二人の鬼   作:子藤貝

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少女は戦う。少年は止めようとする。
邪悪なバケモノに、少年は立ち向かえるのか。


第六話 新たなる決意

「くっ! アスナ、目を覚ませ!  俺はお前と戦いたくなんて無い!」

 

「言いたいことはそれだけ?」

 

アスナの拳がナギへと迫る。一見すれば少女の華奢な手では、前線で常に戦ってきた『赤き翼』のリーダーであるナギに、ダメージなんて入るはずがない。確かに体重を載せたいい拳だが、受け止められない程ではない。ナギはアスナの拳を受け止めようとして。

 

(っ! 何かやべぇ!?)

 

咄嗟に腕をクロスさせ、ガードを行う。アスナの拳は確かに、ナギに直接的にはダメージを与えなかった。衝撃や威力で腕が痺れるわけでも、折れたわけでもない。

 

だが。

 

「ハッ!」

 

「ぐぅっ!?」

 

気合の入った声とともに、アスナは更に拳を押し込む。すると、ナギの額に脂汗が湧く。殴られると同時に、凄まじい痛みとともにガードに使った腕から白煙が上がっていた。ナギの服の袖が、そして肌が焼けていたのだ。ただの拳による攻撃では、決して起こり得ない現象。

 

(な、何だこりゃあ!?)

 

ナギは内心驚きを隠せないでいた。数カ月前までは、虫も殺せないような非力な少女であったはずが、行方をくらませている内に全く別人のように振舞い、そしてナギにダメージを負わせるほどになっていたのだ。驚く他ないだろう。アスナの、次の攻撃が迫る。

 

 

 

 

 

「ククク、大分"仕上がって"きたな」

 

「……傷を、負わせた……」

 

「オー、ヤルジャネーカ」

 

上空では、相変わらずエヴァンジェリン一行が戦闘の様子を眺めていた。エヴァンジェリンは所業の成果が発揮されていることに満足し、チャチャゼロも感心した様子だ。

 

ただ、鈴音は無言でアスナの動きを見つめている。動きの無駄は少なくなったが、まだまだ体捌きに難があるため、今回の戦闘を終えた後は鈴音と模擬戦を行なってそれらの不安要素を潰していく予定であるため、アスナの動きを逐一観察しているのだ。

 

「デモヨ、今ノアスナノ動キデ、ナギノ野郎ニ勝テルノカヨ?」

 

「無理だな」

 

「……不可能……」

 

「ソリャソーカ」

 

相手は常に戦場で戦ってきた強者。経験値が圧倒的に違う。今のナギは困惑によって手加減をしているが、そのうち本気を出してアスナを気絶させつもりだろう。

 

「ふむ、もう少し様子を見てみるかな」

 

「……マスター……」

 

「ん? どうした」

 

アスナの動きを眺めていた少女の言葉に、エヴァンジェリンは返事をする。彼女のことだ、何かを察知したと見て間違いないだろう。だが、彼女の返答は予想の斜め上をいくものだった。

 

「……アスナが……」

 

「アスナがどうかしたか?」

 

「……宙返りで、下着が……見えました……」

 

「……………………」

 

沈黙。正直、コメントに困るエヴァンジェリン。チャチャゼロはといえば、もう慣れたといった風で、無視してアスナを見ていた。

 

「……とりあえず帰ったら教育だな。さすがに恥じらいぐらいは覚えさせんと……」

 

「……私も、手伝う……」

 

「鈴音、お前もだ。ええい、戦闘ばかり学ばせていたせいで情操教育の方を疎かにしてしまったか!」

 

「オ、ナギノ野郎ガ動キダシタナ」

 

眼下では、既に状況が動き出していた。

 

 

 

 

 

場面は少し前。先ほどの戦闘の続きから。

 

(やべぇ、腕がまるで火傷したみたいになってやがる。このままにしとくと腕が……!)

