「……何だよ、これ」
俺は目の前に広がっている光景をただ呆然と眺めることしか出来なかった。
「……にゃー」
そして、俺の呟きに応えるかのように頭の上で小さな黒い翼が生えていて、尻尾に紅いリボンが括り付けられている黒猫が鳴く。
「え、えっと……」
一体何があったのか、まだ頭が働いておらず、思い出せない。
(確か……)
そう。そうだ。俺は幼馴染と待ち合わせをしていたはずだ。そして、あいつが来て――。
「……ん?」
その後の記憶がない。
「にゃー」
「さて……どうしたものか……」
頭の上に乗っている黒猫を撫でながらもう一度、記憶を辿ってみた。
(今が午後2時だから……2時間前か?)
今日、正午に大学近くの公園で俺は――響と待ち合わせていたはずだ。
「あ……」
やっと全てを思い出した。あの時、俺は――。
「ふわぁ……」
公園に向かっている最中に思わず、欠伸を漏らしてしまう。昨日、望から悟の話を聞いてあまり眠れなかったのだ。
(あいつが、俺の秘密に気付き始めてる……か)
これでも慎重に行動して来たと自負しているのだが。
(しかも、その次の日に遊ぶ約束……偶然か?)
いや、それはないはず。今日、遊ぶ約束したのは1週間前もの話だ。昨日のことを見越して約束したのならば、悟はとんでもない奴だろう。
「はぁ……」
まぁ、今は何とも言えないので様子を見ることにする。とりあえず、悟と合流しよう。
そう思いながら歩いていると待ち合わせ場所である噴水が見えて来た。そして、そこにはキョロキョロしている幼馴染の姿がある。
(……あいつ、いつも俺より先に来てるよな)
悟よりも先に待ち合わせ場所に着いたのはフランがこっちに来た時に遊びに行った遊園地ぐらいだ。
「ん? あ、響!」
向こうも俺に気付いたのか、笑顔で右手をあげ――。
「え? あ、ああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
――ようとして、スキマに落ちて行った。
「……は?」
あまりにも突然すぎて俺は反応することすら出来ずにその場で呆ける。
「スキマ?」
ハッとして辺りを見渡すが誰もいない。
(あのやろうっ……人払いの結界を!?)
スキマを使ったということは紫が犯人だ。
「何考えてんだよ……」
スキマ妖怪の考えが読めず、ため息を吐く。そして、すぐにPSPを装着してスペルを宣言し、幻想郷へ向かった。
「んー……」
響を見つけて手を上げようとしたら突然、浮遊感に襲われたところまでは思い出した。しかし、その後の記憶はない。何かに落ちた瞬間、気を失ってしまったようだ。
「どうするかな……」
「にゃー」
俺の呟きに対し、頭の上にいる黒猫は一つ、鳴いた。目が覚めたら目の前にいたのだ。ずっとこっちを見ていたので何となく、頭の上に乗せたのだが、気に入ったのか全く暴れない。可愛い奴め。
(しかし……この状況は)
突然の浮遊感。先ほど確認したが、携帯は圏外で使えない。そして、何より――。
「――森の中だよなー」
俺は森の中で迷子になっているのだ。
「にゃにゃー」
ポンポンと黒猫が俺の頭を叩く。
「……」
そう言えば、どうしてこの黒猫には小さな翼が生えているのだろう。普通はありえないのだが。
「……まさか?」
しかし、俺にはたった一つだけこの状況に陥った原因に心当たりがある。
「スキマ……八雲 紫」
そう。あのスキマ妖怪ならば俺をスキマ送りにし、森の中に取り残すことが出来る。森と言うよりも、幻想郷と言うべきか。普通ならば、鼻で笑って無視する推測だが、この猫は普通の猫ではない。幻想郷に住んでいる妖怪だったら、全ての筋が通るのだ。
「本当に、いるとはなぁ」
1年前の文化祭で一瞬だけだが、八雲 紫の存在を疑ったことがある。現実味が無さ過ぎて本気にしなかったけれど。
(……そして、その八雲 紫と響が繋がってるって可能性も、な)
思わず、ため息を吐いてしまう。
「まずは、この森から出ようか」
