもう願わない。彼が私の目の前にいることがその証拠。運命はもう決定している。あとはなぞるだけ。
『後のことはお願いします』
『……わかってる。だから……ちゃんと見守っていてくれ』
『ええ、もちろん……それが私の役目ですから』
頷いた私に彼は悲しげな笑顔を浮かべ、部屋を出た。私もその後を追う。彼の背中を見て私は思わず目から涙が零れてしまった。ああ、生きていてよかった。あの日、覚悟を決めてよかった。
『……ありがとう、ございます』
『……』
自然と漏れた感謝の言葉に彼は何も言わず、開かれていた両手を強く握りしめた。
数分かけて悟を落ち着かせた後、皆を連れて居間に戻ると丁度雅がノートパソコンを起動するところだった。雅のノートパソコンはそれなりに古いらしく(1年ほど前にどこかで買ってきた)起動するまで時間がかかるので望と霊奈はお茶を淹れに台所へ消える。その間に悟から事情を聞こうと携帯を操作してスピーカーモードに変えた。
「それで何があったんだ?」
『パソコンは?』
「今、起動中」
『なら、ちょっと待っててくれ。実際に見た方が早い。その間に俺も用事済ませるからパソコンが起動したら電話して』
そう言って悟は電話を切ってしまう。焦る悟を見るのは久しぶりだ。他の皆も何事かと目を見合わせている。
それからほどなくしてノートパソコンが起動し、いつでも使える状態になった。その頃には望たちもお茶を淹れ終わり、お茶を啜りながら悟へ電話を掛ける。掛け直すと言っていたのに電話に出られないほど忙しいのかしばらくの間、コール音が響いた後、繋がった。
『すまん、遅くなった』
「いや、大丈夫。そっちこそいいのか? 忙しそうだけど」
『ああ、忙しいっちゃ忙しいけど今はそっちが優先だ。前に話してた掲示板を覚えてるか?』
掲示板という単語を聞いて数日前に見たO&Kが開発するVRゲームについて語る掲示板を思い出した。もしかしてO&Kの評判が一気に悪くなってしまったのだろうか。しかし、悟なら『自分の会社のことだ』とか言って俺たちには黙っているはずだ。
「ああ、覚えてる。それがどうかしたのか?」
『ちょっと覗いてみろ』
彼の指示に首を傾げながらもパソコンを操作して数日前に見た掲示板を探す。だが、かなり書き込まれたのかすでにいくつかのスレッドが立てられていた。過去のスレッドはいつでも見られるのでとりあえず最新のスレッドを覗いてみる。
「なっ……」
スレッドを覗いて俺は思わず声を漏らしてしまった。数日前まではO&KのVRゲームについて語っていたはずなのに何故か文化祭の事件が掘り下げられている。しかも、頻繁に『妖怪』や『ロボット』という言葉が出てきていた。
「悟、これはどういう!?」
『……誰かは知らないけどあのグラウンドで起きたことを撮影してた奴がいたみたいで数時間前に至るところで公開されたんだ』
「公開って……誰が何のために」
『一応、何とか映像は消させたけど時間がかかったせいでそれなりの人に見られた。掲示板を見ればわかると思うけどあれがVRゲームだったって信じてる人の方が少ない』
悟の言う通り、ざっと流し読みだがVRゲームという単語は書き込まれている様子はない。むしろ、O&Kが妖怪やロボットなどの創作物に出てくるような存在を隠蔽していたのではないかという意見があり、下降気味だったO&Kの評価が更に下がっていた。きっとその対応に追われていたのだろう。
「そっちは大丈夫なのか?」
『ああ、何とかな。オカルトを隠蔽してたって証拠はないし、今は本当にVRゲームを開発してるのか』って問い合わせが殺到してるだけだ』
O&KのVRゲームはかなり話題になったのでゲーマーたちが心配して問い合わせしているらしい。その時、ずっと黙っていた望が自分のスマホを俺に見せるように差し出した。スマホの画面にはO&Kのホームページが開かれており、開発途中のVRゲームのイメージ映像が流れている。何だか映像の中で暴れ回っている女のキャラが俺に似ているような気がするが、とにかく悟はイメージ映像を流して『O&KはVRゲームを開発している』とアピールしたようだ。
「元の映像はもうないのか?」
『ああ、保存した奴もいるだろうけど公開されたらすぐに対応できるようにしてる。ネットの奴らも公開しても消されるってわかったのかやっと落ち着いてきたんだ』
つまり、今のところネット上に映像はないらしい。しかし、映像はないのにこれだけ騒がれているということは映像を保存した人がかなりいるのだろう。
「……ちょくちょくお前の戦う姿がやばいって書き込みがあるのは触れた方がいいのか?」
「やめろ」
マウスを操作して掲示板を読んでいたリョウが画面を指さしながら呆れたように聞いて来たがすぐに彼女の手を叩いて拒否する。確かに映像に関する話題と同じくらい――いや、それ以上に俺に関する話題が書き込まれていた。いくつかのスレッドを遡って確認したところ、『あの映像が本物なら戦っている美人も実在してるんじゃね?』というレスから爆発的に俺に関する書き込みが増えていた。むしろ、俺が実在して欲しくて映像は合成ではなく本物だ、と言っている人もいるようだ。
「……これ、まずいんじゃね?」
リョウの後ろでパソコンを見ていたドグが冷や汗を流しながら呟いた。それを聞いた皆もハッとして俺に視線が集まる。だが、俺は彼女たちの視線を気にしていられるほど冷静ではいられなくなっていた。
映像は見ていないが『妖怪』や『ロボット』という単語や俺の話題が出てきている時点で掲示板の住人はもちろん、他の人にあの映像について伝わるのは時間の問題だ。
(このままこれを放置すれば……)
オカルトが今まで以上に世界に伝わってしまう上、『本当にあるのではないか?』と思われてしまう。つまり、現実と幻想の垣根が曖昧になる。そう、それは幻想郷の崩壊を意味していた。