 

腕を蝕む何か(・・)は、彼の腕を少しづつ、しかし着実に火傷を広げていた。ナギは手に持った長大な杖を自身の、火傷を負った右腕に向け。

 

「確か……ものみな焼きつくす、浄化の炎! 破壊の主にして、再生の微よ、我が手に宿りて敵を喰らえ!」

 

唱えるのは、炎熱系の魔法。ナギは魔法使いとしては破格の魔力と、天性の才を持ってはいるが、得意系統の魔法はあまり扱えない。それでもこうして呪文を唱えられるのは、この数カ月の特訓の成果の賜物だ。

 

アスナを誘拐された彼は自身の実力の不足を憂い、ゼクトの指導のもと、『赤き翼』の面々らで特訓をしていたのだ。ゼクトから指摘された、魔法のバリエーションの少なさをカバーするため、少しでも多くの中級以下の魔法を学んだ。勉強が苦手なナギだが、今回は必死になって学んだため、未熟ながら何とかものにすることができた。

 

「『紅き焔』!」

 

その中でも、比較的早く習得できた魔法がこれだ。掌から放つには未熟であるため、杖を通じて行わなければならないが、そこそこの威力は期待できる。しかし、ナギはそれをなんと、自らの腕に放った。

 

「ぐっ……!」

 

腕に放たれる、強力な炎。それは腕を蝕んでいた何かを焼きつくし、腕に更に痛々しい火傷をつくりながらも、何とかじわりじわりと広がり続けていた火傷を止めることに成功した。

 

「『治癒』……」

 

今度は、初級魔法である癒しの呪文を言葉に紡ぐ。すると、柔らかな光が腕を包み、ナギの腕から徐々に痛みが引いてきた。火傷の痕はそのままだが、後で治癒術師に頼めば、あとひとつ残らず治療してくれるだろう。

 

(よし、ひとまずはこれでいいはずだ……)

 

だが、ここは戦場であり今は彼女と相対している最中で、それは十分な隙となる。

 

「油断大敵だよ」

 

アスナが素早い動きで、ナギへと迫ってくる。『魔法無効化(マジックキャンセル)』を有するアスナがどうやって魔法を行使しているのかは分からないが、一流の近接戦闘技術を持つナギから見ても、動きに無駄が少ない。空気抵抗を減らすため体を直線的にして動いている。並の人間では意識してもできないようなことを、アスナは平然とこなしている。

 

「はや……!」

 

「せいっ!」

 

今度は、スピードを乗せた軽やかな蹴り。これも一見すれば、少女相応の可愛らしい攻撃に見えてしまうのだが。今度は、ナギはその異様さに気づいた。

 

(ヤバい!)

 

彼を幾度と無く救ってきた直感は、再び彼を極悪な一撃から遠ざけるに至った。咄嗟に蹴りを中空で屈むことで躱し、頭上スレスレを彼女の蹴りが通り過ぎていく。僅かに掠めた髪の先が、なにか強力な熱でも受けたのかのように、焦げ臭い匂いを放つ。

 

「チッ、いつの間に魔法なんて覚えたんだよっ!」

 

応戦しないと、下手をすれば再起不能にされる。そう判断して、ナギはアスナと納得いかないながらも戦闘を開始した。先ほどのお返しとばかりに、ナギも拳を固めて放つ。ただ、アスナが相手であるため手加減はしてあるが。

 

「私、魔法なんて(・・・・・)使ってないよ(・・・・・・)

 

しかし、アスナはそう言いながらナギの拳を軽やかに跳んで躱す。ナギの頭上を宙返りしながら、後頭部目掛けて(かかと)で蹴る。

 

人体の全体重を一身に受ける足は、腕よりもはるかに筋肉密度が高く、腕ほど精密な動きは期待できないがその分拳よりも蹴りの威力は高い。加えて、最も分厚い皮膚と太い骨が存在する踵は人体でも硬い部位。女子供であっても、全力で側頭部などを蹴れば大人も失神させることができる。

 

「危ねっ!?」

 

拳を放った直後であったため、腕によるガードは間に合わないと考え、おもいっきり仰け反る。顔面まで後数㎝といったところを蹴りが通過し、鼻先を風圧がかすめる。何とかなったと安堵し、仰け反ったままで見てみれば、アスナはなんと腕で空間に着地し、自分がスカートであることも気にせず腕を軸として横薙ぎの回転蹴りを強引に実行。

 

このままでは仰け反ったせいで再び頭部が蹴りの餌食になりかねないと、ナギは蹴りを避けるために更に後ろに倒れた。いや、より正確に言えばそのまま中空で逆さになったのだ。これにより、アスナの攻撃は再び躱されてしまった。

