麒麟。黄色い珠から聞こえた声は確かにそう言った。中国に伝わる天の四方の方角を司る四神である青竜、朱雀、白虎、玄武に対し、麒麟は中央を司っている。いわば神様だ。そんな存在があの珠の中にいる。弥生が持っている水色の珠の中に青竜がいるのは知っていたが、まさか他の霊獣も同じように珠の中にいるとは思わなかった。
「……ってことはこの中にも?」
私は呟きながら手の中にある紅い珠を凝視する。数か月前、ガドラのお墓参りに行った時に拾った物だ。あまりにも綺麗で家に持ち帰り、お守り代わりに小さな袋に入れて首から下げて持ち歩いていた。
『……何よ』
「っ!?」
しばらく紅い珠を見ていると珠から不満げな女性の声が響き、目を丸くしてしまう。青竜や麒麟のようにこの珠にも誰かいるらしい。そして、何となく私はその正体を察している。
「……朱雀?」
『あら、もう気づいたの? 早いのね』
「いや、まぁ……紅いから」
朱雀は五行説の一つである火を司っているので珠の色も火の色である赤だと思っただけだ。深い意味はない。でも、どうしてこの珠に朱雀が宿っているのだろうか。初めて見つけた時はただの綺麗な紅い珠だったのに。
『さて、皆さまも疑問に思っていることでしょう。どうして、私たちがここにいるのか。なぜ、このような小さな珠に宿っているのか。理由は簡単です。あの方……『音無 響』の能力により私たちは生まれたのです』
『お主らの持っている珠は曰く付き……つまり、響の能力が発動したのだ』
青竜が水色の珠に宿った原因は響の能力だと言っていた。そして、響の能力は私たちが持っていた珠にも影響を与えていたのだ。
『出来ることなら他の四神の紹介をしたいところですが、今は時間がありません。先ほど望さんが説明したようにあの霊脈からよからぬものたちが今まさに産まれようとしています』
麒麟の言葉に私たちは姿勢を正す。先ほど麒麟は私たちのことを『共に戦う仲間』と言っていた。何か考えでもあるのだろうか。
『その数は数えることすら馬鹿らしくなるほどです。本来であれば全戦力を投入する場面です。しかし、明らかに人手不足。霊脈に戦力を集中したせいで他の場所で綻びが生じる可能性もあります。おそらく悟さんが考えた案が最も有効的な配置だと思います。つまり、霊脈を直接叩く人はたった独りで戦う必要があります。軍勢に単騎で突っ込むのです』
それがどれほど無謀なことなのか私にはわからない。ただ厳しい戦いになることぐらい容易に想像できた。
『最悪の場合、即死します。即死しなくてもいずれよからぬものの波に飲み込まれるでしょう。それでも――行きますか?』
麒麟が霊脈組に問いかけた。
「行く」
その問いかけに対し、私は即答していた。即死する? 軍勢に飲み込まれる? それがどうした。やらなければやられるのだ。ならばやって死んだ方がマシである。いや、そもそも負けるつもりはない。死ぬつもりもない。必ず生き残って響に『大変だった』と文句を言ってやるのだ。
「ご主人様がいない今、ご主人様の代わりに皆さんをお守りします!」
「響に少しでも恩返ししたいから……どんなに危険でも、無茶でも、大丈夫」
「私たちがいてお客さんたちが傷ついたってなったら響に馬鹿にされるからね」
頷いた私に続くように霙、弥生、リーマが堂々と言い切った。その目に迷いはない。きっと響に会う前の私なら――私たちなら死地に自ら赴くようなことはしなかっただろう。でも、今の私たちは違う。自分の命をかけられると何の迷いもなく思える。それだけのものを響から貰ったから。
『……そうですか。ええ、そうでしょう』
私たちの覚悟を聞いた麒麟は嬉しそうに声を漏らした。初めから私たちが頷くと確信していたように。
『その言葉を聞いて安心しました。あなたたちに拾われてよかった……心の底からそう思います。いいでしょう。ぜひ私たちにもお手伝いさせてください』
「お手伝い?」
本調子ではないので具現化できないと言っていたがどのような手助けをしてくれるのだろうか。
『皆さま、珠に力を注いでください。それだけで繋がりができます』
「っ! まさか!」
麒麟の言葉に弥生が目を見開いて声を荒げる。弥生は生まれた時から青竜の力をその身に宿していた。だからこそ、彼女の言葉の真意にいち早く気付くことができたのだろう。
『弥生さんの想像している通りだと思います。繋がりを作り、一時的に私たちの力を皆さまに譲渡するつもりです』
「それって……『四神憑依』?」
『四神憑依』は響に弥生が憑依することで分割されていた青竜の力を一時的に一つに戻す技だ。実際にはまだ見たことないが響曰く『使うと地形が変わる』ほど強力らしい。その力が私たちにも――。
『残念ながら『四神憑依』はできません。響さんがいれば可能だとは思いますが、今の私たちで譲渡できる力は半分ほど……いえ、3分の1程度になるでしょう。なお、弥生さんの場合はすでに青竜の力を宿していますので申し訳ありませんが普段通りとなります』
