『本当に懐かしいわね。高校に通ってた頃はここで幻想郷に行ってたもの』
魂の中にいる吸血鬼も懐かしんでいるようだ。因みに吸血鬼の機嫌は何とか直した。その時に『1回だけ何でも言うことを聞く』という約束を交わされてしまい、どんなお願いをされるのか少しだけビビっている。狂気がいた頃、いつもあいつに罰を与えるのは吸血鬼だったから吸血鬼の怖さを知っているのだ。
『当時はまだ我と吸血鬼……そして、狂気しかいなかったからの。振り返ると色々なことがあったのぅ』
旧校舎の中を歩いている最中、吸血鬼とトールは思い出話に花を咲かせていた。時々、闇や猫から質問を受け、あることないこと教えている。もちろん、俺に関することは訂正するが狂気に関することは無視だ。
(……ほら、闇と猫のお前に対するイメージがどんどんカオスになってるぞ。早く訂正しなかったらとんでもないことになる。だから、出て来いよ。狂気)
あれから俺はそれなりに強くなった。昨日、霊夢と霊奈に頼んでいた物も届いて新しい技も使えるようになった。弥生との【憑依】も何とか使いこなせるようになって来た。こころとの『感情制御特訓』も続けていて今では般若の仮面を付けている状態で戦いながら世間話が出来るほどまでになった。後は――お前だけなのだ。
「狂気……」
旧校舎に訪れたことによって狂気に対する感情が溢れ、誰にともなく呟いた。今まで気にしないようにして来たが、やはりあいつが部屋に閉じこもったままなのは許せない。何とかして出て来て貰わなければ。
『……ん?』
俺の呟きを聞いて黙っていた皆だったが、不意に吸血鬼が声を漏らす。
「どうした?」
『今……後ろから足音が聞えたような』
「そんなはずないだろ。だって、生徒たちは悟たちが抑えてるはずだ。それに旧校舎なんて場所に人がいるわけ――」
そこまで言って振り返る。そして、俺は見てしまった。闇に紛れる人影を。
現在の時刻は午後6時半。そろそろ日が落ちて月が顔を出す時間帯。そのため、旧校舎はとても暗く、窓から差し込む光しか光源がない。
だからこそ、俺の目の前にいる人の容姿は見えなかった。その人影はゆっくりと俺の方に歩いて来る。
「誰だ?」
「……」
ファンなら俺が気付いた時点でアクションを起こすはずだ。しかし、目の前の人は何の反応も見せずにただ近づいて来る。そのまま、一番近くの窓の前で立ち止まった。まるで、自分の姿を俺に見せつけるように。
「なッ――」
俺は夢を見ているのだろうか。そうとしか言いようがない。
『嘘ッ……何で!?』
『こ、これは……どうなっておる?』
『あれぇ?』
『にゃにゃっ!?』
『ふむ……興味深いな』
魂の中で吸血鬼たちも驚いていた。無理もない。目の前にいる存在はそれほど不気味だったのだから。
別に見た目が異様な姿をしているわけではない。この学校の女子の制服。女子にしては高い身長。少しだけ鋭い目。整った容姿。黒い髪にポニーテール。そのポニーテールを結っている――紅いリボン。
「何で……俺がいる?」
俺の目の前に俺がいた。鏡に映したようにそこに佇んでいる。
「……」
目の前の俺は黙ったまま、じっと俺を見ていた。その表情は無。何も感じていないし、何も考えてもいないような顔。その顔はとても不気味だった。
(雅、霙、奏楽、弥生。聞こえるか?)