 

もし起き上がろうとすれば回転蹴りは足を狙われて躱せなかっただろうし、今の咄嗟の行動も、もしここが地面であればナギは成すすべなく餌食となっていただろう。

 

「い、今のはやばかった……」

 

未だ生きた心地がしないナギであったが、それよりも気になったのは先程の言葉。

 

「魔法を使ってない……? 冗談だろ、あんな妙な戦い方、魔法でもなきゃ説明がつかねぇぜ」

 

アスナに問いかけるナギ。アスナはといえば、躱されたことが不満なのか、口を尖らせている。なんとも可愛らしい仕草ではあるが、そんな顔になった理由がナギに攻撃をかわされたという物騒なことからであるため、全く微笑ましくない。

 

「やっぱり、経験が足りないかな……マスターも言ってたし」

 

「……なる程な、お前を鍛えたのは『闇の福音』ってわけか。道理でいい動きするわけだぜ。つーか無視すんな、お前ホントは魔法使ってるだろ」

 

「え、無理に決まってるじゃない。私は『魔法無効化(マジックキャンセル)』」能力持ちなんだよ? 私はそもそも魔法が使えない(・・・・)んじゃなくて魔法と相性が最悪(・・・・・)なのに」

 

「……」

 

確かにそうだろう。アリカ曰く、強力な『魔法無効化』はデメリットも大きく、魔法を生まれながらにして行使できない体だという。精神力や生命エネルギーである魔力操作や気は扱えるらしいが、魔法や呪術はそれらを利用して"現象を具現化したもの"であり、既にエネルギーではなく擬似的な現象そのものであるため、能力が自動的に干渉するらしい。

 

そもそも、『魔法無効化』自体が未だ謎に包まれた能力であり、詳しいことははっきりとしていないのが実情である。何故普通の魔法は無効化できるのに空間系や幻術は無理なのか、通常の魔法を無効化する原理は何なのか。能力者が希少であるのと、能力が弱いものでは魔法を扱える者も実在しており、更に研究を複雑化させているのだ。

 

「……まあいいさ。お前をとっ捕まえて、それで終わりだからな」

 

「できると思う?」

 

「ああ。だってなぁ……」

 

何の変哲もない会話。しかし気づけば、ナギがアスナの目前にいた。

 

「っ!? 速い……!?」

 

「もう手加減なんざしねぇ……余裕こいてたら、また俺は何かを失っちまうからなぁ!」

 

彼が行ったのはただの虚空瞬動。だがその入りは全く気配を感じさせないものであり、経験値が圧倒的に足りないアスナは、それに反応できなかった。

 

「おらっ!」

 

「ぐぅっ!」

 

ナギの強化された蹴りを、何とか受け止めようとしたが、さすがに本気を出したナギ相手では分が悪すぎた。そのまま吹き飛ばされてしまい、空中できりもみしながら数十メートル先でようやく止まる。

 

(強い……!)

 

ガードしたはずなのに、ダメージは甚大であった。これが、一流の戦闘力を有する相手。さすがにアスナも戦々恐々とし、額からは緊張からの汗が流れ出していることに気づく。鈴音やエヴァンジェリンと実践的な修行を積んできたアスナだが、それはあくまで数ヶ月。加えて、修行であるため手加減がもちろんあった。

 

だが、目の前の男は違う。本気で自分を倒すために攻撃をしてきたのだ。

 

「どうしたアスナ。これぐらいでへばってちゃ、俺は倒せねぇぞ」

 

「……よく分かった。ナギが強いことは」

 

「だったら、こんなくだらない事はやめて俺達のところに帰って来い! 今ならまだ、『闇の福音』に誑かされたって言い訳ができるはずだ!」

 

「冗談言わないでよ。私は……」

 

勝てる相手ではないことはよく分かった。だが、それで引く理由にはならない。

 

「誇り高き悪のシモベ!」

 

 

 

 

 

「いかんな……特攻する気か」

 

倒せないなら、せめて相打ち狙い。エヴァンジェリンと出会って、以前よりもいくらか感情豊かになったアスナは、どうも非常に負けず嫌いであり、そして多少の無茶でも押し通す我の強さがあることが分かった。そのまま健やかに成長していれば、快活な少女であっただろう。