(3分の1、か……)
確かに四神の力を扱えるようになれば生き残れる可能性はグッと高くなるだろう。だが、確実と言い切れない。それほど今の状況は厳しいのだ。
「……でも、やるしかないんだ」
むしろ生き残れる可能性が増えたことを喜ぼう。しかし、四神の力、か。ずっと青竜の力に振り回されていた弥生を間近で見て来たのでちょっとだけ怖い。本当に大丈夫なのだろうか。
「じゃあ、力いれるねー!」
手の中にある紅い珠を見ながら不安に思っていると霊脈組ではない奏楽が笑顔で黄色い珠を握りしめた。
『あ、いえ、奏楽さんは別に力を注がなくてもああああああああああああああ!』
力を譲渡する必要のない奏楽を止めようとした麒麟だったが途中で絶叫する。おそらく奏楽が流した力の量のせいだ。許容量を超えていたのだろう。
「んー、これぐらいかなー?」
『や、やめっ! それ以上は、は、はいらな――』
「どーん!」
『ああああああああああああああ!』
更に力を流す奏楽。何というか麒麟が気の毒だった。奏楽も叫ぶ麒麟が面白いのか嬉しそうにどんどん力を注いでいる。奏楽は霊力の量は膨大だが、子供だからか放出限界量が少ないのだ。今回、力を注ぐだけなので放出量は関係ないため、あんな惨事が起きたのだろう。
『……あんなにいれないでよね?』
「いれないよ……」
少しだけ声を震わせた朱雀を安心させるためにきちんと頷いておいた。
「奏楽ちゃん、ストップ」
「んー?」
暴走する奏楽を悟が止める。すると麒麟が泣き叫んでも力の注入を止めなかった奏楽が注入を止め、すぐに悟の方へ振り返った。
「もう十分だってさ」
「わかった!」
『はぁ……はぁ……悟さん、ありがとうございます』
「ああ、うん。どういたしまして」
姿は見えずとも声だけで疲労しているのがわかる。朱雀も小さく悲鳴を上げた。
『すぅ……はぁ……他の皆さまもこのように力を注いでください。奏楽さんちょっと驚かせさせちゃうかもしれません』
「びっくり? ひゃうっ!?」
首を傾げていた奏楽の体から一瞬だけ電撃が迸り、すぐに“奏楽の額から小さくて真っ白な角が生えた”。
「び、びっくりしたぁ……」
『申し訳ありません。ですが、このように繋がりを作ることで奏楽さんは私の力の一部を使えるようになりました。奏楽さん、試しに真上に“電撃”を放ってみてください』
「はーい!」
麒麟の指示を聞いた奏楽は勢いよくその場で万歳をした。その瞬間、奏楽の両手から大人の拳ほどの電撃が放たれる。そのまま電撃は黒いドームに激突し、スパークを起こした後、消滅した。
『基本的に私たちの力に“形”はありません。得手不得手はありますが、宿り主のイメージを基に能力が決定されます。奏楽さんの場合では……えっと、狩猟ゲームのイメージで電撃が使えるようになりました』
「ああ、あれか……でも、力に形がないってどういうことなんだ? 四神なら方角や五行なんかがあるだろ」
『あくまでも私たちは響さんの能力で生まれた存在……分霊のような存在なのです。本物と酷似していますが私たちは人工物であるため、本物が持っている力を扱うことは不可能です。人工的に創られた存在が本物の神の力を使えたら神様の存在意義がなくなってしまうのです』
悟の質問に麒麟は淡々と答えた。麒麟たちは響の能力から生まれた存在。そのため、色々な制約があるらしい。
「……よし」
霊脈組ではない奏楽に先を越されてしまったが、私も紅い珠に力を注ぐ。もちろん、朱雀を驚かせないようにゆっくりとだ。
『……うん、もう十分よ』
「え、これだけでいいの?」
想像していたよりも少ない力で繋がりができたらしい。そう言えば、何となく紅い珠との間に繋がりを感じる。
『元々、私たちは相性が抜群にいいから。じゃあ、行くわよ』
「ッ――」
紅い珠から何かが私の中に入って来るのがわかった。その何かは私の体を巡り、体の在り方を一部だけ変えていく。
『バッチリね』
自分の体の変化から数秒後、朱雀は満足げにそう言った。どうやら、終わったらしい。だが、自分の体を見渡しても奏楽の角のような体の変化は見受けられない。てっきり翼とか生えると思ったが。
「み、雅ちゃん!」
不思議に思っていると慌てた様子で駆け寄って来た。能力を使ったせいで疲れているはずなのにどうしたのだろうか。他の人も苦笑を浮かべていたり、目を逸らしたり、ため息を吐いている。
「後ろ!」
「後ろ?」
その場で振り返るが何もない。だが、その時、何だかお尻がいつもよりスースーするような感覚を覚え、視線をお尻へ向け、すぐに理解した。
「なっ……ッ!!」
綺麗なオレンジ色の羽がスカートから顔を覗かせている。奏楽の角のように私の体にも変化は現れていたのだ。現れてしまっていた。
『あ、ごめん』
「い、いやああああああああああああああ!!」
私の体の変化――“尾羽”に押し上げられたせいでスカートが捲れていたのである。