「にゃー」
落ち込んでいても意味はない。仕方なく、俺は黒猫を乗せながら歩き始めた。
「あー……疲れた」
それから1時間。出口が見つからない。
「にゃー……」
俺の頭で猫も疲れたような声を漏らす。
「お前、歩いてないだろ?」
「にゃにゃにゃ!」
「頭の上にいても疲れるのか?」
「にゃ」
「そんなもんか」
猫に集中していたので目の前が疎かになっていた。気付いた時には周囲が真っ暗になったのだ。
「何だ?」
「にゃにゃっ!?」
まだ、時刻は午後3時。まだ日が落ちるのは遅い。それなのに、こんな前触れもなく暗くなるだろうか。
(……いや、違う。これは……)
「ん? 誰か、入ってきたみたい?」
前方で少女の無邪気な声が聞こえる。
「にゃにゃにゃあ!」
「シッ……気付かれる」
「にゃ……」
騒いでいた猫を大人しくさせる。この暗闇の原因である彼女自身も俺たちの姿は見えない。だが、声などでこちらの居場所を特定される可能性があるのだ。
「……珍しい。人間なのに騒がないなんて」
「「……」」
「なら、匂いで探すか」
「ッ!」
マズイ。このままでは彼女に気付かれてしまう。
「にゃー?」
小さな声で猫が俺に問いかけて来る。『どうするの?』と言いたいのだろう。
「……大丈夫。何とかなる」
いつだって俺は諦めなかった。響が失踪した時だって、俺は信じて待っていた。だから、今回も俺はこの危機を乗り越えられる。
「あ、いた。美味しそうな人間と……ん?」
「にゃっ!」
猫が慌てているが、無視した。
(ここは森だ。下手に動いたら木に当たってそのまま、喰われる……)
集中しろ。彼女の――ルーミアの気配を感じ取るのだ。
「まぁ、いいや。人間の方は食べてもいいよね?」
「……そうは問屋が卸さないぜ」
そう言ってから俺は駆け出した。ルーミアに向かって。
「え?」
俺が走り出すとは思っていなかったようでルーミアは目を見開いて驚いていた。その横を通り過ぎる。
「あ、匂いが離れて行く! 待て!」
「待つか!」
振り返るとルーミアは涎を垂らしながら追って来ていた。
「猫、しっかり、捕まってろよ!」
「にゃ」
猫の返事を聞いて俺は更にスピードを上げる。昔から足の速さには自信があるのだ。
「待てー!」
元気な声でルーミアが叫ぶ。
「……」
それに無言を通して、ひたすら走り続ける。もちろん、目の前に迫って来る木を避けながら。
(どうなってんだ?)
そんな中、俺は戸惑っていた。
暗闇でも、見える。目の前に何があるのか、わかる。
そう、普通ならば何も見えないはずなのに、俺には全てが見えていた。普段通りとは言えないが、それでも見える。真っ暗なのに、見える。そんな矛盾に俺はただ、困惑していた。
「にゃ!」
その時、猫が俺の髪を右側に引っ張る。咄嗟に軽くジャンプして右にずれた。
「ッ……」
すぐに紅い弾が俺たちを追い越す。ルーミアが弾幕を放ち始めたのだ。
「にゃにゃ!」
今度は左に引っ張った。同じようにずれると同じように弾が通り過ぎる。
「サンキュ」
「にゃ」
小声でお礼を言うと猫は『気にすんなよ』みたいにポンと俺の頭を軽く叩いた。
「当たらない? んー、じゃあ、もっと!」
俺に命中していないことに気付いたようで、ルーミアの弾幕が激しくなる。猫も連続で俺の髪を引っ張った。
(どうする?)
例え、森を抜けたとしてもこの暗闇から逃れられるわけではない。何とかしてルーミアの足(飛んでいるので足ではないが)を止めなければ――。
「……そうか」
俺には見えているが、ルーミアにとってここは暗闇。俺の匂いを辿っているから木にぶつかっていないだけなのだ。
(なら)
目の前に迫った木を右にずれることで躱す。すかさず、左にずれた。
「待てー! むぎゃッ!?」
後ろから痛そうな音が聞こえる。ルーミアが木にぶつかったのだ。
「にゃー!」
『今のうち!』と言いたいらしい。
「わかってる!」
振り返ることなく、俺は全力疾走でルーミアの暗闇から脱走した。