 

「……でも、無理……」

 

「ダナー。捨テ身ノ攻撃ナンザ格上相手ジャ通用シネーヨ。油断シテレバ別ダガナ」

 

非情ではあるが、彼らの言葉は正しい。慢心していない格上相手では、たとえ特攻しようとも相打ちすらさせてもらえない。軽くあしらわれて終わりだ。

 

「仕方ない、ここまでだな」

 

エヴァンジェリンは傍観することをやめることを決め、鈴音とチャチャゼロに指示を出す。

 

「行くぞ、今度は私達が挨拶する番だ」

 

 

 

 

 

「は、放してよ!」

 

「どうどう、暴れるなよ」

 

特攻を仕掛けたアスナだが、エヴァンジェリン達の予想通りナギに躱され、その上そのまま捕まってしまったのだ。

 

「帰ったら、じっくり話を聞かせてもらうぞ?」

 

意地の悪い、しかし底抜けに明るい笑みを浮かべながらナギは言う。アスナはそれを見て、何も感じ(・・・・)なかった(・・・・)

 

(そっか、やっぱり私は……)

 

アスナはしみじみと、ああ、自分はもう彼らとは違うんだなと思った。もはや彼らに、彼に対する憧れは霧散してしまったんだと。

 

もう、彼らとともにいる理由もない。アスナは、ナギの腕から脱出する策を必死になって考え。

 

「……ねぇ」

 

「んー? 何だ?」

 

「ナギってさ、"魔法"について考えたことって無い?」

 

「なんだよ、藪から棒に」

 

アスナは、会話による時間稼ぎを行う作戦に出た。会話内容は、エヴァンジェリンが以前、『旧世界(ムンドゥス・ウェストゥス)』から持ち込んだ書物を呼んでいた時に、自分が興味を示して発展した会話の内容。

 

「マスターが言うには、魔法はある種の『錬金術』、らしいよ」

 

アスナは話を始める。彼女のマスター、『闇の福音』から聞いた話らしいのだが、曰く、魔法、呪術は魔力や気という、通常よりも強大なエネルギーを用いて行う。これによって通常の熱エネルギーや光エネルギーをはるかに凌駕する、それこそ核エネルギーに匹敵するようなエネルギーが現象を発生させる触媒、呼び水となったり、それらを人工的に実現できるのだ。

 

訓練すれば誰でも扱える手軽なエネルギーでありながら、一見すれば対価に明らかに吊り合わない現象を行使できるのは、対価そのものが強力なものであり、等価値足りえるかららしい。水を電気分解すれば、つまり電気エネルギーを用いれば水素と酸素に変化するように、魔法もまた、魔力というエネルギーで実現する現象なのだ。

 

「そして、私の能力はそういった現象への移行、或いは既に実現された現象を強制的に"リセット"するらしいよ」

 

「……ええと?」

 

アスナは、ヤレヤレといった風に溜息をつきながら。

 

「ナギってさ、予想以上にバカだったんだね」

 

「悪かったな! どうせ魔法学校は中退だよ!」

 

アスナの毒舌に、ナギも思わず叫ぶ。自分がバカであるという自覚はあるが、さすがに見た目10歳かそこらの少女に言われたくはなかった。

 

「……話を続けるけど、魔法や呪術が『創造する』力なら、私の能力はそれと正反対の『破壊する』力。魔法が"正"なら私は"負"なの、電気のプラスマイナスみたいにね」

 

「マイナスの力……」

 

「プラス同士、マイナス同士は反発しあうからそれによってエネルギー同士の激突が起こって現象を発生させるの。で、私の能力はマイナスで、魔法がプラスだから互いに引き合って現象を0に変換しちゃうんだって」

 

破壊する力同士では、創造をすることはできない。だが、魔力や気という、強大すぎるエネルギーが存在してなおエネルギーバランスの均衡が保たれているのは、そういった天秤を保つ重要な役割を持つこの"負の力"があるためらしい。魔力、気を分解して、世界に還元する。

 

そうやって世界は常に循環を果たしていると、エヴァンジェリンは言っていた。ちなみに魔法使いなどにもそれが微弱ながら存在し、その力を無意識のうちに利用して魔法をレジストしているという。

