その女の子はとても、儚くて今にも消えてしまいそうだった。
「貴方はだぁれ?」
僕が放心している事に気付かなかったのかもう一度、同じ問いかけをする女の子。
「え、あ……キョウだよ」
「キョウ?」
「うん。君は?」
「私?」
ゆっくりと首を傾げてすぐに首を横に振った。
「名前、ないの?」
「うん。ない」
名前のない女の子。それにこれほど小さいのに夜の森にいる。
「ど、どうしてこんなところにいるの?」
「私の産まれた場所だから」
女の子は僕から目を離して空を見上げた。その目に寂しさの色が滲み出ている。
「それってどういう――」
意味がよくわからなかったので質問しようとしたが、後ろに気配を感じた。それと同時に草むらが揺れる。
(何か……いる?)
女の子も首を傾げて草むらの方を見つめていた。
「がぅッ!!」
「えっ!?」
草むらから飛び出したのは妖怪だった。二足歩行なのは見た目でわかったが、それ以外は“奇妙”としか言えない姿をしている。その妖怪が僕を飛び越えて女の子に襲い掛かった。
「危ない!!」
慌てて叫ぶが、まだ女の子は不思議そうにその妖怪を見ている。気付いた頃には駆け出していた。間髪入れずに背中の鎌に右手を伸ばし、横に薙ぎ払う。
「がッ……」
目の前の景色が一瞬にして変わっていた。まるで、瞬間移動でもしたかのような感覚。いつの間にか立ち膝を付いて右腕を横に伸ばしていた。そう、鎌を左から右へ振り切ったのだ。
「だ、大丈夫!?」
疑問がたくさん浮かんだけど、まずは女の子の安否の確認が最初だ。立ち上がって辺りを見渡す。そして、振り返ったその先に信じられない光景が広がっていた。
「――」
体が上から半分しかない妖怪の前で女の子が何かを唱えている。きっと、妖怪を殺したのは僕だ。鎌を見ると鞘が消えていた。どうやら、鎌を振るスピードが一定の速度を超えると透明化し、刃がむき出しになるようだ。その事に気付いた時、鞘が鎌を包み込んだ。鞘が透明化出来るのは長くて1分弱らしい。
「あ、あの?」
「――――」
とりあえず鎌を背中に戻した後、ボソボソと呟いている女の子に声をかける。だが、女の子は妖怪の死体をジッと凝視したままでこちらを見向きもしない。もっと近づいて話しかけようと足を動かした刹那、妖怪の体が白く輝き始めた。
「え?」
「――――――」
女の子が何かを呟く度、死体を包み込んでいる光が強くなっていく。何が起きているか全くわからなかったので、思わず後ずさってしまう。すると、妖怪の体から一つの白い煙のような物が出て来た。
(何だろう? あれ)
ゆらゆらと揺れたそれは何かに導かれるように女の子に近づいて行く。
「いらっしゃい」
少しだけ微笑んだ女の子は立ち膝を付いてその光を両手で包み込むように掴むと自分の胸へと押し付けた。
「?」
その行為の意味が分からず、首を傾げる僕。そのまま、数秒経った後に女の子がこちらを向いた。すぐに立ち上がってこちらに近づいて来る。その頃には妖怪の死体を包んでいた光は消え失せていた。
「……ありがとう」
お礼を言いながら頭を下げる女の子。
「い、いや……当然だよ」
妖怪を倒した事に対してだと思った僕は頭を掻きながらそう言い訳する。しかし、女の子は首を横に振った。
「友達、ありがとう」
「とも、だち?」
「今、アナタがくれた」
つまりたった今、僕がこの子に友達を作ってあげた。
「え? で、でも僕は何も……」
そんな事をした覚えはなく、混乱する。その様子を見ていた女の子が振り返って妖怪の死体を指さした。
「あ、あれが友達?」
「あれは抜け殻。中身が友達」
「???」
意味が分からず、頭の上にはてなを浮かべる。また、口を開こうとした女の子だったが、その背後に別の妖怪がいた。しかも、今にも飛びかかろうとしている。
「しゃがんで!」
僕が大声で指示すると首を傾げたまま、女の子がしゃがむ。それと同時に僕と妖怪が前に跳んだ。
「はぁっ!」「バゥ!!」
ジャンプした状態で鎌を縦に振る。しかし、妖怪は空中で体を捻ってそれを躱した。そのまま、妖怪とすれ違って地面に着地する。すぐに振り返ると妖怪が女の子に襲い掛かっていた。
「避けて!!」
「……」
僕の叫びも空しく、女の子は飛びかかって来ている妖怪を見つめる。もうダメだと思ったその刹那――女の子と妖怪の間に白い壁が出現した。その壁に勢いよく突っ込んだ妖怪の歯が辺りに散らばる。
「このっ!」
怯んでいた妖怪の隙を突いてもう一度、鎌で斬りかかった。今度は躱される事なくその体に一本の切傷を付ける事に成功する。
「ッ……」
妖怪は悲鳴を上げる事もなく、その場に崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……」
こんなすぐに妖怪と戦う事になるとは思わなかったので息が荒くなる。今になって自分がした事に気付いた。
(……殺しちゃった。それも2匹)
今までにも生き物を殺した事ならある。蜘蛛とか蚊とか。だが、これほど大きな生き物を殺したのは初めてだった。今更、恐怖が僕の心を蝕む。
「大丈夫?」
「……え?」
震えていると前から女の子が声をかけて来る。
「多分……」
「……そう。友達、ありがとう」
女の子がまたお礼を言った。僕が怯えている間にあの儀式のような事を終えていたようだ。
「……うん」
何となくわかった。女の子が言っている『友達』とは『魂』の事だ。きっと、あの白いのが妖怪の魂なのだろう。女の子には能力があってそれを使って自分の魂に妖怪の魂を取り込んだのだ。だから、“友達”。
「少し、聞いてもいいかな?」
「うん」
何故か悲しくなった。女の子はここで産まれてずっと独り。やっと、見つけた友達はすでに死んだ魂。それでは悲し過ぎるではないか。
「生きた友達、いる?」
「皆、生きてる」
「違う。僕みたいにって事」
「……いない」
俯いたまま、女の子が答える。
「じゃあさ? 僕と友達に――」
『ならない?』と言いたかったが、その時に突然、僕の身体が紅く光り輝いた。
(な、何これ!?)