目の前の俺が動き出す前に式神通信を使って応援を頼む。嫌な予感がするのだ。目の前の存在から。いや、違う。俺と全く同じ気配だったのだ。あの4つの力が混ざり合った独特な気配。
「……?」
今すぐ来てくれと通信を送るが誰一人返信して来なかった。雅はともかく霙や奏楽、弥生は今、家にいるはずなので聞こえるはずなのに。
『響! 外を見るにゃ!!』
不思議に思っていると猫がそう叫ぶ。すぐに窓の方に顔を向けると外に薄い黒の膜が見える。
「これは」
あの膜は旧校舎を覆っているようでどこにも綻びはない。俺を閉じ込めておくかのように。
『あの時と似ているのぅ』
「……ああ、忘れもしない」
あれは霊奈と再会して間もない頃、暴走したルーミアと戦っていた時にルーミアが使ったドーム状の闇だ。あのドームのせいで俺は式神通信が使えず、霊奈と一緒にルーミアと戦うことになり、狂気と魂同調した。そして、結果的に狂気は自分の部屋に閉じこもってしまった。
『どうするの? 逃げる?』
吸血鬼が心配そうにそう提案する。
(ここで逃げたらこいつが校門にいる人たちを襲うかもしれない。それに……多分逃げられない)
これはただの勘だ。俺が逃げたとしても追いかけて来るとは限らないし、仮に追いかけて来ても関係ない人を襲わないかもしれない。だが、逆に言ってしまえば襲うかもしれないのだ。それに式神通信が使えない時点であの薄い膜は相当な力を持っていることがわかる。簡単に逃がしてくれるとは考えにくい。
「音無響」
「ッ……」
どうするか悩んでいると俺が俺の声で俺を呼んだ。まさか声をかけて来るとは思わなくて驚いてしまう。
「私は君の偽物。知ってる」
少しだけぎこちない口調でそう言った。どうやら、こいつは自分が俺の偽物だと自覚しているらしい。
「でも、他の人はわからない。入れ替わってしまえば」
「……ドッペルゲンガーってことか」
ドッペルゲンガー。自分とそっくりな姿をしていてドッペルゲンガーを見てしまったら死んでしまうと言う。今まさしく俺の目の前にいる俺がドッペルゲンガーなのだろう。
「大丈夫。殺しはしない。あの人のところへ連れて行くだけ」
「あの人?」
「私を作ってくれた人……安心して。入れ替わって私が君の代わりにこっちで暮らすから」
「作ったって……それってどういう――」
真相を問いただそうとするが、本能的に右に飛んだ。その後すぐに先ほどまで立っていた場所で赤い球が弾ける。霊弾だ。ドッペルゲンガーが撃ったのだろう。
「……話すことはもうないってことか」
これで向こうの意志もわかった。やはり戦うしかないようだ。
『気を付けてね。ドッペルゲンガーだからきっと響の使う技を使って来るわ』
『そうだな。響は手数が多いから大変そうだ』
吸血鬼の忠告に青竜が頷く。確かに俺の戦闘スタイルは手数の多さで臨機応変に対応するものだ。少しでも気を抜けば隙を突かれてしまう。でも、それは相手も同じ。
「「神鎌『雷神白鎌創』。神剣『雷神白剣創』。結尾『スコーピオンテール』。霊盾『五芒星結界』。魔眼『青い瞳』」」
右手に真っ白な鎌。左手には真っ白な直剣。ポニーテールの毛先は薙刀のように沿った白い刃があり、傍に五芒星の結界が1つ浮かんでいる。ドッペルゲンガーも俺と同じスペルを使った。青い瞳同士、見つめ合う。
「殺さないけど……動けなくなるぐらいまで痛くするよ。ごめんね」
「自分の偽物に負けるようじゃ守る物も守れやしない。本物の方が勝ってることを教えてやる」
腰を低くして構えると向こうも同じように構えた。
そして、ほぼ同時に前に跳躍する。自分を殺すために。
「……」
真っ暗な部屋。私は床に倒れていた。ベッドもなければ布団もない。
「……」
何もない部屋でやることと言ったら思い出に浸るぐらいしかない。
(楽しかったな)
自らこの部屋に閉じこもることを選んだ。それは後悔していない。そのおかげであいつを守っているのだから。
でも、叶うなら――もう一度、話したかった。そして笑い合いたかった。素直じゃない私が笑えるとは思えないけど。
『……それでいいのか?』
「……?」
不意に声が聞こえる。聞き覚えのない……いや、聞いたことはある。だが、誰の声だったか思い出せない。
『思い出さなくてもいい。今はお前のことだ。もう一度、問おう。それでいいのか?』
「……いいんだ、これで」
私が我慢すればあいつを傷つけずに済む。いっそのこと、消えてしまった方が良かったのかもしれない。
『その行為が……いや、その思考そのものが人を傷つけるとは思わないのか?』
「……」
『お前はただ自分のせいで人が傷つくところを見るのが怖いだけだ。人のためなんかじゃない。自分のために殻に篭ってるだけなんだよ』
「……放っておいてくれ」
結局、声の主はわからなかったが鬱陶しい。確かに、あいつならこんな私がいなくなっても傷ついてしまいそうだ。しかし、私がまたあそこに戻れば余計、あいつを傷つけることになる。
『……はぁ。本当は誰に知られずにここからあの子の様子を見てたかったんだけど……仕方ない。ちょっと待ってろ』
謎の声はため息交じりにそう言った後、どこかへ行ってしまったようだ。
「何だったんだろう、あいつ」
『教えるつもりはない』
「……まだ居たのか」
『裏で絶賛作業中だ。その間に世間話でもしよう』
「……はぁ、しょうがないな。付き合ってやるよ」
どうせ、やることもない。暇つぶしだ。
『そうだな……まずは俺の話を聞いて貰おうか』
「好きにしろ」
『……俺は、酷い奴だったよ。守りたい物があった。けど、それを守るために守りたい物を傷つける方法しか思いつかなかった』
そう切り出した謎の声。少しだけ、私は謎の声の話に興味を持った。
何となく、私と謎の声は似ていると感じ取ったから。