 

「まあ、『魔法無効化』同士はマイナスだから創造の現象を起こさずに、消滅の現象を循環させちゃうらしいけど」

 

アスナの話でチンプンカンプンといった風のナギ。そんな時。

 

「ほう、興味深いですね」

 

「お、アル! やっときたか! アスナを捕まえたんだが、なんか難しいことばっかでよく分かんねぇんだよ」

 

救助をしていたアルビレオが合流した。

 

 

 

 

 

ナギは、アスナが喋っていた内容に関してぎこちなく説明する。

 

「ふむ、つまり彼女によれば、『魔法無効化』は本来だれでも持っているエネルギーであり、彼女はそれが人よりも多い体質である、と。そしてその負の力と魔法が引き合えば、魔法をプラスとマイナスがぴったりはまって魔法が消滅するということですか」

 

「うん、さすがにアルなら分かるよね」

 

「ふふ、恐縮ですね。しかしまあ、随分と賢くなりましたね、アスナは」

 

「まあ、マスターのおかげ、かな」

 

誇らしげな顔の少女。それを見て、アルビレオはナギに耳打ちする。

 

(ナギ)

 

(なんだよ、どうせ俺はバカだよ……)

 

どうやら、話しについていけなくて拗ねてしまったようだ。

 

(拗ねている場合ではありません。彼女がどういう経緯で『闇の福音』に心酔するようになったのかは分かりませんが、『闇の福音』は彼女を教育(・・)している(・・・・)

 

(? それがどうしたってんだよ)

 

(つまり、『闇の福音』は彼女を大切に思っているということです。人質や捨て駒として使うなら、教育など態々施しません。そんな人物が、彼女だけを戦場に送り込むとは思えない)

 

(……じゃあ、そいつが今此処に来てる可能性があるってことか?)

 

(そういうことです。警戒しておいたほうがいいでしょう)

 

ヒソヒソと話をしている二人を見て、アスナは怪訝な表情となる。時間稼ぎをしていることがバレたかと思ったが、どうもそうではなさそうだ。

 

(二人相手は……無理だね)

 

ナギ一人であれば、隙を見て逃げ出せたかもしれないが、アルビレオにはそんな作戦は通用しない。仮にも『赤き翼』の頭脳労働を兼任していたのだ。たかが少女に騙されるほど甘くはないだろう。どうしようかと新たに作戦を練っていた時。

 

「っ! ナギ!」

 

「んだよ一体……って、うおっ!?」

 

上を突如見上げ、珍しく大声を出したアルビレオを見て、ナギも上空を見上げると同時に、その目に写った光景に驚愕した。

 

なんと、上空から魔法であろう吹雪が押し寄せてきていたのだ。それも、並のものではない。よく練磨された、濃密な寒気を纏う大吹雪である。それが、ナギと、そして彼が抱えているアスナに(・・・・)向かって。

 

「ちいっ!」

 

何とか躱すことはできた。アルビレオが注意をしてくれなければ、今頃は凍りづけだっただろう。

 

だが。

 

「! ナギ、彼女はどうしたのですか!?」

 

「は? いや姫さんはここに……っていねぇ!?」

 

腕に抱えていたはずの少女が、今はナギの腕から消え去っていた。吹雪を躱した時、それによって注意がアスナから逸れてしまい、アスナは彼の腕から脱出を果たしたのだ。

 

「やっと逃げられた……」

 

振り向いていみれば、そこにはアスナの姿があった。皺になってしまった服の裾を払い、人心地ついて余裕を見せている。

 

「余裕こいてる暇があると思うなよ、姫さん。すぐにもう一度捕まえてやるぜ」

 

意気込むナギ。確かに、アスナではナギから逃げ切ることなどできないだろうし、今はアルビレオもいる。彼女はもう袋の鼠であるはずだ。しかし、その表情はまるで彼らを嘲笑うかのように穏やかなものであった。

 

「もう捕まらないよ。だって……」

 

そう言って、ニヤリと。狡猾な笑みを浮かべる。

 

直後。

 

リィン

 

響き渡ったのは、彼らがよく知る、あの音。

 

「ぐあっ!?」

 

「くっ!」

 