「どうしたの?」
女の子が首を傾げる。この光は僕にしか見えてないようだ。どんどん、光が強くなる。混乱していたが、これだけは分かった。
このままでは女の子と一生、会えなくなる。
「いい? 絶対、僕はもう一度君と出会う!」
「え?」
「お願いだ。それまで待っていて欲しい! 会えたら、いっぱい友達を作ろう! いっぱい、遊ぼう! 一緒に!!」
気付けば、そんな事を言っていた。
「待つ?」
「そう! 絶対に君のところに戻って来るから!」
気持ちが先走って右手を伸ばす。女の子も最初は首を傾げたが、すぐに右手を伸ばしてギュッと握った。
「……わかった」
その言葉を聞いた瞬間に光が強くなり、目を開けていられなくなった。しかし、最後に見た女の子の表情は笑っているようだった。
「……」
ゆっくりと目を開けると辺り一面、真っ白だった。
「響。来るわ」
「……ああ」
右隣にいた吸血鬼にそう言われ、状況を思い出す。長い夢だった。
「それにしても……いつ来ても殺風景だな」
左から狂気の呟きも聞こえる。
「まぁ、魂の中だからのう」
吸血鬼の隣に立っていたトールが苦笑いしながら答えた。
「さて……わかってるな?」
「もちろん」「見くびるな」「わかっておる」
俺の問いかけに3人が同時に頷く。それに間髪入れず、目の前に何かが出現した。
「――」
俺の頭では理解できない言葉を発する敵。そう、『奏楽の中にいる幽霊の残骸』。残骸のシルエットは奇妙だった。黒、灰色、紺色の3色が混ざり合ったような色をしていてオーラのように波打っている。それにとても大きい。見上げるほどだ。観察していると見つけた。ここからだとよく分からないが残骸の中に奏楽が膝を抱えて眠っている。あれが“核”だ。
「核となる部分以外を攻撃。絶対に核だけは壊すなよ!」
「「「了解!」」」
この残骸が奏楽の力を強くしている原因だ。負の感情がそうさせている。
(絶対に助けてやるからな……)
俺は奏楽と2回、約束していた。それも同じ内容。
「行くぞ……残骸」
俺の右手に現れたのは小さい頃、小町から貰ったあの小ぶりの鎌だった。それを力強く掴み、縦に振る。すると、鞘が消えて美しい刃が露わになった。
「あの子の為にも頑張らなくちゃね」
「ふん……」
吸血鬼が翼を大きく広げながら呟き、狂気は腕を組みながら体に黄色いオーラを纏わせる。
「子供を守るのが大人の役目じゃからな」
槌を構えながらトールがそう言い、残骸が凄まじい咆哮を放つ。
長い、長い戦いが始まった。
「……」
響の部屋を後にしてから5時間が経過した。時刻は午後4時。あれから何も報告がない。確かめに行きたいのが、何故か行かない方がいいと思った。きっと、紫が人避けの術でも使っているのだろう。
「み、雅ちゃん……まだやるの?」
「まだまだっ!!」
そんな事よりもゲームで望に勝ちたかった。
「だって……もう、4時だよ? 勉強しなきゃ」
「勝ち逃げは許さないよ! まだ、一度も勝ってないんだから!!」
「ええ~……」
望がギブアップしたのはあれから3時間後、午後7時になった時だった。さすがに集中力が持たなかったようでギリギリで勝つ事が出来たのだ。その間でも響と奏楽は1階に降りて来なかった。さすがに不安になった望と私が呼びに行く事になったのだが、2階に行こうと思えるから人避けの術は解けているはずだ。
「しつれいしま~す……」
ノックをしても返事がなかったので望がドアを開けた。部屋は真っ暗で中の様子がよくわからない。
「ん?」
響のベッドの方から物音が聞こえたのでそちらの方に向かう。
「あ」
そこには仲良く響と奏楽が眠っていた。望と目を合わせて思わず、吹いてしまう。
「このまま寝かせてあげよっか」
奏楽の頭を撫でながら望。
「そうだね」
奏楽を観察すると数時間前よりも霊力が明らかに少なくなっていた。成功したらしい。安堵の溜息を吐いてから望と一緒に部屋を出た。
「晩御飯どうする?」
望に問いかけると少し、悩んで答える。
「じゃあ、私が作るよ!」
「……」
どうやって、望の手料理を食べずに済むか考えなければいけないようだ。