音が鳴ると同時に、ナギとアルビレオは鮮血をその身から迸らせる。ナギは肩口から、そしてアルビレオは脇腹からだ。痛みで一瞬視界が揺れるが、すぐに体勢を立て直す。アスナの方を見てみれば、そこにいたのは、グレート=ブリッジにて彼らを翻弄した少女の姿が。

 

「……久しぶり……」

 

「くそっ、嬢ちゃんまで来てやがったのかよ!」

 

アスナが余裕を見せていた理由はこれだったのだ。『赤き翼』の面々が手も足も出ず、ラカンとナギに至っては深手を負わされた苦い経験を持つ人物。巷では殺人鬼として名をあげてきた、『狂刃鬼』の異名を有する謎の少女がそこにいた。

 

そして。

 

「こんにちは。いや、こうして面と向かって出会うのは初めてだから初めましてがいいかな?」

 

金の髪に白い肌。漆黒の服と獰猛な笑み。そしてそこから覗く、人間らしくない鋭い犬歯。

 

「『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』……!」

 

「知っていたか……いや、あのアリカ姫から聞いたのか」

 

アスナを攫った張本人。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが現れたのだった。

 

 

 

 

 

「アスナが世話になったな。実戦を経験するのにはちょうどよかったぞ」

 

クククと、喉を鳴らしながら笑うエヴァンジェリン。一方ナギは怒りに顔を歪めていた。

 

「俺を練習相手にさせたってことかよ……! ふざけんじゃねぇ!」

 

「ああ、そうだが? なにか不都合でもあったか? せっかくお前たちにアスナを取り返すチャンスを与えてやったというのに」

 

エヴァンジェリンは、さも当然だろうといった風に言い切った。それが、ますますナギを激昂させた。

 

「ふざけんな! テメェに施しされるほど俺たちは弱くねぇ! それに、アスナをまるでモノみたいに言いやがって……!」

 

歯を軋ませ、怒りに震えるナギ。アルビレオからしても、ここまで怒りに怒ったナギを見たのは久しぶりであった。

 

「いいや? 私は彼女を信頼(・・)している(・・・・)からこそ、お前たちを相手取らせたんだよ。そこら辺を勘違いされてしまうのは困るなぁ?」

 

そんなことを、平然と言ってみせる彼女に、さすがにアルビレオも不快感を抱く。

 

「白々しい……先ほどの魔法、貴女の仕業でしょうに……!」

 

「ああ、確かに私は先程『闇の吹雪』を放ったが」

 

「貴女は、彼女がナギと一緒にいることを知って攻撃したのでしょう」

 

アルビレオは、吹雪が放たれる寸前で彼女の姿を視界に捉えていた。アルビレオが見た彼女は、笑みを浮かべながら魔法を放っていたのだ。

 

「おい待てよ、ってことは……!」

 

ナギも、アルビレオの言葉を聞き、少しだけ頭を冷やして彼に問いかける。アルビレオは、彼の問いかけに頷きながら、話を続ける。

 

「ええ、そういうことです。彼女は……アスナ(・・・)姫ごと(・・・)攻撃したんですよ……!」

 

アルビレオが、いつも余裕の表情で飄々としている彼が怒っている。その事実が、ナギにエヴァンジェリンがやったことを理解させるのには十分であった。

 

「……ふざけんなよ……」

 

拳を握り締める。爪が掌に食い込むほどに強く。ポタリポタリと、真紅の血を滴らせて。

 

「俺だけじゃなく……姫さんまで……!」

 

怒りのボルテージが頂点に達し、エヴァンジェリンを睨みつける。そして、アルビレオですら反応できない速度で虚空瞬動で彼女との距離を一気に詰めた。

 

「ナギ!?」

 

止めようとするが、体が動かない。みれば、彼の体が魔法で拘束されていた。

 

「くっ、捕縛魔法!? "遅延呪文(ディレイ・スペル)"ですか……!」

 

「テメェを慕ってる姫さんを……分かった上で俺ごと攻撃しやがったのか!!!」

 

限界まで、それこそ掌を指が貫通してしまいそうなほどに握った硬い拳。それにありったけの魔力と、スピードを乗せる。直撃すれば、エヴァンジェリンの顔はスプラッター映画さながらの有様となったであろう。だが、彼女は今、一人では(・・・・)ない(・・)のだ。

 

「……させない……」

 

「くそっ! どけっ! 退いてくれよ!!!」

 

ナギの拳は、エヴァンジェリンの直撃する後二、三歩手前で、グレート=ブリッジで対峙した少女に止められてしまった。エヴァンジェリンはそれを見つつ、そういえば忘れていたなといった風に言葉を口にする。

 

「そいつは私の従者の一人、明山寺鈴音だ。『狂刃鬼』、と言えば分かるかな?」

 

鈴音の紹介をした後、彼女はナギの問いに答えた。

 

「先ほどの問いに答えるが……別に問題なかろう? 当たったところでアスナは『魔法無効化』で傷一つつかんし、結果論ではあるが、お前が私の魔法を躱したのだからな」

 

「だからって!」

 

「私は、気にしてないし。マスターがそれだけ私を信頼してくれているってことだから」

 

アスナのその言葉で、ついにナギは押し黙ってしまう。

 

「……無力……」

 

鈴音の言葉に、ナギは歯噛みした。実際、彼女の言う通りであったから。エヴァンジェリンの放つ圧倒的な強者のオーラ。たとえ『赤き翼』の面々であろうとも、命を賭してようやく届く高み。そう思わせる雰囲気が、彼女にはあった。

 

それでも、殴りかからずにはいられなかった。彼女を慕うアスナの思いを踏みにじるような、彼女の唾棄すべき行為が、ナギにはどうしても許せなかったのだ。

 

「青いなぁ、『英雄』」

 

「……俺は、ナギ・スプリングフィールドだ……そんな風に呼ばれるつもりはねぇ」

 

「だが事実だろう? 連合の英雄、『千の呪文の男(サウザンドマスター)』。それが今のお前だろうに」

 

連合の英雄。そんな風に言われていい気になっていた自分。しかしそんな自分は、今何もできない全くの無力。数ヶ月前の自分を笑ってやりたい気分だった。

 

「私達を否定したいのならば、私を倒せるほどに強くなることだな。だが、私達バケモノを打倒し得るのは、それこそお伽噺の『英雄』を超えるぐらいでなければ務まらんぞ?」

 

半月に口元を歪めて微笑むエヴァンジェリン。そのまま、彼女はアスナを連れて上空へと飛び去っていった。ナギを止めていた鈴音も、彼の拳を開放し、虚空瞬動で彼方へと飛び去っていった。

 

「……楽しみに、してる……」

 

そんな言葉を残して。

 

 

 

 

 

「ナギ、無事ですか」

 

彼らのやり取りを見ていたアルビレオが、ナギへと近づいてきた。

 

「すみません、捕縛魔法が予想以上に強力で……」

 

「……気にしてねぇよ」

 

アルビレオは、ナギを見て思わず目を背けたくさえなった。あれほどまで快活で、無鉄砲で、それでいて一直線な男であったナギが、無力さを感じて泣いていたのだ。その悲壮な顔は、長年付き合いのあったアルでさえ初めて見る。

 

「アル……俺って、弱ぇな……」

 

「そんなこと、ありませんよ。ナギは強いです」

 

「だけどよ、あいつには届かなかった……。足元にすら届いちゃいねぇんだ、俺は……」

 

「……ナギ」

 

アルビレオがなんと声をかけていいか悩んでいたその時。

 

「だったら強くなりゃいいだろこのボケナギがっ!」

 

「あぶろっ!?」

 

ナギがその顔面に強烈なストレートを食らって吹き飛ぶ。見れば、いつの間にかやってきたラカンがそこにおり、どうやら彼がナギをおもいっきりぶん殴ったようだ。横には詠春の姿もあった。

 

「な、何しやがる!」

 

吹っ飛んでいったナギが、叫びながら戻ってくる。すると今度は詠春が、

 

「分からないのか……この大馬鹿ナギがっ!」

 

「へぶっ!?」

 

詠春が青筋を立てながら、神鳴流『斬岩剣』をぶちかました。再び吹き飛ぶナギ。

 

「な、な、何すんだよ詠春まで!?」

 

「それはお前の胸に聞いてみろ!」

 

「はぁっ!? 何わけの分からねぇこと」

 

「やれやれ、儂の弟子はとことんバカじゃったようじゃの」

 

「ああ、全くだ……」

 

背後からの声。見ればゼクトとガトウがそこにいた。

 

「どういうことだよお師匠様まで……」

 

「儂も耄碌(もうろく)したかの……こんな阿呆を弟子にしてしまうとは……」

 

ゼクトの一言に、ナギもさすがに驚く。バカだなんだと言いつつも、自分のことを師匠として誇りに思ってくれていた彼から、そんなことを言われたのだから。

 

「お、お師匠様……」

 

「ケッ、俺もこんなヤローをライバルだなんて思ってたなんざ、一生モンの恥だ」

 

ラカンがそんなことを言う。はじめは敵同士であったが、戦ううちに気が合い、共に戦う仲間であり、好敵手でもあったラカンが。

 

「皆……なんでそんなこと言うんだよ……!」

 

「まだ分からないのか!!!」

 

詠春が、ナギの胸ぐらをつかみ叫ぶ。恐ろしいほどの怒気と気迫は、ナギですら一瞬怯んでしまった。

 

「お前は……お前は何のために仲間がいると思ってる!!!」

 

言われて、ハッとする。自分を弱いといった、先程の言葉。それがどれだけ仲間を傷つける言葉であっただろうと。

 

詠春は、なんだかんだ言いながら自分を信頼して一緒に来てくれた。

 

アルビレオもそうだ。こんな自分にここまで付いて来てくれたのだ。

 

ラカンは、自分をライバルだといって自分を認めてくれた。

 

ゼクトは、未熟な自分を鍛えてくれた。弟子は取らないと豪語していたはずなのに。

 

そしてガトウは、戦争を終わらせるために自分を、そして皆を信じて仲間となった。

 

ナギの言葉は、そんな彼らを蔑ろにするような言葉に他ならなかった。

 

「お前が言った言葉は俺達を、俺達の心を裏切るものだったんだぞ……!」

 

「………」

 

「お前には、お前にはこんなにも仲間がいるというのにだ!」

 

「でも、俺は……!」

 

弱い。そう、言葉に出しそうになって飲み込む。言葉にすれば、それこそ自分はただの弱虫だ。

 

「さっきも言ったろ。弱ぇんなら、強くなりゃいいだけだ」

 

「落ち込んどる暇など無かろう、そんなことでは奴らには届かんぞ」

 

「俺はお前が強いから仲間になったんじゃない。お前なら、やってくれると信頼してこの命を預けたんだ」

 

「……お前はほっとくと危なっかしいからな。最後まで付き合うぐらいはしてやるさ」

 

「皆……」

 

皆が、思い思いの言葉を向けてくれる。自分が立ち上げた『赤き翼』のメンバーたちが、自分を勇気づけようとしてくれている。

 

「ナギ」

 

アルビレオが、ナギの手を取る。

 

「私たちは、貴方を支えるには足りませんか?」

 

友の言葉。ナギの視界が段々と歪む。頬を暖かなものが流れ、それが涙だと気づく。

 

「んなわけないだろっ……! 皆……、皆俺の最高の"仲間"なんだからよ……!」

 

鼻声で、言っていることが上手く伝わっているかわからない。それでも、気持ちだけは伝えたかったし、彼らはきっと分かってくれただろう。何故なら、彼らこそ『赤き翼』の仲間たちなのだから。

 

 

 

 

 

「ま、とりあえず元の超バカナギに戻ったか」

 

「んだとコラ! つーかよくも殴ってくれたな!」

 

軽口を言いつつ、ナギとラカンは睨み合う。

 

「フフ、ようやくいつもの調子が戻って来ましたね」

 

ナギの様子を見て、アルビレオはいつもの微笑みと眼差しを向ける。

 

「おうよ、もうくよくよすんのはやめだ」

 

明るい、見る人を不思議と引き付けるそんな笑みを見せる。

 

「『英雄』か……だったらなってやろうじゃねぇか……」

 

拳をグッと握りしめ、天に向かってそれを掲げる。

 

「首洗って待ってろよ、『闇の福音』。今度は、おもいっきりぶん殴ってやるぜ!」

 

決意を胸に、少年は『英雄』の道を突き進む。頼もしき仲間たちとともに。


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